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Thursday, May 31, 2012

Storm of violence, slaughter, plunder by Korean constabulary in 1945


引き揚げ時の朝鮮半島


at the time of war withdrawal in Korean Peninsula
There was a fact that when Korea was ruled by Japan, korea was developing, and their life expectancy grew.
During the war, korea fought together with japan, however korean had became massacre to japanese, raped Japanese when known that Japan was defeated, it is the undoubted historical fact.

Japanese who were in Taiwan, they returned home in tears to apart from Taiwanese.
However, japanese residents in korea were escaping by the skin of their teeth in the Korean Peninsula.


in August 8, 1945, one week before the end of WW2,
Soviet Union had invaded to Manchuria and Korea, declared against Japan to break  the Soviet-Japanese Neutrality Treaty.


2012/05/17 22:00
朝鮮は日本統治され、発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。
戦時中は、共に戦いましたが、日本が負けた事を知ると日本人を虐殺したり、日本人女性が強姦されたりした事は、紛れもない史実です。
台湾にいた日本人は、台湾人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは、命からがら逃げて来たのです。


終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約を破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。


Soviet army invades in Manchuria

people swarmed like ants in where remained Japanese left vacant houses, shops, warehouses, etc..which kept to open gates and windows.
they were busy to rip off and carry out the household goods, clothing,tableware, decorations, musical instruments, entertainment goods, shoes, umbrellas, books, bicycles and everything.
everybody screamed,steeled and ran with wide open eyes whole in town.


Some people ran away carrying with trunks. everyone running, hitting, swearing, asking for more big treasures, went into the larger luxury housing.
the disaster repatriations did not only happen in North Korea.
also in South Korea, Koreans worked for all evil to Japanese.
the differences of ethnicity has not been in north nor south.







満州に侵攻してきたソ連軍

窓も門も開け放しのまま去った日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように人間が群がった。家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。
町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。
引揚げの惨事は北朝鮮だけに起こったのではない。
南朝鮮(韓国)においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。
北と南に民族性の違いはないのである。

Korea the Ministry of People’s Security

조선 보안부대
조선 전쟁의 진실-전(元)인민군 공병장교의 수기-

朝鮮保安部隊
파란많은 인생이였어도 여한은 없다
-조선의용군이고 항일로전사인 최명세옹


Kimchaek 金策市(キムチェクし)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道南部にある都市。
旧称は城津(ソンジン/성진)

北朝鮮に消された街「城津」―引揚げ者たちの苦難の記録



the truth of the Korean War,the memory by ex engineer officer of North Korea
Author; Ju Yongbok

taken along with two marriageable daughters, an elderly japanese couple who were farming in North Korea, came to the iron field near the 38th parallel at last after the hardship.

what they saw the scene on where,Japanese girls got fucked upon from Soviet soldiers at first,to the next, handed over by the south korean citizen security force, bullied to further harsh, and be slaughtered.

Looting and violence by Korean citizen security troops were extremely brutal.
Soviet troops invaded and kicked the shutters in the middle of the night, taken like snatched 17 years japanese daughter from father.
she came back home as a deplorable spectacle, like a ghost exhausting her tears and dawn.
in all incidents, the Koreans guided the Soviet soldiers to japanese girls.

on barriers in each villages of citizen constabulary force, japanese residents were forced to take strictly physical examination, such as golds,kimono;cloths, rices were taken up.
some young women were force to naked in the questioning.
the devastations in Jotsu was absolutely indescribable.
Korean men and women rushed by dozens of organizations, they foraged,peeled washing baby's clothes,and ripped off,moreover korean requested "provide the ladies.

quotes from Shoron;on November 2005,
Storm of looting, violence, killings hit to repatriation japanese civilians

「朝鮮戦争の真実 -元人民軍工兵将校の手記-」朱栄福著

北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、ついで、韓国の保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、虐殺される光景であった。

朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
皆、ソ連兵を韓国人が案内したのだった。

部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
城津での惨状は言語に絶した。韓国人の男女が数十名の団体で押しかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の「提供」を要求した。

正論 2005 年11月号 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐

within one year after the war Japan had elapsed, it was prohibited to move of Japanese in North Korea.
the group of the writer,they went on the escape to South Korea to hire a truck with a bribe. in Mid-September 1946, they used the track of the Korean police.
the rate was that  one thousand yen (1000 yen = today's current is $50000) to each person, baby included (must pay), i paid six thousands yen.

江原襄陽郡県南面市辺里 강원 양양군 현남면 시변리
Sibyeon-ri, Hyeonnam-myeon

at Sibyeon-ri,all of us were gotten down from the track,we became walking,however two cow carriages were waiting us,we were forced to use them, then we could walk lightly and put our luggages.

after we were requested the large of Ox carts fee, and following to the next village, we had to take in place to another oxcart,also we were beaten up for the big fee and chips, then we could see a smoke on the mountainside.

Jjigae 찌개(흔히 '찌게'로 오기, 문화어: 남비탕)


There was shift ground of Korean Jiigae troop. 

By this time, we had not have enough money already,they required our goods,

we had be taken up most of the things that were brought up here all the way with much efforts. 
the Jiigae troop that came to the ridge line said,
"you guys,don't you think you can go home to Japan with just a little like this, ,put out more!"
we had been threaten, forced to threw up the remainder goods, exhausted children,older,men and women went down in from the ridges of the 38th parallel in madness.

quotes from "to go back to mother country with living,dead 38th parallel,5"



プデチゲ(部隊チゲ、部隊鍋/부대찌개)
Budaejjigae,Unit Kimchi stew

日本敗戦後一年が過ぎても北朝鮮内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南朝鮮への脱出を決行する事になった。昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。
市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。
牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられてまた金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。
そこはチゲ部隊の交替地であった。もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。稜線まできたチゲ部隊に、「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のようにこの38度線の山稜を駆け下る。

生きて祖国へ5 死の三十八度線  引揚体験集編集委員会編 


http://news.jeonnam.go.kr/present/01/index02.php?category=4&bid=B70000&menuid=70000&cno=296


오다시(大田市)
문평동 文坪洞(ムンピョンドン)Munbyondon

http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=jhj7725&logNo=140038285598&redirect=Dlog&widgetTypeCall=true






mochi thinking
i guess the author can't read Kanji Chinese characters....
written in the newspaper, "Japan government punishes to unscrupulous korean landowners" 
however the korean people convert the meaning that japanese exploit from korean people.......




大田広域市 大徳区 文坪洞
서구 (대전광역시)
Munp'yŏng (문평동 ; 文坪洞)

文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。
元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。
ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。
その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。
私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。

ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、前もって準備して掘った穴に身を潜めた。

私の三十八度線突破記録  梶山緑

北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、暴行、強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる
事になった。白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。
ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死亡した。
一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。
在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。
やせこけた身体に乞食のようなボロをまとい、山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、人々は南に辿り着いた。

「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 








正論 2005年 11月号


引揚民間人を襲った朝鮮保安隊の略奪・暴行・殺戮の嵐


(一部抜粋)



「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。

(中略)

「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。

城津での惨状は言語に絶した。(中略) 朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」

博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた




http://current-affair.blog.so-net.ne.jp/2006-03-03-1








【コピペ】引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐 [歴史コピペ【日本-ソ連編】]


正論 2005年 11月号
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、
 今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
 ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、
 虐殺されている光景であった。
         (中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
 ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
 みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
 城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、
 干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
     博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
         (中略)
京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、
進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。
しかも一度では済まず、相手も変わった。
兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。
救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、
そして台湾人、フィリピン人も登場する。
         (中略)
中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。 
    (後略)

2002/09・05 週刊文春  P172 ”読者からのメッセージ”より
 「外地での悲惨な経験」
 八月十五・二十二日号「五木寛之 ソ連兵の暴虐と家族の非業の死」を読ませて
頂きました。五木氏の体験と同じではありませんが、終戦当時私は八歳。連夜訪れ
るソ連兵に訳の分からぬまま外へ逃げ出し畑に隠れていました。
 若い女性を1ヶ所に集めて、朝鮮兵が暴行を加えた。そんな事もありました。被害
にあわれた人達の気持ちを思うと、語ってはいけないことだと思います。このような
出来事を知る人が少ないのはこの所業(せい)でしょう。
 日本国は昭和二十年に入ってからも「大陸の花嫁」を外地に送り込んでいた、と後
で知りました。守る兵のいなくなった外地に少女を送り込む愚行がなければ、彼女達
は犠牲者にならなかった。
 その時、残された軍は何をしていたか? せっせと家族を内地に送ることに専念し
ていた。全てでは無いでしょうが・・・・・・。
(富山・渡辺正保・無職・65)

正論11月号 P.238~
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐  米田健三
(主要部抜粋)
>「これまで親しくしていた満人の友も匪賊と化して襲ってくる」
>「日本人は皆殺しだと宣告され、幼児までが中国語で話せと強要されたこともある」

>「いつの間にか満人の農民に取り囲まれていた。
> 度重なる略奪に身ぐるみはがされた私たちに、子供を売れと強要するのである。
> 男の子が三百円、女の子が五百円だという。

>「母と二人で満州の原野を歩いていた。
> 脇からあらわれる満人たちが、僕の体に手をかけて引っ張るんだ。
> 食べ物をちらつかせ、子供を寄こせ、子供を寄こせという。
> 母は、僕を取られまいと、必死になって僕の手を握っていた」

>敗戦の弱みにつけこんで、
>路傍でわずかな物やカネと引き換えに「くれ」というのだから尋常ではない。

>「当時の遅れた農村社会の中国・満州にあって、子供は将来の労働力。
> ましてや、東洋鬼の日本人の子は、奴隷要員ですよ。
> カネで買うとき、男の子より女の子のほうが高かったのは何故だかわかりますか?
> 少なくとも、当時の中国では女の子が大きくなったら“商品”になったからです」

終戦前後の満洲における惨劇
http://www.kikokusha-center.or.jp/resource/ioriya-notes/mondaishi/sangeki-1.htm
http://www.kikokusha-center.or.jp/resource/ioriya-notes/mondaishi/sangeki-2.htm

ロシア(ソ連)の事跡を検証する
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-179.html

戦後…博多港引き揚げ者らの体験
<1> 「ソ連が来る」息潜めた2006.07.20http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060720.htm
<2> 医師らひそかに中絶手術2006.07.27http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060727.htm <3> 麻酔なしの中絶手術2006.08.03http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060803.htm <4> 日誌につづられた悲劇2006.08.10http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060810.htm <5> 孤児収容所愛情の記憶2006.08.17http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060817.htm <6> 孤児の女性が保母に2006.08.24http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060824.htm <7> 子どもの心潤した食事と行事2006.08.31http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/document/013/do_013_060831.htm 北朝鮮引き揚げの悲劇 http://tech.heteml.jp/2006/11/post_862.html ☆参考図書☆



 http://tech.heteml.jp/2006/1
http://ameblo.jp/campanera/entry-10059797184.html 







終戦直後、引き上げ日本人を襲った強姦の加害者は朝鮮人が最も多かった
2007-12-12 09:00:00
テーマ:朝鮮人が嫌われる理由


中国大陸と朝鮮半島から引揚げる日本人を襲ったのは、仲間であったはずの朝鮮人だった。
正論 2005 年 11 月号

引揚民間日本人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐

「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38 度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
(中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17 になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。

城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
博多港から車で40 分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
(中略)
京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。
しかも一度では済まず、相手も変わった。
兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。
救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。
同医師が昭和21 年6 月10 日付で救療部に提出した報告書によれば、強姦の加害者は韓国人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。
(中略)
中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。(後略)



正論 2005 年 11 月号 引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐

http://resistance333.web.fc2.com/html/japan_korea_merger2.ht...


三国人は何をしたのか?




空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。
http://ameblo.jp/campanera/theme-10002909941.html




朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わってしまった。
http://resistance333.web.fc2.com/html/corea_living_in_japan.htm#2


思えば、この通名だった子達は、意地悪で態度でかく、目がきつい印象の奴らばっかりだったし、家が焼肉屋、パチンコ屋、金貸しだった。なんで子供のくせに天皇陛下の悪口を言ってるのかなぁ?とか思い起こせば...納得。高校時代は横浜駅を朝鮮高校の生徒が闊歩し、チョンバン(朝鮮学生ぺったんこ不良かばん)男も女(チョゴリでヴィトンバック)も恐ろしい存在でしたけどねぇ。何処が差別???「差別よりも私が目にしたのは朝鮮人差別をする人間ではなく、朝鮮人という人種とのトラブルや関わりに恐れおののいて彼らを避ける人達ばかりであった。」本当にそうだと私は思う。

http://dobarans.jugem.jp/?eid=501#comments




集団で土地をロープで囲み、バラックを建てていた家族を殺害し占拠する。白昼、商店を襲い、商品を根こそぎ奪いそれを闇市で売りさばく。バスや列車に無銭で駅員を殴り倒し、どかどか乗り込み、網棚の荷物を外に放り投げ、そこで高いびき。警官狩りをして堂々と殺す等等。

http://www.scribd.com/doc/41335/ -


列車・バスの無賃乗車、時には客車の中に「朝鮮人専用」と書き、日本人を乗車させないこともあった。

http://www.kcn.ne.jp/~ca001/D35.htm




「でもね、日本が負けるまではホントに仲良くやっていたんだよ。 誕生日にお花をくれたりもしたんだよ。(たぶん上海租界時代のことかと) ばあちゃんなんか悪いことしたのかねぇ。」って。
http://ameblo.jp/campanera/theme2-10002909941.html




実際私の知り合いは浅草の土地を奪われたよ。
疎開先から帰ってきたら他の人が住んでいて泣く泣く静岡へ戻ったって。
それにうちの母親も言ってたけど、終戦を迎えてみんな小さくなって生活していたって。
その中でもブイブイ言わせていたのは朝鮮人の子供だったらしい。
真っ白な学生服なんて着てきて毎日白いご飯を持って登校していたらしいよ。
その金はどこから出てきたの?
闇市で特別待遇されて得た金じゃん。
今更必死で土地は奪ってない。なんて弁明するの笑えるね。
それだけ必死なんだろうけど。

http://ameblo.jp/campanera/theme4-10002909941.html


敗戦直後の焼け跡、神戸で貿易会社を営む親類の所有地1500坪が在日韓国・朝鮮人の掘っ立て小屋に占拠された。火災が起きても鎮火と同時に別の小屋が建ち、取り返せない。
「韓国人の友達もいたが、偏見はぬぐえなかった」

日韓経済協会長 瀬戸雄三さん
朝日新聞 2005年5月24日
週刊アジア 「韓国と私」より
http://49uper.com:8080/html/img-s/60213.jpg


以前大学の学生課に勤めてたけど、中韓系の学生は本当にひどかった。 出席してこないから連絡を取ると別人が出てくる。本人の居場所は不明。
大家さんからは「貸した本人以外の外国人が大勢住んでる。怖くてもう貸せない」と苦情が来る。アルバイト関係でもホントに問題が多かった。
何とか呼び出して注意すれば「難しい日本語はワカラナイ」と反省の意思もない。
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1192767761/401-500




【実録】 関東大震災 不逞鮮人暴徒化

■不法入国をし犯罪を働く横暴な「鮮人」(日本社会の共通認識)■

■地震発生■

福岡日日新聞 大正12年9月2日号外第四 「帝都無秩序 鮮人横暴」
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060904210203.jpg

■不逞鮮人が暴徒化■
徒党を組み暴徒、放火、殺人、暴行、略奪、強姦、爆弾・石油を携帯し放ち、水道に毒薬を放ち、
発電所を襲い、列車爆破を企画し、さらには隊を組み日本の一個小隊を全滅させその後一個中隊との戦闘へ突入

下越新報 大正12年9月3日附録 「上下水道青色毒散布、脱獄強姦掠奪殺人爆弾押収」
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060904210340.jpg

小樽新聞 大正12年9月3日号外第一 「隊をなして石油・爆弾使い放火」
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060904210445.jpg

小樽新聞 大正12年9月3日号外第三 「鮮人各所暴動検束数千名」
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060904210610.jpg

大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外「横浜~王子放火」
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060904210719.jpg

庄内新報 大正12年9月3日号外第十八報 「爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060904210900.jpg

新愛知 大正12年9月4日号外「横浜で戦闘開始 日本陸軍一個小隊全滅 発電所襲撃 放火逮捕困難」
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新愛知 大正12年9月4日号外「屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」
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名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二「浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」
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福岡日日新聞 大正12年9月4日号外 「殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」
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■軍隊、自警団などがあらゆる暴虐をはたらく不逞鮮人を射殺・撲殺・検挙■

小樽新聞 大正12年9月4日号外第一 「爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」
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九州日報 大正12年9月4日号外第三 「鮮人捕縛 爆弾其の他押収」
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そこで進駐軍がやって来るまでのおよそ二ヶ月間、学校、練兵場、格納庫、武器庫など、あらゆる軍の施設を我々40名の台湾人生徒が守ることになったのである。『朝鮮人は信用できない。だから君たち台湾人が守ってほしい』そう言い残して去っていった上官の言葉を、これまで経験してきたもろもろに照らし合わせて了解した。

http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J068.htm

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each withdrawal for japanese,korean, 62 years later since end of war



終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ02

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