Friday, April 6, 2012

the curse piles by Emperor Japan 日帝呪いの杭 part1

http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/786f49f2b7cbc5b7bae5524c4585c9c1


日帝が朝鮮民族抹殺のために打ち込んだ鉄杭を発見
found iron piles for driven Korea ethnic erasure by Emperor japan


日帝が朝鮮民族抹殺のために打ち込んだ鉄杭を発見



【平壌11月10日発朝鮮中央通信】




最近、朝鮮の歴史文化都市である開城で、日帝が朝鮮占領時期に打ち込んだ鉄杭が発見された。

20世紀の初め、日帝は朝鮮の地脈に鉄杭を打ち込む乱暴を働いた。

日帝は、朝鮮のすべての地脈を生きている人体と見て、その地脈に鉄杭を打ち込めば地が病気にかかり、地が病気にかかれば人も病気にかかって災難が伴うとし、地相人まで動員­してこのようなことをした。

その後、名山の精気をみななくしただの、今や国を担っていく大人物や将帥が現れないなどとデマを飛ばした。

これについて現地の住民が証言している。

開城市から遠くない天馬山のふもとに住んでいる住民の林光先氏(男、55歳)は、「日帝植民地支配時代、ウェノム(倭奴)が天馬山脈に竜岩があるので朝鮮に将帥が多く現れ­るとし、そこに鉄杭を3個所も打ち込んだ」と現地で述べた。

伝説によると、天馬山の竜岩は遠い昔、高麗始祖王の王建が乗っていた竜が固まってできたという。

天馬山の他の山の峰でも鉄杭が発見された。

現地の住民である朴英哲氏(男、47歳)は、この山に薬草を取りに登って鉄杭が打ち込まれているのを発見したと語った。

3つの鉄杭が打ち込まれている現場で、同氏は「その時わたしはびっくりした。村に戻ってこの鉄杭のことを老人たちに聞いてみた。老人たちは、日帝が植民地支配時代に朝鮮で­将帥が現れるのを防ぐとして、この天馬山一帯を歩き回るのを直接見たと言った。わたしはその話しを聞きながら、日帝の朝鮮民族抹殺政策がどんなに執ようで悪らつだったのか­を直接感じた」と述べた。

鉄杭は、このほかにも開城市内にあるチネ山の神仙岩に2つ、松岳山の頂点付近にも1つ打ち込まれているという。

これについて社会科学院歴史研究所の曹喜勝所長(男子、59歳)は、「日帝侵略軍の『北シナ方面軍』参謀長、第1、第2方面軍司令官であった戦犯の山下奉文の告白資料によ­ると、日帝は過去の朝鮮占領時期、開城をはじめわが国の名山におおよそ360余りの鉄杭を打ち込んだという」と語った。

今回、開城地方で発見された鉄杭に対する資料が展示された市階級的教育館には、毎日数多くの人々が訪ねている。

参観者は、日帝の朝鮮民族抹殺策動の悪らつさを全世界に告発するもうひとつの証拠物を見ながら、こみ上げる激怒を禁じ得ないでいる。--
★日本が測量用に打った杭を抜くのが生き甲斐のソさん 「25年で280本抜いた」「死ぬまで抜く」 2009年05月25日 12時20分57秒 | 【韓国】「金剛山に日帝が打ち込んだ鉄杭を全て抜くのが希望」 25年間全国で280本を抜いたソ・ユンハ氏[05/24] 「日帝が打ち込んだ鉄杭と結論を下しましょう。」 鉄杭を凝視したソ・ユンハ(蘇閠夏・65)氏が話した。20年を超えて全国30ヶ所余りで280本の鉄杭を抜いて来た‘鉄杭男’だ。地域の新聞に載った紫山の鉄杭を直接検索して探すほど彼は変わらずに精力的だった。 ソ氏と周辺の山勢を調査したシン・サンユン アジア風水地理研究所長は「山脈の気運が南漢江と蟾江の合流する地点でカイチ(ヘテ)形状を成したが、その腰椎部分の穴に鉄杭が打ち込まれた」と話した。 ウォン・ソンジェ康川2里長は「幼い時日帝が打ち込んだ鉄杭だと聞いた」と話して、住民のキム・スンチョル氏は「町内の大人たちはイム・ギョンオプ将軍の気を折るために打ち込んだと言っていた」と話した。驪州郡史によればイム・ギョンオプ将軍が紫山頂上で心身修練をしたと伝えられる。 ソ氏が鉄杭に初めて接したのは1984年北漢山白雲台頂上で鉄杭を抜いたというある山岳会の消息を聞いてからだ。20代から民族宗教を研究したソ氏は「これこそ誰かが必ずするべきこと」と固く信じた。 雪岳山から全南、麗水の無人島まで全国の鉄杭を探し回った。情報提供を受ければ町内の口伝調査を先にした。風水学者から日帝が打ち込んだ鉄杭の根拠を探すことも必須だ。この過程で日帝の打ち込んだのでは無いことが明かされても彼は‘美観上’鉄杭を抜いた。 団体の名前を掲げて鉄杭を抜いたりもしたがソ氏は常に一人であった。周辺では「全国を流離う余力で肉体労働でもしなさい」と話した。‘韓日関係の障害物’や‘とんでもない
迷信’と後ろ指を差す者も多かった。  


ソ氏は「目に見えないと無いのではない」「そのような人々は現場で鉄杭を一度取ってから言ったらと思う」と話した。彼は「知らぬは仏」として「誰もしない事だから私だけでもしなければならない思った」と話した。 「食堂で働きながら今まで家事をしてくれる妻にただ申し訳ないだけです。‘行かなければならないのに…行かなければならないのに…’となれば妻が小遣いを取り置いてくれます。情報提供を受けてたら家にじっとしていられないのを知っているんです。」 ▲パク・クッキ記者 25年のあいだ全国を回って鉄杭を抜いて来たソ・ユンハ氏は「病人も鍼を打ってもらったら良くなるように、鉄杭を抜けば我が江山もさらに健康にならないか」と話す。彼は1970年代ガラス製造会社と冷暖房設備会社を除いて、これといって金を稼いだことは無かった。長男(36)の結婚式にも金一銭渡すことができなかった。15年以上京畿道果川の33平方m(10坪)半地下月貰部屋で生活する境遇だ。 1995年日本人から全南珍島沖合に鉄杭が刺さっているという情報提供を受けた時は海中を掻き分けるため、姉から借りた住宅資金5億ウォンを投じた。成果は無く、途方も無い宝物が埋まっているという噂だけ流れた。ここは2000年イ・ヨンホゲートの主舞台になった。 現在ソ氏が全国から受けた鉄杭情報提供は51件。交通費と探査費などの事情で積んでばかりいる。ソ氏は「これだけ全て解決しても南韓内のかなりの鉄杭は全て抜かれた」として「脱北者たちが情報提供した金剛山など北韓内の鉄杭を抜くのが最後の希望」と話した。 「死ぬまで鉄杭を抜く」というソ氏はこれまでの資料を集めて本を出す計画だ。ただし鉄杭を抜いた位置は秘密だ。位置が分かれば誰かがその場に全く同じく鉄杭を打ち込むかと思うからだ。彼の家にある鉄杭は100余本だけ。全国の地方自治体に配って残ったものだ。彼は鉄杭を一つに溶かして鐘を作る考えもしている。痛みの歴史を鐘の表面に記録するというのだ。 ( ´∀`) この人も、日本が測量用に打ち込んだ杭を「呪いの杭」と信じ込んでる類の人かな…哀れな…。 【関連情報1】 ▼日本が測量用に打ち込んだ杭を「呪いの杭」と信じて大騒ぎしている民族 ★チアク山で日帝が打ち込んだ金属杭を見つけたニダ!山頂で見つかったから測量用の可能性は薄いニダ! ▼韓国を代表するテレビ局(KBS:韓国放送公社)ですらこのレベル ★<#`Д´> アイーゴー!日帝が打ち込んだ精神侵略用の杭(くい)が沢山見つかったニダ!ポッキュー! ・「木杭」の正体は? <アンカー> 我が民族の精気を断つため、日本が強占期中に我が国のあちこちに金属杭を打ち込んだことを、ご記憶でしょうか。先日ソウルの開花山(ケファサン)で、巨大な木杭が何本も発見されましたが、これらも日本が打ち込んだものと推定されています。 金属杭ではなく木杭の発見されたのは、今回が初めてです。風水侵略用にまで…。日帝の支配欲がどれほど凄かったのかを、改めて思い起こさせます。 金ハクチェ記者が取材しました。木杭は初めてですが、金属杭や石杭も一緒に発見されたそうですね。 <レポーター> そうです。開花山では16本の木杭と27本の金属杭、そして石で作られた石杭2本が発見されました。このうち金属杭と石杭はなんとか取り除きましたが、後から見つかった木杭は非常に大きく、今のところ除去作業は容易でないといいます。誰がどうやって、何の目的で打ち込んだのか…。開花山の木杭を取材しました。 <取材VTR> 漢江をはさんで幸州山(ヘンジュサン)城と向かい合っている、海抜130メートルほどの開花山。山頂部に、正体不明の太い木杭が聳え立っています。長さと幅が少しずつ異なる木杭の総本数は16本。金属杭専門家が、先月からこれらの杭の除去作業を始めました。 <インタビュー:蘇ユニョン/民族精気宣揚委員会会長> 「私は今まで、金属杭はたくさん抜いてきました。しかし木杭がこんなふうに打ち込まれているのを見たのは初めてです。<中略>私たちを生きられなくして、この地から大人物が出ないように、という目的のために、大変悪く自然を利用したのです。戦慄を感じます。」 <取材VTR> 風水地理学者たちは特に、漢江をはさんで幸州山城と向い合っている開花山がソウルの重要な関門だったという点に注目しています。<中略>これまでにも全国各地の、風水が優れた場所で、これに似た杭が大量に発見されているのです。 <インタビュー:徐ギルス/西京大学教授> 「全国の少なくとも数百ヵ所にこうした事例があるということは、個人で出来る作業量ではありません。これはよほど計画的かつ用意周到に、ある種の精神侵略の方法として風水地理説を利用したものなのです。」 <取材VTR> 開花山で発見されたのと同じような木杭たちがどれほど多くの場所に、どんな形で、日帝時代の残滓として残っているのか。心配と憂慮が増幅しています。 【関連情報2】 ▼もはや病気!韓国人が恐れる「日帝の呪い」 ★南大門が全焼したのは、日帝の火魔の仕業であるニダ!パッキュー! ★韓国人がソウル市内のオットセイの造形物を毀損…「日帝が我が民族を抹殺するため設置したに違いない」 ★<#`Д´> 「ケロロ軍曹」は、朝鮮を侵略しにきた日帝を象徴しているものと解釈される!パッキュー! ★日帝の残骸であるソウル市庁舎を大極旗で覆い尽くしてやったニダ! ★韓国が遅れているのは日帝のせい。京城帝国大学など無意味だった ★韓半島運河計画は、日帝が民族精気抹殺のため白頭山へ杭を打った事に比肩する悪巧みニダ! ★アイーゴー!密陽(ミリャン)市庁広場のデザインは日本の軍旗を連想させるニダ!さっさと撤去しろニダ! ★ソウル市役所の建物は、日本の「本」の字になぞらえて建てられたものニダ!ぶっ壊しちまえニダ! ★チョン 「日本人たちは南大門に恐れを抱いたので、南大門の精神を奪っていった」 【関連情報3】 ▼測量も統計もまともにできない国。三角点の位置はめちゃめちゃ、地図のズレは当たり前 【東亜日報】[社説]「でたらめな基準、生半可な統計」で先進国を夢見るのか [06/4/21] ★海上保安庁 「韓国刊行の海洋地図は500mのズレなどデタラメだらけ。危険だから使用しないように」 【韓国】国土の端も知らない韓国政府 [09/1/12] 【韓国】「金剛山に日帝が打ち込んだ鉄杭を全て抜くのが希望」 25年間全国で280本を抜いたソ・ユンハ氏[05/24](1001) 1 特亜の呼び声φ ★ sage 2009/05/24(日) 20:37:47 ID:??? http://image.chosun.com/sitedata/image/200905/22/2009052201127_0.jpg 「日帝が打ち込んだ鉄杭と結論を下しましょう。」 鉄杭を凝視したソ・ユンハ(蘇閠夏・65) 氏が話した。20年を超えて全国30ヶ所余りで280本の鉄杭を抜いて来た‘鉄杭男’だ。地域の新聞に載った紫山の鉄杭を直接検索して探すほど彼は変わらずに精力的だった。 ソ氏と周辺の山勢を調査したシン・サンユン アジア風水地理研究所長は「山脈の気運が南漢江と蟾江の合流する地点でカイチ(ヘテ)形状を成したが、その腰椎部分の穴に鉄杭が打ち込まれた」と話した。 ウォン・ソンジェ康川2里長は「幼い時日帝が打ち込んだ鉄杭だと聞いた」と話して、住民のキム・スンチョル氏は「町内の大人たちはイム・ギョンオプ将軍の気を折るために打ち込んだと言っていた」と話した。驪州郡史によればイム・ギョンオプ将軍が紫山頂上で心身修練をしたと伝えられる。 ソ氏が鉄杭に初めて接したのは1984年北漢山白雲台頂上で鉄杭を抜いたというある山岳会の消息を聞いてからだ。20代から民族宗教を研究したソ氏は「これこそ誰かが必ずするべきこと」と固く信じた。 雪岳山から全南、麗水の無人島まで全国の鉄杭を探し回った。情報提供を受ければ町内の口伝調査を先にした。風水学者から日帝が打ち込んだ鉄杭の根拠を探すことも必須だ。 この過程で日帝の打ち込んだのでは無いことが明かされても彼は‘美観上’鉄杭を抜いた。 団体の名前を掲げて鉄杭を抜いたりもしたがソ氏は常に一人であった。周辺では「全国を流離う余力で肉体労働でもしなさい」と話した。‘韓日関係の障害物’や‘とんでもない迷信’と後ろ指を差す者も多かった。 ソ氏は「目に見えないと無いのではない」「そのような人々は現場で鉄杭を一度取ってから言ったらと思う」と話した。彼は「知らぬは仏」として「誰もしない事だから私だけでもしなければならない思った」と話した。 「食堂で働きながら今まで家事をしてくれる妻にただ申し訳ないだけです。‘行かなければならないのに…行かなければならないのに…’となれば妻が小遣いを取り置いてくれます。 情報提供を受けてたら家にじっとしていられないのを知っているんです。」 ▲パク・クッキ記者 25年のあいだ全国を回って鉄杭を抜いて来たソ・ユンハ氏は「病人も鍼を打ってもらったら良くなるように、鉄杭を抜けば我が江山もさらに健康にならないか」と話す。彼は1970年代ガラス製造会社と冷暖房設備会社を除いて、これといって金を稼いだことは無かった。長男(36)の結婚式にも金一銭渡すことができなかった。15年以上京畿道果川の33平方m(10坪)半地下月貰部屋で生活する境遇だ。 1995年日本人から全南珍島沖合に鉄杭が刺さっているという情報提供を受けた時は海中を掻き分けるため、姉から借りた住宅資金5億ウォンを投じた。成果は無く、途方も無い宝物が埋まっているという噂だけ流れた。ここは2000年イ・ヨンホゲートの主舞台になった。 現在ソ氏が全国から受けた鉄杭情報提供は51件。交通費と探査費などの事情で積んでばかりいる。ソ氏は「これだけ全て解決しても南韓内のかなりの鉄杭は全て抜かれた」として「脱北者たちが情報提供した金剛山など北韓内の鉄杭を抜くのが最後の希望」と話した。 「死ぬまで鉄杭を抜く」というソ氏はこれまでの資料を集めて本を出す計画だ。ただし鉄杭を抜いた位置は秘密だ。位置が分かれば誰かがその場に全く同じく鉄杭を打ち込むかと思うからだ。彼の家にある鉄杭は100余本だけ。全国の地方自治体に配って残ったものだ。 彼は鉄杭を一つに溶かして鐘を作る考えもしている。痛みの歴史を鐘の表面に記録するというのだ。 ▲朝鮮日報(韓国語)2009/05/24 07:33 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/05/22/2009052201186.html   [Why] "금강산에 일제가 박은 쇠말뚝 뽑는게 마지막 희망" 여주=박국희 기자 freshman@chosun.com 기자의 다른 기사보기 기사100자평(10) 입력 : 2009.05.23 03:04 / 수정 : 2009.05.24 07:33 25년간 전국서 280개 뽑은 소윤하씨 경기도 여주군 강천면 자산(紫山) 중턱. 해발 280m로, 높지 않았지만 사람의 왕래가 끊긴 지 오래된 듯 험준했다. 가파른 소나무 숲 사이로 지름 4㎝의 적갈색 쇠말뚝이 비스듬히 박혀 있었다. 땅 밖으로 드러난 길이만 70㎝가 넘었다. "일제가 박은 쇠말뚝으로 결론을 내립시다." 쇠말뚝을 응시하던 소윤하(蘇閏夏·65)씨가 말했다. 20년 넘게 전국 30여곳에서 280개의 쇠말뚝을 뽑아온 '쇠말뚝 사나이'다. 지역 신문에 난 자산 쇠말뚝을 직접 검색해 찾을 만큼 그는 여전히 정력적이었다. 소씨와 주변 산세를 조사한 신상윤 아시아풍수지리연구소장은 "산맥의 기운이 남한강과 섬강의 합수(合水)머리에서 해치(해태) 형상을 이뤘는데 그 요추(腰椎) 부분의 혈(穴)에 쇠말뚝이 박힌 것"이라고 했다. 원선재 강천2리 이장은 "어릴 때 일제가 박은 쇠말뚝이라고 들었다"고 했고 주민 김승철씨는 "동네 어른들은 임경업 장군의 기를 꺾기 위해 박은 것이라고들 했다"고 말했다. 여주군사(史)에 따르면 임경업 장군이 자산 꼭대기에서 심신(心身)수련을 했다고 전해진다. 소씨가 쇠말뚝을 처음 접한 건 1984년 북한산 백운대 정상에서 쇠말뚝을 뽑았다는 한 산악회 소식을 듣고 나서다. 20대부터 민속 종교를 연구했던 소씨는 "이거야말로 누군가는 반드시 해야 할 일"이라고 굳게 믿었다. 설악산부터 전남 여수의 무인도까지 전국의 쇠말뚝을 찾아 헤맸다. 제보를 받으면 동네 구전(口傳)조사를 먼저 했다. 풍수학자로부터 일제가 박은 쇠말뚝의 근거를 찾는 일도 필수적이다. 이 과정에서 일제가 박은 것이 아닌 것으로 밝혀져도 그는 '미관상' 쇠말뚝을 뽑았다. 단체의 이름을 걸고 쇠말뚝을 뽑기도 했지만 소씨는 늘 혼자였다. 주변에서는 "전국 떠돌아다닐 여력으로 막노동이라도 하라"고 했다. '한일 관계의 걸림돌'이라거나 '터무니없는 미신'이라고 손가락질하는 사람도 많았다. 소씨는 "눈에 보이지 않는다고 없는 건 아니다"며 "그런 사람들은 현장에서 쇠말뚝이나 한번 잡아보고 말했으면 싶다"고 했다. 그는 "아는 게 병"이라며 "아무도 하지 않는 일이기에 나라도 해야겠다고 생각했다"고 했다. "식당 일 하면서 지금까지 가사를 책임지고 있는 아내에게 그저 미안할 따름이에요. '가야 되는데… 가야 되는데…' 하면 집사람이 용돈 얼마씩을 챙겨 줍니다. 제보받고 나면 집에 붙어 있질 못하는 걸 알거든요." ▲ 박국희 기자 25년 동안 전국을 돌면서 쇠말뚝을 뽑아온 소윤하씨는“아픈 사람도 침을 맞고 나면 낫듯이 쇠말뚝을 뽑으면 우리 강산도 더 건강해지지 않겠느냐”고 말한다 그는 1970년대 유리 제조회사와 냉난방 설비회사를 제외하곤 딱히 돈 버는 일을 해보지 않았다. 큰아들(36) 결혼식에도 돈 한 푼 보태주지 못했다. 15년 넘게 경기도 과천의 33㎡(10평) 반지하 월세 방에서 생활하는 처지다. 1995년 일본인으로부터 전남 진도 앞바다에 쇠말뚝이 박혀있다는 제보를 받았을 때는 바다속을 헤집느라 누나에게 빌린 주택 자금 5억원을 쏟아 부었다. 성과는 없었고 엉뚱하게 보물이 묻혔다는 소문만 돌았다. 이곳은 2000년 이용호 게이트의 주무대가 됐다. 현재 소씨가 전국으로부터 받아 놓은 쇠말뚝 제보가 51건. 교통비와 탐사비 등의 사정으로 쌓아 두고만 있다. 소씨는 "이것만 다 해결해도 남한 내 웬만한 쇠말뚝은 다 뽑힌 것"이라며 "탈북자들이 제보한 금강산 등 북한 내 쇠말뚝을 뽑는 게 마지막 희망"이라고 했다. "죽을 때까지 쇠말뚝을 뽑을 것"이라는 소씨는 그동안의 자료를 모아 책을 낼 계획이다. 단 쇠말뚝 뽑은 위치는 비밀이다. 위치를 알면 누군가가 그 자리에 똑같이 쇠말뚝을 박을까 싶어서다. 그의 집에 쌓인 쇠말뚝만 100여개. 전국 지자체에 나눠주고 남은 것이다. 그는 쇠말뚝을 한데 녹여 종(鐘)을 만들 생각도 하고 있다. 아픔의 역사를 종 표면에 기록한다는 것이다.

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