Friday, April 20, 2012

silk cultivation in Korea by Kobe univ.

新聞記事文庫 蚕糸業(3-014)
京城日報 1914.5.11(大正3)



原蚕種の製造

水原の蚕種製造場にては昨年より其の規模を大にし全朝鮮に於ける蚕種は同場に於て製造する事となり既に昨年は七千枚を製出せるが頗る好結果を示し来年度に於ては平壌に更らに之が製造場を設置し西北朝鮮方面の需要製造に当て尚完成の暁は大邱にも同製造場を設け南朝鮮方面需要に応ぜしめ以って半島養蚕の改善と共に蚕業の振興を計る筈なるが現今に於ける朝鮮養蚕の状況は昨年の製繭高は三万五千四百余石にして之れを大正元年の製繭高二割九千七百四十石に比し僅に一箇年間に於て五千六百余石の増繭を見るに至れり之れ即ち養蚕の朝鮮に適当せると同時に鮮人間に於て最も有益なる事業たる事を認められたるに外ならず殊に在来種は其の価格に於て改良種に及ばざる事遠く在来種十四円に対して改良種は四十円の市価を保ち其差実に二十六円なるが故に鮮人間に於ても争うて改良種の飼育をなしつつあり現時の模様を以てせば鮮人戸数を二百万戸と見一戸平均五斗の製繭を得ば年百万石の製繭を得るも敢て難事に非ざるべく殊に製繭五斗を得んとせば其の蚕室も僅かに一間の温突を当て充分なるが故に農家の副業としても容易なれば将来の朝鮮蚕業は頗る有望にして其の発達如何によりては二百万石の製繭を得るも決して難事に非ざるなり而して朝鮮の気候が養蚕に自然適当し居る事は世人の悉知する処にして従て養蚕上い於ても内地と異り多くの手数を要せざれば勢い其発達の容易なる事も他の事業に比して之れに及ぶものはなかるべし今各道別に大正元年に於ける製繭高を掲ぐれば

慶北 六、二六八石 平南 四、三六七石
江原 四、三五六石 平北 二、九二七石
京畿 二、四〇三石 全南 二、四四九石
忠南 一、六〇八石 黄海 一、一八〇石
全北 一、一四二石 咸南 一、〇六九石
忠北 九二一石 慶南 九二〇石
咸北 一三〇石 

にて之れに対する桑田を分掲すれば左の如し

慶北七百四十町九反 江原七百二十一町六反
平北六百三十一町一反 平南六百二十五町三反
全南四百八十五町二反 京畿四百六十二町七反
忠南二百五十一町二反 全北二百六十八町六反
忠北二百五十三町四反 咸南二百三十六町
慶南二百二十七町三反 黄海二百二十四町
咸北五十八町一反

依是観之は全南の四百八十五町二反歩に対する製繭二千四百四十九石と咸南の二百三十六町に対する千六十九石は其成績頗る能く同地方の蚕業も亦窺うに足るべく殊に全南地方にては柘葉(シャ)と称する樹木ありて桑葉同様の効力を有し同地方鮮人は柘葉のみを以て飼育せしものもありしが結果良好と云う程に非ざるも原蚕種場に於て桑葉と混合して試育せしに其成績頗る見る可ものありと

データ作成:2004.3 神戸大学附属図書館

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