Wednesday, April 11, 2012

Korean eats human flesh

■ 朝鮮人の人肉食  朝鮮に根付く食人文化 ■

▲『生肝取りが流行 癩患者の迷信から残虐な殺人をする朝鮮』
名古屋新聞 1923年8月11日 〔〕 ・愛知 【】

▲『吾子の腹を割き生肝を夫に食はす/亭主の長患ひに/鮮女凶行後に自首』
神戸新聞 1930年8月16日 〔7/6〕 足柄下郡・神奈川 【社会】
この子供はどのようにして殺しどのように料理したんでしょうね。

▲人を次々に殺し、食肉として売った韓国人夫婦 

農民市場で米と豚肉を売っていた夫婦が、殺人と人肉を売っていたとして逮捕され、銃殺刑に処せられた。事件の詳細は、店に来た女性客を、米を安く売るからと言葉巧みに家に誘い込み、殺害し、解体して、その肉を豚肉に混ぜて販売した。夫婦は、大勢の女性客を殺害し、食肉としたが、
その正確な数字は判明していないということである。
(「証言・北朝鮮ー餓死か暴発か」、ジョン・ジンイル、ザ・マサダ刊)


▲2006年7月 子供を殺してソーセージを作る朝鮮人。

脱北者6人は19日、米国への亡命を助けたサム・ブラウンバック(共和・カンサス州)上院議員の仲介で、ワシントン米上院で記者会見を開いた。 ・・・ 「私の家の隣町の市場で、スンデを売っていた夫婦がいた。
その夫婦は、親が食料を得るために出かけている間、市場で物乞いをしていた子どもたち13人を殺し、その内臓で作ったスンデを売って逮捕された。私も買って食べた…。13人目に死んだ子どもを発見した時、どこの家の子どもか分からず、学校の校庭に子どもの頭を置いて、全校生に直接確認させた。
妹のチャンミもこれを目撃した」 ・・・

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006072139948


人肉事件「私も食べた」、脱北者が米上院で会見
JULY 21, 2006 03:02
北朝鮮の食糧難が深刻だった90年代半ばから後半にかけて、子どもを殺して人肉を食べる惨劇が起こったと、脱北者が証言した。
今年5月、脱北者としては初めて「非政治的亡命」が許可され、3ヵ月間米国で生活している脱北者6人は19日、ワシントン米上院で記者会見を開いた。米国への亡命を助けたサム・ブラウンバック(共和・カンサス州)上院議員の仲介で行われた同日の会見で、彼らは身元が明らかになることを憂慮し、濃いサングラスをかけ、野球帽を深くかぶって証言した。97年に北朝鮮を脱出して中国に滞在したが、3度も北朝鮮に送還されたシン・ヨセフ氏(仮名・32)は、「96年、直接見聞きしたこと」として、残酷な人肉事件を振り返った。

「私の家の隣町の市場で、スンデを売っていた夫婦がいた。その夫婦は、親が食料を得るために出かけている間、市場で物乞いをしていた子どもたち13人を殺し、その内臓で作ったスンデを売って逮捕された。私も買って食べた…。13人目に死んだ子どもを発見した時、どこの家の子どもか分からず、学校の校庭に子どもの頭を置いて、全校生に直接確認させた。妹のチャンミもこれを目撃した」

またヨセフ氏は、「中国で公安につかまって北朝鮮に送還された。収容所の地下10メートルの監房で6ヵ月間過ごした。体を空中にぶら下げられ、ムチを打たれ、拷問を受けた」と話した。

脱北者たちは、平壌(ピョンヤン)の子どもたちの状況に関する質問を受け、「生活が貧しくなり、生徒が30人のクラスに教科書が10冊だけ支給される。国連からお菓子が支給されるが、教員や校長が中間搾取し、生徒には一部だけが与えられる」と話した。

同日の会見途中、傍聴席から「韓国の太陽政策の実効性を北朝鮮で感じることができたか」という質問が出た。

チャンミ氏は、「韓国で、北朝鮮に多くの物資の支援をしていることを知った。しかし、住民には渡っていない。戦争準備や核兵器の製造に使われているようだ。このような支援はしてはいけないと思う」と話した。

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