Friday, January 20, 2012

living people in Joseon period class system and women's life 身分制度と女性の暮らし

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朝鮮時代の人々の暮らし - その1.身分制度と女性の暮らし
2006-07-17

16世紀中頃の韓半島の人口は1千万人を超える程度だったと推測されます。政府は3年ごとに所帯数と人口の調査を行いました。この調査の時には年齢に従い老年、壮年、少年、子どもに区分されました。ただしこの中には10歳以下の幼児は含まれていません。これはハシカや栄養失調で死亡する幼児、乳児の数が多かったからです。また、60,70歳以前に死亡するのが一般的だったので、50歳を過ぎれば老年に分類されていました。

当時は厳しい身分制度の世の中でした。建国直後には良民と賎民に分けられ、さらに良民は両班と一般良民に分かれていました。朝鮮の建国当初は両班でなくとも、能力さえあれば両班に身分上昇することが可能だったのです。しかし食べていくだけでもやっとというほどに貧しく、各種軍役などにあえいでいた人々にとっては科挙の勉強をする余裕はありませんでした。結局、両班階層が大部分の管理職を独占し、彼等が朝鮮の社会を実質的に動かすようになります。

17世紀に入り、両班は軍役を免除されるという特権を得るようになります。また両班階層と一般良民階層の間に中人階層が登場してきますが、彼等も世襲的な性格が強く、そのため17世紀になり両班、中人、一般良民、賎民の4つの身分に分かれるようになります。両班と一般の良民の間に位置した中人階層は、外国語、医学、法律などの専門的な知識を備えた人々と、行政の実務者で今の公務員にあたる人々で構成されていました。そして中人階層の中でも外国語を通訳する訳官の勢力は無視できないほどの力をもつようになります。通訳官らは外交だけではなく、貿易でも重要な役割を果たしました。
両班と中人は朝鮮社会で権勢を握る特殊な身分でした。ではそれ以外の大部分の人々は何をしていたかと言うと、農民でした。農業は朝鮮時代の最も重要な産業でした。そのため農民は商人や手工業者よりも社会的に上の待遇を受けていました。もちろん、商人や手工業者の国家経済に占める役割も無視できません。国家はいろいろな特権を保証してやるという方式で、商業を奨励していました。

そして一番低い階層として、賎民階層がありました。ここには奴婢、広大と呼ばれた大道芸人、そして家畜の食肉処理を担当した白丁がいました。このように厳格に区分された身分は強力な差別政策を伴いました。

朝鮮時代にはこの4つの身分の他に特別の身分階層がありました。庶オルと呼ばれるもので、父が両班でも母が妾や奴婢である子どもたちとその子孫のことです。朝鮮王朝が成立した直後、家族制度と関連した規制に変化を生じ、妻妾制度が確立しました。官吏など権力と財産のある人々が正式の夫人以外に別途に側室を得る場合、その女性を妾、側室とすることにしたのです。そして両班出身ではあるけれども妻ではない、側室との間にできた子を庶子、賎民階級の妾との間にできた子をオル子と呼び、この2つを合わせて庶オルと言っていました。これは朝鮮時代第3代王の太宗が始めた政策です。

このような身分差別以外にもう一つの差別がありました。男女の差別です。性理学を統治理念とした朝鮮王朝はすべての生活風習も性理学の倫理に従うようにします。そして朝鮮王朝は性理学を定着させるために内外法を強化しました。この法律は男女間の自由な接触を防ぐために女性の活動を規制する法律です。また17世紀から女性は財産の相続権も失い、すべての権利は息子に受け継がれる父系中心の世の中になります。そして女性は結婚しても息子を産めないと、離婚させられてしまうという差別を受けるようになります。17世紀以後、女性の社会的地位は低くなり差別と抑圧の中で暮らすようになります。そのため、この時代の女性の最も大きな美徳は服従でした。

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