Friday, January 27, 2012

the traditional Korean material clothing 韓国伝統の生地

http://myseoul.web.infoseek.co.jp/shoulder/okam.htm


http://www.yes24.com/24/goods/74453
전통옷감

テウォン社の「ピッカルインヌンチェクドゥル シリーズの伝統服地より」

韓国の布

韓国で使用されていた布の種類と名前

素材によって動物性と植物性で分類し、絹素材と麻素材・綿素材と大きくわけ、絹素材は織りの組織によって紬)ジュ、錦) クム、緞) タン、紗) サ、羅) ナ、綾)ヌン、コク、キョム、シ、チョ、キなどの種類があり、色や文様によって名前がつけられた。


絹織物

紬)ジュ
チョハジュ朝露紬、オアジュ魚牙紬、ミョンジュ綿紬(ファンジュ、チャジュ、チョジュ、ジュ紬(白紬、紫的紬、紅紬、緑紬、各色紬、熟紬、大紅紬、木紅紬、藍紬、黄紬、黒紬、五色紬、白搗練紬)、トジュ吐紬(白吐紬、紫的吐紬、草緑吐紬、大紅吐紬、柳青吐紬、表裏白吐紬、鴉青吐紬、黄吐紬、コプトジュ、黒吐紬)、チョンジュ鼎紬(白鼎紬、ボンフンチョンジュ、七升鼎紬)、スジュ水紬(七升水紬、白水紬、多紅水紬、チンチョロクスジュ(深緑)、チンナムスジュ(濃紺)、チンオクセクスジュ(鮮水色))、パンジュ班紬、アリョンジュ、綿紬(センミョンジュ、べクミョンジュ、フンミョンジュ、ノクミョンジュ、チャミョンジュ、ファンユチョンミョンジュ、各色ミョンジュ、べクセミョンジュ、ファンセミョンジュ、チャセミョンジュ)、チュンジュ春紬、プンジュ粉紬、センジュ生紬、サンジュ雙紬、パンサジュ方絲紬、ミョンジュ明紬、(べクミョンジュ、センミョンジュ、ホンミョンジュ)、コンジュ貢紬、ネジュ内紬、サンパルジュ三八紬(白三八紬、色三八紬)、ヘドンジュ(海東紬)、チョジュ苧紬、サンドンジュ山東紬、ムンジュ紋紬、フジュ厚紬、ユウムンジュ有紋紬、ノバンジュ 

現在市場に出ているもの
ミョンジュ明紬、セクミョンジュ色明紬、センミョンジュ生明紬、ノバン


錦) クム

オセククン五色錦、ウンポクン雲布錦、クン錦、ハクン霞錦、ソムンクン瑞紋錦、チョハクン朝霞錦、テハオハクン大花魚牙錦、フンクム紅錦、ベックム白錦、紅地金銀五色線織成花鳥けい錦

現在市場に出ているもの
チックム織錦

緞) タン

チュサ注絲ーダン段(段子、白段、色段、彩段、匹段、段匹、錦段、素段、絨段)、チョサ苧段ー段(素緞、紋緞、五絲緞、庫緞、大緞、閃緞、英しょ緞、か本緞、羽緞、織錦緞、錦緞、粧緞、しょう緞)、金緞類、織金緞類、紋緞類、コンダン貢緞・公緞、タンセクムンダン単色紋緞、イセクムンダン二色紋緞、チュンジクムンダン重織紋緞、チョンモムンダン添毛紋緞、ミスルダン美術緞

現在市場に出ているもの
ピダン緋緞 、ムンダン紋緞(トリュウブルスダン桃榴佛手緞、ウンムンダン雲紋緞、ヨンファムンダン蓮花紋緞、モランダン木蓮緞)、ヤンダン洋緞 、モボンダン模本緞、コンダン貢緞

紗) サ

200種ほど

サ、ソサ素紗、ジュサ走紗、クァンサ廣紗、ウンジョサ銀條紗、スッコサ熟庫紗、センコア生庫紗、コンサ貢紗、チョウサ苧藕紗、ソヤンサ西洋紗、ムンサ紋紗、カプサ甲紗、センスカプサ生水甲紗、キルサンサ吉祥紗、コキルサン庫吉祥紗、センサ、センジュサ、ジュサ、ヤンサ、トジュサ、ナサ、トリサ、ピダンサ、ビョルムンサ、タンサ、シュクサ、ククサ、クァンサ、チンジュサ、ヨイサ、ズウサ、パンコンサ、コンヤンサ、チョンサ、チュンサ

現在市場に出ているもの
クァンサ官紗、スッコサ熟庫紗、ククサ菊紗・局紗、チンジュサ、カプサ甲紗、センコサ生庫紗、ウンジョサ銀條紗、ムンサ紋紗、クムサ金紗

羅) ナ

ヘラ慧羅、ポバンラ布紡羅、ヤチョラ野草羅、ウォルラ越羅ーこれらは統一新羅時代に禁止された布、フンラ紅羅、フンメファラ紅梅羅、ソクムフンラ銷金紅羅、フンムンラ紅紋羅、ファンラ黄羅、ムンラ紋羅、ハンラ亢羅、センハンラ生亢羅、ウンラ銀羅、スクラ熟羅、チュラ秋羅、スクハンラ熟亢羅、ジョンリョ縱絽、ウルラ乙ラ、ソラ素羅、各色羅、ムンラ紋羅・花羅、

現在市場に出ているもの
ハンラ亢羅、ムンハンラ紋亢羅、

綾)ヌン

ヌン綾、コムンヌン小紋綾、ファヌン、イセクヌン二色綾、
現在市場に出ているもの

ムンヌン紋綾

このほかにコク、キョム、シ、チョ、綺)キ(旧漢字のため漢字の書き込みができませんでした)


からむし

モシ(チョポ)
モシ白苧、全羅南道・全羅北道・慶尚南道・忠清南道産モシ、ハンサンモシ韓山モシ

現在市場に出ているもの
中国製モシ、ハンサンモシ

大麻

サンベ(マポ)
ポクポ北布、カンポ江布、ヤンポ嶺布、アンドンポ安東布
いろいろな種類が豊富にあります。

綿織物
ムミョン、クァンモク、オクヤンモク

以上は現代のみならず新羅、高句麗、朝鮮時代の文献に出てきた生地も含めたものをまとめて見ました。2006年現在市場を回って見て、手に入る生地を書き出しましたが、まだこれ以上にあると思います。


麻(2006年広蔵市場で撮影)


麻織物は麻(hemp; Cannabis sativa)の幹の靭皮纎維で作られ、尋麻科の苧麻、1年草亜麻科の亜麻、桑科の大麻、田麻科の黄麻、錦桑科の洋麻、青麻、Rozelleなど多用な種類があるが、韓国は昔から衣服として大麻、苧麻を使用してきた。

文献記録によると、「三国志」に’プヨの人たちが白布の布を着ていた。’かいには麻布があった。’また、’弁辰では廣幅細布を織った’とあり、「魏書」には高句麗の人の衣服が布、帛、皮だと書かれていた。

大麻 サンベ

*大麻の種類

大麻は韓国では全国的に栽培されていた。咸境道地方のポクポ(北布)、慶尚道地方のヤンポ(嶺布)、 江原道地方のカンポ(江布)、安東地方で生産される麻布はアンドンポ(安東布)と呼ばれ、韓国では最上級の大麻布とされている。北布は「朝鮮女俗考」では鉢内布と呼ばれ蝉の羽のようだと書かれてあった。嶺布・安東布は夏の服地として使われ、江布は常布といわれ、粗く値段が安く農夫の服に使われた。

2006年現在安東布は1反卸価格110万ウォンと高額である。地方によって好みが違い仕上がりの色が違う。



安東のサンベ




江原道のサンベ



忠清道のサンベ



大麻布は高麗時代からベ呼ばれ、今日まで一般的に大麻布とは言わず「ベ」または「サンベ」とよばれた。

市場で売られているサンベ くちなしに染められたものもうっている。糸の太さ厚さもいろいろ。





サンベの用途と手入れ

ベは夏の日常着の生地として一番多く使われる。服だけではなく、布団(シーツ)、枕などにも使われ、服地の残りはチョガクポとしても使われた。ベは亡くなった人に着せそのまま土葬したので死装束でもある。

ベで服を作るならまず、一度粗いのりを抜きまた、糊付けして手入れしてアイロンがけをしてから使用する。のり抜きをしないとべたべたして着ることができない。ベは普通、素(白)一つでそのまま使用するので場合によってはやや色あせして使用したりした。このような場合熟麻布とよぶ。真夏に使用するのは荒って糊付けしてもんでアイロンをかけて使用する。初夏、晩夏で使用するものは棒で布を打って艶出しして使用するときもある。モシ(苧麻)の場合も同じである。

のりの作り方

米を洗って一晩ふやかしてから碾き臼で細かくひいてたらいにつけておく。半日過ぎたら下にでんぷん質が沈殿して、上澄みを捨て、沈殿物の上に布切れを一枚かぶせ、その上から稲わらを焼いた灰をざっといれると、灰が残っていた水を吸い取ってくれ、その後布切れを上げ灰ごと取り出して、水分が抜けたでんぷんを取り出し、広げてよく乾かしてから細かく砕き粉にし、白紙に包んでしまっておく。糊付けが必要なときに少しづつ取り出し冷水にといて適当な粘りになるようにのりを炊いた。ベやモシはほかの布地よりきつめに糊付けする。

体験談

私もこの通り米粉を水につけて沈殿させ、灰がないのでそのままふきんを敷いたざるに水を捨てて水を切り、底に残った米粉を銀色のシートの上に上げ夏の暑い日に何日も干して乾燥させました。少々黄色くなってしまいましたが。それを袋に入れてかなづちでたたいてくだいてから、ふるいにかけて細かく粉状にしてペットボトルに入れて保管しました。乾燥状態がよければ何年でも持ちます。

糊付けの仕方

洗ってしっかり乾かしたベを、乾いたままのりにつける。細かいベはさらさらと注意して押しながら糊を浸透させる。力を入れて絞ったりせず手のひらで気をつけながら押して水気をきり、手のひらでパタパタたたいてしっかりと広げて棹にかけて乾かす。乾ききってない濡れているベを注意して取り込み、口で繊維の間に入っている糊気を吹き、まんべんなく湿った状態で手で広げたたくように触って広げ、布に包んで足で踏む。これを布からとり、また手で広で棹にかけて乾かし、また取り込んで布に包んで足で踏んでを繰り返し、ちょっとだらっとした状態にして布に包んでおく。

体験談

私もこの通り乾いたものを糊を作ったゆるゆるのお粥の中にいれ、もちろん冷めた糊の中にです。それからずっと15分ぐらいもみ続けます。もむというより動かして全体に糊が行き渡るようにしました。それから押さえて水気を切り、べたべたの状態で洗濯物をかけるステンレスでできている棹にかけました。でも糊(米粉)の分量がわからなかったので糊付けが弱かったり、糊の塊があったりで何度も失敗しました。どの程度の硬さかがわかるまで何回もやり直しでした。はじめに布切れにためしで糊付けしてアイロンかけて試してからいつもするようにしています。がやるごとに感じが違います。ベやモシは夏場に手入れしないと繊維が硬くなるときいていたので気を使います。べやモシは糊付けしないと力がないので必須です。べを包む布ですがシーツが一番でした。タオルなどは絶対だめです。足で踏むのも大変です。何度も折りなおして踏まないと変な線がついてしまいます。何度も繰り返すときれいに皺もなく伸びてくれるので踏み甲斐がありました。

アイロンのかけ方

向かい合って引っ張り、一人はしっかり持って、一人はアイロンを片手に、もう片方の手と足の指で生地つかんでピンとさせてアイロン掛けする。アイロンが消したら生地を丸めて紙に包んで服を作るとき使う。

体験談

私は一人なので引っ張り合うことはできません。濡れた状態で糊付けします。形がゆがんだりしやすいのでしっかり成形しながらアイロンをかけました。アイロンはコードレスは使用しません。重いアイロンがいいです。何回もアイロンを拭きながらでないと生地が傷んでしまうので細心の注意が必要でした。アイロンの温度は中温。シーチングの生地を上下において上からアイロンがけをはじめにしてある程度乾いたらシーチングはとり、じかにアイロンを当てました。とにかく大層な仕事です。

ほかの糊

米でお粥を炊いて代用したり、冷や飯を水に入れ、細かい目の袋に入れてグチュグチュと手でもんで絞って糊を作ったりした。

体験談

米粒をたまねぎのネットに入れてグチュグチュともんでからざるに漉して糊を作ったりしました。もち米でも代用にしたりしました。米粉よりもち米粉のほうが強力です。

べやモシは着る人の気遣いによって垢抜けもするしだめになったりもする。とてもわずらわしい服地で女性たちがべを触る手間隙が体に染みついていたら、世の中を生きていくときも体に染み付いた精神があり無難な生き方で暮らすようになる。ベやモシ服を着る癖が体に染みつきその姿が荒くれず見ていても気持ちがいい。

本当にそうだと思います。糊作りからアイロンがけまでやってみましたがこれほど大変じゃまくさい仕事はありません。これを今までしてきているのだから、たいしたもんです。まず時間がかかります。体力が要ります。注意心が必要です。簡単なことではありません。私の祖母ぐらいの年代までの韓国女性たちはみんなしていたことかもしれませんね。大変働き者でしゃんとしていたのかもしれません。お布団も洗って干して縫い直してということをしていたのです。だらだらしていたらこのようなことはできません。手間隙を惜しまない真心は生活のすべてに関しても手を抜かなかったと考えられます。どこで休んでいたのかしら?本を読むだけではわかりませんね。やってみて初めて韓国女性の生き方が理解でき、このように生きてきた方はやはりお顔に現れていると思えます。

そして現代に至って娘さんにこんなしんどい仕事させたいと思いますか?させたくないという親心も理解できます。ですから暮らしぶりが豊かになると手入れが邪魔臭いものや、手仕事や針仕事は娘さんにやらせない家庭が多いのが現実です。

紵 モシ 

*モシの種類

(整理途中です)

番外 資料

韓国では白色を素色と呼び、白色の衣装が多いです。韓国人は白衣民族といわれていました。

中国人は私たち民族を指して、いつも服が白く清潔・瀟洒な人がいるとして「不死之国」と言った。日本人も朝鮮人は老若男女がすべて白い服を好み白い服を着ている。上も下も靴下も白い。上流家庭の婦人が白い服を着ることは美しく、テクニックがなくても美しさがすばらしく敬い姿だ。キーセンの白衣までもそうだと言った。

*白衣民族について

http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=943 より

韓民族は白衣民族とも呼ばれていました。これは染色していない服を好んで着たことからついた呼び名です。綿花が入ってくるまで、麻の服を主に着ていたため、人々はできるだけ白くして服を着たため、このように呼ばれたという記録があります。しかしすべての人が白い服を着ていたわけではありません。身分によって服飾に差別があり、染色した服は 両班層などの支配層の人々だけが着ていました。一般庶民は婚礼の時にだけ染色した服を着ることができました。

http://pws.prserv.net/o-studio/atEASIA15renew.htm より

「白の似合う風土が韓国である。」韓民族はそう思っている。民族と気候と風土に、白が適しているという。太陽の神、天空神の子孫であると信じたために白を好んだという。日の丸の旗の太陽は赤だが、天中にある太陽は白である。かれらは朝夕の太陽を引用しようとはしなかった。もっとも勢いのある太陽の姿を模したのである。湿潤な日本の気候・風土とは異なり、乾いた空気の中では、常に太陽は真っ白に見え続ける。

http://www.eonet.ne.jp/~grounds-for-joy/things.htm より

白衣のこと 

朝鮮半島の人々は、その白衣への愛着から「白衣民族」という言葉で呼ばれてきた。朝鮮半島固有の天神信仰においては光明をあらわす白が尊ばれた。

植物繊維が本来持つ自然の色彩は白、素と古代の文献にはある。

古代にすでに海外への輸出として苧麻(チョマ)がある。李朝時代には、服飾の色彩に関する規定が複雑であったため、規定にふれない簡便な色彩として白衣を着用する習慣が生まれたという指摘もあるらしい。この時代、一般庶民には、染料はあまりにも高価で、平常の服には白衣が用いられた。しかし、白衣を着用する人々は決してネガティブではなかった。庶民は、素色の衣装をほどいてはゆでて漂白し、砧で打って汚れを落とし、更に、火のしをあてて清潔な白さを愛した。白衣着用の伝統を愛し、誇りにしていたのである。

李氏朝鮮時代は身分によって色が決められていたようで、宮女は韓服のチョゴリは黄色、チマは青、白ズボンを着てかごに乗って宮中入りする。服装は王妃が着る黄色いチョゴリは禁止され、ピンクのチョゴリを着せられた。と宮中の生活について書かれていました。一般庶民は麻か綿の韓服を着ていたらしいです。韓国には草木染の染料が山に行けばあったと思うので染料が高価やそんなことは関係なく、染色の技術が特別だったのではないかと思われます。麻や綿は何度も何度も染め重ねしないと染めにくいし、生地のした処理が邪魔臭いものなのでそれをするよりは白をきれいに着るほうがいいと思ったのかもしれません。白であれば茹でても色落ちしないし汚れが落ちます。染色したものをそんなことしたら色むらを作ってしまいます。染色したものだからって同じように汚れるのですから。これは私の推測です。50年ほど昔の話ですが、娘さんの服を作るのにわざわざ染色して作っていたというお話も聞いているので邪魔臭いから白を着るということではないかもしれません。

植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見という記事

http://nishimura-voice.seesaa.net/archives/200508.html
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k335.html

植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見

日本による植民支配時代(1910~1945)、韓民族に白い服を着せないためのキャンペーンが繰り広げられていたことを示す写真が公開された。 色付きの服を着るよう強いて「白衣民族」の精気を抹殺しようとする政策が、写真を通じて確認されたのは初めて。写真研究家・鄭成吉(チョン・ソンギル、65)氏は、9日「釜山東莱(プサン・トンレ)地域で1932年ごろ行われた『白い服を脱いで、色付きの服を着よう』というスローガンのキャンペーンの写真を発見した」と伝えた。写真は、日本人や親日派、動員された学生とみられる数十人が、「白衣退散」、「色服奨励」(白い服を脱ぎ、色付きの服を着るよう勧めよう、との意)とのスローガンが記されたものを掲げて、記念撮影したもの。また、後ろには「色服奨励」と記した旗が見える。約20年間、朝鮮(1392~1910)末期の写真を収集し「写真で見た韓国100年史」を出版した鄭氏は「様々な情況・証言から考えて、この写真は、白衣民族の象徴である白い服の代わりに、色付きの服を着せるため行った大々的なキャンペーンの風景」だと説明した。鄭氏は7~8年前ごろ、名古屋の古本屋で、韓国関連の写真がたくさん掲載されている「産業奨励」という本の中から、この写真とともに約200枚の写真を撮影した。/宋義鎬(ソン・ウィホ)記者/東亜日報 2005.08.09 19:06:18

「白衣民族抹殺政策」などと書いているが、白衣の着用しか許されなかった被差別階級、奴隷であった白丁を朝鮮総督府が解放したという証拠写真ではないのか?

と書かれたHPもあったのですが、白丁だけが白い服を着ていたわけではないので身分から開放というより、染色やプリントの技術を広めようとしていたのではないかとも思えます。ただ、この時代に生きていた当事者ではないのでわからないですが、白衣民族を抹殺する必要はなかったと思いますから。

it has written such as "the policy to kill wearing white cloths people", what was the evidence photo that Japan Government-General of Korea released swan class baekjeong who were slaves as discrimination class in Joseon era, they were not allowed to wear only white?

i read the homepage written so, it seems rather than released from the identification, i think it was trying to spread the technology of printing and dyeing, because wearing white clothes not only baekjeong.

i do not know because i am not living people at this era, but i think people not need to eliminate the white cloth ethnic.

baekjeong (백정)

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