Tuesday, February 21, 2012

Goguryeo priest,Damjing Doncho  高句麗の僧曇徴

담징

高句麗の僧;曇徴
Goguryeo priest,Damjing Doncho

高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が絵具や紙・墨を作る方法を伝えた。
Damjing (date of birth and death unknown) was a Buddhist priest who came from Goguryeo (kingdom of Korea) in 7th century.

Then Buddhist scriptures were copied widely, and additionally because Damjing, a priest in Goryeo, brought to Japan the methods of manufacturing paper and ink sticks, calligraphy developed rapidly.
これに伴い写経が盛んになり、また高麗の僧、曇徴が紙や墨の製法を伝えたことにより、書道は急速に発展する。

『日本書紀』の記述は、推古「十八年春三月 高麗王貢上僧 曇徵 法定 曇徵知五經 且能作彩色及紙墨 并造碾磑 蓋造碾磑 始于是時歟」、高句麗の王、僧曇徴、法定を貢上る。曇徴は五経を知れり。また能く彩色及び紙墨を作り、併せてみず臼(水車を利用した石臼)を造るとある。飛鳥時代の推古天皇18年(610年)に高句麗の僧侶曇徴によって紙漉きと墨の製法と、紙の原料となる麻クズの繊維を細かく砕く(繊維の叩解)ための石臼が伝えられたことが記録されている。年代のわかるものとして現存する最古の和紙は、正倉院に残る美濃、筑前、豊前の戸籍用紙である。また、最古の写経である西本願寺蔵の「諸仏要集教」は、立派な写経料紙に書かれており、西晋元康6年(296年)3月18日の銘記がある。

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