Sunday, April 8, 2012

Thousand Character Classic by ZhiYong 智永の千字文

千字文
Thousand Character Classic
천자문





















































謂語助者。焉哉乎也。
語助と謂う者は、焉(えん)、哉(さい)、乎(こ)、也(や)なり。
矩歩引領。俯仰廊廟。
矩歩(くほ)引領(いんれい)して、廊廟に俯仰す。
束帶矜莊。徘徊瞻眺。
束帶は矜莊(きんそう)にして、徘徊瞻眺(せんちょう)す。
孤陋寡聞。愚蒙等誚。
孤陋寡聞(ころうかぶん)は、愚蒙と等しく誚(そし)らる。
璇璣懸斡。晦魄環照。
璇璣(せんき)懸斡(けんあつ)して、晦魄(かいはく)環照す。
指薪修祜。永綏吉劭。
薪(たきぎ)を指して祜(さいわい)を修むるときは、永く綏(やす)らかに吉劭なり。
釋紛利俗。並皆佳妙。
紛を釋(と)き俗を利し、並(とも)に皆佳妙なり。
毛施淑姿。工顰妍笑。
毛、施、淑姿あり、工みに顰み妍(あでや)かに笑う。
年矢毎催。曦暉朗曜。
年矢(ねんし)毎に催(せま)り、曦暉(ぎき)朗曜たり。
布射僚丸。嵇琴阮嘯。
布の射、僚の丸、嵇の琴、阮の嘯(うそぶき)。
恬筆倫紙。鈞巧任釣。
恬の筆、倫の紙、鈞の巧、任の釣。
骸垢想浴。執熱願涼。
骸に垢つくときは浴を想い、熱きを執るときは涼を願う。
驢騾犢特。駭躍超驤。
驢騾犢特(ろろとくとく)、駭躍超驤す。
誅斬賊盜。捕獲叛亡。
賊盜を誅斬し、叛亡を捕獲す。
稽顙再拜。悚懼恐惶。
稽顙(けいそう)再拜し、悚懼(しょうく)恐惶す。
箋牒簡要。顧答審詳。
箋牒は簡要にし、顧答は審詳にす。
弦歌酒讌。接杯舉觴。
弦歌酒宴し、杯を接(むか)え觴を舉ぐ。
矯手頓足。悅豫且康。
手を矯(あ)げ足を頓(ふみなら)し、悅豫して且つ康し。
嫡後嗣續。祭祀烝嘗。
嫡後は嗣續し、祭祀烝嘗す。
紈扇圓潔。銀燭煒煌。
紈扇は圓く潔く、銀燭は煒煌(いこう)たり。
晝眠夕寐。藍筍象床。
晝は眠り夕に寐(い)ぬ、藍筍と象床あり。
飽飫烹宰。饑厭糟糠。
飽けば烹宰(ほうさい)に飫(あ)き、饑えれば糟糠にも厭(あ)く。
親戚故舊。老少異糧。
親戚、故舊、老少は糧を異にす。
妾御績紡。侍巾帷房。
妾御(しょうぎょ)は績紡し、帷房に侍巾す。
易輶攸畏。屬耳垣墻。
易輶(えきゆう)は畏るる攸(ところ)、耳を垣墻に屬す。
具膳餐飯。適口充腸。
膳を具え飯を餐(くら)い、口に適い腸に充つ。
陳根委翳。落葉飄颻。
陳根委翳(いえい)あり、落葉飄颻(ひょうよう)す。
遊鵾獨運。凌摩絳霄。
游鯤は獨り運り、絳霄を凌摩す。
耽讀翫市。寓目囊箱。
耽讀して市に玩び、目を囊箱に寓す。
渠荷的歴。園莽抽條。
渠荷は的歴として、園莽は條(えだ)を抽(ぬき)んず。
枇杷晩翠。梧桐早凋。
枇杷は晩く翠に、梧桐は早く凋む。
索居閒處。沉默寂寥。
索居閒處し、沉默して寂寥たり。
求古尋論。散慮逍遙。
古を求めて論を尋ね、慮いを散じて逍遙す。
欣奏累遣。感謝歡招。
欣び奏(あつ)まり累(わずら)いを遣(や)り、感(いた)みを謝して歡び招く。
殆辱近恥。林皋幸即。
辱に殆(ちか)く恥に近きときは、林皋に即(つ)かんことを幸(ねが)え。
兩疏見機。解組誰逼。
兩疏(そ)は機を見、組(ひも)を解きては誰か逼らん。
聆音察理。鑒貌辨色。
音を聆(き)き理を察し、貌(かたち)を鑒み色を辨ず。
貽厥嘉猷。勉其祗植。
厥の嘉猷を貽(のこ)し、其の祗植を勉む。
省躬譏誡。寵增抗極。
躬(み)を譏誡に省み、寵(ちょう)增せば抗極まる。
孟軻敦素。史魚秉直。
孟軻は素を敦くし、史魚は直を秉る。
庶幾中庸。勞謙謹敕。
中庸を庶い幾(ねが)い、勞謙して謹敕にす。
治本於農。務茲稼穡。
治は農を本とし、茲(こ)の稼穡に務む。
俶載南畝。我藝黍稷。
俶(はじ)めて南の畝に載(こと)をし、我れ黍稷を藝(う)う。
税熟貢新。勸賞黜陟。
熟せるを税とし新を貢め、勸賞し黜陟(ちゅつちょく)す。
昆池碣石。鉅野洞庭。
昆池、碣石、鉅野、洞庭。
曠遠綿邈。岩岫杳冥。
曠遠綿邈として、岩岫杳冥たり。
九州禹跡。百郡秦并。
九州は禹の跡なり、百郡は秦の并せたるなり。
嶽宗恒岱。禪主云亭。
嶽は恒岱を宗とし、禪は云亭を主とす。
雁門紫塞。雞田赤城。
雁門、紫塞、雞田、赤城(せきせい)。
起翦頗牧。用軍最精。
起、翦、頗、牧は、軍を用いること最も精し。
宣威沙漠。馳譽丹青。
威を沙漠に宣べ、譽を丹青に馳す。
晉楚更霸。趙魏困橫。
晉楚は更(こもご)も霸たり、趙魏は橫に困(くる)しむ。
假途滅虢。踐土會盟。
途を假りて虢(かく)を滅し、踐土に會盟す。
何遵約法。韓弊煩刑。
何は約法に遵い、韓は煩刑に弊(やぶ)れたり。
綺迴漢惠。説感武丁。
綺は漢惠を迴し、説(えつ)は武丁を感ぜしむ。
俊乂密勿。多士實寧。
俊乂密勿し、多士により實に寧し。
磻溪伊尹。佐時阿衡。
磻溪と伊尹、時を佐(たす)け阿衡となる。
奄宅曲阜。微旦孰營。
奄(おお)いに曲阜に宅す、旦微(なか)りせば孰(たれ)か營まん。
桓公匡合。濟弱扶傾。
桓公は匡合し、弱きを濟(すく)い傾けるを扶(たす)く。
世祿侈富。車駕肥輕。
世祿は侈富(しふ)にして、車駕肥輕あり。
策功茂實。勒碑刻銘。
策功の茂實なるは、碑に勒して銘に刻す。
府羅將相。路俠槐卿。
府には將相羅(つら)なり、路は槐卿に俠れり。
戸封八縣。家給千兵。
戸は八縣に封ぜられ、家は千兵を給す。
高冠陪輦。驅轂振纓。
高冠輦に陪し、轂を驅り纓を振う。
既集墳典。亦聚群英。
既に墳典を集め、亦群英を聚む。
杜稿鐘隸。漆書壁經。
杜稿鐘隸、漆書壁經あり。
肆筵設席。鼓瑟吹笙。
筵を肆べ席を設け、瑟を鼓し笙を吹く。
升階納陛。弁轉疑星。
階に升り陛に納るに、弁轉して星かと疑う。
右通廣内。左達承明。
右は廣内に通じ、左は承明に達す。
圖寫禽獸。畫彩仙靈。
禽獸を圖寫し、仙靈を畫彩す。
丙舍傍啓。甲帳對楹。
丙舍は傍らに啓け、甲帳は對楹あり。
都邑華夏。東西二京。
都邑は華夏に、東西二京あり。
背邙面洛。浮渭據涇。
邙を背にし洛に面し、渭に浮かび涇に據る。
宮殿盤鬱。樓觀飛驚。
宮殿盤鬱とし、樓觀飛驚す。
守眞志滿。逐物意移。
真を守れば志満ち、物を逐えば意移る。
堅持雅操。好爵自縻。
雅操を堅持すれば、好爵自ずから縻(まと)う。
仁慈隱惻。造次弗離。
仁慈隱惻(じんじいんそく)は、造次(ぞうじ)にも離れず
節義簾退。顛沛匪虧。
節義簾退(せつぎれんたい)は、顛沛(てんぱい)にも虧(か)けざれ。
性静情逸。心動神疲。
性(せい)静かなれば情逸し、心動けば神(しん)疲る。
孔懷兄弟。同氣連枝。
孔(はなは)だ懐(おも)うは兄弟(けいてい)なり、気を同じうし枝を連ぬ。
交友投分。切磨箴規。
友に交わるに分を投じ、切磨箴規(せつましんき)せよ。
上和下睦。夫唱婦隨。
上(かみ)和らげば下(しも)睦まじく、夫唱えれば婦(つま)随う
外受傳訓。入奉母儀。
外にては傳訓(ふくん)を受け、入りては母儀(ぼぎ)を奉(ほう)ず
諸姑伯叔。猶子比兒。
諸姑伯叔(しょこはくしゅく)あり、猶子(ゆうし)児に比す
存以甘棠。去而益詠。
存するに甘棠(かんとう)を以てし、去りて益ます詠ぜらる。
樂殊貴賤。禮別奠卑。
学は貴賤を殊にし、礼は尊卑を別かつ。
篤初誠美。愼終宜令。
初めを篤くするは誠に美(うるわ)し終わりを慎むは宜しく令(よろ)しかるべし
榮業所基。藉甚無竟。
栄業の基とする所、藉甚(せきじん)にして竟(お)わり無し。
學優登仕。攝職從政。
学に優れれば登仕(とうし)し、職を摂りて政(まつりごと)に従う。
川流不息。淵澄取映。
川は流れて息(や)まず、淵は澄んで映を取る。
容止若思。言辭安定。
容止は思うが若く、言辭は安定にせよ。
孝當竭力。忠則盡命。
孝は当に力を竭(つ)くすべし、忠は則ち命を尽くせ。
臨深履薄。夙興温清。
深きに臨んで薄きを履むごとく、夙に興きて温清せよ。
似蘭斯馨。如松之盛。
蘭の斯(そ)れ馨(かんば)しきに似、松の盛んなるが如し。
尺壁非寶。寸陰是競。
尺壁(せきへき)は宝に非ず、寸陰を是れ競うべし。
資父事君。日巌與敬。
父に資(と)り君に事(つか)うるに、日く巌と敬。
德建名立。形端表正。
德建てば名立ち、形端(ただ)しければ表正し。
空谷傳聲。虚堂習聴。
空谷に声を伝え、虚堂に習聴す。
禍因悪積。福縁善慶。
禍は悪積に因り、福は善慶に縁(よ)る。
墨悲絲淬。詩讃羔羊。
墨は絲の染まるを哀しみ、詩には羔羊(こうよう)を讃せり。
景行維賢。剋念作聖。
景行あるは維(こ)れ賢なり、剋(よ)く念(おも)えば聖と作(な)る
知過必改。得能莫忘。
過ちを知らば必ず改め、能くすることを得て忘る莫かれ。
罔談彼短。靡恃己長。
彼の短を談ずる罔かれ、己が長を恃(たの)む靡かれ。
信使可覆。器欲難量。
信は覆む可からしめ、器は量り難からんことを欲す。
恭惟鞠養。豈敢毀傷。
恭(うやうや)しく鞠養(きくよう)を惟(おも)へば豈に敢へて毀傷(きしょう)せんや
女慕貞絜。男效才良。
女は貞潔を慕い、男は才良に効(なら)へ。
鳴鳳在樹。白駒食場。
鳴鳳は樹に在り、白駒(はっく)は場に食(は)む。
化被草木。賴及萬方。
化は草木を被(おお)い、賴は萬方に及ぶ。
蓋此身髪。四大五常。
蓋し此の身髪(しんぱつ)は、四大五常なり。
愛育黎首。臣伏戎羌。
黎首を愛育し、戎羌(じょうきょう)を臣伏せしむ。
遐邇壹體。率賓歸王。
遐邇(かじ)体を壱にし、率賓(そっぴん)して王に帰す。
推位讓國。有虞陶唐。
位を推し國を譲るは、有虞と陶唐なり。 
弔民伐罪。周發殷湯。
民を弔い罪を伐つは、周發と殷湯(いんとう)なり。
坐朝問道。垂拱平章。
朝に坐して道を問い、垂拱(すいきょう)し平章す。
龍師火帝。鳥官人皇。
龍師火帝、鳥官人皇。
始制文字。乃服衣裳。
始めて文字を制(つく)り、乃ち衣裳を服す。
劔號巨闕。珠稱夜光。
剣は巨闕と号し、珠は夜光と称す。
菓珍李柰。菜重芥薑。
菓は李柰(りだい)を珍とし、菜は芥薑(かいきょう)を重んず。
海鹹河淡。鱗潛羽翔。
海は鹹(しおから)く河は淡し、鱗(りん)は潛み羽は翔ける。
雲騰致雨。露結為霜。
雲は騰(のぼ)りて雨を致し、露は結びて霜と為る。
金生麗水。玉水崑崗。
金は麗水に生じ、玉は崑崗に出づ。
日月盈昃。辰宿列張。
日月(じつげつ)は盈昃(えいしょく)し、辰宿は列張す。
寒來暑往。秋収冬藏。
寒さ来たり暑さ往き、秋収めて冬蔵す。
閏餘成歲。律呂調陽。
閏餘(じゅんよ)もて歳を成し、律呂(りつりょ)は調陽す。
真草千字文 勅員外散騎侍郎周興嗣次韻

天地玄黄。宇宙洪荒。
天地は玄黄、宇宙は洪荒なり。



智永

『真草千字文』(部分)智永筆
智永(ちえい、生没年不詳)は、中国の陳より隋の時代にかけて活躍した僧であり、書家である。会稽(浙江省紹興県)の人で、俗姓は王氏で、名は法極、永禅師と号した。書聖王羲之の7世の孫にあたる。

智永の『真草千字文』には、関中本(かんちゅうぼん)と宝墨軒本(ほうぼくけんぼん)の2種の刻本のほか、日本に真蹟が1本ある。個人蔵。国宝。from wikipedia

Thousand Character Classic by Chiei ZhiYong

もんぜんよみ【文選読み】monzen-yomi,it is very interesting for reading way.for example,
「求古尋論・散慮逍遥」
meaning,"Seeking ancient,seeking theory, scattered to consider my happy"
Pronunciation,`Kyuuko to furuki wo motomete, jinrin to tazunete Ronzu. Sanryo to omonbakari wo san shite, shouyou to kokoro yaru'


it is remanded once second generation of Japanese immigrant in Hawaii speak with mixing english and japanese, like " me want to eat dinner with good Schubert music"





参考書:『中国法書選27 隋 智永 真草千字文』二玄社1988、同『中国法書ガイド27』(上記訓読は、同書の大野修作による)
周興嗣/小川環樹・木田章義注解『千字文』 岩波文庫1997(同書についてのエッセイ:松岡正剛の千夜千冊『千字文』

周興嗣
『千字文』
1997 岩波文庫
original
小川環樹・木田章義 注解

関中本の巻頭部分

智永書の千字文(一部) 

文選読みというすこぶる愉快な読み方がある。
たとえば「求古尋論・散慮逍遥」は、「キュウコとふるきをもとめて、ジンリンとたずねてロンず。サンリョとおもんばかりをサンして、ショウヨウとこころやる」というふうに読む。
かつてのハワイの2世などが英語と日本語をチャンポンにして、「ミーが食べたいディナーには音楽よろしくシューベルト」といったふうな喋り方をしていたことをおもわせるが(あるいはそのように揶揄して森繁の『社長太平記』などでフランキー堺らがそんな喋り方をしてみせていたことをおもわせるが)、原則は漢語を最初に音読し、次にそれを日本語の意味を補いながら訓読するという読み方をする。
築島裕によれば、おそらくは南都の僧侶が考案した読み方だという。日本ではこの文選読みで『千字文』を声を出して読む。ぼくは一度だけだが父親から教わった。

『千字文』は漢字の「いろは歌」のようなものだが、なにしろ漢字をぴったり千字ぶんつかいきっているところが、さすがに中国である。
調子もいい。ともかく声を出すと気持ちがいい。第一行「天地玄黄・宇宙洪荒」と始まって、「日月盈昃・辰宿列張」「寒来暑往・秋収冬蔵」とすすみ、そのまま四言ずつ250句の韻文をつくりながら総計千字を重複せずに駆使し、「孤陋寡聞・愚蒙等誚」、最終行「謂語助者・焉哉乎也」というふうに結ぶ。
上に引いた最初の6句6行を文選読みをしてみると、次のようになる。上の漢語と比べてみられたい。

テンチのあめつちは
ゲンコウとくろく・きなり
ウチュウのおおぞらは
コウコウとおおいに・おおきなり 
ジツゲツのひ・つきは
エイショクとみち・かく
シンシュクのほしのやどりは
レッチョウとつらなり・はる
カンライとさむきこときたれば
ショオウとあつきこと・いぬ
シュウシュウとあきはとりおさめ
トウゾウとふゆはおさむ

しかも、これらは意味が通っている。そこが「いろは歌」同様に感服させられる。
つづく第7句・第8句を例にすると、「閏餘成歳・律呂調陽」は「ジュンヨのうるうつきのあまりは、セイサイととしをなす。リツリョのふえのこえは、チョウヨウとひびきをととのう」と文選読みをするのだが、意味は「閏月によって一年を完成させ、律呂によって陰陽をととのえる」というふうになる。まずもって一千字の文字を選び、これらを組み替え組み替えして4句をつくり、これを前後に連ねて次々に意味をつくる。すべてがこんな調子なのである。しかもずいぶんに中国の故事逸話がとりこまれている。
まことに呆れるほどに見上げた超絶編集作業だが、こんなアクロバティックなことをしでかしたのは、梁の周興嗣であった。

6世紀前半のころ、梁の武帝が王子たちに手習いをさせるため、王羲之の筆跡から重複しない一千字を選ばせて、これを一枚ずつの模本にさせた。
ところがこれではおもしろくない。学習もすすまない。そこで武帝は周興嗣をよんで「これを韻文になるように組み立ててほしい」という難問を出す。
周興嗣は一晩徹夜をして千字の韻文をつくりあげ、これを奏上した。おかげで周興嗣は一晩で髪が真っ白になったと韋絢の『劉賓客嘉話録』にある。この『千字文』を今度は唐代になって智永が臨書した。王羲之を臨書したということなのだが、その後の研究によって、智永は集字をしただけではないかということになっている。異説では鐘ヨウがつくったのだという伝承もある。そうだとすると、韻文が先にあってそれを王羲之が筆写したことになる。
そのへんの真偽はともかくも、この『千字文』が用字習字の手本として大流行し、日本にも届いた。例の百済の王仁が『論語』十巻と『千字文』一巻併せて十一巻を請来したという記述である。が、これはあやしい。年代合わせをしてみると、周興嗣が生まれる前のことになる。それでも『東大寺献物帳』には『千字文一巻』の名があるので、聖武期前後には日本でも流行しはじめていたのであろう。

なんであれ『千字文』は筆と墨の文化をもつ中国でも日本でも、ずうっとひっぱりだこだった。書道文化史上、こんな便利なものはめったにないといってよい。
注釈書も写本も驚くほど数多く出た、ヴァージョンがものすごいのだ。おそらく日中の書家たちで『千字文』関連書を手元に3冊以上もっていない者など皆無であろう。中国では長いあいだにわたって、子供が書道を学ぶための教科書にもなっていた。それは日本でも同じで、ぼくの家にさえ昭和11年刊行の茅原東学の『千字文考正』と翌年初版刊行の高田忠周の『六体千字文』が書棚の隅に置いてあった。

しかし、『千字文』を手習いのためだけにつかうのはもったいないのである。むしろ読みこみたい。
そのためにできたのが本書のような注解書というもので、たいそうたのしめる。
まず文選読みが書いてある。これは、いまは陽明文庫にある近衛家熈の筆写した『千字文音決』にもとづいて読みくだしたもので、最初に紹介したように漢字学習・用語学習・用法学習のいずれの参考にもなる。それが掛け算の九九のような語呂になっているのだから、ちょっとユダヤ教カバラのゲマトリアふうの秘術のように感じられもする。
ついで、それこそが本書をここに推した理由になるのだが、注釈の含蓄が中国の古典全般を高速に渉猟するようで、まことに得がたい収穫なのである。本書では国文出身の木田章義の注釈草稿を、中国語に詳しい小川環樹が徹底して手を入れた。音韻学的にもめずらしいヒントがいっぱい隠れている。
実は小川環樹博士のことは、湯川秀樹さんから聞かされていた。中国音韻学と文字学を研究する「均社」をつくって、いまえろうがんばっとるそうやから、文字のことが気になるんやったらいっぺん覗いてみなさいというのだった。覗く機会はなかったが、そのとき湯川秀樹・貝塚茂樹・小川環樹の“三樹三兄弟”の奥の深いすさまじさを想ったものだった。

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