Monday, May 28, 2012

JAPAN-KOREA CONFERENCE and the issue of claim compensation for japan by Yi Yansu 韓会談と[請求権問題]


http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/nihonkokai/kiri/kojinnseikyuukenn.pdf


「李洋秀」とは - 1951年愛知県生まれ。韓国語の通訳・翻訳者として、弁護士の通訳や韓国テレビ局のコーディネーターとして活動。季刊誌『戦争責任研究』に「日韓会談文書」を翻訳、解説し、4回にわたり掲載。

日韓会談と[請求権問題]
日韓会談文書・全面公開を求める会 事務局次長 李洋秀(イー・ヤンス)

日韓会談で十五年間も議論されながら、結局うやむやに終わってしまった個人請求権問題ですが、どのように国家間の経済協力や独立祝い金に変わって行くのか、またその金額がどのように算定されたのか、今まで公開された日本側と韓国側文書の原文を参照して、考証してみようと思います。
一、会談当初、韓国側の要求額は150億円
1952年の第1次韓日会談請求権分科委員会で韓国側から、対日請求要項が2月21日に提出されます。韓国側文書87「第1次韓日会談 (1952.2.15-4.21) 請求権関係資料」712頁
1.
韓国から持って来た古書籍、美術品、骨董品、その他国宝、地図原版及び地金と地銀を返還すること。

2.
一九四五年八月九日現在日本政府の対朝鮮総督府債務を弁済すること。

3. 一九四五年八月九日以後韓国から移替または送金された金員を返還すること。

4. 一九四五年八月九日現在韓国に本社(店)または事務所がある法人の在日財産を返還すること。

5.韓国法人または韓国自然人の日本国または日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓人未収金その他請求権を弁済すること。

6. 韓国法人または韓国自然人所有の日本法人の株式またはその他証券を法的に證定すること。

7.前記諸財産または請求権から生じた諸過失を返還すること。

8.前記返還および決裁は協定成立後即時開始して遅くても六個月以内に終了すること。日本側文書72外務省北東アジア課制作の文書「日韓会談の問題点」にも、韓国側の要求 した金額があります。1頁、韓国の対日財産請求権について1、財産請求権(2、文化財と3、船舶は省略)


過去の第一次~第三次会談において韓国側が提出した要求項目について、わが方 が推定により要求額を試算したところによれば、一応180億円(数少ない日本側の計算)という数字が出ているが、もとよりこれは全くの概算に過ぎない。
韓国側の要求項目は、韓国側が1952年2月わが方に提示した「韓日間財産及び請求権協定要綱」中に示されているが、要約すれば
(1)
終戦時に朝鮮総督府が日本政府に対して有していた債権(これら債権は韓国政府によって継承されたとの建前に立つものと考えられる。約20億)

(2)
韓国に本店又は主たる事務所を有していた日本法人の在日財産(例えば朝鮮銀

行が所有していた登録国債50 億円等が含まれる。)の返還を要求するもの(在韓財産の没収によりこれら法人の株主権が、韓国政府に移転しこれら法人が韓国法人となったとの根拠に立つものと考えられる。約90億)

(3)
韓国国民が保有する日本の国債公債株式日本銀行券の決済(約50億)(国債公債の大部分は、在韓日本財産を取り上げた結果として韓国人が保有しているものと推定される。日本銀行券については大部分は焼却されているが、現存している限り償還に応ずべしとの議論もある)、

(4)
その他韓国から運び来った地金地銀の返還ならびに終戦後朝鮮総督府特別会計より対日移送された資金の返還(約10億)が主である。


(c)右の他韓国側が正式提示を留保している請求項目(例えば強制撤去、強制供出ならびに疎開による被害とか貿易補償金とかいう項目のみがあがっているが、韓国側から説明がなかったため内容は不明)があり、右の概算金額は韓国側の計算によれば150億である。
でも日本側の態度は強硬で、3月6日の第5次会議で[在韓日本人私有財産請求権]を強く主張し、1次会談は1952年4月25日決裂してしまいます。 まさか、日本側が在韓日本財産の要求を始めるとは、韓国側はまったく想像していませんでした。その描写が、日本側文書1125-2-105に生々しく書かれています。
「わが方対策の内容は、韓国側にとってまさに青天の霹靂でてあり、韓国代表団は関係書類を本国政府に送付することすら未だ行いかねている始末である。・・・先方の拠って立つ理論、そのものを動揺せしめるものであったため、韓国代表等もきわめて苦境に陥った。」

二、従軍慰安婦にも言及
アメリカの介入で第2 次韓日会談が再開されます。日韓会談において(従軍)慰安婦に関して話し合われたケースは、とても少ないのですが、この1953年5月19日の第2次会談請求権会議では、次のように取り上げられています。
日本側文書6次公開ファイル1081、文書番号693「日韓交渉報告(請求権関係部会)」(1953.5.11-6.18)25頁

張基栄代表の説明
「日本では昨年戦傷病者戦没者遺家族援護法が出て援護をやっておられるが、韓国で も、この太平洋戦争中の戦死傷者の問題で苦しい立場にある。少し古い統計ではあるが、確認された戦死傷者は4,800 人で行方不明者は7 万人位ある。この人達に対して日本側が援護法をつくった時に考慮されたかどうか、・・お話を承りたい。
被徴用者の未払給与その他の問題はSCAP時代から進捗していた。韓国でも軍政下にあって全国的な申告を求め、46年9 月30 日現在の調査によると徴用された者は10万5千名でその中1万6千名の死亡が確認されており、約7千名が傷病した。これには詳しい統計がある。日本側におけるSCAPからの引継がどうなっているか、如何に処理される必算か、公式でなくてもいいから方針をうかがいたい。・・・

また韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国して来たものがある。軍発行の受領書を示して何とかしてくれといつて来るので社会政策的に受取りを担保にして金を貸したこともある。」



1953年6月15日の請求権委員会第3次会議では、[各項目別に小委員会を構成して、その実体が明白になり次第返還支払いできるものは即時実行することで合意を見た]という注目すべき記事があります。(韓国側文書番号92 の41-43 頁) 記 1.韓国国宝(中略)

2.太平洋戦争中被動員者の未清算計定に関しては、全体的数字はまだ計出されていないが、5月末現在で供託された金額は左記の通り。また1人に対する計算の基準は、日本人に等しく取扱い、扶養手当てに関しては日本に居住する家族に限ってだけ支払うものとした。

(1) 陸軍関係該当者/復員者40,415 人、戦死者4,087 供託金 24,770,720円(日本貨)

(2) 海軍関係該当者49,252件、供託金 53,402,000円(日本貨)


3.遺骨 柱数
(1) 海軍関係保管分2,672 柱、既に還送されたもの、前段2,677柱、後段7,422柱

(2) 陸軍関係保管分 1,448柱、


4. 韓国人所有有価証券(株式国債)に関しては、相互の資料を対照して数字的に実体を明らかにして、これに対しても担当事務者会合を構成する事にした。] このように確実な数字が出て、両方が合意までみたという例はとても珍しいものです。
これに対応する日本側文書693「日韓交渉報告(請求権関係部会)」(1953.5.11-6.18)では、上の陸軍、海軍の該当者、復員者、戦死者等の数、供託金金額、遺骨の柱数等が墨塗りですが、合意した箇所が少し露出しています。
「(四)南方占領地域慰安婦の預金、残置財産」53~54頁
「供託済のものについては、それぞれ名簿があるので38度線の有無に関係なく出身地が判明する。また給与の基礎は日本人と平等である。但し、韓国人は終戦後外地から日本人とは別個に復員したので、22年6月までにすべて復員したものと推定して給与を計算してある。これについては詳細な法律があるので必要とあらば説明することとする。計算の基礎は22年当時のベースであるから金額としては少く、これを今後どうするかについては今のところ考えていない。未復員者の扶養手当については、内地に家族が在住すれば韓国人も日本人と平等に支給されることになつている。
遺骨の件については、陸軍と海軍とでは少し事情が異り、先般貴方からお話のあつた釜山、済州島にある遺骨は海軍関係のもので、陸軍では還送したことはなく1,444件を保管している。海軍関係は終戦後7,422件を還送し、現在保管中のものは2,672件である。」

55 頁「張代表から、・・戦死傷病者に関する資料を取まとめて来たが、予想外に集った。この資料が絶対に正確なものとは思わないが、軍人及び徴用関係については貴方の資料と付合わせて行きたい。現在の段階では双方から担当者を出して付合わせるということで進めたい。韓国側でも、担当者を一人きめることとする。要は一日でも早く支払ってもらうという方向に進めることであり、有価証券についても同様である。
これに対し上田課長から資料の付合わせに関し、異存がない旨を答えた。」
しかしこの頃、既に日本側は会談を打ち切る腹積りだったことが、日本側文書から証明されました。(日本側文書1915-3-87)
「外務省としては、請求権の解決には相互放棄によるほかはないとの見地から相互放棄案を大蔵省にはかったが、大蔵省は李承晩政権相手に早急に会談をまとめることに疑義をいだき、かつ請求権放棄が国内補償問題に波及することを懸念し、積極的に賛成しなかったため、日本側もしばらく見送る方針をとらざるを得なかった。」
「無期休会案に賛成の理由」1953.6.23下田代表記(日本側文書1915-3-117、119)「ますます地位の低下して行く李承晩政府を相手とし、(中略)見通しも付かない条約をまとめるため、請求権、船舶等につき相当の譲歩を行う肚を、この際、無理に決めてしまうまでして、交渉の継続を計るのは意味のないことのように思われる。(中略)交渉を休会することにする場合、問題となるのは如何なる理由を付して申出でるべきかの点であるが、これについては近く休戦協定成立という新事態が、絶好の口実になり得るのではないか。(中略)李政府が次第に没落の過程を辿り行く場合は、交渉を無期限に休会のままとし、朝鮮における事態の成り行きをもっぱら見守ることとするのが適当ではないか。(中略)いずれにするも日韓会談はこの際一先ず休会とし、将来に備えてわが方の行動の自由を確保すべき時機が到来したもののように考えられる。」
会談をまとめるどころか、継続する気もない日本側の方針の下、久保田発言が飛び出て会談は完全に決裂してしまいます。

三、久保田妄言で完全決裂
1953年10月15日に開かれた第3次韓日会談第2次請求権分科委員会であった、いわゆる [久保田妄言]、すなわち [韓国が賠償を要求するなら日本はその間、韓人に与えた恩恵、即ち治山、治水、電気、鉄道、港湾施設に対してまで、その返還を要求する。日本は毎年2千万円以上の補助をした。日本が進出しなかったらロシア、さもなくば中国に占領され現在の北朝鮮のように、もっと悲惨だったろう。] (韓国側文書97 の26 頁)と言う発言で完全に決裂、 5年間の空白期間に入ってしまったことは、あまりにも有名です。
しかしこの発言が久保田の個人的発想や、単なる思いつきでないことは、当時の外務省の色々な文書から出て来ます。
1953年7月9日付「日韓交渉処理方針(甲案)」には、「今次戦乱における在韓日本財産の被害率は7割近くといわれ」という、驚くべき記述まで見られます。(日本側文書1915-3-122)
久保田発言があった当日のやり取りの中には、韓国側から「在韓日本人の蓄財が正当だと思うのか。当時の資本構成だけ見ても85%が日本人のものとなっていた事実までも、平等な機会によって獲得したものと思うのか。一例を挙げれば漁業権、鉱業権のような官免許によるものは、韓人はまったく所有できなかったし、あげくには銭湯、理髪業、タバコ販売業まで日本人の手に集中していたことをどう見ているのか」という発言もあり、植民地時代の朝鮮における日本人財産が、どれだけ大きな比重だったかが、改めて認識されます。(韓国側文書97の28頁)
久保田代表の発言が単なる失言や妄言ではなく、外務省の内部で話し合われた既定の路線であったことは、11月21日外務省情報文化局長の談話によって裏付けられます。
「韓国に置いて来た日本の国民の私有財産は終戦時の価格で約120億ないし140億円に対してはクレイムを有すると主張する。これが韓国における全財産価値の85%に相当すると言うのは、とんでもない大げさな話である。これに対し韓国側は、日本における財産約90億ないし120 億円にクレイムを持つという。それを相殺しようという提案がある。これは実際上20ないし40億円を韓国のために抛棄することになる。](1953年11月外務省情報文化局発行、雑誌『世界の動き』特集号6「日韓会談のいきさつ」)
6.25 動乱の火が消えてまだ数ヶ月、爆弾の匂いが残る韓国に対して莫大なお金を要求するとは、これがどれほど不当で呆れた話なのは、ここで説明する必要ないと思います。

四、日本側の計算による在韓日本人財産
日本側が在韓日本人財産の請求を強く主張することによって決裂した韓日会談ですが、韓国側に支払うお金を値切るためでしょうか、次の会談再開に向けて、内部で色々と算盤をはじきました。それらの数字が、今回公開された日本側資料に載っています。(日本側文書506-8-247~250)
在朝鮮日本財産の推定額 1955年7月アジア局1課「日本の在外財産状況」
国有財産 192 億6,500 万円
法人財産 521 億825 万4,000 円 (在外財産調査会資料)
個人財産 192 億474 万円 (昭和20 年大蔵省令95 号「在外財産等の報告に関する
大蔵省令に基づく報告の集計)

計905 億7,799 万4,000 円 (1945 年価格)
これとは別にまた、「在朝鮮日本個人財産調査会」の調査結果による「個人財産251 億1,155万3,000円になる」という数字も、同じ文書にあります。
しかし1961年11月米国政府から日本外務省が入手した、連合国軍総司令部民間財産管理局在外財産課制作の「1945年8月15日現在、日本在外財産の推計」の数字も掲載されています。
第20 表在朝鮮日本財産(1945年8 月現在)
南朝鮮 北朝鮮 総額
国有 4 億4,920 万2,006 円 5 億4,902 万4,674 円 9 億9,822 万6,680 円
法人所有 13 億3,339 万3,416 円 22 億1,056 万4,940 円 35 億4,406 万8,356 円
個人所有 4 億9,294 万円 2 億1,126 万円 7 億420 万円

計22 億7,553 万5,422 円29 億7,095 万9,614 円52 億4,649 万5,036 円
そして「ただし、この資料も正確なものといい難いところから、政府はその金額を公表することを避け」ている、とあり、「国会でもその金額を明らかにすることを避けていた」と続きます。
このいい加減な数字の羅列は、一体何を意味するのでしょうか?日本側の計算では905億+251億なのに、連合軍の調べでは52億円にしかなりません。余りにかけ離れた数字で、丼勘定その物です。つまり、なんとか言いがかりをつけて、韓国側の請求額と相殺させ、日本の支払い金額を少しでも安く抑えたかった、というのが目的だったのでしょう。
五、被徴用者の未収金問題
4.19革命を経て軍事政権が樹立した韓国との第5次韓日会談は、1960年10月に始まります。第1次一般請求権小委員会が開かれた11月10日、韓国側は[対日請求要綱]8個項目を提示します。韓国側文書718、89~97頁韓国の対日請求権 内訳(概略) 一、地金及び地銀 地金 約2億5千万グラム(25万kg)
地銀 約9千万グラム(9万kg)
(註)右記地金及び地銀は日本政府当局で約5億6千万円の代金を国債等で支払って搬出した行ったものなので、わが側で前記代金を払い戻して返還受けなければならないものである。
二、朝鮮総督府の対日本政府債券 返還要求額 総 約56億8千万円
( 内訳)
1. 逓信部関係債券 約21 億円
2.1945.8.9 以後日本が韓国内各銀行で引出した金員 約26 億7 千万円
3 .日本国庫計定上債券 約9 億円
4. 朝鮮総督府の在日財産 約1 千万円

三、1945.8.9以後日本に不法移替または送金された金員 総 約8 億9 千万円 (内訳)
1. 朝鮮銀行本店から在日本支店に送金された金員 約2 億3 千万円

2.在韓日本系銀行支店から在日本店に送金された金員
約6 億6 千万円


四、韓国に本社を持っている法人の在日財産 総 約66 億7 千万円
( 内訳)
1. 特殊金融機関の在日財産 約64 億7 千万円
2 .その他法人の在日財産 約2 億円推算(全部未調査状態にある)

五、各種有価証券、被徴用韓人未収金、韓国人の対日本政府及び個人に対する債券等総 約232億6千万円 (内訳)
1. 日本有価証券(国債、地方債、政府保証社債、政府機関社債、一般社債、一般株式) 約74億円5千万円

2. 日本系通貨 約16 億円

3. 被徴用韓人未収金 約2 億4 千万円(推算) 要求根拠 確実(日本側も同調)

4.戦争に因る人的被害補償
約132 億(要再検討)

5.韓国人の対日本政府請求(恩給)
約3 億(以南分だけ)


6. 韓国人の対日本政府法人請求(保険額) 約4 億7 千万円(推算) 六、韓国人所有日本法人の株式またはその他証券 約2 千万円
この未収金問題に対しては 1961年5 月10 日第5 次韓日会談予備会談一般請求権小委第13次会議で取り上げられます。韓国側文書718の 377頁、日本側 3次開示2260の 95、22-23 頁。

日本側大蔵省理財局次長吉田信邦主査代理は [自分達としては死亡者、傷病者に対してはできるだけのことはしたいという気持をもっている。遺族の場合には相続人に対して援護する等ということになると思うが、韓国側で具体的な調査をされ、それを日本側とつき合わせをする用意があるか? (中略) 自分としては未収金は払うべきであり、また払い得る措置がとられているものである。これらは元来被徴用者が正式な手続きを経てやめていれば(?)そのとき支払いえたものが、今日まで国交が正常化していなかったため支払が円滑に行われなかったもので、これは両国政府のあっせんで直にでも支払われるようにすることが必要ではないかと考えている。]と述べます。
この日本側発言に対応して韓国銀行国庫部長李相徳主査代理は、同じ頁で [補償金支払い方法問題だが、われわれはわれわれの国内問題として措置する考えであり、この問題は人員数とか金額の問題があるが、とにかくその支払いはわが政府の手でする。]と言い、日本政府の代わりに韓国政府が責任を負うと発言します。
ただ、この同じ会議の最後に、韓国側李主査が「当時韓国では道路を歩いている者を引っぱって行って最も激しい労働に従事させられたもので、言わば牛馬の扱いを受けたものである。これが公の文書としてポッダム宣言、カイロ宣言の表現となって現われたものである。日本側では同じ日本人の扱いをしたと言われるが実情はこのように違うのであって、このような扱いを受けた者に対し、当然相当な補償がなくてはならないと述べた」とあります。
しかし未収金に対する日本側計算金額が、遂に初めて私たちの会員小林さんの努力で発見されました。国立公文書館つくば別館史料 [経済協力/韓国105]②65-0001-12698 の79から119頁。
「司令部渉外局から在日韓国ミッションに、司令部からの claims from Korea の覚書きに基づいて通知された2 億3700 万円は左記のような内容によるのであるが、これは1949 年12月21日付のC.P.C.(総司令部)に大蔵省より報告された、左記のような内容の、最終報告書に基づく数字であると考えられる。

調査先 件数債務額(概算) 債務種類
国家地方警察本部 2 1,708 円 恩給
運輸省(中央気象台) 1 2,400 円 〃
郵政省(郵逓部) 2 304.73 円 棒給
4 555.67 円 手当
11 362.46 円 共済組合脱退一時金
17 1,222.86 円
農林省(林野庁) 1 532 円 棒給
1 58 円 郵便貯金
590 円
宮内庁 24 4,780 円 恩給
27 3,123.75 円 手当
7,903.86 円
運輸省船員局 311 417,500 円 棒給手当
法務府 127,161 60,047,992.43 円 供託現金
2,075 940,150.50 円 供託有価証券
計 1,219,236 60,988,142.93 円
旧陸軍 軍人 77,000
軍属38,000 9,000,000 円 棒給等
旧海軍 55,823 56,301,431.77 円 棒給等
労動省 110,843,254.53 円

1949年12月現在において、各地方法務局からの報告に基いて労働省労働基準局が調査
したところでは、次のようになる。
棒給及び手当 4,582,401.54円各雇用主供託済
郵便貯金 9,450,428.03円(郵政省算出5,511,378円一部推定額を含む)
軍人軍属分を含む(未完了)
銀行預金 13,465.49円
有価証券 55,448.57円
○ 未払金 96,741,510.90円

本数字は司令部C.P.C.あてに報告してある金額である。 総合計 237,564,153.95 円」

しかも「表のうち法務府関係の60,988,142円93には、旧海軍供託済額56,301,431円77及び雇用関係(労働省) 供託済額4,582,401 円54が入っているから重複して計算されている。よって総計237,564,153円95より、この重複分の合計額60,883,833円51を差引くと176,680,320円64となる。」と間違った数字を報告していたということからも、如何に慌てて杜撰な報告をしたかが判ります。

六、揺らぐ韓国側の総請求金額
日本を訪問した金潤沢経済企画院長は1961 年9 月1 日、小坂外務相との会談で総額 8億ドルを提示しました。またそれに対して日本側は、純請求権に対する弁済として 5 千万ドル、それ以外に韓国の 5ヶ年計画の内容を見て無償援助の形式で支払いたいと言います。 韓国側文書 721の 117頁。
これに関連して15 日の毎日新聞は [政府首脳部に対して非公式に対日財産請求権に関する意向を打診した事があったが、その時金院長は要求額として 8億ドル(日本円2,880億円)の案を提示したという事実が14 日、政府有力消息筋から明かにされた。“李承晩”政権時代には約20億ドルの対日要求額を考慮したと言い、張勉政権当時には12億ドルを考慮中だったと伝えられている。]と伝えたと、と同じ721の189頁にあります。

1961 年11 月12 日朴正煕議長が池田首相と会談を持ちますが、そこで話された金額は 5 千万ドルに過ぎません。韓国側文書786 [朴正煕国家再建御前会議議長日本訪問]の228 頁には[韓国側が請求しているのは賠償的性質のものではなく、充分に法的根拠がある請求権であると説明し、地金銀、郵便貯金、保険金、徴用者に対する未収金、戦死者に対する補償金、年金等、相当な金額の請求権を韓国は持っているのに、日本側は5,000 万ドル云々と言うのだから不当だと言ったところ、池田首相は小坂外相がそう言ったようだが、それは自分自身の意図ではないというような趣旨を話した]とあります。この部分も日本側文書5次開示1088の968[池田総理、朴正煕議長会談要旨]3-4頁では完全に黒塗りにして隠しています。
同じ頁には [池田首相は日本の立場としては過大な金額を支払うのは困難なので、法的根拠が確実な項目についてだけ請求権として支払い、それ以外の項目は他の名目で支払うのが良いと言い、他の名目で支払う際には無償援助にすると韓国の国民感情上困難ならば、経済協助等の名目で長期低利子借款を提供するのも方法だろうと話した]とあります。ここも日本側文書では、請求権という言葉がすべて黒塗りされています。
韓国側の8 項目請求に対して、日本側も大蔵省と外務省がそれぞれで計算を出していたことが、1963年3月大蔵省理財局外債課発行『日韓請求権問題参照資料(未定稿、第二分冊)』から判りました。本当は、こういう決定的ともいえるほど大事な文書が、今回公開されたという6万頁に及ぶ日本側文書の中に、含まれていないということが大問題です。
この冊子の72頁には1961年11月9日、大蔵省では次の数字を出したとあります。「①ややかたい推定によるもの(約300万ドル)、②あまい推定によるもの(1500万ドル)、③大幅にあまい推定によるもの (3,000万ドル)の 3本立ての試算表を作成し、省議にかけたがそのまま立ち消えになりかけたが、1962年1月当時の大平官房長官の強い指示があり、主計局にもはかった上、1962年1月10日大蔵省試算として提出した金額は約1600万ドルで、 同じ時に外務省が提出した試算額は7,000 万ドルでした。しかし両省案の開きが多すぎるのでなんとか調整をはかれと指示されたともいわれるが、調整されないままに終わった。」とあります。

七、うやむやな個人請求権の行方
しかし1962年2月7日の外務省側の文書、「日韓請求権交渉の今後の進め方について」を読むと、当時はまだ、日本側が本当に個人に支払うことを考えていたような内容がうかがわれます。(日本側文書506-8-220~225)
「日韓会談における韓国の対日請求権処理にあたって、日本側が十分に法的根拠のある請求として認めうるものは、きわめて少額に過ぎないことが判明するに至った。(1月10日、総理に提出した大蔵省試算額のうち、被徴用者に対する補償金を含まない数字たる1千万ドルですら、その金額を厳密に法的根拠および所要の証拠書類の整ったものとして説明することは困難である)

(イ)事実関係の確認が困難 . 終戦後、十数年が経過、朝鮮動乱で相当部分が亡失。
恩給等の支払いには確実な証拠書類が必要なのに、軍人軍属、徴用労務者の把握は不可能。
(ロ)関係法規が朝鮮の独立を前提としていない - 日本国籍を喪失すると恩給権が消滅するので、支払い額は僅少にとどまる。法律がこのような事実を予想していないことか
ら、国際先例をも勘案し、韓国人に対しても日本人並みの恩給支払いを行うという考え方にも根拠があると思われる。(中略)
(ホ)韓国側は、請求権として日本側から支払を受けたものを関係個人に渡す代わりに、一括政府資金として経済発展、社会福祉等の目的に使用することも考慮している模様であるが、日本側の立場からいうと、請求権支払である以上、これが確実に個人の手に渡ることを要請せざるをえず、この間の調整の問題も起る。(中略)
他方、十分の裏付け資料がないにしても、相当多数の韓国人軍人軍属、徴用労務者が いたことはまぎれもない事実であり、またこれらに対して少なくとも日本人並みの恩給 その他を支給すべきことは、条理からも国際先例からも自然のことと考えられ、ただ問題はこれを十分に法的根拠のある請求とよぶにたるだけの事実上および実定法上の根拠が欠如しているということにつきると思われる。」

八、泥沼の金額論争
しかし結局は何も決まらないまま、争点は個人請求権問題から離れてしまい、政府間の経済協力次元に変わって行きます。請求権に関しては小委員会ではなく、本会議に席を移して討議され、金額だけに対しての論争がくり広げられます。
1962年3月15日に開かれた小坂/崔韓日外相会談第3次会議で、崔徳新長官が「最近現われた数字では金裕鐸経済企画院長が提示した 8 億ドルがある」と演説します。また、3 月26日に開かれた第4次会議において、別室で伊関アジア局長が提示した「日本側の提示した数字は、請求権7 千万ドル、借款は 2億(借款はわが側が数字の提示を要求しなかったのに日本側が提示した)」という金額でした。(韓国側文書733の211、347頁)
しかし同じ3月15日の第3回会談も日本側資料では、すこし違った表現になります。「韓国側から先に金裕沢経済企画院長の主張した請求権8 億ドルの金額は減らす用意が
あると述べた。」(日本側文書506-8-274,275) 3月17日の第5回会談に対する伊関局長の「日韓交渉の回顧」(日本側文書506-8-304) 柳谷北東アジア課首席事務官「別室で伊関局長と文哲淳とが会って『請求権の金額を、
お前からいえ、そっちからいえではいかんというんで、お互いに紙に書いてイチ、ニッ、サンで渡そうということにした。その前たしか1 億ドルという数字が局長の頭にあったけれども、会談の雰囲気からみて、少しさばを読もうというので、7,000(万ドル)と書いて出したら、向こうはちょうど10倍の7億と書いてきたとかいう・・・』」
これが韓日会談の中で初めて公式に提示された日本側の金額でした。大平官房長官の指示に対して、1962年1月10日に外務省が提出した試算額7,000万ドルが、ここで公式に認められ、初めて使われたのです。
しかし、7,000万ドルというのは余りに少ないと米国側から注文が付きます。1962年4月21日「小坂=ライシャワー会談」(日本側文書506-8-302) ライシャワー大使は小坂外務大臣と会談した際に、「米国として、今次会談の結果、日
韓会談が後退したようになったことに対して失望している。自分としては、日本側の7,000万ドルというのはあまりにアンリアリスティック(非現実的)な数字であり、数億ドルは出さねば解決しないと考える。韓国人はセンシティヴ(敏感)でありサイコロジィ(心理学)の問題である」と語った。
1962年8月21日第6次韓日会談第2次政治会談予備折衷本会議第1回会議で日本側杉道助首席代表は、 [請求権のみを使うのなら外相会談で言ったように7 千万ドルになるが、この数字も大蔵省は1千5百万ドルにしかならないというのを、外務省がさまざまな理由をつけそういう数字を出したものだ。(中略)もし請求権と無償供与を同時に使う場合には、請求権には推定数字を入れることができないので、その金額が極めて少なくなるだろうし、3-4千万ドルにしかならないが、これは韓国側としても困難なものだと思う]と発言します。(韓国側文書 736の 181 頁)

同じ文書の197頁にも[請求権で日本側が支払いを認められるのは、戦後の混乱や朝鮮動乱で関係書類を失くした等の事情を考慮して、納得が行く限度内で推定の要素を加味したとしても、やっと数千万ドルにとどまり、韓国側が期待していると伝えられる数億ドルとは、とても遠い距離にあります。(中略)日本側が到逹した結論を一ことで言うと、請求権の解決とするとどうしても数千万ドルしか支払いできない。しかし請求権の解決からは離れて、韓国の独立を祝い、韓国においての民生安全と経済発展に寄与するための無償もしくは有償の経済援助という形態ならば、相当な金額を供与することについて、日本国民の納得を得ることができるだろう。]という内容があります。
続いて9月13日に開かれた第6回会議で韓国側代表裵義煥大使は [両側の主張が日本の
1.5億ドルに対して韓国側は 3億ドルとなっていて距離がとても大きいので]と言っています。韓国側文書737の41頁。
また同じ文書 45頁には日本側外務省伊関アジア局長の[韓国側は 2億ドルに上げろと言うが、1億7千万ドル位にしか上げられない。韓国側は出発の数字が大きかったのだ。]という言葉もあります。
九、「金・大平メモ」で政治決着の路へ
結局 9月26 日に開かれた第8 次会議では議論が詰まってしまい、金額問題は[第2 次政治会談](大平-金鐘泌会談)で決めるようになります。
金鐘泌中央情報部長は朴正煕議長から、次のような指示を受けて日本を訪問します。韓国側文書796 の 31 頁から。
手短に説明すると[総額が 6 億ドル以下に下りるのは、革命政府として到底受け入れられない。われわれの請求権は法的根拠に基づくものなので、日本側が国会と国民に対する説明に難点があり、純弁済という名目だけでは韓国側の要求金額を満足させにくいと言って来たので、純弁済と無償条件の支払いを合わせた総額支払いを受け入れることに譲歩したものだ。
われわれの最終譲歩妥結金額をケネディ大統領に通報したことがある。交渉の技術上、日本側が 1億5千万ドルを提示したらわれわれは6億ドルを提示せよ。また日本が 2億に上げたらわれわれも5億に下げても良い。日本が2億5千万ドルまで接近したら、政府の指示を受けて交渉に入るように方針を決めた。]となっています。
大平・金鐘泌会談に臨んで日本政府は最終案として、無償供与2 億5 千ドルを決めていました。日本側6 次開示1165 の1824、1 及び 16頁。
実際に10月21日会談に入ると大平外相は、[自分としては、できるだけ3億ドルの希望に近づけるために努力はしているけれども]と言ったが(同じ文書 35頁)、金部長は [当初の18億ドルから漸次6億ドルまで下るのに非常に苦労したものであり(36頁)、表面上の数字を6億ドルに引き上げる手段としても、借款の問題を考えている。(40頁)]と述べ、アメリカ訪問の後 [帰国する途次再び会談したい旨述べた。(46頁)]と言って、次の会談を迎えることになります。
しかしその翌日の池田首相との会談では、再び後退した金額が提示されます。これは首相と外相間の意思疎通ができていないことを物語ります。
池田首相は [無償助支払いは事実上、法的根拠に基づいた純弁済額はいくら厚く計算しても7,000 万ドルに過ぎないが、妥結しようと相当な考慮をして今回の予備会談で1.5 億ドルを提示したものであり、無償援助でそれ以上を支払うのは、日本国民が納得し難い問題]であると表明します。韓国側文書796の120頁、10月22日午後4時[池田総理・金鐘泌会談]
11 月8 日朴正煕議長は金鐘泌部長に下の訓令を下します。韓国側文書796 の 150 頁
[2~2.5億ドル(純弁済+無償助)+2.5~3億ドル(借款)=6億(総計)]
それで1962年11月12日第2次大平・金鐘泌会談で、有名な「大平メモ」が渡され、 [無償3億ドル、有償2億ドル、資金協力1億プラスアルファ]で、この長い間続いた韓日会談が決着したのは、あまりにもよく知られた事実なので、ここでの詳しい説明は略します。(韓国側文書796の162頁、172-173頁)

十、結局合意されないままだった請求権の概念
もう妥結直前まで行った韓日会談なのに、請求権に対する概念が、一つも一致していないままだったという事実が、1965年5月14日に開かれた[請求権及び経済協力委員会第6次会議]で暴露されます。韓国側文書1468の160頁日本側西山代表 : 韓国に対するわが側の提供は、あくまでも賠償のように義務的に与える
のではなく、それよりは経済協力という基本的な思考を持っている。

韓国側金代表 : 李・椎名合意事項を見れば、請求権及び経済協力となっていて、経済協力というのもあるが、請求権的な考えが厳然と表現されている。結局初めに韓国の請求権解決から話が始まり、二つ皆入れてしまうことになったのだ。
西山 : われわれは賠償とは違い、経済協力という面が強いという考えだ。
韓国側李圭星首席代表 : われわれも提供が賠償ではなく、特殊なものという考えだが、その表現は請求権及び経済協力という表現にならなければならない。
西山 : 協定案文を作成する時には、二つ皆含まれるようになるが、ここで今しているのは経済協力に関するものだ。
金代表 : 経済協力のみをするというのはおかしい。請求権及び経済協力に関する導入手続きを討議しているのだ.
西山 : 請求権の意味が含まれてはいるが、韓国側では請求権の対価という意向があるようだが、わが側ではそのように考えていないし、したがって基本的な思考の差があるが、これは是正調整されなければならないと思う。日本の一方的な義務に立脚して提供することになったら困る。韓国側でこのお金はわれわれが貰わなければならないものだから、勝手にすると言ったら困難だ。
金代表 : 全然義務がないというのは話にならない。最小限度、請求権解決に経済協力という考えが加味され、結局請求権及び経済協力ということになるのではないか?国民の感情が請求権を受け入れるという考えで一貫しているので、万一請求権という表現が変わったら、これは重大な問題が起きるだろう。
西山 : それなら韓国に対する提供は、政治的な関係が深い日韓両国間の友好的な関係のための経済協力だと言うのか?
李首席 : 請求権という言葉が入らなければならない。
金代表 : 日本側の考えは理解しにくいが、賠償ではなく、しかし請求権に縁由するということは認めなければならないのではないか?
日本側柳谷補佐 : 日本側の考えは、あくまで経済協力という考えだ。
韓国側鄭淳根専門委員 : 問題の始祖が請求権から始まったのであって、韓国の事情が苦しくて助けくれということから始まったのではないではないか?
柳谷 : それは知っている。
李首席 : 結局、日本側の立場は、純粋な経済協力というのか?
西山 : そうだ。
韓国側呉在煕専門委員 : そのように言うが、元来経緯を見たら請求権問題を解決するために交渉が始まったし、請求権を解決するにおいて経済協力という言葉が出るようになった。したがって政治的な経済協力として提供するというのはあり得ない。
西山 : この問題はあまり触れないで次に移ることにして、とにかくわれわれとしては早く協定文を作り上げるのが重要ではないか?
日本側文書6 次公開1161 の1316「日韓国交正常化交渉の記録 総説十二」(1965.3.6-6.22) の75頁(記載は13-339)には、日本側が内部で検討した様子が窺えます。
「もともと無償3 億、有償2 億の経済協力という解決方式自体、日本側は主として将来に向っての経済協力と考え、韓国側は主として過去の償いとみなすなど、政治的妥協の産物であり、とくに大蔵省事務当局には3億、2億の解決方式は外務省が独走したものを、むりやり追認させられたとの感情が強く、個々の条項の検討に当たっては、恩恵的な経済協力という立場を厳守した内容とすることを強硬に主張した。これに対し外務省側は、本件交渉の従来の経緯をあらためて説明しつつ、日本案の内容を少しでも緩和ないし弾力的とすることに努め、また、どうしてもこの段階では各省間の話がつかないものについても、当面は堅い案を出すが、韓国側の反発具合をみて、いずれ日本案を緩和、修正することについての各省間の事前了解をとりつけることにも極力努力した。(日本案提出後の交渉の席上に各省担当官をなるべく大勢引き出したのも、韓国側のものの考え方を各省担当者に直接印象づける意図からであった。)」

十一、最後の瞬間まで諦めきれず、必死にもがく韓国政府
このように万端の準備をしながら、一切の妥協を排除する断固たる態度で調印に臨んだ日本側とは対照的に、韓国側は最後の日、最後の瞬間まで彷徨しながら、迷いっぱなしのまま条約を結ぶことになります。
同じ頃の韓国側文書、登録番号 6887「第7次韓日会談:請求権関係会議 報告及び訓令」から、その進行過程を紹介します。

6 月15 日13:02 首席代表が外務部長官に送った電報。[14日20:30-23:45 請求権の解決問題に係わる第2 条を討議するために会談したところ、両方の意見が対立したまま結論を見られずに散会した。]
17日11:31首席代表が外務部長官に送った電報。[16日午後9時から作業を続けて請求権消滅問題(協定第2条)及び協定に関する紛争問題を除いて、ほとんど条文化を完成した。]
18 日18:12 首席代表が外務部長官に送った電文。[請求権関係協定第2 条の請求権解決に関して、日本側は条案文を最終案と言って牛場審議官に直接指示して来た。わが側は日本側の案が少しのIMPROVEMENT(改善)はあるが、まだいくつかの点で受諾することができないことを明らかにし、交渉の進展のためにわが側の基本立場を、可能な限り日本側案に接近した案を提示して、長期間討議した。

第1 項の最後は“解決されたことになることを確認する”とすることにした.(まだ桑港平和条約4条(A)のみを言及するのか、4条全般を言及するのかの対立がある) しかし第2 条の第3 項に関しては、日本側が自分側の案を受け入れない限り、討議に応じることができないし、日本側の案が最終の立場ということを固執している。]
18日23時外務部長官が首席代表に送った電文。[請求権関係協定第2条に関しては日本側の案通りにする場合、在日韓国人を含んでわが国国民の財産権に深刻な影響を及ぼすようになるのに照らし、問題が重大なので、継続して強い立場を続けて下さるよう願う。]
19日深夜1時58分首席代表が外務部長官に送った至急電報。[徹夜作業で臨んでいる韓日懸案協定全般の条文化のための当地ヒルトンホテル会談の6.19.午前1時現在の現況を、下のように報告します。協定第2 条(請求権消滅条項)に関する討議はまだ続いていますが、わが側は日本側案をそのままでは到底受諾することができないことを明白にした。即ち、わが側は、日本側案の第2項(A)、(B)の日付けが1945.8.15.になり、第3項の措置の対象が制限され、合意議事録日本側案から居住に関する制限規定が解除されない限り、日本側案を受諾できないことを説明して、日本側の再考を促した。]
19 日首席代表が外務部長官に送った手書きの電文。[請求権関係協定 2条に関しては、まだ妥結を見られない。膠着状態を打開するために、次のような妥協案を日本側に提示しようと思うので、可否を至急訓令して下さるよう願う。 妥協案内容
1.日本案 2項(a) 僑胞財産に関して47年8月15日付を受諾する。
但し、1) 合意議事録の居住に関する規定は削除する。これで47年8月15日以後に帰国した者で、日本で外国人登録をしなかったり、居住期間1 年未満の者が救済され、現在日本居住者の内非合法的居住者も救済対象になれる。
2) 合意議事録形式で45 年8 月15 日から47 年8 月15 日までの帰国者の財産、権利、利益の中で不動産(特別措置対象は除く)は、日本が取る措置の対象にしないという約束を貰う。有価証券等は 8個項目条として当然主張できないものと解釈される。
2. 2項の(b)通常接触開始日時は45年8月15日とずっと主張するが、最終的には貿易再開日(47.8.15)を受諾する。]
20日李東元外務部長官は来日し、22日の調印式に備えることになるので、これから後の外務部宛の電報は外務部次官が受取り、国務総理や大統領秘書室に届けられたものと思われます。
21 日1 時9 分首席代表が外務部に送った緊急電報 JAW-06490号[請求権協定第2条に関して 19日夜及び20日の朝、3度にわたって日本側との会議と今日午後の牛場審議官との交渉を通じて、本国政府の承認を条件に次のような文案に合意したので、本部の承認余否を至急回電して下さるよう願う。
2 項(a) 在日僑胞または僑胞だった人の在日財産において、1947年8 月15 日は45 年からその時まで約100 万名の帰還者がいるので、日本側が絶対譲歩できないだろうし、敢えて1945年にする場合には法的地位のように継続して居住する者のみを対象にするしかないそうです。したがって合意議事録日本案の内、居住に関して外国人登録の条件を削除し、1年以上の居住を47 年8 月15 日まで 1年になった者に含むように修正して、また45 年から47 年の間に帰国した者でも日本所在の不動産は実質的に影響を受けないという了解の下に、47年8月15日を受諾することにした。2項で請求権に引用されないものは、日本は請求権を個人の債券等ではない、外交法権的
な政府請求権と解釈することで、個人の請求権は財産、権利及び利益に含まれるという意味の合意議事録を作成する。
本職を始め現地交渉代表としては、上記合意案は第2 条妥結のために日本側と妥協できる最後の案と思量するので受諾するよう、21日午前中に回電を望みます。] 20日李東元外務部長官は日本に行き22日の調印式に出席する準備に入るので、ここから後
の外務部宛の電報は外務部次官が受取り、国務総理や大統領秘書室に渡したものと考えられます。 21日11時40分北東アジア課長から延河亀アジア局長、全相振通商局長宛に送った電文 [請訓された請求権協定第2 条案文に関しては本国で緊急検討中なので、今日の午後にでも最終指示が可能そうなので諒知なさるよう願います。] これに対して21日13時26分外務部長官が国務総理宛に送った緊急電報。

[JAW-06490で請訓した請求権協定第2条及びこれに関した合意議事録については、法務部法務局長を含む代表団の専門知識を総動員して検討した結果、わが側に満足な内容で妥結したものと言うので、本職としてこの文案に合議するのが適当だと思量します。したがって文案表現に政府として別途、再交渉指示が来ると明日の調印が不可能という実情を斟酌して下さるよう願う。] 21日16時30分首席代表が外務部長官宛てに送った至急電報
[請求権第2 条については今朝の外務部長官建議の電文の通り決まることを前提に、条約文作成をしています。あと残った一つの問題は上手く処理できると予想されます。したがって以上の報告を斟酌して、既に報告したように明日ある調印式のスケジュールを、即時発表なさるよう願う。]
これ以上修正すると、明日の調印が不可能という報告があるのに、本国からはまだ諦めきれずに、続けて指示が飛んで来ます。
21日18時40分外務部長官が首席代表に送った緊急電報。[請求権第2条に関しては問題の重大さに照らして、現在関係部長官会議を開催、愼重に論議中なので、そうお知りおきの上進行させて下さるよう願う。]
その検討結果が、次の 21日22時55分に外務省長官、駐日大使これから外務省長官が送った緊急電報。[請求権第2条の規定については問題の重大さに照らして国務総理、李厚洛室長及び関係閣僚連席下で愼重に検討した結果、下のような結論を下したので今夜中に椎名外務大臣と会談なさり、この貫徹のために最善の努力を尽くされるよう願います。]
もう間に合わないのに、「 [47.8.15]を[45.8.15]に変更せよとか、合意議事録(C)居住の定義と (D)及び (F)も削除せよ」と指示を下します。また無責任にも[以上の線に従って貴下の最善を尽くして交渉なさり、その結果と展望に関して可能な限り早急に、遅くとも明朝 8時まで報告なさるよう願います。貴下の健闘と成功を願います。]と執着を見せます。
結論は火を見るように明らかです。22日の深夜2時32分に長官と首席代表は、外務省次官宛に緊急電報を送ります。[請求権第2条及び合意議事録に関しては、日本側としては現在の案が最終的妥協案という立場を取っているだけでなく、交渉の段階から見た時、現時点での再交渉は不可能視されます。上を斟酌して明朝 08:00までに再び訓令願います。]
それでもまだ諦めません。22日朝8時25分、外務部次官の長官、首席代表宛に送った大至急電報。[電文接受しましたし、貴地の事情は充分理解しますが、問題が重大なのに照らしてわが側の立場貫徹のために、再度努力しなければならないという決定があったので、今日の午前中に最短時間内に椎名外相と接触し、その結果を知らせて下さるよう願います。]
結局これに対する返事はなく、本国側としてはやっと諦めることになりました。22日11時45分外務部次官が外務部長官、駐日大使に送った電報。[請求権第2条問題に関しては、貴見のように処理なさるよう願います。]

このように個人請求権に対しては曖昧なまま、最後の最後の瞬間まで争いながらも、時間に追われてそのまま突入してしまい、調印された韓日協定ですが、問題はうやむやのまま今日まで解決されていないことは、誰もが知る事実です。
ここまで日韓会談文書を中心に協定当日までの、ドタバタ解決を見て来ました。玉虫色 どころか、基本関係、独島、在日3世4世の法的地位、個人請求権等々何の決着も見られず、問題山積みのまま見切り発車してしまったのです。
韓日併合の経緯、責任問題から植民地支配に対する合法性と清算、軍人・軍属、強制連行に対する補償と謝罪や戦後補償、在日韓国人の国籍、福祉、教育、永住権と強制退去、 北朝鮮帰還事業等、現在に直結するこのような問題の、一体何が 「完全かつ最終的に解決された」のか、そして何がどのように互いに話され、また何が決まったのか、徹底的に検証されなければならないと思います。

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