Monday, May 7, 2012

sado lesson May's wing 薫風自南来

薫風自南来
「くんぷう みなみより きたる」 「くんぷう じなんらい」
kunpu minami yori kitaru
kunpu ji nan rai
denkaku biryo wo shozu
薫風自南来 殿閣生微涼

「くんぷう みなみより きたり 
でんかく びりょうを しょうず」

南から薫風が吹き、殿閣を、涼しい、心地良い空間にする、という優雅な状況。

煩悩妄想を消し、分別執着の垢を払い、清涼そのものの境地を表現したものであり、悟りの境地にほかならないと言える。

the Elegant situation when to blow balmy breeze from south through in the palace Hall, to be cool and comfortable space .

There is off the delusion desires, pay dirt of the obsession separation, the representation of a stage of refreshing themselves, say nothing but Buddhahood.










http://www.jyofukuji.com/10zengo/2004/06.htm

しかし、この語が有名なのは後代の詩人・蘇東坡がこの語について文宗皇帝をはじめ上流社会を諌める追句をつけたからかも知れない。

一為居所移 苦楽永相忘 願言均此施 清陰分四方

一為居所移 → 一たび居の為に移されて

苦楽永相忘 → 苦楽永く相忘る

願言均此施 → 願わくば言わん、此の施しを均しくして

清陰分四方 → 清陰を四方に分けたんことを

この意味は「皇帝は広々とした宮殿の中におられるから、暑く苦しい夏日の長いのが好きだなんていわれるのだろうが、天下万民は炎熱の中に本当に苦しみあえいでいるのだ。皇帝たるものはもっと庶民の生活実態へ思いを馳せていただきたいものよ。願わくはもっと、庶民のために施しをしてほしいものだ」という痛烈に天子の批判と諌めをやったのである。
このように蘇東坡はかなりの批判精神の持ち主であり、反体制の批評家であったのだろう。彼は詩人であり、官史であったが、あまりにも体制批判が過ぎて結局彼は帝の勘気に触れて左遷されてしまったほどである。

ただ、この句が禅語として登場するのは碧巌録の大成者の圜悟克勤禅師が、かって 一人の修行僧が
「三世の諸仏の悟りの境地とは如何んなのか」
と 言う問いの対して雲門文堰(ぶんえん) 禅師 (864~948) は
「東山水 上を行く」
と答えた。東山とは湖北省にある馮茂山の別名。
山と言うのは泰然として動かざるものである。その絶対不動であるべき山が動き、しかも「川の水面を流れて行ってしまったぞ」と言う禅独特の、およそありえない事であり、常識や、理屈では考えられない表現での答えである。
この語に対し圜悟禅師は「薫風自南来 殿閣生微涼 」と答えたところ、これを聞いた大慧宗杲(だいえそうこう) 禅師が悟ったという因縁の語なのである。

http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/050701.html

everybody suffer from the torrid, but i love the long summer days.

http://www17.ocn.ne.jp/~verdure/zengo/ka.html

薫風自南来(くんぷうじなんらい)

『全唐詩』の「夏日聯句」に「人皆苦炎熱、我愛夏日長。熏風自南來、殿閣生微涼。」(人は皆な炎熱に苦しむも、我は夏日の長きを愛す。薫風自南来、殿閣微涼を生ず)とあり、唐の文宗皇帝(808~840)が「人皆苦炎熱、我愛夏日長」と起床の句を作ったのを承けて、柳公権(りゅうこうけん)が「熏風自南來、殿閣生微涼」と転結の句を作って一篇の詩としたもの。

『大慧普覺禪師語録』に「僧問雲門。如何是諸佛出身處。門曰。東山水上行。若是天寧即不然。如何是諸佛出身處。薰風自南來、殿閣生微涼。向這裏忽然前後際斷。譬如一綟亂絲將刀一截截斷相似。當時通身汗出。雖然動相不生。卻坐在淨裸裸處得。一日去入室。」

(僧、雲門に問う、如何なるか是れ諸仏出身の処。門曰く、東山水上を行く。是の若し天寧は即ち然らず、如何なるか是れ諸仏出身の処。薫風自南来、殿閣微涼を生ず。)
とあり、僧が、仏はどこにいるのかと問うたとき、雲門(864~948)は東山が水の上を行くと言った。その話は天寧ならこうはならない、仏はどこにいるのかと問うたら、薫風が南から吹いてくる、お寺もこの風で涼しくなると答える、というのを聞いて大慧宗杲(1089~1163)が悟ったとする。

Emperor Wenzong of Tang (唐文宗 809–840)
http://www.jjcmw.cn/jjcm/zongyiyule/20120106/25798.shtml



"omnibus poems in summer day" in "all of Tang poem" ,
Tang dynasty emperor Wenzong song that "even all of people are suffering torrid, i love long summer days. , self-balmy breeze coming from south, royal palace would be cool.


Liu Gongquan, (778-865)

the meaning of the poem is that "since emperor is in spacious palace, he said he loves painful hot summer long day. under the heaven, million civil people are suffering really in the sweltering heat,ruler should realize the living conditions of people and thinking more. hopefully, emperor should donate to people, biting criticism and  remonstrance to heaven's child.



http://www8.plkhsn.edu.hk/myoffice/servlet/userControl?action=userFreePage&UserID=sp06048&Project=myself&TmpNm=Focus&PgID=A3&aeroDomain=acl

Summer夏天(xia tian):《消夏詩 》唐文宗

人皆苦炎熱,我愛夏日長。

熏風自南來,殿閣生微涼。


Sping春天(chun tian):《春思》李白

燕草如碧丝,秦桑低绿枝。当君怀归日,
是妾断肠时。春风不相识,何事入罗帏?


Wirter冬天(dong tian):柳宗元《江雪》:
千山鳥飛絕,萬徑人蹤滅;
孤舟簑笠翁,獨釣寒江雪。


Autumn秋天(qiu tian):《山行 》杜牧

遠上寒工石徑斜,
白雲深處有人家。
停車坐愛楓林晚,
霜葉紅於二月花

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