Wednesday, August 22, 2012

National jewel of Korea,amethys

http://blogs.yahoo.co.jp/hyougo86bikeman/8414319.html

韓国は大陸棚の国、きれいな石が多く地質は日本と少し違います。
2011/3/6(日) 午後 1:10日記その他自然科学
今日は、曇りで薄ら寒い天気です。朝起きたときは、-2℃位でしたが。札幌に比べると、最高気温がほぼ同じ、最低気温は数度、こちらが寒いようです。

韓国の土地(地質?)は、大陸性の母岩鉱物からできています、と言うと、いきなり堅い話で、なんだ、と言うことに成りそうですね。
西日本の、中国山地や瀬戸内海沿岸も、韓国の大陸棚に近い地質的背景があります。
もちろん日本は、大陸性の地質と言うよりは、海洋性の地質の影響が大きいのですが、火山の影響が大きい。
地質学的には、安定した大陸棚の端っこの韓国とは違い、日本は深い海の中からできた島国です。
ユーラシアプレートという巨大な岩石の大陸と、北米プレート、太平洋プレート、それとフィリピン海プレートの
海洋性プレートがぶつかり合って、世界でも有数の造山活動と火山活動が盛んな太平洋の周辺を環状につなぐ
島国の輪の中の一つです。
それはさておき、韓国は、日本で言うと神戸周辺に多い、御影石が基本の国です。
御影石は、火成岩の内でも、地下深くで、マグマがゆっくりと冷えて固まり、鉱物の結晶が大きく成長しているのが肉眼でも見られるのが特色の、深成岩です。
御影石の鉱物としての地質的な一般名称は、花崗岩です。
中に、白い鉱物(長石と石英)ふたつと、黒い鉱物(黒雲母)の結晶があり肉眼で、表面の結晶境界がわかります。
韓国は、この花崗岩と、それがマグマの熱などで変性した、火成岩の変成岩である、(花崗岩質)片麻岩や、結晶片岩と言うタイプの石が多いです。それらはほとんどが先ほど言った、硬くて半透明な石英と、焼き物の陶土になるカオリンと言う粘土の元になる長石と言う白い鉱物、それと黒雲母が主成分ですから、その変成岩にも、それらが融けて中の良い部分が集まって縞模様になったきれいな層状の外観を示したり、結晶が完全には溶けずに、流れの方向に向きを揃えかけた状態の、いろいろな状態のきれいな結晶片岩などがあります。
それで、先週とって来た、公園や研究所などの石の中から、数点を載せておきます。日本だと、こんなに簡単にこれらの岩石の写真を沢山取れるところは、(大きな片麻岩類を沢山持つ石屋さんがあれば別でしょうが)、まず無いと思います。

最初は、近くの池の周りのいろんな小石、芝生の石碑の台の磨いた花崗岩(御影石)です。



次が、花崗岩が元だと思うが、変成岩としては、(花崗岩質)片麻岩になるのか、(花崗岩質)結晶片岩の分類が近いのか良く判らないです。白と黒っぽいグレーの縞模様の、片麻状構造のある石です。結晶がそのまま分離しているのか、融けて集合してしまっているのかは、ルーペなどの道具が無いので今は良く判らない。



最後は、先週映した中で、きれいに思ったNo.1とNO.2.  右の石は、縞模様の間に、ボール状の別の鉱物が残ったタイプで、珍しいタイプの岩石です。









では、また。


http://takeda-mineral.com/amethyst_korea/korea.htm




韓国(朝鮮)の紫水晶の考察 ~訪韓記と共に~

 鉱物趣味歴のある程度お有りの方ならお分かりと思いますが、例えば学校の理科室にある鉱物標本や、歴史のある博物館や大学の標本室には朝鮮産の紫水晶が必ずと言って良いほど陳列してありました。また、甲府・昇仙峡の土産店にも各地の水晶と一緒にこの朝鮮の紫水晶が売られていたものです。この時代には世界の著名な紫水晶の産地として朝鮮はトップクラスに数えられ、世界最高の宝石研究機関であるG.I.Aより独特の色彩とキズの少ないことから世界最高の品質と公認され、朝鮮(韓国)の国の石「国石」となっています。
最近は世界各地より美しい紫水晶が産出しており、ブラジルはリオグランデ・ド・スル産、メキシコはベラ・クルズ産、ウルグアイ、カザフスタン、ザンビア等、各地より供給されております。このような環境の中、朝鮮の紫水晶の採掘が終わってから久しい事もあって、最近は標本即売会などでお目に掛かる機会も少なく鉱物コレクターからは忘れ去られ、また新たに鉱物に興味をもたれた方には、その情報すら途絶えてしまっておりました。

朝鮮の紫水晶産地はドコ?
 過去の歴史により、日本と朝鮮は近くて遠い国という時期が続きました。その為かどうか判りませんが、鉱物産地の情報に関してもとても大雑把なものが多く、朝鮮の紫水晶産地はその標本に付いているラベルにしても、チョット首をかしげる様な物が結構多く、またそれを検証する手立ても殆ど無く、ラベルを鵜呑みにするより術が無いようなすっきりしないことがしばしば有りました。
 例を挙げると 産地名 朝鮮 金剛山 韓国 白厳山 極端な例では 「朝鮮」としか書かれていないものも有ります。

 韓国の紫水晶産地に行ってみよう
 長年の夢でもあり思い切って韓国に行って見ようと、05年12月初めに格安航空券の釜山往復を慣れないインターネットで購入し、一人機上の人となりました。韓国語の機内アナウンスは1980年に初めてツーソンショーに行った時に他社より大分安いと言う理由で利用した大韓航空機以来です。
 格安航空券の宿命か、成田出発が午後7時と言う時間なので釜山に到着し通関を終えて空港ロビーにある外国人用インフォメーションに辿り着いた時にはギリギリ窓口の終了時間でした。受付嬢は自分の携帯電話で営業用ではない口調のハングルでなにやら話し込んでいます、多分ボーイフレンドと食事の約束でもしていたのでしょう。終了時間に飛び込んできた私の顔を見て俄かに国際空港の営業用の顔になり「なにか?」と流暢な日本語です。よかった、日本語でいける。「日本語の出来る貸切タクシーを捜して下さい!」
 彼女の的確な手配のお蔭で注文通りのタクシーが直ぐ来ますと言われ待つ事1時間、50年配の安(Ann)さんと言うドライバーが満面の笑顔で登場しました。但し出来る日本語は「社長サン」と「ダイジョウブ」位です、これ本当に大丈夫?
空港ロビーも閉まる時間なので、もうこの安さんしか手は有りません。覚束ない英語と手まね、あとは度胸で何とか丸2日間の貸切交渉を成功させホテルまで辿り着きました。疲労困憊・・・・・。

2日目朝
 7時、約束通りにホテルのロビーに安さんは来てくれた。安心した私はカッコつけて「アンニョンハセオ~」と挨拶すると「タケダサン、お早うございます」と来た。出発前に日本で手に入れた韓国・釜山周辺観光地図によると、釜山北方50Km位の所に「紫水晶洞窟」と書かれ、すぐ近くに神仏山▲1209とある。確か30年ほど昔に凡地学で購入した韓国の紫水晶のラベルも「神仏山」となっていたので、ここで間違いなさそうである。運転手の安さんに地図を見せ、いざ出発。
 安さんによると韓国では「シンブルサン」と発音するようです、ここは自動車で有名な韓国の一大財閥「現代グループ」の本拠地がある蔚山市(ウルサン)のすぐ西隣に位置します。慶州と釜山を結ぶ慶釜高速道路を使い50分ほどで西蔚山インターチェンジに到着、ここより20 分で紫水晶洞窟です。
 やけに立派な駐車場があるので、いやな予感。なんと鉱山跡を整備してテーマパークとなっているでは、まるで足尾銅山観光の小型版です。私の勝手な想像では、苔むした鉱山事務所・立入禁止の札の掛けられた坑口・雑草だらけのズリ・・・・・。
 せっかく来たのだからと、安さんと2人して10,000ウオン也を払い洞内見学をすることに、内部はよく整備されていて歩き易い。奥まった場所には紫水晶鉱脈が保存してあり、なにやら能書きが書かれている。このパターンも確か甲府の昇仙峡でありました。ただ残念なことにこの鉱脈、全体の90%はあとから貼り付けた造り物でした。

稼動時のジオラマ 韓国版 中村玉緒
 快適な坑道内から外に出るとさすがに12月の韓国、寒くて震え上がりました。私達のほかには観光客など誰一人居ません、坑道出口脇に開いているお土産屋があり何気なく覗くと、ブラジルやウルグアイの物に混じって、有りました韓国産紫水晶が!
 中村玉緒似の女主人も韓国産の物は良く知っていて、こちらが欲しがっている様子を敏感に感じ取り、「今では採れないから貴重品だ」を連呼し、結構高いことを言ってきます。
 そこで、有る物全て買うからと安さんに交渉を任せ、まるで喧嘩をしてるような激しい攻防の末、全て手に入れることに成功しました。
 テーマパークの一角に磨いて製品化した紫水晶を沢山並べてあるコーナーがあり、そこにも中々立派な紫水晶の原石が飾ってありましたが、ここはあっさり断られました。安さんと主人がなにやら話し込んでいますが、横で聞いていてもさっぱり判りません。安さんに促されて店を出、駐車場に向かいます。「こんな収穫では日本に帰れない、参ったな」と消沈していると、車に乗り込み安さんが「タケダサン、チャスジョン持っている宝石職人の家、聞き出したヨ」・・・・・!
  ※チャスジョン→韓国語で紫水晶
 この運転手はなかなか出来る。宝石職人の家を何とか探し出し、「日本から紫水晶を買いに来た」と言うと連れて行かれた所は家の裏手にある10畳ほどの納屋でした。粗末な裸電球のスイッチをひねると、おびただしいダンボール箱が積まれています。時間的に全ての箱を見るのは到底無理なので、手近かな箱を何箱か見てダメージの少ない結晶ばかりを手に入れました。閉山前に溜め込んでいた物だそうです。安さんに感謝・感謝・・・・・。
 一応の収穫は有ったので、少し早いが釜山へ戻り市内観光と洒落こむことに。釜山市の名所のひとつ「釜山タワー」に昇ってみました。地上120メートルからの釜山港の眺望は素晴しく、下関より玄界灘を渡って来た「関釜フェリー」入港の様子も見られます。 地上階まで降りるとそこはご多聞にもれず「観光お土産品コーナー」で賑やかでした。

タワーより望む釜山港 名ガイド 安さん
 そのうちの比較的大きな一軒は韓国の国石・紫水晶の専門店で、一応覗いてみると指輪やネックレス・ブレスレットなど製品ばかりです。申し訳程度に2~3個の韓国産の紫水晶原石が並べてありましたので、店員に他に無いのか聞くと「慶州の本店には沢山置いてある」との返事、それでは明日、世界遺産の慶州観光と合わせて行ってみましょうと言う安さんの提案に従って本日は終了となりました。
 私の泊まっているホテルは、釜山港からは自動車で30分ほどの市の東域に位置するリゾート地「海雲台・ヘウンデ」と言う場所でした。海岸沿いは美しく整備され、マリオットホテルなどの豪華ホテルが並びまさにリゾート地でしたが、それ以外は上野のアメ横を大きくしたような街並みで、良く言えば活気に溢れ、冷静に観察すると雑然としていて衛生的でない感じがします。
 ホテルの下層(2階~地下2階)はスーパーマーケットとなっているので、夕食の買い物のオバチャン達に混じって自分も晩酌用の品々を買い込み、自室に戻って一人寂しく酔いの世界に入って行きました。

海雲台の街並み ここで一人飲むのは 寂しい・・・
3日目
 昨夜飲んだ妙に甘い韓国焼酎が少し残り、すっきりしない朝を迎えました。
 今朝も時間通りに迎えに来た安さんと一路慶州に向かう。途中、昨日見た水晶洞窟のある場所付近と神仏山が車窓より望めます。(神仏山は単峰ではなく幾つかのピークより成る)

白く背の高いビルの背後の山が紫水晶洞窟、その左手奥に雲の掛かっている周辺が神仏山
 釜山より慶釜高速道路を使い100分ほどで慶州です。インターチェンジを出ると街の至る所に王族たちの墳丘が見えてきて、その中でも一際墳墓の集中している辺りが中心街で、目指す紫水晶店もこの区域に在る筈。
 かなり迷った末、目指す紫水晶店(宝石店)は地下に店舗を構えていました。店内は釜山タワーの店舗と同じく沢山の宝石製品が並べられています、その一角に水晶原石は並べられていました。これらの紫水晶はすべて石に合わせた木の台にセットされており、どうも日本風に言うと「水石」の感覚のようです。さすがに専門店だけあり、質・量共申し分ありませんが、お値段のほうも申し分有りませんでした。(宝石並のお値段です)
 中でも一点、欲しいな~ と思った紫水晶と記念撮影で我慢し、慶州でも人気の仏国寺に向かうべく店を後にしました。

見事な松茸水晶(左右27cm)とても手が出ませんm石も韓国美人にも?
 街の中心より南東に自動車で30分ほどの山間に仏国寺があります、参道入り口下の駐車場の外れに韓国食堂が軒を連ねており、安さん推奨の一軒で昼食としました。今日は豪華にプルコギと行きましょう。待つこと暫し、出て来る出てくる、キムチやらスープやらどっさりと、メインの肉に辿り着く前に腹一杯になりそうです。店員の女性がそばに付いて取り分けたり盛り付けたり、もっと食べろと過剰サービス? 私などこれだけで腹一杯になりそうです。
 何とか平らげて一息ついていると、懐かしい日本語が。声の主は店の老女主人です、私に向かって問わず語りに「戦前は日本に居たんだ、この子が生まれて直ぐ終戦となりこちらに引き揚げて来たから、この子は日本語は話さないよ」と先ほどサービスしてくれた人を指して言いました。・・・・・やはり、近くて遠い国でした。
 仏国寺は素晴しいものでした、この寒い時期にも拘らず韓国内はもとより外国人の観光客も沢山来ており、世界遺産・慶州の中でも人気の高さがうかがえます。この後、市内にある国立慶州博物館を見学して釜山に戻りました。

市内に点在する王族達の墳墓 仏国寺入口の天王門

美しい紫霞門 大雄殿
慶州観光を以って今回の韓国道中記はお仕舞い、次は本題の紫水晶産地の考察です。
 今回私の訪れた紫水晶洞窟は、現在の韓国内で使われている住所としては慶尚南道 蔚州郡 三南面 加川里 ノス4番 だそうです。
 ただし、地元では地域の名称を取って、紫水晶の産地としては 三南面 彦陽(オーニャン)と呼ぶのが普通のようです。
 ここで、わが国の過去の文献に見られる朝鮮産の紫水晶の産地を拾ってみました。

■原色日本鉱物図譜 和田八重造・粟津秀幸 松邑三松堂 昭和11年 慶尚北道彦陽郡白厳山
■本邦鉱物図誌第二巻 伊藤貞市・片山信夫 大地書院 昭和13年 慶尚南道蔚山郡中南面白厳山
■朝鮮鉱物誌 朝鮮総督府地質調査所 慶尚南道蔚山郡中南面校洞里
慶尚南道蔚山郡白厳山
慶尚北道聞慶郡身北面龍淵里
慶尚南道泗川郡三千浦臥龍山
■朝鮮鉱物誌 朝鮮総督府地質調査所 三省堂 昭和16年 慶尚南道蔚山郡中南面校洞里
慶尚南道泗川郡三千浦臥龍山
慶尚北道聞慶郡聞慶面龍淵里

慶尚北道槐山郡青川面梨坪里カーリョン山
■昭和雲根志 益富寿之助 六月社 昭和42年
朝鮮金剛山

■国立科学博物館 鉱物標本データベース 慶尚南道蔚山郡中南面校洞里白厳山
臥龍山とカーリョン山の物は手元に現物が無いので文献の記述のみとなりますが、
臥龍山・・・・・・・・・花崗岩中の岩漿分泌による晶洞に出、結晶は透明にして紫色を帯び長さ5 ミリないし1センチの小結晶
カーリョン山・・・煙色を主として白及び紫色あり、紫色のものは結晶内部は淡煙色、外縁のみ紫色透明、松茸状の物多く太さ5センチに達するものありと記述されています。カーリョン山の物はともかく、臥龍山は小結晶過ぎるので外して問題ないでしょう。

龍淵里は、私の手元に有る標本を見る限りではベースが煙水晶で松茸状に紫部分が乗っかっていて、比較的小振りでやや上品な感じです。カーリョン山とは近い所なので一括りにしても良い範囲かもしれません。

金剛山は、毘盧峰(1638m)を最高峰に持つ南北60km東西40kmにわたる広範囲の山塊を指し、その大部分は現在の北朝鮮領内にあります。金剛山地域の詳細地図を見ると、温井里とか高山里、長箭里と言った朝鮮鉱物誌に記載されている水晶産地の地名が確認できますが、これらは皆普通の水晶で紫水晶は出ないようです。朝鮮半島では大きいもの、強いものなどに金剛と言う呼び方をするようですし、あちこちに金剛の名の付いた場所があるようで、日本の「○×銀座」のような感覚でしょう。
従って、金剛山は紫水晶の産地名としては無理がありそうです。

 次に、文献の中で頻繁に登場する白厳山や校洞里は、彦陽郡白厳山 蔚山郡中南面白厳山 蔚山郡中南面校洞里白厳山蔚山郡中南面校洞里 蔚山郡中南面校洞里白厳山となり、時代により行政区分の違いは多少あるものの、今回わたしが訪れた紫水晶洞窟のある地域に符合します。ただ、国立科学博物館の標本データベースにあるように、蔚山郡中南面校洞里白厳山は校洞里地区内にある白厳と言う山 と解釈するのが普通でしょうが、色々な地図を探しても、地元の宝石職人や案内役の安さんに聞いても、知らない・分らない、ばかりで結局今回の訪韓では白厳山は特定できませんでした。また、「白岩山」と言う地名は韓国内で何ヶ所か有りますが、これを同一のものとするのは無理があります。慶尚北道の海岸沿いに寺院で白厳山と言う所がありましたが、これも関係なさそうです。
 ここまでの結論として、韓国内には数箇所の紫水晶産地が知られているが、花崗岩中の石英脈からの産出で大量に産出した事、松茸水晶が普通に見られる事、太平洋戦争終戦以前は日本人が採掘していた事(大量に日本に持ち込まれている事実とセットで考える)、日本に有った標本と今回私が現地で集めてきた標本との共通性などを総合すると、日本国内で出回っている韓国産紫水晶の殆どは、戦前は日本が採掘し戦後は韓国の第一鉱山株式会社により大規模に採掘されたものである可能性が極めて高いと言えるでしょう。現在の韓国で広く使われている産地名としては韓国 慶尚南道 蔚州郡 三南面 彦陽(キョンサンナムド ウルジュウグン サンナンミョン オーニャン)で、白厳山については今後の解明が待たれますが、戦前日本人によって採掘されていた当時に使われた呼称については(産地に使った固有名称)、戦後は敢えて使わないようにしているのかも知れません。





















典型的な松茸水晶 高さ90 mm松茸の笠の部分が
紫色で軸の部分は白水晶や煙水晶のことが多い。 宝石質の結晶 左右100mm
本考察を纏めるに当り貴重な文献等をご提供頂きました、無名会の浜崎健児氏に厚く御礼申し上げます。
参考文献・資料
原色日本鉱物図譜 和田八重造 粟津秀幸 松邑三松堂 昭和11年
本邦鉱物図誌第二巻 伊藤貞市  片山信夫 大地書院 昭和13年
朝鮮鉱物誌 朝鮮総督府地質調査所 三省堂 昭和16年
昭和雲根志 益富寿之助 六月社 昭和42年
国立科学博物館鉱物標本データベース 中央地図社
韓国道路地図(漢文・英文版)
彦陽紫水晶洞窟 案内パンフレット 韓国紫水晶産業観光㈱

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