Tuesday, September 4, 2012

SungKyunKwan Scandal,Bangchon,Seoul Ghetto and university

균관 스캔들 (SungKyunKwan Scandal)
泮村(パンチョン:반촌 Pangchon

반촌(泮村)은 조선 시대에 한양 성균관을 중심으로 형성된 마을이다. 주로 성균관 노비로 알려진 반민(泮民)이 살며, 조선 후기에 한양의 도살 면허를 독점한, 일명 “서울의 게토”라고도 일컬어진다.

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: 成均館スキャンダルあらすじ|成均館スキャンダル第1話1


成均館スキャンダルあらすじ|成均館スキャンダル第1話1


2010年12月02日 05:56


成均館スキャンダルあらすじ|成均館スキャンダル第1話1

成均館スキャンダルのあらすじの書き直しです。最後まで読んだ方には不要だと思いますが…
成均館スキャンダル第1話1では、ユンヒ(パク・ミニョン)とヨンハ(ソン・ジュンギ)の出会い!
ユンヒの実力とヨンハの好み?!が見所です。
ここからは成均館スキャンダルあらすじ第1話1です。

成均館スキャンダルあらすじ|成均館スキャンダル第1話1

外には鳥の鳴き声が美しく流れているがユンヒ(パク・ミニョン)の手は急いである。



時間内に、本を書かないといけないので、鳥の声は聞こえない。
本を書き終えたユンヒは急いで、鳥のように飛んで、?村に向かう。



?村は現時の大学の前の繁華街で、飲み屋など店が並んでいる。
いつものように、ユンヒは ?村街を走っている。



貸し本屋ではビョンチュンが本屋のファン氏に怒っている。
“まだって!まだって!!私が死ぬのを見たいか?論語、註解本(難しい文章を分かりやすく書き直したもの)書きをまだ終わらせてないって!?一体どうするつもりなの?”と言うビョンチュンだが…
ファン氏は“終わらせたと思いますけど…”と余裕で答える。
ビョンチュンは“なのに、なんでないの?!”とわめくけど、ファン氏は“来ている途中だと思います。”と全然、心配なく話している。
ファン氏は笑顔で“今、お米屋さんを過ぎたかも…”と答える。
ユンヒは鶏を避けようとしたが、お米屋とぶつかり、謝って帰ったが、落ちていたお米の横には本が一冊落ちていた。
ビョンチュンは“時間内に、 註解本を出せないと、私は次回の国家試験にも駄目になる!!!”といらいらしながら、“君は大丈夫か?”と聞くがその相手はヨンハ(ソン・ジュンギ)だった。
ビョンチュンは“何とか話してみて!”聞くが…



ヨンハ(ソン・ジュンギ)は“大丈夫なはずないだろう…”と答えながら読んでいた本を閉じる。
ヨンハは“ちょっと、ファン氏、”と本屋のファン氏を呼ぶと…



ヨンハは“こんなことはない。上着の紐を解いたら、チマ(スカート)も下ろさないと…ここで終わらせるなんて…悪いやつ…”と甘い言葉で話す。



ヨンハが読んでいた本は赤本(成人用の本)だった。
ヨンハは“玉舟春傅-下はまだなの?”とファン氏の耳元で小さい声で話す。
ファン氏は“それも来ています…”と答える。
ビョンチュンは“来てみて、悪いやつ!”って話すと、その時、本屋に走って入ってくる人。
ファン氏は“来たよ!”と言うと、ビョンチュンは“ピルサクン(代わりに本を書く人)?”って喜んだが…



ユンヒは“2ニャン、もっと払ってください。”と言うとビョンチュンは“註解本を先に出せ!”とカバンに手をつけようとしたら、ユンヒはカバンを取ろうとする手を止める。
ユンヒは“急に、時間を早めることがどこにあるの?2ニャン!もっと払いますね!”と目を大きくして話す。



ヨンハはユンヒの手を見て微笑んでいるが…



ビョンチュンは“若いくせに、金に念が深い!”と言うが、負けないユンヒは“取引が信用であることを知るくらいは大人です。”答える。
ビョンチュンは“分かったから、出して。”と取引完了、ユンヒはカバンの中から註解本を探すが、先、米屋さんの前で落としたのが註解本だった。



ユンヒがカバンから本を出すとヨンハは喜んで“チマ(スカート)の紐から解いてみようか?”と言いながら玉舟春傅-下を手に取る。
ユンヒの様子が可笑しいと思ったビョンチュンはカバンを探すが中身はない。
ビョンチュンは“ない!私の註解本はどこにいた?”と言いながら、ユンヒの服を握り、“返せ!”と怒る。



ファン氏はビョンチュンからユンヒを離せ“喧嘩は止めて、取引は進めさせるって、解決方法を探してみましょう。”と言う。
ヨンハは玉舟春傅-下を読みながら“仕方がないだろう。急に催促した我らのせいだから…”と微笑んでいる。



ユンヒは“30分だけ、ください。”と頼むが、ビョンチュンは“狂ってる。30分でどのように?講義も聴いてない君が註解本を書ける?”と怒るだけ…



ユンヒは席について書き始める。
ヨンハはユンヒの手が、女の手みたいな…



ユンヒが本を書き始めると、ヨンハはユンヒによって書かれる字が…
ヨンハもビョンチュンも驚きの顔で見ているだけ。
全てを覚えて書いているユンヒに驚くヨンハ!
ファン氏は“終わりました!”とビョンチュンに話す。
ビョンチュンは“これを覚えて書いたって?君が?もし、なんでも良いから適当に書いたのではないの?”と心配そうに見る。
ユンヒは“読めなかったら、原文解釈の書きます。そして、それは5プン!”と言う。



ヨンハは“お疲れ様!誤脱字なく完璧だ…”と言いながら、読み続けている。



ビョンチュンはヨンハの話に驚くが、ユンヒは平然として、カバンを整理している。
ヨンハは“しかし、間違いなく女だね…”と緩んだ声で話す。



ユンヒは一瞬、緊張したものの、帽子で顔を隠しながら“男にこんな失礼な言葉を…”と言う。
ヨンハは何か楽しいものを見つけたように笑みを浮かべて“筆体だ。筆体”と答えながら、ユンヒの手を追う視線はユンヒが女か、男かに集中している。



ユンヒはヨンハが読んでいた 註解本をとり“お金を出してください。”と言う。





















ビョンチュンは“こち、私が大目に見てあげる。君が言った通り、2ニャン!”と言うが、ユンヒは“3ニャン、もっと払ってください。”と言うと、ビョンチュンは“なに?”って反問するが、ユンヒは“成均館儒生だと言いませんでしたか?あなたたちの授業料と食事代、私のポケットから出ていた税金なのに、このように宿題を貸し本屋に頼むのを見ると、返してもらえないと”と言いながら手のひらをビョンチュンの前に出す。
ヨンハはユンヒの正しい話に納得しながらも、口に出して話せるユンヒの勇気が…




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第一話 8 泮村の追跡劇

泮村の中心にある繁華街を、儒生の集団が練り歩いている。
その先頭で、後ろ手を組み、周囲の喧騒や視線に何の関心も示さず無表情に歩を進めているのは、成均館の掌議、ハ・インス。その半歩後ろに、往来の女たちにちょっかいを掛けつつそぞろ歩く、イム・ビョンチュンがいる。インス以上に表情を崩さず、黙々と歩くカン・ムと、終始へらへらと独り笑いを浮かべているソル・コボンが続き、しんがりを務めるのはひときわ派手な衣装に身を包み、顔馴染みらしき妓生を見つけては愛想を振り撒いているク・ヨンハである。

学生といえど、彼ら成均館の儒生たちは、将来の国政に携わることが既に約束されている。儒学に基づく政治理念を学び、日々論じる彼らの意見は立派な世論として認められ、しばしば現在の国政にも影響を及ぼした。
成均館には一種の“治外法権”が認められ、官軍ですら迂闊に手を出せないことも相まって、彼らの代表で構成される学生会、斎会(チャフェ)はまさしく天下無敵の集団といえた。 
その斎会の頂点に立つのが、掌議ハ・インスと、ビョンチュンをはじめとする取り巻きたちだ。インスの家柄と頭脳、カン・ムの武芸、ヨンハの金───そういった、人心を掌握するのに必要なものも手伝って、泣く子も黙る成均館の掌議とその取り巻きたちは、学舎の内外を問わず、絶対とも言える権力を誇示していたのである。


一行が、笑いさざめく妓生たちを引き連れて成均館の伝香門へと続く泮水橋に差し掛かったとき。
橋の反対側から飛び出すように走り込んできた少年が、彼らとあやうくぶつかりそうになった。一行を避けようとしてバランスを崩した少年が橋から落ちるすんでの所で、ヨンハがその身体をがっちりと抱き留める。

(───……?)

一瞬、訝るように眉根を寄せたヨンハが、腕の中の少年の顔をまじまじと覗き込んだ。少年は突然のことにおろおろしていたが、すぐに跳ねるように身体を起こし、再び脱兎の如く駈け出していった。
その背中を見送りつつ、腕に残る感触を確かめる。彼の口角が、興味深げに上がった。

「おい、成均館の学生に会ったら挨拶をするべきだろ?」

傍らで、長身の貴公子然とした男がビョンチュンに絡まれている。先程の少年を追っていたものか、視線は街の方へと注がれたままで、ビョンチュンには目もくれない。その顎をくい、と自分に向かせ、ビョンチュンはしつこく絡む。

「ははぁ、さては、試験場で大活躍して得意になってるな』
「それで、君子の体面も振り捨てて走ってたのかぁ?『父上~!僕のお尻をぶってください~』」

コボンが尻を振り振り、青年をからかう。

「───失礼しました」

青年は静かに言った。

「試験場の有様を君子として恥ずかしく思い、顔を上げていられませんでした」

お、とヨンハが青年を見る。なかなかの切り返しだ。

「私のような一介の儒生でさえそう思うのに、成均館の儒生であるあなた方は、恥をご存知ないようだ。このように成均館の儒生であることをひけらかし、我が物顔に道を闊歩なさるとは」

青年の言葉に、ヨンハは思わず吹き出してしまった。

「確かに、そのとおりだ」

それまで黙っていたインスが、そこで初めて青年の方に向き直り、視線を据えた。

「では、君子としての正しい道を、成均館に入ったら是非とも教えてくれ。楽しみに待っている。───だが」

インスの鋭い眼光が、青年を射る。

「その思い上がった言動に目をつぶるのは、今日が最後だ」

あーあ、怒らせちゃったよ。ヨンハは他人事ながら、この青年が気の毒になった。まだ成均館に入学もしていないのに、儒生たちが鬼と恐れるハ・インスに目をつけられるとは。
だが青年は、インスの背後から青く立ちのぼる憤怒の気配にも、少しも動じなかった。それどころか彼は、堂々と言ってのけたのである。

「あなた方の、先輩とはとても思えぬ言動に目をつぶるのも、これが最後です」

ビョンチュンが目を剥いた。立ち去ろうとする青年の襟首に掴みかかる。

「何だと?貴様、もう一度言ってみろ!先輩に対する正しい道理が何なのか教えてやる!」
「路上では他人の行く手を塞がないことが唯一の道理でしょう」

ヨンハは感嘆の息を漏らした。度胸も大したものだが、おそらくこいつは、相当な切れ者だ。ビョンチュンのような小物には、到底手に負える男ではない。
と、案の定、青年が僅かな動作でビョンチュンの手を振り払っただけで、彼の身体は勢いよく飛び、橋の下へとものの見事に落ちてしまった。

泳ぎは得意でないのか、さほど深くはない川の水にのまれながら、ビョンチュンが叫ぶ。

「コ、コ、コボン!奴を、奴を追え!」

指示も虚しく、青年の背中はあっという間に街の雑踏へと消えてしまった。

「いったい誰なんだ?」

ヨンハの問いに、コボンが陽気に答えた。

「左議政様んちの息子、イ・ソンジュンだよ。頭脳明晰、容姿端麗。しかも老論党首の跡継ぎ!スッゴイよなぁ」

インスがコボンを一瞥する。彼はたちまち、大きな身体を縮こませ、気まずそうに口をつぐんだ。
ふうん、と鼻を鳴らし、ヨンハはまた自分の手をじっと見つめる。

「それにしてもあいつ…妙に気になるな」

背後から感じるインスの視線に答えるともなしに、彼はつぶやいた。

「今のやつじゃなくて、その前の……」

ふっ、と面白そうに笑う。



「……“男”───?」




* * *


人々でごった返す市場通り。浅葱の道袍の少年を追って走り込んできたソンジュンは、人の波に行く手を阻まれた。先を焦るあまり、魚売りの荷車にぶつかる。すっ転んだ拍子に、桶の中の魚を派手にひっくり返してしまった。

「あああ、売り物の魚が!」

魚売りが悲愴な声を上げた。蛸や穴子を頭から被る羽目になったソンジュンが、生臭さに顔を顰める。たちまち周囲に人だかりができ、そこはちょっとした騒ぎになった。
そのとき、人垣の隙間から、少年がこちらを振り返ってちらりと笑うのが見えた。かっとなったソンジュンが立ち上がって後を追おうとするのだが、またしても魚売りに阻まれる。

「待ってくださいよお兄さん!これじゃ飯の食い上げだ!」

仕方なく魚の代金を払っていると、今度はソンジュンの背中に向かい、「衣に何か書いてあるぞ」と人々が口々に指摘する。
まったくなんて面倒なんだ。
ソンジュンは舌打ちし、快子を脱いで白い道袍だけになると、丸めた快子を脇に抱え、群がる人々を掻き分けた。



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教育制度
大科
テグァ
文官の登用試験
教育制度
小科
ソグァ
成均館に入学するための試験。一次試験である初試(チョシ)と二次試験である覆試(ポクシ)とがあった。
教育制度
科儒
クァユ
科挙の受験生
教育制度
学堂
ハクタン
朝鮮時代の初等教育機関
教育制度
書院
ソウォン
私設の教育機関
不正行為
巨擘
コビョク
代わりに科挙を受けること。今で言う替え玉受験
不正行為
赴門
プムン
場所取りのため争いながら入ること
不正行為
先接人
ソンジョプクン
力ずくで場所取りする担当
不正行為
争接
チェンジョプ
試験場での場所取り争い
不正行為
写手
サス
答案の代筆人
不正行為
入門蹂躙
インムンユリン
試験場に部外者が入ること
不正行為
赫蹄公行
ヒョクチェコンヘン
試験官と癒着し事前に試験問題を教えてもらうこと
不正行為
挾書
ヒョプソ
試験場にこっそりと書物を持ち込むこと。今で言うカンニングペーパー
科挙
試券
シグォン
科挙の答案用紙
科挙
親臨試
チルリムシ
王の前で行う科挙
科挙
放榜
パンバン
科挙合格者の発表儀式
成均館の役職
大司成
テサソン
成均館の最高責任者。現在の大学総長
成均館の役職
博士
パクサ
成均館の教授
成均館の役職
掌議
チャンイ
成均館の学生の代表者で、成均館内において大きな権限を有した。現在の学生会長
成均館の役職
色掌
セクチャン
成均館の学生の副代表者
成均館の役職
下色掌
ハセクチャン
成均館の新入生の代表者
成均館の役職
斎任
チェイム
学生自治会の役員
成均館の役職
庠儒
サンユ
成均館の学生
成均館の役職
書吏
ソリ
成均館の雑用係
成均館の役職
斎直
チェジク
成均館で雑用を行う少年
成均館の制度
斎会
チェフェ
成均館の学生による自治機構で、学生の処罰や社会活動を行うなど、絶大な権力をもった。現在の学生自治会
成均館の制度
新榜礼
シンバンネ
新入生が先輩に初めて挨拶する場。今で言う新歓コンパ
成均館の制度
青衿録
チョングムノク
学生名簿
成均館の制度
儒罰
ユボル
斎会において学生に罰を下すこと
成均館の制度
円点
ウォンジョム
成均館の学生の出席管理に用いられた内申点。円点300点で大科を受ける権利が与えられた
成均館の制度
旬頭殿講
スンドゥジョンガン
毎月10日ごとに王の面前で行われる論述試験
成均館の制度
講経
カンギョン
経典を暗唱する試験
成均館の制度
製述
チェスル
詩や論文などを記述する試験
成均館の制度
黄柑製
ファンガムジェ
毎年冬に実施された試験で、済州島から献上されたミカンが副賞として与えられた
成均館の制度
儒疏
ユソ
成均館の学生による上書
成均館の制度
批答
ピダプ
上書に対する王の返答
成均館の制度
疏頭
ソドゥ
儒疏の代表者
成均館の制度
捲堂
クォンダン
成均館の学生による示威行為の一種で、集団で成均館を立ち去る行為。今で言う集団ボイコット
成均館の施設
居館修学
コガンスハク
寄宿舎生活
成均館の施設
清斎
チョンジェ
成均館の寄宿舎西斎(ソジェ)と東斎(トンジェ)とに分かれており、西斎は老論出身者が、東斎は少論出身者が使用した
成均館の施設
明倫堂
ミョンニュンダン
成均館の第一講義室
成均館の施設
尊経閣
チョンギョンガク
成均館内の図書館
成均館の施設
享官庁
ヒャンガンチョン
成均館内にある祭礼を執り行う建物
成均館の施設
大成殿
テソンジョン
孔子をまつる建物
成均館の施設
泮村
パンチョン
成均館近隣にある村。そこに住む人々を泮人(パニン)と呼び、ほとんどが奴婢階級であった
身分
両班
ヤンバン
朝鮮時代の支配者階級であり特権階級
身分
中人
チュンイン
朝鮮時代の身分の一つで、両班と平民の中間に位置する階級。通訳官や医師、天文官などの特殊技術者が属した
党派
老論
ノロン
朝廷の党派の一つ。先王・英祖(ヨンジョ)を支持した党派で、当時の政権を掌握していた
党派
少論
ソロン
朝廷の党派の一つ。老論に批判的で、南人に友好的な党派
党派
南人
ナミン
朝廷の党派の一つ。老論と少論が西人(ソイン)という一つの党派だった時代に、西人と対立していた党派
党派
蕩平
タンピョン
各党派から人材を平等に登用する政策
朝廷機関
領議政
ヨンイジョン
朝廷の最高位で臣下の長。現在の首相に相当する
朝廷機関
左議政
チャイジョン
領議政に次ぐ朝廷の重臣。現在の副首相に相当する
朝廷機関
礼曹
イェジョ
儀礼や外交、教育などを司った中央官庁。科挙は礼曹が管掌していた
朝廷機関
兵曹
ピョンジョ
軍の管理や国防などを司った中央官庁
朝廷機関
吏曹
イジョ
文官の人事を司った中央官庁
朝廷機関
刑曹
ヒョンジョ
法律や刑罰などを司った中央官庁
朝廷機関
判書
パンソ
各中央官庁の長官
朝廷機関
参判
チャムパン
各中央官庁の次官
朝廷機関
参議
チャミ
各中央官庁の上位官僚
朝廷機関
義禁府
ウィグムブ
王命により、主に政治犯などの重罪人を取り調べる官庁
朝廷機関
司憲府
サホンブ
役人を監督する官庁
朝廷機関
大司憲
テサホン
司憲府の長
朝廷機関
弘文館
ホンムンガン
宮中の文書を管理する官庁
朝廷機関
恵民署
ヘミンソ
庶民の治療を担う官庁
朝廷機関
漢城府
ハンソンブ
都の治安を担う官庁
朝廷機関
参軍
チャムグン
都の治安を担う漢城府の役人
朝廷機関
権知
クォンジ
臨時職、今で言う実習生
朝廷機関
妓生庁
キーセンチョン
妓生の教育を行う機関
経済
雲従街
ウンジョンガ
都の中心にある商店街
経済
禁乱廛権
クムナンジョンクォン
都では特定商人しか商売できないという法律。特定商人の利益が老論の財源となったり、産業の発展を阻害するなど、弊害が多かった
経済
辛亥通共
シネトンゴン
禁乱廛権を廃止し、自由な商業を可能にした政策。禁乱廛権の弊害を打開するため、1791年に施行された
重要語句
思悼世子
サドセジャ
現王(正祖)の実父。1762年、党派争いのあおりを受け、当時の王・英祖(ヨンジョ)の命令により、米びつの中に閉じ込められ、餓死させられた
重要語句
金縢之詞
クムドゥンジサ
先王(英祖)が思悼世子の死を後悔しているという内容が綴られているという文書。もとの意味は、大切に保管した文書のこと
行事
大射礼
テサレ
王と臣下が一堂に会する祭礼において行われる、弓を射る大会。朝鮮半島では古くから弓術が盛んで、朝鮮王朝でも武芸の主要種目であるとともに、心身を鍛練する手段として特に重視された。現在でもアーチェリーはオリンピックなどにおける韓国の得意種目の一つ
行事
入清斎
イプチョンジェ
一般人に寄宿舎を公開する行事
行事
杖打
チャンチギ
棒状の器具でボールを打って相手側陣営の終端まで持っていく競技。現在のホッケーに似たスポーツ
地名
漢陽
ハニャン
朝鮮王朝の都。現在のソウル市
地名
華城
ファソン
現在の京畿道 水原市に正祖が造成した城郭
その他用語
貰冊房
セチェクパン
現代の貸本屋
その他用語
冊儈
チェクケ
貰冊房の主人
その他用語
注解本
チュヘボン
注釈をつけた本
その他用語
容貌画
ヨンモファ
人相書き
その他用語
妓生
キーセン
芸者
その他用語
緑鬢紅顔
ノッピンホンアン
美しい顔のたとえ
その他用語
朝報
チョボ
中央政府が重要情報をまとめて各官庁や地方に配布した文書。現在の新聞
その他用語
破字
パジャ
漢字を分解して表した暗号の一種
その他用語
経筵
キョンヨン
王のための経書や史書の講義


トダムデク(嶋潭宅)



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時は18世紀 朝鮮王朝時代、第22代王・正祖(チョンジョ)<幼名イ・サン>のもと、文化や学術が華麗に花開いた時代――しかし華やかな王朝の陰では、政治派閥の老論(ノロン)と少論(ソロン)の派閥争いが激化していた。正祖は、蔓延する派閥政治を改革しようと、優秀な人材なら身分と出身は関係なく登用し、民を平安に見守る「新しい朝鮮」への改革に心血を注いだ。このような正祖の政策に賛成したのが、少論と南人(ナミン)。しかし、100年間主流勢力だった老論政権は揺るがなかった。
◆切り札は消えた「金縢之詞(クムドゥンジサ)」!
それは正祖(チョンジョ)の父、思悼世子(サドセジャ)の死の真相(※)を記した文書であり、これぞ正祖が老論(ノロン)を一度に制圧できる秘技。だが、ジェシンの兄とユニの父は「金縢之詞(クムドゥンジサ)」を正祖の元へ運ぶ途中、事件に巻き込まれ何者かに殺されてしまう。以降、「金縢之詞(クムドゥンジサ)」は行方不明になってしまっていた。ジェシンは夜になると覆面の賊「紅壁書(ホンビョクソ)」に扮し、尊敬する兄の遺志を継ぎ「金縢之詞」の存在を訴え続けるのであった――。


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반촌 반인(泮村 泮人)
조선시대에는 성균관 주변 지역을 성균관이 있다하여 관동(館洞)이라 불렀다. 관동은 성균관 일을 도맡아 하는 노비들이 많이 사는 마을로 반촌(泮村)이라고도 하였다. 그곳 마을 사람의 대부분인 노비들은 고려의 유학자 회헌(晦軒) 안유(安裕)가 개성 성균관에 바친 노비 100명의 후손으로 알려져 있다. 조선이 한양으로 천도를 하면서 성균관도 한양으로 옮길 때 이들도 함께 따라와 자리잡고 산 곳이 관동이고 반촌이라는 것이다. 수백년이 지난 조선 말이 되면 그곳 마을에 사는 사람의 분포가 많이 달라졌을 만도 한데, 그때까지도 그곳 사람들은 모두 하나같이 자신들이 다 안유 노비 후손인 것으로 알고있다고 전해져 오고있다.

반촌 사람들은 어떻게 수백년 동안 그곳 한 곳에만 모여서 살고 있었고 다른 사람들은 왜 들어가 살 수 없었는지, 이들은 그곳에서 어떤 삶을 살고 있었는지, 이들이 살고 있던 반촌이라는 곳은 정확히 '성균관 주변' 어디이고 다른 이름으로도 불리는 관동이라는 곳과 정말로 같은 곳인지, 이 모든 것이 다 무척 궁금하다. 하나하나 알아보도록 하겠다.

관동이라는 이름이 성균관에서 비롯되었듯이 반촌도 성균관의 다른 이름인 반궁에서 비롯되었다. 옛 중국 주(周)나라 시절에 천자국에는 모양이 둥글고 사방이 물에 둘러싸인 학교를 지어 벽옹(辟雍)이라 하고 제후국에는 격을 낮춰 반쪽만 물로 싸인 학교를 지어 반궁(泮宮)이라 했는데, 조선의 성균관도 이를 따라 반궁이라 한 것이다. 성종 때에는 성균관 북쪽에서 흘러내리는 개울을 키우고 다듬은 후 동서로 내를 만들어 정문에서 모은 후 남쪽으로 흐르게 하여 반수(泮水)의 구색을 어느정도 갖추어 놓기도 하였다. 이것이 우리나라 반궁의 시작이고, 이를 따라 반수를 비롯해 반교, 반촌, 반민, 반인, 반와(泮蛙), 반주인등 여러가지 반궁과 관련된 말들이 생기게 되었다. 이 반수는 복개되어 지금은 볼 수가 없다.

인조 6년인 1628년에 영의정을 지낸 추탄 오윤겸이나 함께 좌의정을 지낸 월사 이정구의 어릴 때 집이 우연히도 같이 관동에 있었다. 관동은 노비촌으로 알려져 있었는데 이를 보면 반드시 그런 것은 아닌 것 같다. 또한 추탄은 선대에도 이곳에서 살았지만 월사는 연건동에서 살다 이곳으로 이사를 왔으니 무조건 배타적이고 폐쇄적인 곳도 아닌 것 같다. 관동에는 사대부가 사는 지역이나 평민들이 사는 지역이 있고 노비들이 사는 지역도 있으면서 서로 어느 정도 구분되어져 있었던 것이 아닌가 생각된다. 신분제도가 확실한 조선시대에 사대부와 노비가 이웃에서 서로 머리를 맞대고 어울려 산다는 것이 쉽게 이해되지 않기 때문에 그런 생각이 든다.

반촌이라는 지명은 임진왜란 이후부터 나타난 것으로 보인다. 더불어 반촌이란 이름이 등장하면서 이 지역에서 관동이라는 이름은 잘 나타나지 않는다. 임진왜란으로 완전히 붕괴되었던 마을이 후에 재정비 되면서 지역의 범위나 위치가 다소 달라진 것은 아닌지 궁금증이 생긴다. 지역을 가르는 정확한 경계 표지가 있었던 것이 아니기 때문에 동(洞)이나 골이라 하여도 어디가 어디인지 뚜렷이 알 수 없었던 것이 그 시절이었는데, 이 지역에 와서는 지역 경계가 더 불분명하고 규모도 다른, 촌(村)이라는 이름이 쓰이고 있기 때문이다.

'성균관 앞 반수 주위에 모여 살았다' 라든가 '반촌 북쪽에 제단을 세우고 문성공의 기일이 되면 제사를 지냈다'는 기록으로 반촌의 북쪽 경계가 어느정도 짐작은 된다. 일단 성균관을 넘어 북쪽으로는 가지 않았을 것으로 추정된다. 아울러 '반수 주위'라 하였으니 이곳은 동반동이나 서반동으로 부르던 지역과 겹치는 지역으로 이미 '반촌이 관동'이라는 말과는 차이가 있음을 알 수 있다.

남쪽 경계는 북쪽보다 비교적 상세히 기록에 나타나 있다. 관현(館峴)에서 혜화문에 이르는 길을 경계로 삼았다가, 점점 남쪽으로 내려와서 정조 때 경모궁 앞에 연지(蓮池)를 파고 응란교(凝鸞橋)라는 다리를 놓고 비를 세우면서 이곳을 반촌의 경계로 하였다고 하였다. 관현은 창경궁 월근문 쪽에서 성균관으로 넘어가는 작은 언덕을 말하는 것으로 이 언덕과 현재 삼선교로 넘어가는 큰 언덕길을 경계로 그 북쪽이 초기의 반촌 지역이었던 것이 나중에는 현재 동숭동이나 연건동 부근까지 확대되었다는 의미이다.


반촌의 추정 범위

결국 반촌은 명륜 3가 성균관 남쪽부터 시작해서 명륜 2가를 지나 최소 명륜 4가까지였다는 말이 된다. 이곳에는 이미 여러 이름의 많은 동이 있었음은 말할 필요가 없을 것이다. 따라서 반촌은 관동 하나로 단정하기 보다는 여러 동이 포함되어 있는 좀 더 큰 구역이라고 보는 것이 타당해 보인다.

예나 지금이나 지대가 높고 산이 있는 지역은 돈 많고 권세있는 사람들이 한가로운 주택가로 차지하고, 지대가 낮고 물이 있는 지역은 반대의 사람들이 먹고 살기 위한 장소로 차지하는 경우가 많다. 이 통념이 이곳에도 적용된 것인지 반촌 사람들은 지대가 높고 산이 있어 외진 성균관 북쪽보다는 지대가 낮고 물이 모여 번잡한 남쪽으로 계속 영역을 넓히면서 살아간 것이 아닌가 생각된다. 반촌의 노른자위 업소인 현방이 현재의 대명거리인 반촌길 주위에 많이 모여 있었는데 이곳이 당시에는 반촌 내에서 제법 번화한 거리였다. 지금의 대명거리도 제법 번잡한 편인데 옛 반촌길의 유전자를 그대로 물려받아 그리 되었는지도 모르겠다.

반촌은 성균관 재(기숙사)에 들지 못한 유생들의 하숙촌 역할을 하기도 하였고 과거 보러온 유생들의 여관촌이 되기도 하였다. 성균관 내에서는 할 수 없는 새로운 학문이나 이념에 대해 토론할 수 있는 장소로도 이용되었다. 이승훈(李承薰)과 정약용(丁若鏞)의 천주교 학습 사건은 특히 잘 알려져있다. 이런 것을 보면 반촌이 무척 개방적인 곳으로 보이지만 사실은 폐쇄성이 강한 지역이었다. 이곳에서 태어난 사람은 평생 이곳을 벗어나지 않았고 외부 사람들은 이곳으로 들어와 살지 못하였다. 18세기이후에는 특히 이 성격이 강해져 아무리 권세 있는 사대부 집안이라 하여도 이곳에 거처를 마련할 수 없었다. 도시 속 섬이었다. 또한 이곳은 성현을 모시는 문묘가 있는 곳이라 성역으로 인식되어 죄 짓고 도망해 들어와도 체포해 갈 수가 없었다. 이런 관례가 무너지면 성균관 유생들이 내버려두지 않고 시위를 하였고 결국은 임금이 직접 나서서 해결 할 정도였다. 외부와 철저히 격리되어 있으면서 치외법권적 특권까지 누리는 지역이었다.

반촌 사람들은 반인(泮人) 또는 반민(泮民)이라 불렸다. 안유 노비의 후손들인 이들 반인은 따지고 보면 개성(開城)에서 이사 와 한성 사람들과 잘 섞이지 않고 자기들끼리만 산 사람들이었다. 그래서 말도 한성 말이 아닌 개성 말을 쓰고 사물에 대한 명칭도 한성 사람과 다르게 하였다. 옷도 '개성 스타일'로 사치스럽고 화려하게 입었다. 협기(俠氣)가 있어 싸움을 잘 하고 죽음도 두려워 하지 않는다고 알려져 왔다. 이런 것들이 일반 한성 사람과 구별 되는 내용이고, 반인들의 특성이었다. 이들은 일제에 의해 반촌이 해체될 때까지 조선 개국 이래 수백년을 반촌에서만 살면서 성균관 내의 힘든 잡일을 하던 사람들이었다. 성균관의 제사에서부터 성균관 유생들 시중까지 모든 일을 하였다. 힘든 성균관 일을 하면서 이들은 적절한 생계 수단도 마련하여야 했다. 신역을 하지 않는 사람들은 신공을 바쳐야 했으니 수입이 있어야 했다. 수입이 있어야 하니 유생들을 위한 하숙집도 내고 식당도 차렸다. 반촌 독점 음식인 설렁탕도 만들어 팔았다. 수입에 도움이 되는 일은 무엇이든 여러가지로 했음이 당연하다.

반인들 숫자가 늘어나고 성균관에 대한 나라의 지원이 줄어들면서 나라에서는 이들에 대한 생계대책을 세워줄 필요가 있었다. 성균관 유생들의 식단에 오르는 소고기 공급이 원할히 되도록 나라에서는 이들이 현방이라는 푸주간을 독점적으로 차릴 수 있게 해 주었다. 이들이 현방에서 소고기를 팔 수 있었던 것은 그 당시로서는 커다란 특혜였다. 현방에서 얻어진 수입의 일부는 국가에 세금으로 되돌려지기도 하였다. 양자간에 일종의 '윈-윈'전략이 성공적으로 성립된 것이다. 이에 더하여 이들은 현방에서 직접 소 도살을 할 수 있는 허가까지도 받았다. 도살을 하고 소고기를 팔아서 생계에는 커다란 도움이 되었지만, 노비의 신분에 더하여 백정들이나 하는 도살을 한다는 것으로 인하여 세인(世人)들로 부터 많은 천시를 받아야 했다. 이들을 백정들처럼 천하게 여기다 보니 세인들은 이들과 교제나 혼인 하기를 원하지 않게 되었고, 이들은 자연히 세인의 천대에 열등감이나 모욕감과 아울러 적개심도 갖게 되었다. 혼인도 반인끼리만 하였고 서로를 위하여 단결력을 키우고 의리를 내세워 죽기를 불사하는 기백까지 키워가면서도 더욱 더 자기 자신들을 반촌 속에 가두어놓게 되었다. 성현을 모신다는 자부심도 점차 없어져 반촌 거리에서는 투전이나 칼부림도 자주 볼 수 있게 되었다.

조선 말과 일제 강점기에 들어 새 교육제도가 시행되면서 성균관이 무너지고 반촌도 해체되었다. 신분제도가 붕괴되면서 반인에 대한 차별 대우도 점차 사라지게 되었다. 반촌이 없어지고 노비에서 벗어났어도 많은 반인들은 여전히 도살을 하고 푸주간을 운영하면서 살았다. 아울러 자신들에게 가해졌던 사회적 멸시나 모욕에서 벗어나기 위해 후손들에 대한 교육사업에 매우 헌신적이었다. 자금을 모아 학교를 세워 자신들의 아이들을 가르쳤고 아낌없이 자금을 출연해 학교 재정이 전혀 곤란하지 않게 하였다. 이때 이들이 세운 학교가 숭정의숙(1910)으로 숭정학교를 거쳐 지금은 혜화초등학교가 되어있다.

개성에 있던 안유 노비의 후손들이 한성으로 이주해 와 5백여년간 자리잡고 살던 반촌. 이곳에서 주위와 격리되어 폐쇄된 삶을 살면서 독특한 일을 하던 반인. 지금은 이 마을의 흔적도 찾을 수 없고, 이들이 누구이고 어디에 살고 있는지 아무도 알지 못한다. 지난 100년사이에 이들은 이렇게 우리들한테서 잊혀져 있었다. 반인의 신분으로 병자호란 후 나라로부터 정문을 받았고 호성사라는 사당에도 들게된 성균관 수복 정신국의 후손이 지금 성균관에서 30년째 일을 하고 있다는 소문을 최근에 우연히 듣게 되었다. 정문도 없어지고 사당도 없어진 지금이지만 그 후손은 언제 시간을 내어 꼭 한번 만나보고싶다.

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