Monday, October 15, 2012

the fifth class supplies,Women,Korean War

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第五種補給品の女たち【朝鮮戦争】
2010/02/21 23:57




もう少し、李栄薫の本から引用しよう。朝鮮戦争の時にも「慰安所」は存在した。第五種補給品とも呼ばれた女たちを利用したのは、ア|メリカ兵と韓|国兵だった。
ソウル、春川、原州、江陵、束草などに慰安部隊が設置されていました。ソウルの慰安所は、現在中区にあるペク病院から双龍ビルへ行く坂道にありました。公式報道によれば、1952年にソウルの三か所と江陵の一か所に収容された慰安婦は全部で89名だったといいます。そして、その年に慰安所を訪れた兵士の総数は20万4千名あまりとされ、慰安婦一人当たり一日平均6名という勘定でした。私が会うことができたある従軍経験者の回顧によれば、春川の昭陽江(ソヤンガン)の川辺にはいくつもの天幕が張られており、兵士たちがずらっと列をなして順番を待っていたといいます。日本軍の兵士たちが慰安所の前で列をなしていた光景と、少しも変るところがないと思われます。

これ以外にも各部隊は部隊長の裁量で、周辺の私娼窟から女性たちを調達し、兵士たちに「補給」したのですが、部隊によっては慰安婦を「第五種補給品」と言っていました。私はその「補給品」をトラックに積んで前線を移動して回った元特務上等兵に会ったことがあります。彼によれば、慰安婦を前線まで連れて行くのは許可されたことではありませんでした。にもかかわらずドラム缶に女性を一人ずつ押し込んでトラックに積み込んで前線まで行ったといいます。夜になると「開店」するのですが、ア|メリカ兵も大いにこれを利用したということです。

大韓民国の物語 李栄薫

李栄薫は、1956年に陸軍本部が編纂した戦史を引用して、「慰安所制度を導入した日本軍の思惑とほぼ同じ」と指摘する。

士気昂揚はもちろん、戦争という事実に伴う避けることの出来ない弊害を未然に防ぐことができるだけでなく、長期間にわたる報われない戦闘によって後方との行き来が絶えているため、この性に対する思いから起こる生理作用による性格の変化などによって鬱病、その他の支障を招くことを予防するために、本特殊慰安隊を設置させた。

後方戦史(人事篇)1956年

なお、毎度ながら、ここで吉見義明に登場してもらおう。吉見は日本軍が慰安所を設置した理由の一つとして、[1]このような理由を挙げている。
日本が開始した戦争は、大義名分のない侵略戦争であり、また、勝利の見通しのない無謀な戦争であった。このような戦争に、休暇制度も不十分なまま、長期間戦場に将兵を釘づけしておくために、性的な慰安が必要だと日本軍は考えたのである。

従軍慰安婦 P.52

いや、たぶんそれ、日本軍と「日本の戦争」を徹底的に否定したいという願望が彼の脳内で勝手に補完している。 それから、李栄薫は「女性を調達」 と書いているが、日本の左派なら、ここは「連行」という言葉を使うところだろう。もちろん李教授は常識人だから、そんな強引な言い方はしないが・・・。
日本軍が慰安所を設置したのは、そしてそれはどこの国でもそうだろうが、韓|国軍と本質的に同じ理由からだろう。



[注1] この吉見理論は、そのまま Wam 女たちの戦争と平和資料館のQ&Aで使われいる(もともと彼女たちは吉見理論にほぼ全面的に依存している)。魚拓

「第3に、いつ終わるかもわからない、しかも何のために戦っているのかもわからない大義名分もない戦争で、兵士の精神はすさんできます。しかも休暇制度もなく兵士たちは長期間、戦場にとどめられます。こうした兵士たちはむやみやたらと略奪強かん、殺人をおこなうようになります。そうした兵士をなだめようとしたことも一つの理由としてあげられるでしょう」

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