Monday, December 3, 2012

heavenly comfort station in Taiwan

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台湾の慰安所【軍中楽園】糾弾の声
2009/02/15 17:41

台湾に日本の慰安婦問題が飛び火した時、台湾にも「軍中楽園」と呼ばれた慰安所があったこと、日本軍の慰安所が言われているような非人道的な施設ではなかったことを証言してくれた人がいた。台湾の大実業家、許文龍氏である。

その「軍中楽園」について、12月28日付の「自由時報」に、かつてそこに勤務した医師の投書が掲載された。某SNSでお世話になっているRさんから教えて頂いた。以下に転載。





※金門島にあった「軍茶店」(軍中楽園)。写真左に写っているのは、米兵か? このサイト(広東語)によると米軍の建議を入れて作られたという。[要確認]


1951年から、中華民国政府が軍人のセックスを解決するために、外島と台湾本島とを問わず、いたるところに軍中楽園(「八三一」とか「軍中茶室」とも呼ばれた。要は慰安所)を設けたが、その慰安婦の来源は、親に売られたもの、売春婦が志願したものなど、さまざまあるが、最も多かったのは、私娼が警察に捕まって送られてきたものだ。特に、14、5歳で、公娼の許可を受ける資格がない私娼は、一度捕まると、逃げないように、必ず前線の軍中楽園の慰安婦とされた。

軍中楽園の医務室で、16歳の少女が毎日泣いているのを見かけた。彼女は萬華の私娼だったが、その年、軍中慰安婦が不足して、警務処では私娼掃蕩を命じ、大量の売春婦を軍中楽園に送ってきた。この少女もその中の一人だった。私が軍中でも同じように金を稼げるのにどうしてそんなに悲しむのかと問うと、彼女は、一日に何十人もの若くて力のある兵士の相手をするのは負担が多く、下半身が痛んでも休みを取ることができない(性病でなければ)。
私娼の店では客はそれほど多くなく、また一度に得られる収入も5、6倍だ。軍中楽園にいるのは、まるで受刑囚のようだ、と答えた。


※ 利用券らしい。「特約茶店」「士官兵娯楽券」とある。

軍中楽園の数、人数、期間(1950年代のはじめから1970年代末)から推計すると、少なくとも一万人以上の慰安婦がいたはずだ。

馬総統は、日本軍の台湾人慰安婦に同情するのと同じように、中華民国軍の台湾人慰安婦に同情してもらいたい。馬総統であれば、何千人もが政府から補償と謝罪を得るために力を貸すことが出来るはずである。

軍中茶店は1990年まで続いたとのこと。[要確認] 馬総統は、これも台湾の歴史の一部として教科書に記載するのだろうか?(前エントリー参照)




「営業者控え」「元締め控え」「派遣軍慰安所花券」の文字が見える。この中に日本軍が女性の強制連行を命じた証拠があるようには見えないのだが・・・。なんにしろ戸塚弁護士(こちらのエントリー参照)の言う、日本政府が隠匿した資料ではなさそうだ。「公表資料」と書かれている。

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