Friday, January 31, 2014

Kisaeng in Joseon era


http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1804.html

慰安婦の歴史を展示
「戦争と女性の人権博物館」開館
聯合ニュース 2012/05/01 15:29
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/05/01/0200000000AJP20120501001500882.HTML
旧日本軍の従軍慰安婦たちが歩んできた
抑圧の歴史を紹介する「戦争と女性の人権博物館」が、
5日にソウル市麻浦区に開館する。
韓国挺身隊問題対策協議会が1日に伝えた。

 元慰安婦の経験や記憶が刻み込まれた
さまざまな史料を展示するほか、
20年間余り続いてきた元慰安婦の名誉回復に向けた
活動を紹介する。
また、各国の紛争で女性の人権が侵害されている実態を
示す資料も展示する。

 博物館は、慰安婦の歴史を風化させないための
史料館が必要だとする挺身隊問題対策協議会などの
意見で、建設が進められてきた。

 2003年12月に元慰安婦17人が建設費を寄付し、
翌年に建立委員会が発足。
当初はソウル市西大門区の独立公園内に建設する計画
だったが、独立有功者団体などが公園の特性に合わない
と反対したため、麻浦区の用地を買い入れ、
今年1月に着工した。

>元慰安婦の経験や記憶が刻み込まれた
 さまざまな史料

では、
「養父に売られた」
「夫に売られた」
「知り合いの宋(日本名は松本)に
 工場で働けば儲かると騙された」
「赤い靴とワンピースをあげると
 誘われてついて行った」
等々、正直な記憶が刻まれることを望みます。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/kiji/kimugakukousatu.html

ついでに、国内の
女性の人権が侵害されている実態も展示したら?

★‘企業型組織暴力’
 未成年者コンパニオン数百人置いて
 恐喝・性暴行
 京郷新聞 2012-05-02 22:14
 http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fnews.naver.com%2Fmain%2Fhome.nhn&wb_lp=KOJA&wb_dis=2&wb_submit=+%E7%BF%BB+%E8%A8%B3+
 企業型で未成年者を雇用して居酒屋など歓楽街に
女性コンパニオンで斡旋してこれらから
奉仕料を恐喝してきた暴力組織が警察に捕まった。
組織員中一部は未成年者らを常習性暴行した疑惑
も受けている。

コンパニオンで雇用された未成年者の中には
中学生も含まれていて、
100人余りは学校を正常に通う女子学生らと
明らかになった。

仁川(インチョン)南部警察署は‘主眼ポドヨナッパ’
親分キオッ氏(31)等9人を暴力および犯罪団体構成・
恐喝などの疑惑で拘束して、23人を同じ嫌疑で
不拘束立件したと2日明らかにした。
また、未成年者らに酒の接待をさせるようにした
風俗店主人120人も調査中だ。

キオッ氏などは昨年5月組織を結成した後
インターネット等を通して未成年者250人を雇用して
遊興酒屋にコンパニオンとして斡旋し、彼女達から
お金を恐喝してきた疑惑だ。
キオッ氏などは10~20人単位で組をつくって管理しながら
時間当り個人奉仕料で受けた2万5000ウォンの中から
1万ウォンを恐喝してきたことが確認された。

警察は
「組織員1人が1組を管理しながら、未成年者らから
 月1000万ウォン余りをむしり取ったことが把握された」
と明らかにした。

一部組織員は未成年者を性暴行した疑惑もあると
警察は明らかにした。
雇用された未成年者は満14~16才で、
中学生も一部含まれていると調査された。

100人余りは在学中の学生たちで、平日には学校に通い
週末に組織員らの連絡を受けてコンパニオンとして
仕事をしてきたことが明らかになった。

主眼報道連合売る仁川(インチョン)の代表的な歓楽街の
朱安洞‘2030通り’とソク岩カフェ路地などを舞台に
活動して行動綱領および統率体系を作って組織を
運営してきたと調査された。

これらは風俗店業者が話を聞かなければ
組織員を客として送り、ケチをつけて営業を邪魔して
組織員を従業員に雇用するように強要した。
また他の風俗店事業主を脅迫してコンパニオン斡旋を
邪魔することもした。

警察関係者は
「性暴行被害者が多いものと推定されるが
 女子学生が報復が恐ろしくて
 陳述を敬遠している状況」と話した。

韓国や日本のサヨク学者は、
例えば広島大学の崔 吉城 名誉教授のように
在日韓国系経済紙の東洋経済日報に寄せた随筆

★<随筆>◇朝鮮時代の妓生
 2011/10/28
 http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2011/post_4632.php
 妓生には売春は含まれていない。
伝統的に妓生は外国からの使者や貴賓を歓待するために漢詩、音楽や文学など教養を持つ存在であった。
黄真伊はその代表的な例であろう。
妓生は美と芸だけではなく、性的魅力がであった。
多くの日本人は「妓生観光」のように妓生=娼婦と思うのはなぜであろうか。
もちろん芸者が女性の性的な魅力を重んじたのは事実である。妓生制度が確立された李王朝時代では、性的統制の厳しい時代に春画においても間接的な表現が多い。

 朝鮮時代に宮中と民間の歌舞を担当した妓生は掌楽院の教坊において学習をしたが、日本植民地期になると植民地政府は公衆衛生上の理由などで朝鮮内の妓生と遊女に対し統制取り締まり、売春業を統制して監督し始めた。
1913年、茶洞妓生組合に転換されて最初の券番が設立された。そして妓籍を持った券番妓生となった。
ソウルでは漢城券番、大東券番、漢南券番、朝鮮券番,平壌では箕城券番などが有名であった。

 妓生は妓生学校で楽器と歌舞を学び、歌曲、時調、琴、洋琴、長鼓、立唱、坐唱、呈才, 僧舞、剣舞、三味線、書画、算術、日本語、習字、絵を習って、専門芸能人として養成され、公演芸術家でもあり、観光広報モデルであり、伝統的服装や新しい流行スタイルを作り出すファッションリーダーでもあった。

 日本人は明治から海外へ性産業としてシンガポール、ボルネオ、朝鮮、樺太などに進出した(カラユキさん)。

 それが時代の変化とともに、特に日中戦争後の1930~40年代の戦争期には軍隊相手の遊郭などで
売春業が盛んになっていく。
------------------------------------------------
という論調のように妓生は娼婦ではない。
朝鮮には公娼制度が無かったのに、日帝が持ち込んだ。
という主張をする。
相変わらずの「全て日帝のせい」である・・・

彼らの根拠は、妓生は不特定多数の相手に売春などしない。
外国からの使者や貴賓を歓待する際に、客が望めば相手をする
つまり、性接待はメインではないと言う。

中国の『妓女』の歴史を見ると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%93%E5%A5%B3
「中国における遊女もしくは芸妓のこと。
 娼妓、娼女という呼称もある。
 歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、 時には宴席の接待を取り持つこともあった。」

 
とあり、これは日本側の勝手な書き込みでは無く中国のWebサイトでも同様の説明が有る。

トンデモ学者になると
「朝鮮には公娼も私娼もいなかった。
 日本の植民地政策で売春制度を流入した。」
などと学生に教えているが
朝鮮の官妓だけが、芸や知性だけを売り物にする
”国営の芸能集団”とは、無理がある。
TOPクラスの妓生と、末端の妓生とは役割が異なる。
 
 
 
 

●歪められた朝鮮総督府
 黄 文雄/光文社
◆<妓生と妓生庁>

さて「妓生」の起源は、はるか新羅、高麗時代から
すでに存在していたといわれる。
李朝時代から妓生庁という官庁に官妓が置かれ、
学校まで作って歌舞など諸芸を教えていた。
朝鮮半島の妓女は、『朝鮮開化史』(博文館)によれば、
三階級に分けられていた。
一牌(イルパイ)、ニ牌(イーパイ)、三牌(サンパイ)
という分類である。
一牌は、官妓といわれ、通称妓生で、平安道は官妓の
名産地といわれたそうだ。
二牌は、官妓の落ちこぼれかそれに準ずるもの、
三牌については、恒屋氏は、次のように述べている。

「三牌ハ通常ノ私窩子ニシテ大抵汚穢極マル者ナリ(略)・・・、
 淫ヲ売リタルニ初マリ高麗ノ中世淫風ノ盛ンナル時ニ
 発達シタル者ナリ」

李クの『ソンホサソル』によれば、妓生の出身は、
揚水尺からくるものという。
揚水尺とは韃靼系の流浪民で、三国時代から咸鏡道をへて、
朝鮮半島各地に流入してきた少数民族だとされている。
しかし、それが妓生の源流だというのは、
ただの推測にすぎない。
李氏の説はかならずしも正確ではない。                

妓生は世襲制で、高麗末期から李朝初期にかけて
全盛期であったともいわれる。
雪梅(ソルメ)のような大臣をやり込める名妓まで出ていた。
李朝太宗の時代になると、酒色に溺れる淫らな風俗を
是正するために、一度、妓生制度改革を試みたが、
成功しなかった。
もちろん、妓生は一牌、二牌、三牌に分けられ、
一牌の官妓には、「薬房妓生」、「針房妓生」、「教坊妓生」
あるいは「玉堂妓生」と官女に近い地位で、官位ま
で持ったものもいたが、
地方の官妓は、もっぱら官吏の接待で、
性奴隷のような境遇にあった。

朝鮮半島はソウル以外は、典型的な村社会だから、
江戸の吉原のような遊廓はなかった。
「三牌」の集落は、売春宿になっていた。
道楽好きな両班の連中が通うのは、妓生の宿であった。
『春香伝』の「華房」とは「妓生房」のことである。

高宗の父大院君は、第二子熙が、二十五代の哲宗の継承者
として指名される前に、党禍から脱出するために、
よく市井の無頼漢と群れをなして、酒を飲み、
娼妓遊びをしたとも書かれている。(略)

 
国営コンパニオン制度のようなモノしか取り上げられていないが李氏朝鮮時代に何度も襲った飢饉で一般庶民の間で、女性の売買が行われなかったとは無理がある。

韓国の麗水国際博覧会会場前の風俗街のように
http://news.livedoor.com/article/detail/6205231/
 この地区がほかの集娼村と違うのは、店ではなく普通の家で売春が行われる点だ。
 古い建物が密着するようにして建ち、人ひとりが通れるほどの細い路地が 迷路のように入り組む。
 売春婦たちは今にも崩れそうなほど古いこの建物で暮らしながら、売春もここで行うのだという。

と、いうように店舗を構えない自宅売春もおそらく日韓併合前から通常的に行われていた事は
想像できる・・・

女性人権団体が、自国の歴史を認めて根本的解決をしようとしなければ「全て日帝が悪い」などと責任転嫁しているようではいつまで経っても、今回のような「未成年女子学生2500人を斡旋する」組織犯罪は次から次へと起こるだろう。
根本原因は、貧富の格差であり、貧困の世襲・・・
妓生が、没落両班の子女だけでなく奴婢身分で、妓生の娘は妓生という世襲にあるように苦界から抜け出せないシステムに有る。

 
少女たちが女衒たちの犠牲にならないようにこんな哀しい目をして「売春婦デモ」に参加しなくても、安心して生活できる貧困対策彼女達を「韓国の恥」と蔑んで、現実を見ない社会環境を改善していく事こそが早急にしなければならない優先課題だとは思わないのだろうか・・・

朝鮮の妓生制度を語る時
何故か、「軍妓」や「辺妓」の存在は語られない。
「軍妓」=兵士を慰安する、軍に付属する妓女「辺妓」=国境などの偏狭に駐在する軍隊用の妓女
李朝時代に毎年、宗主国に貢女や宦官を献上していた史実も有名です。
「戦争と女性の人権博物館」には
日韓併合以前の、慰安制度の資料も展示すべきである。
異民族との接触が頻繁に有り、古代朝鮮からの征服民族が被征服民族に対しての奴隷制度や
人間を家畜の如く去勢する宦官制度なども資料として残すべきである。

★中国対日観:
 「宦官を導入しなかった」ことで尊敬の念
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0223&f=national_0223_017.shtml

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