Saturday, March 15, 2014

sado lesson








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桃花笑春風(とうかしゅんぷうにえむ)は中唐・崔護(さいご)の詩からの語である。この詩からは今ひとつ人面桃花(じんめんとうか)の熟語もできた。詩を以下に示すが、その釈については後述する。

題都城南荘(都城の南荘に題す)

去年今日此門中 人面桃花相映紅 人面不知何處去 桃花依舊笑春風

【訓み】去年の今日此の門の中 人面桃花あい映じて紅なり 人面はいずこにか去るを知らざるも 桃花は旧に依りて春風に笑む

崔護は字を殷功といい、博陵(いま河北省定州市)の人。唐の796(貞元12)年に進士に及第し、829(大和3)年に京兆尹次いで御史大夫となって、官は嶺南節度使に至った。嶺南はいまの広東省及び広西省を含む華南一帯を指す。

彼の詩風は精錬(十分にねられて)婉麗(しとやかに美しく)にして極めて清新(すがすがしい)と評され、清の康煕帝の44(1705)年に勅によって編纂された『全唐詩』には6首が載せられた。そのもっとも佳作が上掲の詩といわれる。(*奉勅編纂された『全唐詩』は約2,200人の48,900余の詩が掲載された本文900巻目録12巻の書である)。

この詩については『太平廣記・卷第二百七十四・情感』に次の説話がある。以下に原文を掲げ鑑賞の手引きとする。

人面桃花
博陵崔護資質甚美。而孤潔寡合,舉進士第。清明日,獨遊都城南,得居人莊。一畝之宮。花木叢萃。寂若無人。扣門久之,有女子自門隙窺之,問曰。誰耶。護以姓字對,曰。

尋春獨行,酒渴求飲。女入,以盃水至。開門。設牀命坐。獨倚小桃斜柯佇立,而意屬殊厚,妖姿媚態。綽有餘妍。崔以言挑之,不對,彼此目注者久之。崔辭去,送至門,如不勝情而入。崔亦睠盻而歸,爾後絕不復至。

及來歲清明日,忽思之,情不可抑,徑往尋之。門院如故,而已扃鎖之。崔因題詩於左扉曰。去年今日此門中。人面桃花相暎紅。人面不知何處去,桃花依舊笑春風。

後數日,偶至都城南,復往尋之。聞其中有哭聲,扣門問之。有老父出曰。君非崔護耶。曰:「是也。又哭曰。君殺吾女。崔驚怛,莫知所答。父曰。吾女笄年知書,未適人。自去年已來,常恍惚若有所失。比日與之出,及歸,見在左扉有字。讀之,入門而病,遂絕食數日而死。

吾老矣,惟此一女,所以不嫁者,將求君子,以託吾身。今不幸而殞,得非君殺之耶。又持崔大哭。崔亦感慟,請入哭之。尚儼然在牀。崔舉其首枕其股,哭而祝曰。某在斯。須臾開目。半日復活,老父大喜,遂以女歸之。

玄鳥

【訓み】

博陵の崔護は資質甚だ美にして孤潔(ひとりきよ)く合ふもの寡(すくな)し。進士の第に挙げられ、清明の日ひとり都城の南に遊び、居人(きょじん)の荘を得たり。一畝(いっぽ)の宮(きゅう)にして花木(かぼく)叢萃(そうすい)し、寂(せき)として人無きが若(ごと)し。門を扣(たた)くこと之を久しふす、女子有り門隙(もんげき)より之を窺(うかが)ふ。問ひて曰く「誰ぞや」と。護、姓字を以て対(こた)へて曰く

「春を尋ねてひとり行(ある)き、酒渴(かつ)し飲を求む」と。女(むすめ)入りて盃水(はいすい)を以て至り、門を開き牀(しょう)を設けて命じて坐らしめ、ひとり小桃の斜柯(しゃか)に倚(よ)りて佇立(ちょりつ)す。意属(いしょく)ことに厚し。妖姿(ようし)媚態(びたい)、綽(しゃく)として余妍あり。崔言を以て之に挑むが、対へず。彼此(ひし)目注(もくちゅう)すること之を久しふす。崔の辞去するや門に至りて送らんとし、情(じょう)に勝(た)へざるが如くして入る。崔また睠盻(けんげい)して帰る。爾後(じご)絶えて復(また)至ることなし。

来歳清明の日に及んで忽(たちま)ち之を思ひ情抑ふべからず。径(みち)を往(ゆ)きて之を尋ぬ。門院故(こ)のごとくなるも已(すで)に之を扃鎖(けいさ)す。崔、よって詩を左扉(さひ)に題して曰く、「去年の今日此の門の中 人面桃花あい映じて紅なり 人面はいずこにか去るを知らざるも 桃花は旧に依りて春風に笑む」と。

のち数日、偶(たまたま)都城の南に至り、また往きて之を尋ぬ。其の中に哭声(こくせい)あるを聞き、門を扣いてこれを問ふ。老父(ろうほ)有り出て曰く「君は崔護にあらずや」と。曰く「是なり」と。また哭して曰く「君、吾が女(むすめ)を殺せり」と。崔驚怛(きょうたん)し答ふる所を知るなし。父曰く「吾が女は笄年(こうねん)にして書を知るも、未だ人に適(ゆ)かず。去年より已来(いらい)常に恍惚として失ふところ有るが若し。かの日、之と出て帰るに及び、左扉に字在るを見て之を読む。門に入るや病み、遂に食を絶ち数日にして死す。

吾、老ひたり。この一女嫁がざる所以の者は、ただ将に君子を求めて吾が身を託さんとす。今不幸にして殞(いん)す。君、之を殺ししにあらざるを得んや」と。また崔を持して大いに哭す。崔また感じて慟(どう)す。請ふて入り之に哭す。なお儼然(げんぜん)として牀に在り。崔その首(こうべ)を挙げてその股に枕させ、哭しつつ祝(の)りて曰く「某(それがし)ここに在り」と。須臾(しゅゆ)にして目開き、半日にして復た活きたり。老父大ひに喜び、遂に女を以てこれに帰(とつ)がしむ。

【釈】

博陵の崔護は生まれながらの才も器量もあり非のつけどころなく、独り超然として世間との交わりも潔癖であった。進士に及第して都に上ったばかりの清明の日である。ひとり都城の南に遊んでいて、人が住んでいそうな屋敷にであった。広い敷地には花や木々がこんもり茂り、静かなたたずまいは人がいないかのようである。門を扣いて訪れを告げるがなかなか返事がない。そのうち、若い娘が門の隙間からこちらをうかがっているのが見えた。娘は「どなたでしょうか?」とたずねた。「私は崔殷功と申します」、護は名乗って答える。

桃花

「春を尋ねてひとり歩いておりましたが、のどが渇きましたのでお水を頂戴したいと思ったのです」と。娘は内に入って水杯を持って戻り、門を開いて「お座りください」とベンチに招じた。護が水を飲む、娘は小さな桃の木の斜めになった枝に身をもたれてたたずんでいる。その眼はなにかを語りたいかのようで、かわいらしくしなやかな肢体は若さのあでやかさに満ちている。崔が褒め言葉をかけても、笑みを返すわけでもない。それでいて桃花の下にいる男と女は眼差しを見つめ合ったままである。崔が暇乞いを告げる。門まで見送ろうとついてくる娘の眼は、情にうたれてなにかに耐えているようである。娘は思いを切ったように、ふいに背を向けて内に走り去った。崔また睨むように振り返りつつ帰途につき、その後決して城南に足を向けることはなかったのだった。

翌年の清明の日になって、護は胸の底にしまっていた思いの湧き上がるに抗しきれなくなった。忘れるはずもない道を通って屋敷を訪ねた。家も庭も元のままではあるけれど、門扉はカンヌキとクサリでしっかり閉ざされている。崔はしかたなく門の左扉に詩を記して立ち去った。「去年の今日この門の中であなたと会った。あなたのかんばせに浮かぶべにの色と桃のくれないの色が春の陽に映えて美しかった。門は閉ざされてあの美しい人は今どこに去ったのか知ることはできない。ただ桃の花だけは一年前と変わることなく春の風に微笑んでいる」と。

それから数日経って、たまたま付近を通りかかったので屋敷をうかがってみた。すると、家の中から号泣する声が聞こえる。門を扣いて尋ねると、老いた父親が出てきて「君は崔護ではないのか?」と訊く。「そうです」と答えると、また悲鳴をあげて大泣きする。「君が私の娘を殺したんじゃ!」。崔は驚き怛(いた)み、どう答えていいかわからない。「娘は十五となって髪を結いあげる歳ともなり、書に親しむようになったが、まだ決まった人はいない。ところが、1年ほど前からいつも上の空で心を失ったようになった。先日、ともに外出して戻ると、門扉に文字が記されている。娘がこれを読むや、家に入るとベッドに倒れ臥して食が通らなくなり、数日にしてとうとう死んでしまったのだ。

私はもう年取った。この一人娘が今まで嫁がなかった理由は、よき君子を婿に得て老後の身を託したかったからである。いま不幸にして娘は死んでしまった。君が娘を殺したのではないと言い切れるのか?」。父は崔に抱きついて身も世もなく泣き崩れた。崔も感極まって哀しみにからだ震わせたのだった。お願いして屋敷に入り亡き人に涙をそそぐこととした。亡骸はなお眠っているようにして横たわっている。崔はベッドに座って娘の首をあげて股に枕させ、泣きつつも耳元に「あなたのところに参りましたよ、私はここにおりますよ」とささやいた。すぐに娘の目が開き、半日にして生命が蘇ったのである。父は大いに喜んで、すぐに娘と崔護を娶せたのは言うまでもない。

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