Monday, January 30, 2012

Changdeokgung Palace Complex 昌徳宮 チャンドックン 창덕궁

昌徳宮
Changdeokgung Palace

^ 正宮が火災などに遭った際、王が移り住む宮殿
^ 朝鮮王朝の正史『朝鮮王朝実録(宣祖修正実録)』には民衆によって略奪・放火されたと明記されており[1]、李廷馥の『四留斎集』や李恒福の『白沙集』にもその時の様子が記されている。因みに日本側記録『大徳寺文書』では国王が内裏に放火して逃亡したとある。また小西行長の一番隊に属した松浦鎮信の家臣吉野甚五左衛門の覚書には入城直前の「五月二日の夕暮れに都の方を望むと放火の煙が立ち上っている」「宮殿楼閣数々に、内裏々々に火を掛けて、上下万民ことごとく唐国さして落ちにける」と記録している。いずれにせよ日韓双方の記録が秀吉軍の入城を前に消失したとしている。したがって一部に存在する日本の小西行長勢によって放火されたとする主張は誤りである。
^ 景福宮は正宮として再建されるまで約270年以上にわたり放置されたままであった
^ 西洋式で、近代に改築されたらしい

No comments:

Post a Comment