Thursday, July 5, 2012

Mongol invasions of Japan,Kamakura Bushi and japanese bow



http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/50372636.html


元寇と鎌倉武士と和弓
2010/3/9(火) 午後 7:50日本史歴史





元寇について書かれた教科書の記述には、「日本武士の旧来の一騎討ちの戦い方にモンゴル軍は集団戦法で当たったため、このために日本武士は非常に苦戦した」と書かれることが多いと思います。


しかし調べてみると、モンゴル軍は防備の薄い港町博多にさえ侵入できず敗退しています。ステレオタイプの教科書の記述ははたして正確なのか?と常々疑問に思っていました。


私は、神風だけが日本を救ったのではなく武士たちの善戦も日本を救った原動力の一つだったのではないかと考えます。


というのも鎌倉武士は、西洋で言うなら馬に乗った騎士であり弓を主武器としたことから弓騎兵であったと思われるのです。しかも接近戦においては刀があるためこれもかなり有効に戦えました。


準重装騎兵でありながら弓騎兵の要素ももつ鎌倉武士は、世界史的にみて相当完成された兵科だったと思われます。これはビザンツ帝国のカタフラクトに相通じる思想です。アウトレンジで戦え、さらに接近戦でも強いという理想的な騎兵だったのではないでしょうか。通常世界の弓騎兵は軽装騎兵ですから。


鎌倉武士が装備した大鎧は、弓射に特化した形状をもっていたことは意外と知られていません。両肩の大袖(おおそで)は、弓を射撃する時にちょうど前に来るようになっており武士を守る盾の役割を果たしました。


しかも武士が使用した和弓は、イングランドのロングボウ(長弓)と同じ複合弓(コンポジットボウ) でかなりの性能を持っていました。さらにロングボウと違い、馬上から射られるように弓の真ん中より下を持って射る方式になっています。和弓は弓を引くとき、弓と弦が作る三角がちょうど黄金比になりました。最大射程400m、有効射程も200mあります。


ここまで書いてきてモンゴル贔屓の方は、モンゴル軍のほうがトルコ弓(四枚目の画像)なので射程が長いんじゃないかと思われるかもしれません。たしかにトルコ弓は複合弓では最も性能が高く射程600mある物もあります。有効射程で3~400mくらいか?

しかしそれはもっと後世の話で、元寇時は和弓とそれほど性能の差はなかったように思います。もしトルコ弓が和弓より性能が高かったとしても、海を渡る遠征でモンゴル自慢の騎兵がいなかった元寇では、弓騎兵でありながら白兵戦もこなす鎌倉武士はかなり脅威だったのではないでしょうか?

しかも当時日本に襲来したモンゴル軍は高麗、宋の降兵がほとんどで戦意は低かったと思います。


一騎討ち云々で日本軍が弱かったと断じる論者は、歴史を知らないか不当に日本を貶めることで悦に入っている反日左翼なのでしょう。


当時一騎討ちといっても組み討ちより弓射戦になるケースがほとんどだったのではないでしょうか?手の内も知らない異国の兵と組み討ちしたら阿呆です。流鏑馬を見るまでもなく鎌倉武士は日頃から鍛えている馬上弓の名手。うろ覚えで申し訳ありませんが、たしか追撃してきたモンゴル軍の副司令官を馬上から射殺したのも鎌倉武士じゃなかったですか?


私は神風が吹かなくても鎌倉武士はモンゴルの侵略を撃退できたし、もっと言うなら神風ではなく鎌倉武士の奮戦によって敵を水際で食い止めたことが一番の勝因だったと考えます。


皆さんはいかが思われますか?

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