Sunday, December 2, 2012

comfort women and state-regulated prostitution

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?monthly_id=201010

■ 従軍慰安婦と公娼制度 ■
日本経営学界を解脱した社会科学の研究家 @ 15:24:33 ( 軍隊というものの本質と性格 )
政治/経済 » 政治




 ◎ 軍・性的奴隷にさせられた植民地出身女性 ◎

【倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』2010年8月】

 ① 従軍慰安婦は商売人であって,金儲けをしていたのか?

 倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』(共栄書房,2010年8月)が公刊されている。本書は,朝鮮人女性を主に,旧日本帝国軍隊において性的奴隷として使役させられていた「売春問題」を,通常の売春問題=公娼などとかかわらせて討究した著作である。本ブログ「2010.10.27」「■昭和天皇とヒロシマ・ナガサキへの原爆投下■」「◎天皇ヒロヒトの戦争責任◎」で言及したように,この朝鮮人女性「従軍慰安婦」問題をとりあげていけば,論旨はただちに日本帝国の天皇裕仁の戦争責任問題に鋭角的に向かわざるをえない。

 問題が深刻である性格上,日本の右翼陣営や自民党政治家たちは21世紀になった現在でも,朝鮮人慰安婦問題が日本社会のなかでとりざたされることをひどく恐れ,極端に嫌う。なかには,いうにこと欠き,俗耳に響きやすい〈反発の意見〉,すなわち,旧日本軍組織のなかで「彼女らは単に商売で肉体を売っていた」のであり,職業だから「金儲けをしていた」に過ぎないと反論する。しかし,売春問題に関する社会学的〈理解のイロハ〉も,従軍慰安婦問題の歴史的経緯を少しもわきまえないこの種の錯説は,検討違いの方向を向いた誤論である。

 冒頭に氏名の挙がった倉橋正直は1994年に『従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-』(共栄書房)を公刊し,前段のような右翼・自民党政治家たちによる「〈反論〉の根拠のなさ」を批判している。同書の副題にも記されているとおり,1945年敗戦までの日本帝国における売春問題は〈公娼型〉と〈性的奴隷型〉に2分してあつかうのが適切である。この核心の論点は,倉橋が用意したつぎの図表が理解しやすく描いているので,参照しておく(11頁)。
 
 
 戦争という事態においては古今東西,いつの時代でも〈軍・性的奴隷〉のような女性たちが存在したのだから,その種の「売春」問題にいちいち目くじらを立てて批判・追究することはない,と反目する日本人識者もいる。だが,従軍慰安婦と呼ばれる〈軍隊の性的奴隷〉にされた女性たちは,倉橋が制作した上掲の図表からも分かるように,旧日本軍が介在して設営させた〈直属的な売春組織〉に組みこまれる関係のなかで,性奴隷の労働に従事させられていた。つまり,従軍慰安婦は,軍隊組織に密着して併設された売春宿において性的労働を強要させられていた。このような〈戦時に独特の売春制度〉に組み敷かれていた「異国・他民族〉女性集団を意味したゆえ,その歴史に絡む特殊事情に噛みあった問題意識や分析方法を準備して解明する必要がある。

 ② 売春制度の歴史

 倉橋は別の箇所でさらに図表的な説明を与えている(100頁)ので,これを文章に引きなおして引用する。日本における売春問題に関する,こういう時代区分である。

☆-1「江 戸 時 代」 --本来の公娼制度
〔女郎屋-(廓に監禁)-娼妓,封建的な性格〕

☆-2「1872-1958年」 --近代公娼制度
〔貸座敷業者-(前借金で縛る)-娼妓,半封建的な性格〕
  (→全体としては資本主義であるが封建的な要素が強く残存)

☆-3「売春防止法以降」--現代の売春
〔ソープランド業者-(相互に独立)-売春婦,資本主義にふさわしい性格〕

 従軍慰安婦問題については,いまから35年以上まえに公刊されていた,千田夏光『従軍慰安婦- “声なき女” 八万人の告発-』(双葉社,1973年10月),『従軍慰安婦〈続〉』(双葉社 (1974年7月)以来,関連の文献は相当数が刊行されてきている。旧日本軍が全面的に関与するかたちで成立していた陸海軍における売春制度」の維持・運営であったがために,敗戦直後,軍内部においては証拠の焼却・隠滅が徹底的になされた。そのせいで,その全体像を想像・復元させることは,非常に困難である。

 それでも1992年の段階ですでに,吉見義明編『従軍慰安婦資料集』(大月書店)などが公刊されている。本書は,従軍慰安婦に関する旧日本軍の関係資料の「最初の資料発見者」となった「吉見教授が,防衛庁所蔵資料にくわえて,外務省・米軍・オーストラリア軍の資料をも合わせて集大成した話題の書」である。本書の構成は,こうなっていた。。

従軍慰安婦と日本国家-解説にかえて-
 資料篇
 第1部 前史-第1次上海事変以降
 第2部 日本・朝鮮・台湾における従軍慰安婦の徴集と渡航
 第3部 陸軍省の軍紀維持・性病対策
 第4部 中国における慰安婦・慰安所
 第5部 香港における慰安婦・慰安所
 第6部 フィリピンにおける慰安婦・慰安所
 第7部 マラヤ,シンガポールにおける慰安婦・慰安所
 第8部 インドネシア地域における慰安婦・慰安所
 第9部 日本内地における慰安婦・慰安所
 第10部 小笠原諸島における慰安婦・慰安所
 第11部 沖縄における慰安婦・慰安所
 第12部 復員関係
 第13部 連合国軍による調査報告・指令

 従軍慰安婦問題の研究に従事する学者か,あるいは市井の人ではよほど関心を抱いている人以外は,この吉見義明編『従軍慰安婦資料集』を蔵書にしている人はいないと思われる。ここではつぎの「注記)にあるホームページ」などを参照してもらえば,従軍慰安婦の問題概要が手っとり早く理解できるはずである。ということにしておきさらに,倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』の議論に聞くことにしたい。
注記)http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/ianfu.html

倉橋の基本的な見地は〈前掲の図表〉に明らかにされていた。昔から「存在してきた売春問題」であるとの観点からみれば,あの戦争の時代に日本軍将兵を相手にさせられていた日本人慰安婦は,公娼と似てはいたとしても,実際においては,金銭に行動を縛られた「人身売買の対象」であった。したがって,日本人女性の従軍慰安婦も基本的には,奴隷制の問題として歴史的に扱われるべき対象である。「戦時における従軍慰安婦」と「平時における公娼」とがどういう関係にあるか問うたとしても実は,前者が「性奴隷」ないしは「それ以下の人間存在」である点では,ほとんど差がない。置屋が〈民間の業者〉であるか〈軍隊に従属し,寄生する組織〉であるかの違いしかない。

 ③ 倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』の主要論点

 ① と ② 以外に,倉橋『従軍慰安婦と公娼制度-従軍慰安婦問題再論-』が論及している主要な論点をとりあげ,少し議論しておきたい。

 1) 売春婦型と性的奴隷型
 戦時体制期〔1937:昭和12年7月7日日中戦争開始〕に入ってから翌年の1938年1月,中国山西省の大同には「30人の芸妓,60人は酌婦,40人は女給で計130人。尚その中には半島人酌婦53人,女給1人であるとのこと」であったが,「その大部分の実態は,前借金でしばられた娼妓であったと私〔倉橋〕は推測する。朝鮮人の比率が高く,4割を占めている。朝鮮人は酌婦35人,女給1人であった。なぜか,たった1人だけ,女給がいる。彼女だけが実質的にも私娼であった可能性が強い」(34頁。〔 〕補足は本ブログ筆者)。

 前段の内容は,戦地中国における朝鮮人慰安婦と目される女性集団の一例である。倉橋は当時,中国戦線には200もの日本人町が「売春婦型の従軍慰安婦」を一般的に提供しており,さらに「性的奴隷型の従軍慰安婦」も特殊的には一部存在していたと判断する(47-48頁)。とくに,後者「性的奴隷型は1940年頃になって,朝鮮人女性の間だけに出てくる」「タイプである」とも主張する(50頁)。

 倉橋が,旧日本軍に付いてまわっていた「売春婦型の従軍慰安婦」の出現は,「他国の軍隊の兵士に比べ,一層,劣悪な環境に苦しまねばならなかった」「日本の軍隊の兵士に対する福利厚生の弱さが,結果的に民間人の承認を多数,駐留部隊の近くに引き寄せる」原因であったと分析する(75頁)。そこへ日中戦争の泥沼化が進展した戦局のなかで,朝鮮人の従軍慰安婦も登場したと関連づけている。

 繰りかえせば「伝統的に兵士1人1人を大事にせず,彼らの福利厚生をなおざりにした日本軍の軍事思想」が「日本の軍隊のもつ特殊性であった」。「従軍慰安婦問題を考察するとき」はまず,戦線の「駐留部隊を在留日本人商人との『共生』関係の存在が前提になる」(78頁)。つぎに,「従軍慰安婦」の問題は「売春型」と「奴隷型」とを問わず,日本軍にまとわりついた「近代公娼制度」なのである。はたして,従軍慰安婦の問題は「公権力によって公認された売春」という要素と「封建的要素が残存する売春のしくみ」という要素とが結合されていたところにみいだせる(92頁)。

 いずれにせよ,「売春」という職業に従事せざるをえない「彼女たちは,むしろ社会の犠牲者である」。「売春廃絶の本道は女性の地位の全般的な向上である」(103頁,102頁)。さて,戦時体制期の「戦場における売春婦の問題」は,日本帝国の植民地になっていた朝鮮の女性たちが,中国戦線などにどのくらいの数,「性的奴隷型の売春婦」として駆りだされていたか。これが次段での論点となる。

 2) 荒船清十郎の発言
 いまから45年もまえの1965年11月20日,荒船清十郎という埼玉県選出の政治家が、選挙区の集会「埼玉県秩父郡市軍恩連盟招待会」で,朝鮮の「慰安婦」が14 万2000 人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまった,と発言した。このことは,すでに本ブログの「2010.10.27」「■昭和天皇とヒロシマ・ナガサキへの原爆投下■」が関説していた。荒船のこの発言は「放言」であって,歴史の真実を語ったものではないと否定する者もいるけれども,朝鮮人慰安婦の存在そのものを否定できる者はいない。 



 出所)荒船清十郎の若いころの写真と胸像。
    顔写真は,http://www.pref.saitama.lg.jp/page/gikai-chairman-rekidai-s047arahune.html より。
    胸像の写真は,http://yossy-papa.cocolog-nifty.com/photos/titibu1/pict0501.html より。

 戦時体制期における従軍慰安婦の問題を論じるとき,その焦点はどこにみいだせばよいのか。荒船清十郎が「やり殺した」という,日本人女性ではなかった「軍・性的奴隷型の朝鮮人慰安婦」を,「売春婦型の日本人慰安婦」とはどのように比較考量し,関係づけ・位置づけ・価値づけて検討すればよいのか。これがその焦点になるはずである。

倉橋正直『従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-』(共栄書房,1994年)は,朝鮮人従軍慰安婦については「8万から20万人もの朝鮮人女性を苦労して,かき集めてきた」(98頁)と言及するさい,さらにこうもいっていた。従軍慰安婦は職業として金を設けていたという〈妄論〉を支持できるかどうか,という観点から読んでみたい記述でもある

 「要するに,古代の女奴隷と同様に,ムチでおどかされて(もちろん,象徴的な表現であるが),無理やりセックスをさせられたのである。それは,まさに性的奴隷の境遇であった」。「はたして,こんなもの〔朝鮮人女性〕で,〔日本軍〕兵士たちの心身は『慰安』され,消耗した戦闘力が回復されるのであろうか。私〔倉橋〕は無理だと思う」(97頁)。「日本の敗戦の結果,彼女たちがおのれの命と引き替えに貯えた,大事な大事な軍票は,むなしく紙切れになってしま」い ,「懐かしい故郷・朝鮮にいる父母のところに帰る」という「彼女たちの唯一の希望」が「かなえられなかった」(96-97頁)。

 ④ 従軍慰安婦の類型

 1) 従軍慰安婦の3分類
 倉橋の議論に聞くまでもなく,旧日本軍における従軍慰安婦には3種類があった。それは,こう分類できる。ただし,これは絶対に揺るぎない分類基準ではないが,基本的に妥当する類型である。

 イ) 将校を相手にする日本人従軍慰安婦
 ロ) 兵士を相手にする日本人従軍慰安婦
 ハ) 兵士を相手にする朝鮮人従軍慰安婦

 イ) は,日本人売春婦でも,もともと〈その出自・職業〉がより高級な芸妓などに従事していた女性,あるいは美醜の面で現実的に判断してこちらに入ることができた女性などである。

 ロ) は,イ) 以外の日本人女性売春婦であり,ハ) はいうまでもなく朝鮮人女性で売春婦とされた者であった。イ) のような日本人売春婦でも芸妓として才能・教養のある女性はともかくも,ロ) の日本人女性は,ハ) の朝鮮人女性と同じように,戦場に設けられた慰安所施設で「1日に数十人もの兵士」を相手にしなければならなかった。

 倉橋『従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-』(140頁)も挙げていた関連の文献,広田和子『証言記録従軍慰安婦・看護婦』(新人物往来社,1975年・2009年)は,日本軍の将校かあるいは兵卒かを相手にする日本人慰安婦と,兵卒だけを相手にする朝鮮人慰安婦との違いを,「日本人売春婦」の聞き取り調査を介して明確に説明している。
出所)写真は広田和子。

    http://www.townnews.co.jp/0114/2007/07/12/28148.html より。

 広田はさらに,「従軍慰安婦=軍・性的奴隷」という存在に関する本質的な分析・観察と並行させて,売春という〈職業〉に従事せざるをえなかった女性たちが受けざるをえない〈経済的搾取・社会的疎外・政治的抑圧〉など,その背景事情の深刻さ・残酷さも説明している。日中戦争・大東亜戦争中に従軍慰安婦として戦場に出ていった日本人女性にかぎっていうならば,もとの廓(置屋)から足抜きができるくらいに稼ぎがあった,というような〈特殊事情〉も生まれていた。

 2) やり殺された朝鮮人慰安婦:「性的奴隷型」従軍慰安婦
 広田『証言記録従軍慰安婦・看護婦』に登場する菊丸という美貌の芸妓上がり日本人の従軍慰安婦は,「あたしたちは将校用だったため」に「慰安婦としては恵まれていた」「1日1人の相手をすればいい」。しかし他方で,鈴本という日本人慰安婦は「1日,何人もの相手をしなければならない,いわゆる回しをとらなければならなかった」立場に置かれていた(51-52頁)。朝鮮人慰安婦のばあいは,鈴本と同じ立場であった。彼女らのあいだで同じでなかったのは,朝鮮人慰安婦が日本語が不自由であり上手でなかったこと,そしてなによりも朝鮮人であるという差別があったことである。

 荒船清十郎は,従軍慰安婦として戦場に駆りだされた朝鮮人女性14万数千人を,日本の将兵が「やり殺した」と発言していた。これが事実を指していったものだとすれば,敗戦後における彼女らの生存率が約25%といわれている経緯に鑑みれば,倉橋が朝鮮人女性の慰安婦が《8万人から20万人》にもなると推測していた点に一定の信憑性が出てくる。なおこの《数字》は,千田夏光『従軍慰安婦- “声なき女” 八万人の告発-』1973年ならびに荒船清十郎の関連発言〔20万人を示唆〕を採用したものと思われる。

 従軍慰安婦の実数に関する議論は,ブログ「永井 和の日記」を参照してほしい。とくにつぎの日付を読んでもらいたい。永井は歴史学を専攻する京大教授。

☆-1 2008-04-02秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(1)

☆-2 2008-04-05秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(2)

あの戦争にかかわって日本国政府が国民に対する補償問題においては,原爆や空襲で国民が受けた被害までが国家賠償請求の対象になる時代である。原爆にしても空襲にしてもその被害者のなかには,5万・10万人単位で朝鮮人(韓国人)が含まれている。朝鮮人の軍人には特攻隊員までいた。軍属にも多くの朝鮮人が動員され,使い捨てられていた。従軍慰安婦の問題は,社会学的な論点のみならず,倫理学的な,そして政治学的な論点にも深く広く関係する。朝鮮人慰安婦問題は,日本国が対アジア諸国・諸民族に対して背負いつづけねばならない重荷である。いまだに清算されていない国際社会問題といえる。
 
 --前掲,本ブログ「2010.10.27」「■昭和天皇とヒロシマ・ナガサキへの原爆投下■」「◎天皇ヒロヒトの戦争責任◎」は,原爆の問題に論及していたが,これに関連して最近公表された文献に,岡井 敏『「原爆は日本人には使っていいな」』(早稲田出版,2010年7月)があった。この書名をまねていえば,「朝鮮人女性は奴隷的な軍の性的労働にこき使い,ヤリ殺してもいいな」という方針が,日本軍の戦時体制期における植民地出身女性に対する基本姿勢であった。

 3) 2010年10月25日新聞報道「被爆者補償 政官の壁」
 第2次大戦を終わらせるためだとして,アメリカが日本の広島と長崎に投下した原子爆弾2発にかかわっては,10月25日『朝日新聞』朝刊に以下の引用に示すような記事が報道された。国家財政の問題と絡むものとはいえ,国家というものが国民(人民)を,いかに恣意的にあつかうか,踏みつけにすることなどなんとも思わぬかがよく理解できる。

  ☆ 被爆者補償阻止,旧厚生省が議論誘導 30年前議事録 ☆

 被爆者援護のあり方を検討するため,1979~80年に非公開で開かれた厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)で,民間の戦争被害者全体に国家補償が拡大しないよう,厚生省側が議論を導いていたことが,議事録や関係者の証言からわかった。基本懇の報告書は被爆者への国家補償に歯止めをかける内容となり,この報告書をもとにできた現行の被爆者援護法に国家補償は明記されなかった。

 「被爆者対策を国家補償でやるとなると,額が大きくなるだけでなく,シベリア抑留者や一般戦災者の要求が強まり,甘くできない」といったのは,その諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」を担当・運営した厚生省高級官僚の方針であった。この基本的な方針に沿って,1980年の政府当局(厚生省)見解:「戦争による一般の犠牲は)国民が等しく受忍しなければならない」という見解が提示された。21世紀になって,日本国民とかつてこの帝国の臣民であった人びとが,戦争によって生じた被害に関して損害賠償請求の裁判を日本政府に対して起こしている現状は,まっとうな時代風景といえる。

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