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Monday, June 4, 2012

the mystery of string blue jewel Magatama in Ancient Korea

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/2a3-02-02-03-03.htm


地域間の交流のほかに朝鮮半島との交流についても、中期後葉からは、日本列島からも積極的に交易を求めていたことが知られている。日本からの交易品の中に『魏志』倭人伝にみえる「青大勾珠」が含まれていることは注目されよう。

この品が硬玉製勾玉であるとする見解から(原田淑人「『魏志』倭人伝の「白珠五千孔、青大勾珠二枚」について」『東亜古文化説苑』)、朝鮮半島の優れた技術や製品の等価品として、「青大勾珠」が三国時代の朝鮮半島南部のクニにもたらされたし、積極的にそれが要求されたとされる(田村晃一「手工業製品の対外流通」『岩波講座 日本考古学』三)。

この硬玉製勾玉は北九州系のものに限定され、クニとクニとの間の朝貢品としてのものであり、「北陸産の硬玉が北部九州まで運ばれなかった」(河村前掲論文)と推定するにしても、この当時、下部段階の首長の交易品として各地の硬玉製勾玉・小玉製作は知られており、生活用具などと密に結びついた段階での交易流通のなかで取り扱われた可能性を、この下屋敷遺跡の玉資料は示しているのではなかろうか。

http://blog.goo.ne.jp/shinwa_2007/e/73dc57967249a257cbca44eafbfbb10d



実は、翡翠(ジェイド)と呼ばれるものは、二種類あります。硬度の柔らかい軟玉(ネフライト)と、より硬い硬玉(ジェダイト)です。軟玉(ネフライト)の方が安価で生産量も多く、古来中国ではこれを翡翠として様々な加工品を作っていました。硬玉(ジェダイト)は俗に「本翡翠」と呼ばれるもので、日本でも中国でもこちらが中心です。そして現在の多くの愛好家たちは、ネフライトは翡翠であって翡翠にあらずと考えており、ジェダイトこそ本物の翡翠であるとしています。

昔は、朝鮮族にとってそれほど翡翠への関心は少なかったのですが、ここ数年漢族の影響で、翡翠への関心が高まり魔よけとして珍重しています。また、翡翠や玉は、瀋陽だけではなく北朝鮮の国境地帯である丹東でも市場があるのでそちらでも一度冷やかしてみてはいかがでしょうか。


http://www.justmystage.com/home/rarememory/hisui/h.htm


縄文時代前期(約5000~6000年前)、糸魚川・青海地域に住んでいた人たちがヒスイの加工を始めた。その後、古墳時代まで、勾玉(まがたま)などの装飾品として珍重され、万葉集にもうたわれているように古代日本人の精神生活に大変大きな位置を占めた。

ヒスイとはどんな石?
翡翠(ヒスイ、jade)は、ヒスイ輝石の微細で半透明な結晶からなり、宝石として珍重される。東洋(中国)、中南米(インカ文明)では古来から人気が高く、金以上に珍重された。翡翠は古代中国では玉(ぎょく)の材料の美称であった。日本では、緑・青または白色で半透明な輝石の一つ硬玉の、中でも美しい緑色のものを本翡翠と別称した。硬度6.5~7.0、比重3.3~3.5、ガラス光沢がある。

鉱物学的には「翡翠」と呼ばれる石は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト:透閃石-緑閃石系角閃石」に分かれ、両者はまったく別の鉱物である。しかし見た目では区別がつきにくいことからどちらも「翡翠」とよんでいる。その「翡翠」の色は、緑色以外に白・淡紫・青・黒・黄・橙・赤橙などの色がある。日本では橙~赤橙色の「翡翠」は発見されていない。

ヒスイは漢字で「翡翠」と書き、「翡」はカワセミの雄、「翠」はカワセミの雌を意味する。カワセミは空飛ぶ宝石と呼ばれる鳥で、背中から尾にかけて美しい青緑色に輝く羽毛でおおわれている。「翡翠」は、カワセミの別名で、カワセミの羽の色を表現する。 そのカワセミの羽の色に似た、美しく鮮やかな宝石であることからヒスイと名づけられた。 (写真・姫川支流小滝川)

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