http://deepredpigment.myartsonline.com/kfui004_15.html
★ 「売春立国」
コリアは 「 貢女 」 の名産地として有名でした。 又、李朝時代には、 「 妓生庁 」 と言う役所を設置し、国家管理下に、 「 妓生キーセン」 を育成していました。 そして、この伝統は、韓国の朴正煕パク・チョンヒ大統領が推進した国策としての売春観光政策( キーセン・ツアー等 「 売春立国 」 )や、北朝鮮の最高指導者・金正日キム・ジョンイル肝煎きもいりの 「 喜び組 」 として脈々と受け継がれているのです。
夜の花 - 妓生と売春婦
歴代王朝の妓生政策
かつて中国春秋時代の越王勾践
こうせん
派、未亡人や淫行した女たちを山上に隔離し、軍士たちに戯れさせた。 漢の武帝は営妓を置いて独身の軍士たちを慰労し、唐代になると妓女はいっそう盛んになり、崔令欽は『 教坊記 』を著し、黄雪蓑は『 青楼集 』を著した。 また唐の玄宗は寒冬に官妓にからだをだかせて、寒さをふせいだと記録されている。
朝鮮では天官女の説話がおそらく最も古いものであろう。 少年時代の金庚信〔 新羅の武将 〕は母親の切々たる訓戒に従って放蕩をやめた。 母にさとされた翌日、馬上で居眠りをしていると、馬は以前から通いなれた道をたどって天官寺にいきついた。 天官女は泣いて金庚信にとりすがりながら、庚信の無情を訴えた。 そのとき庚信は剣を引き抜いて馬の首を切り落として帰った、というのが天官女の話である。
その後、高麗の太祖は国土を統一すると、百済の遣民である楊水尺( 漁撈の賤民 )を官妓・官婢とした。 そして、官婢のうちで容姿の秀れた者を選りすぐって歌舞を習わせた。 それが高麗女楽のはじまりである。 第11代文宗は燃灯会〔 国儀として春に行なわれた仏教儀礼 〕に妓生を参加させた。 第24代忠烈王は各郡の郡妓を選上させて、教坊に置いて歌舞を習わせた。 また第32代辛?[ 祺の"其"が"禺" ]王は、高官の李種徳の妓妾を奪って宮中に入れたり、七点仙、燕双飛や小梅香のような寵妓を翁主〔 王后以外の婦人が生んだ国王の娘 〕に封じたりした。
李朝も高麗の制度を継承して女楽を置き、宮中での内宴に用いた。 つまり進豊宴とか進宴がそれである。 このほか、各郡の官庁でも官妓を置き庁舎を守るという、いわゆる守庁妓生を設けていた。
そのころ、監司〔 各道の長官 〕が中央から着任する日には4~5百人の官妓が総出で迎えるのが慣例であった。 緑衣紅裳を身にまとった妓生が、驢馬の背に乗って風楽を奏でながら声を揃えて祝賀を述べた。 その妓生の行列が、なんと10里〔 日本の1里に相当 〕に及んだという。
長林五月緑陰平 十里双轎馬声
永済橋頭三百妓 黄衫分作両行迎 〔 第四句は、黄衫をまとい、二列になって迎えるの意 〕
これは妓生たちが平壌監司を迎える光景を詠った申光洙〔 李朝英祖の文臣 〕の句である。
しかし一方では、当時でも妓生廃止論はあった。 李朝第三代の太宗11年〔 1411年 〕に妓生廃止が問題になったことがあった。 そのとき重臣のほとんどが廃止論に賛成したところ、河崙ひとりがこれに反対した。 妓生を廃止すると良家の子女に禍が及ぶ、というのがその理由であった。 後世の人は、河崙は色狂いだからその問題に反対したと述べている。
一方、こんな逸話もある。 太祖〔 李成桂 〕が開国の功臣たちのために祝宴を催したとき、宴席で裵克廉が妓生の雪梅に向かって、
「 お前は東家食、西家宿〔 むかし中国である女性が、財産があって料理の美味しい東側の家で食事をし、美男のいる西側の家で泊ることを願ったという話がある 〕すると聞いているが、わたしにも枕を薦めてはどうか 」
と問いかけた。 すると雪梅はその言葉を受けて、
「 東家食、西家宿する賤妓は、王氏〔 高麗朝 〕に仕えたり、李氏〔 李王朝 〕に仕えたりする大臣と交われば格好の取り合わせになる 」
とやり返した。 一国の宰相裵克廉もかつて前王朝の官吏であったことから、そのことを妓生の雪梅から手ひどくやり込められたという話である。
後の燕山君は、泰平を運んでくるといって、妓生という呼び名を 「 運平 」 と改称させた。 そして奸臣任士洪に命じて、各郡の美人であれば人妻であろうと妾であろうと一切構わず強奪して選上させた。 そのときの任士洪の官名は 「 採紅使 」 といった。 こうして選上された運平たちのうち、大内〔 国王の居処 〕に置かれる者は継平とか続紅とか興清と呼ばれる各班に分けられた。 清らかな興を引き出すという意味の興清のなかでも、宮中の寝室に出入りする者を地科興清、国王の恩寵を受けた者は天科興清と呼んだ。 これらの興清を選上する官吏の名称を護花添香使とし、大臣の身でそのような任務を負うと紅駿体察使と呼んだ。
さらに燕山君は楊州、坡州、高陽の諸邑〔 いずれもソウルの北方に近接している 〕を廃して遊興の場に変え、好き放題の乱行に打ち興じた。 運平や興清たちの居所には?[ 耻の"止"が"并" ]芳院、含芳院( 南致元の家 )、蕾陽院( 斉安大君の家 )、趁香院( 甄城君の家 )などの美名をつけた。 妓生専用の病院の名は欽清閣と名づけ、妓生用の食料の倉庫の名は護花庫、ここで給食を担当する官吏の名は典備司といった。 また、妓生の衣服は目出度いといって?[ 辺の"刀"が"牙" ]祥〔 幸いを迎える 〕服と称し、?[ 辺の"刀"が"牙" ]祥服を縫って納める官庁は布染司、そして年老いた運平を収容し保護する養老院を杜蕩護清司と名づけ、とくに寵愛を受けた者は会緑閣に置いて手厚く保護した。
燕山君時代の妓生の黄全期は中宗反正〔 中宗による悪政の改革 〕によって終幕を告げた。 燕山君の失政の後だったので、中宗の時代には妓生廃止論も最も盛んに行なわれた。 大きな打撃を受けて衰退した妓生は仁祖〔 在位1623~49年 〕のころを前後して復活し、近世になると、大院君〔 高宗の父として1863~73年国政を掌握 〕が容姿端麗な妓生を選りすぐって自分の済む雲?[ 崎の"奇"が"見" ]宮に当直として入れた。 これがいわゆる雲?[ 崎の"奇"が"見" ]宮待命妓生である。 また大院君は、自身が零落して放蕩した経験があるだけに妓生房の事情に通じていて、いろいろと妓生制度の改革を行なった。 三牌
サムペ
〔 三級の妓生 〕には眼鏡の使用、煖轎〔 暖かい乗物 〕や刺繍の履物の使用を禁じて旧式に戻したりした。 元来、官妓は網代
あじろ
の輿に乗り、絹の被衣
チャンオツ
で顔を覆ったものである。 ところが、風紀の乱れから、被衣を禁じられていた三牌すら官妓と間違えられる服装をしていたのが当時の現実であった。
「芸は売れども身は売らず」 の妓生道
妓生たちは貞操を守ることを何物より大事にした。 客を取っても誰でもよいわけではなかった。 地位の低い者は千金を投じても妓生の門内に入ることはできなかった。 したがって 「 妓生宰相 」 という言葉には、妓生の誇りの高さは一国の宰相にも比肩するものがあったという意味が含まれているのかも知れない。 地位の低い者は二牌
イペ
や三牌の娼家に通ったので、 「 二牌・三牌の遊客 」 と蔑視された。 一度かれらを受け入れると、妓生も格が落ちてしまう。 両班も二牌や三牌の遊客の称がつくと、二度と再び一牌
イルペ
を訪ねることはできなかった。
隠君子、鼻頭、瓶持ち-売春の種々相
二牌というのは妓生とは異なる隠君子( 隠君者ウングンチャ)のことである。 かの女たちは妓生から転落した者が多く、それで二牌妓生を略してイペと呼ぶのであるが、そのなかには没落士大夫の婦女や未亡人も混じっていた。 かの女たちは一般の住宅街のなかで暮らしながら隠れて売春をしたので、常連客か、または車夫などの案内がないと接することができなかった。 客は人力車で秘かに訪れ、秘かに情を交わし、秘かに引き上げるのである。
三牌は娼婦で、 「 タバンモリ 」 のことである。 漢字で塔仰謀利と表したもので、仰向けに寝て金を稼ぐという意味である。 かの女たちは雑歌を唱って客を遇して売淫した。 また妓生は紅傘を与えられるのに対し、三牌は青傘でその身分を示した。 旧韓末の警務使申楽休はかの女たちの居住地を南部の詩洞( 現在の中区笠井洞 )に制限し、その場所を 「 賞花室 」 と名づけた。 趙重応子爵〔 日韓合併のときの大臣のひとりで、合併後、日本の子爵号を受けた 〕は、これらの詩洞の三牌が妓生と称することを許したが、さらに1909年にそれらが新彰組合を結成するに及んで妓生との区別もなくなり、遂にはサムペの名称すら消滅した。
ところで、近代的な公娼は明らかに日本からの輸入である。 まずはじめにソウルの日本人料理店主11人が遊郭の設置を出願した。 そのとき日本の領事は、同族の醜業を朝鮮人に露呈するわけにはいかないといって、その申請を却下した。 すると日本人居留民団の有力者たちも業者に加担して領事排斥運動を起こしたのである。 こうして、1904年6月にはじまった 「 新町しんまち
」 の売春市場は、開業の一時期は昼間は売春の料金を取らなかった。 また客によっては1ケ月間の料金をつけにすることも許していた。 1924年〔 日韓合併後14年 〕には、新町の遊郭には日本人340人、朝鮮人267人の女郎がいたが、在住日本人と朝鮮人の人口との比率でみると、日本人の方が圧倒的に多かったといえる。
当時、新町に出入りすることを 「 南極探検にいく 」 と称していたが、それは新町がソウルの南、現在の中区墨井洞一帯にあったからである。
これらのほか、旧韓国時代における売春婦の存在として、寺党
サダン
、色酒家
セクチユガ
、鼻頭
コモリ
、瓶持
トルビョン
ちや甘人
カミン
などの類があった。
寺党は某甲
モガビ
という頭目を中心に群れを作って、部落から部落へ、寺から寺へと渡り歩いて曲芸などの興行を兼ねて売色を事とした。 その群れには居士
コサ
と呼ぶ男が、寺党である女と夫婦の関係を結んで加わるのであるが、このような男女が数組ないし十数組集まって1つのグループになるのが普通であった。
そして居士は寺党を従えて、部落へ寺へと移動しながら女のために洗濯そのほかの一切の雑務をこなした。 また、居士は客がいない場合には寺党と同衾したが、客の要求があれば何時でも妻である寺党を提供する。 この場合、客から受け取る花代は居士のものになるのが慣行だが、その代わりに寺党の衣服や食事、化粧品など一切の経費については責任を負う。 村はずれの広場などで寺党たちが興行中に、客が寺党のなかのひとりを気に入ると、モガビに申し込んで指名する。 そして客が金を口にくわえて、 「 金だ、金だ 」 というと、寺党がきて、自分の口でその金を受け取った。
「 色酒家 」 というのは、市場や港、大道や鉱山などで酒を売り売色もした。 色酒家の女たちは猥談や雑歌などで客の相手をし、酒席でそのまま売淫に応じたものである。
「 鼻頭 」 とは一線から退いた退妓たちで、色酒家などの業をしたものが、髪型を鼻の頭のように結ったところからその名がつけられた。 かの女たちは他人に売春させる一方で自分でも客に応じた。
「 瓶持ち 」 は現代的にいえば筵
むしろ
部隊である。 山間渓谷の遊園地に出没しながら酒肴を売り、酒客の相手をしたり売春にも応じた。 瓶持ちは、そのように各地を酒瓶を持ち歩きながら売春をしたので、そう呼ばれた。
「 花郎女 」 は、李朝第9代の成宗3年〔 1472年 〕のころ、京畿道の陽城の地から発祥したといわれる。 それ以後、朝鮮八道〔 全土 〕に拡がった。 春と夏は漁場と江港、院館や酒幕のある場所で、秋と冬には山間や僧房に、遊覧を兼ねながら僧・俗を問わずに客を取った。 世間で淫乱な女をファランニョンと呼ぶのは、この花郎女に由来している。
「 甘人 」 は、一名白娼とも呼ばれる白人の娼婦たちのことである。 現在のソウルの太平路と退渓路の一帯、とくに日新国民学校が白娼たちの根拠地
ねじろ
で、白系ロシア人が多かった。 また、中国の上海を経て流れてくるユダヤ人の混血女もいた。 夕暮れになると、まだ陽の明るいうちから路端に椅子を持ち出して腰かけ、前を通りかかる人に向かって 「 カミン〔 Come In 〕を連発した。 甘人の表記はその音を写したものである。
韓国には売春婦は存在しなかった
「認めたくない過去」 は存在しなかったことにする韓国人
福祉部長官、ハーバード大学長の 「売春婦発言」 批判
金槿泰( キム・クンテ )保健福祉部( 福祉部 )長官が11日、自身のホームページ( www.gtcamp.or.kr )に、米ハーバード大学のローレンス・サマーズ学長を批判する内容を載せた。 「 失われた時間を求めて 」 と題した文でだ。
金長官は 「 サマーズ学長は( 最近の )演説中に『 1970年代、ソウルの未成年売春婦( Child Prostitutes )は100万人にのぼった。現在そのこん跡はほとんどない。その原因は経済成長がもたらした機会のためだ 』 と話した 」 とし、 「 サマーズ学長の肉声まで録音されているが、率直に信じることができず、信じたくもないほどだ 」 と述べた。
金長官は 「 遺憾であり、率直に言って不快だ。彼が著名な学者であるため、もっと胸が痛む 」 とし、 「 韓国の経済的成功を説明しようとしたとはいえ、失言であり、彼が有名なハーバード大学の学長であるなら、全く妥当性がない売春婦数ではなく、GNPなどの経済指標を用いるべきだった 」 と指摘した。
また 「 サマーズ学長の失言は学問的な厳密さに背くのはもちろん、礼儀を欠いた言行であり、彼が礼儀を理解するのなら明らかに謝罪すべきことだ 」 とし、 「 米国指導層の韓国認識がこの程度かと思うといい気がしない 」 と付け加えた。
金長官の側近は 「 金長官はインターネットで報道されたサマーズ学長の発言を見たとき、信じることができず、原文を入手して確認した後、批判的な文を載せたと聞いている 」 と語った。
中央日報 2004.07.11 22:04 申成湜( シン・ソンシック )記者
売春大国の南朝鮮で、売春婦があつまり、合法的労働者として認めろと抗議活動をしているというニュースがありました。
売春女性ら 「 私たちも労働者 」 29日全国組織結成へ( 朝鮮日報:2005/06/24 07:29 )
「 売春も通常の労働と認定せよ 」
売春街の女性や業主など5000人余りが29日、ソウル・蚕室
チャムシル
体操競技場に集結し、 「 性労働者の日 」 大会を開催、全国組織も結成する予定だ。
今回の大会を通じ、 「 性労働者準備委員会( 仮称 ) 」 を結成し、 「 性売買特別法 」 の廃止と売春街の女性たちを合法的な 「 性労働者 」 と認定するよう要求する。
( 略 )
これまでは 「 全国ハント女性従事者連合 」 は、各地域の売春地域の代表たちが協議体の役割を担ってきたが、今回の大会を通じ、売春女性の全国的な同一組織が初めて出航することになる。
( 略 )
「 売春女性ではなく性労働者 」 、全国組織結成へ( 中央日報:2005.06.23 17:30:59 )
売春女性らが全国的な組織を作り、労働者としての権利確保に乗り出す。
売春女性の集い 「 全国ハント女性従事者連合( ハント ) 」 は、23日、売春女性が犯罪者扱いされず 「 性労働者 」 として認められるようにするため、仮称 「 性労働者準備委員会 」 を設けることにした。 ハントは29日、ソウル松坡
ソンパグ
区オリンピック公園・体操競技場で 「 性労働者の日 」 の大会を開き、水原
スウォン
地域代表・キム某氏( 31、女 )を代表に選出する予定だ。
ハントのカン・ヒョンジュン事務処長は 「 昨年9月23日に性売買特別法が発効して以降、政府と女性団体が売春女性との対話を拒否していて、代表性のある団体を設けることにした 」 とし 「 保健福祉部・金槿泰
キム・クンテ
長官、女性部・張夏真
チャン・ハジン
長官など主要人物らあてに招待状を送り、人気歌手の公演も準備する計画 」 だとした。
また、一部市民団体と連係し各種の女性関連討論会に参加、売春女性の立場を積極的に伝える、としている。 同大会には、全国の15地域にある私娼窟の業者と売春女性5000人余が参加する。 女性部当局者は 「 現行法上、売春は不法であり、売春女性の権利を法律内で保護できる労働者として認めるのはできない 」 とした。
ソン・ヘヨン記者<hysohn@joongang.co.kr>
[インタビュー]
全国性労働者準備委
「 性労働者の主体的運動のために性売買特別法を廃棄せよ 」
イコンマム記者<iliberty@jinbo.net>
【 29日蚕室体操競技場の前で行われた性労働者祭り 】
29日、全国性労働者準備委が公式発足のイベントを開いた。 昨年9月、性売買特別法の施行以後 「 生存権を保障しろ」 と街に出たセックスワーカーたちがいた。 彼女たちをめぐり、女性団体、運動勢力の間にさまざまな論争が存在する。 被害女性支援を中心に活動してきた女性運動勢力は、 「 性売買は女性への暴力であり、早期に根絶するために性売買特別法を改正、またはさらに強力に施行しなければならない 」 という立場を明らかにしている。 それに対して性売買女性の動きを支援する女性運動勢力は、 「 性売買女性の主体的運動のために彼女たちを性労働者と認定するべきだ。 性売買特別法を廃棄して非犯罪化すべきだ 」 という立場を明らかにしている。 女性運動勢力での論争は、性売買を労働と認定できるのかというものから、性売買を根絶するための運動の方式はどのようなものであるべきかに至るまで、多様な部分から構成されている。 チャムセサンはこうしたさまざまな論争を聞くために、全国性労働者準備委と、 「 タシハムケセンター 」 とのインタビューを行った。
以下は、全国性労働者準備委に記者が送ったインタビュー質問に対し、書面で送られた回答全文。
★ 性売買女性をどう見るべきか、なぜ集まったのか? そして自らを労働者と規定することにどんな意味があるのか?
われわれは、ほとんどの人々と同じように自発的に働き、その賃金で生活する。 単に仕事の内容が性的サービス分野だというだけだ。 労働組合および労働関係調整法は、 「 労働者とは職業の種類を問わず、賃金・給料、その他これに準ずる収入によって生活する者 」 と規定しているではないか。 労働者は、社会的な汚名と烙印から脱し、雇主の資本家に対しては法的に対等な立場に立てるという点で、堂々とした人間だ。 それで、われわれは自らを労働者と規定する。
★ 性売買女性が自らの声を出し始めたのは、性売買特別法以後と理解する。 性売買特別法が裁定されて9か月を過ぎ、性売買特別法に対する評価はどうか? 性売買特別法の廃棄を要求していると理解するが、実際に多くの人は、性売買特別法がこれまで表面に現れた性売買をなくすことに大きな寄与をしたと評価するとも言う。 これに対してどう思うか?
性売買特別法は絶対多数国民が実効性を認めない非民主的な悪法だ。 それでも国会で全員一致で通過した理由は、国会議員の階級性が民意とかけ離れているからだ。 特に急進主義フェミニストの純潔イデオロギーに脅迫された結果だ。 性売買特別法はすでに失敗した。 集結地から出た性労働者は、国内外の裏の性売買市場で命賭けの生活をしている。 この恐ろしい性売買特別法の下でも生存が難しい女性が集結地に入ってくるのは何を意味するのか。 性労働は、貧益貧・富益富による社会構造の産物だ。
★ 性労働者準備委では性売買の非犯罪化を主張しているという。 性売買を非犯罪化する意味は何か。 非犯罪化の具体的な姿はどのようなものか? 非犯罪化を主張するのは、性売買特別法をなくそうという主張で、それは合法化ということではないかとの提起があるが、これをどう思うか?
性売買特別法は、当然、廃止されなければならない。 これに対して非犯罪化をいう女性界権力は、激しい自分矛盾に陥っている。 彼らの非犯罪化とは私たち性労働者を性売買被害女性という名で、法の網により安全に保護するということだ。 しかし、われわれは被害女性ではなく、堂々と働く労働者だ。 したがって、私たちを求める男性顧客を除く非犯罪化には同意できない。 男性顧客には刑罰を加えておいて、私たちだけが逃げ出すほど、性労働者は破廉恥な存在ではない。 したがって私たちが言う非犯罪化とは、性売買を肯定も否定もしないヨーロッパ式を意味する。 合法化は、オランダやドイツ式だが、これは公娼と私娼の間に階級ができて、短所がある。
★ 性売買は基本的に女性の性を商品化する資本主義そのものではないかといえる。 そして家父長制の中で女性の性は全て認められることができず常に商品化され、暴力にさらされる。 これが極大化したのが性売買として極端な形で現れているのではないかと思うが、性労働者準備委では性売買に対して基本的にどのような認識を持っているのか?
資本主義と商品化の話は、正しくもあり、間違ってもいる。 性労働は、古代エジプト神前売春のように歴史的に古い起源を持つ職業だ。 単に新自由主義下で崖に追いやられた女性が急増している。 性の商品化はイメージの側面がさらに恐ろしい。 大資本は、放送局を中心とする芸能界に集中し、セックスのイメージを販売する。 相対的に、集結地は零細な性産業人が集まっており、客もまた性的に比較的貧しい人々だ。 ジェンダー階級に劣らず、セクシュアリティ階級を語るべきだ。 私たち性労働者は、貧しい男性が裕福な女性が裕福な女性よりさらに好感が持てるのが事実だ。 集娼村方式は、暴力から最も安全なセックスワークの方式だ。
★ 性売買女性を支援する多くのプログラムと団体がある。 これらの団体の活動をどう思うか? 根本的に性売買女性に必要なものは何か?
性売買女性支援プログラムは、基本的に女性権力の飾りだ。 女性団体はこれを通じて、自分たち仕事を確保したに過ぎない。 ある女性が性労働者になるまでには、我慢できない程の劣悪な経済環境、すなわち、家庭の生計や病魔、多額の借金などが原因として作用している。 女性権力がくれる37万ウォンの緊急生計補助費と学院費は、現実的には何の役にも立たない。 すでに試験地域で性労働者がこれらを返却したケースもしばしば目撃されている。 私たちの自活の問題は、相当な期間が必要だ。 性労働者の多数が実際に家長だ。 脱性売買の問題は、成人である私たち自身が判断して、解決することだ。 政府は社会福祉次元の支援をすれば良い。 例えば私たちの両親と兄弟の生計を政府が支援するシステムがあれば、性労働者はもっと自由に職業選択の機会が持てるだろう。
★ 性労働者は主体的に自身の生存権を語り、労働する権利を語る運動を作っていると思う。 しかし事業主との関係に対し、多くの人が疑問を持っている。 事実労働者の闘争で事業主、事業主は賃上げ闘争などで対立する関係だからだ。 今後、事業主との関係をどのように作って行くのか?
事業主は角を生やした人ではない。 彼らもまた韓国社会構造から疎外され、押しやられてきた人々がほとんどだ。 きわめて一部の金を儲けた人たちは、すでにヤミの性売買に移動した。 性労働者の質的・量的な成長は彼らにも心理的に当分は負担になるだろう。 しかし、それは中長期的に事業主が社会で認められる立派な方法でもある。 賃金交渉の問題はあまり大きな問題ではない。 今は、各地域別にすでに双方が互いに了解できる分配水準が決まっている。 社会人が思うより、私たちが働く現場では事業主よりもむしろセックスワーカーの地位の方が高いと思っていい。
★ 今後の活動計画は?
全国性労働者準備委は、既存の現場生存権闘争に多くの努力を傾けてきた。 そして、時間と経費などを節約しながら、もっと生産的な闘争のためにサイバーチームを設置した。 オンオフラインを行き来する闘争を通じ、ジェンダー階級に劣らず、セクシュアリティ階級を論じるほどの同志なら、いつでも連帯運動を展開する。 私たちセックスワーカーが女性として議論するフェミニズムは、文化主義と社会主義の水準になるだろうと思う。 われわれはソウル国際映画祭や世界女性虐待会などへの参加により、性労働に関する多くの国際的思潮に接している。 勉強を続け、闘争すれば良い成果があるだろうと思う。 最近の社会進歩連帯の連帯闘争の呼応に大きく鼓舞されている。 関心がある民主団体の連帯を期待する。
2005年06月30日13時42分 原文(チャムセサン)
「性労働者も労働者だ」
韓国のセックスワーカー、29日に全国性労働者準備委員会が公式発足
イコンマム記者<iliberty@jinbo.net>
【 行事は体操競技場の予約取り消しで、体操競技場前の広場で進められた 】
「 私たちも非正規職労働者だ! 生存権と労働権を保障しろ! 」 性売買女性が公式に自分たちの組織をスタートさせた。
龍山、ミアリ、永登浦、千戸洞、仁川、平沢、水原、浦項など、全国から集まった3000余りの性売買集結地女性は29日の午後5時、蚕室体操競技場の前で 「 性労働者祭り 」 を開いて 「 われわれは労働者だ。 性労働者の労働権、生存権を保障しろ 」 と声を上げた。
彼女たちはこの席で全国性労働者準備委員会代表を選び、宣言文を採択するなど、公式の発足行事を開いた。 蚕室体操競技場側の利用不許可の方針で、性売買女性たちは体操競技場前の広場で行事を行い、あちこちからこれに抗議する声が上がった。
全国性労働者準備委員会は、昨年9月の性売買特別法施行以後、 「 生存権を保障しろ 」 と要求して国会前でデモをした流れを受けて発足した。 5月25日にインターネットにカフェを作り、公式に活動を始めた。 6月10日には平沢性売買集結地女性200余人が"性労働者も労働者だ"として夜間デモを進行することもした。
【 全国性労働者準備委の代表に選出されたジョンモ氏が発足宣言を朗読 】
全国性労働者準備委性売買特別法の廃棄を要求
この日開かれた行事で進められた全国性労働者準備委員会の発足行事を通して、平沢性売買集結地で働くジョンモ氏が代表に選出された。 ジョンモ氏は、全国性労働者準備委員会発足宣言文を通して 「 今日、性労働者の日、この席に私たち性労働者が集まるまでには、去年の冬の強い風に吹かれた汝矣島での極限的な断食闘争をはじめ、全身で絶えず抵抗した性労働者の生存権闘争があったからこそ可能だった 」 と述べ、 「 性売買禁止主義という反人権的な政策が、いわゆる参与政府という盧武鉉政権になって、強力に施行されるのは理解できない 」 と性売買特別法の廃棄を要求した。
続いて 「 女性界の権力者たちは、性労働者が客を待っている姿を嫌いだ。 彼女たちは、どうして男性に女性のからだが売れるのかと考えながら、性労働者を一挙に退治する対象と感じさせている 」 と、女性団体を強く批判して 「 女性界が性売買特別法の実績として自慢する集娼村の業者が40%減少したこと、性労働者数が50%減少したことは、あらゆる陰の性売買分野のバブルを誘発したに過ぎない 」 と声を高めた。
全国性労働者準備委、生存権、労働権、健康権争奪闘争を決議
行事では全国性労働者準備委員会10大規約が発表された。 彼女たちは 「 性労働者は市民であり、主権者であり、性労働者は労働者であり、非正規職だ。 したがって、全国性労働者準備委員会は追い出されている性労働者の権益を擁護し、人間らしい世の中を作るために、10大規約を決議する 」 と述べ、 ◆生存権、労働権争奪闘争 ◆性労働者に加えられる各種人権蹂躙阻止闘争 ◆健康権保護 ◆性購買者処罰反対 ◆事業主との合理的、民主的関係成立 ◆人身売買、監禁、恐喝、暴行などが介入する犯罪的な性売買に反対 ◆脱性売買は性労働者の自律的な選択決定 ◆性売買特別法廃棄 ◆全国的組織化 ◆民主勢力との連帯を決議した。
この日の行事にはコチョンカプィ韓神大教授、イソンスク梨花女子大教授、女性理論研究所、社会進歩連帯などが参加し、連帯発言をした。
コチョンカプィ韓神大教授は 「 今日は性売買女性が自分自身の労働性を認識した歴史的な日だ。 今まで困難の中をがんばってきた性労働者たちは、いま、労働者意識を持ち、性売買の非犯罪化のために力強く戦い抜こう 」 と連帯の心を伝えた。
2005年06月30日14時35分 原文(チャムセサン)
どうでしょう。現役朝鮮人売春婦( 従民慰安婦ですか? )の人たちの意見です。
★ われわれは、ほとんどの人々と同じように自発的に働き、その賃金で生活する。 単に仕事の内容が性的サービス分野だというだけだ。
★ 性労働は、 貧益貧・富益富による社会構造の産物だ。
★ われわれは被害女性ではなく、堂々と働く労働者だ。
★ 社会人が 思うより、私たちが働く現場では事業主よりもむしろセックスワーカーの地位の方が高いと思っていい。
平和なこの時代にも売春はあります。ましてや、我が国においては昭和31年に売春禁止法が成立するまで( 施行は33年 )、売春は合法でした。
これら売春婦の言葉を自称 「 従軍慰安婦 」 とかの被害者とかいって、自らの過去を捏造している面の皮の厚い朝鮮人ババァ~たちに、ぜひとも聞いてもらいたいものです。
豊かになった今でも売春買春大国の韓国。 今よりも貧しかった昔でもそうだったんでしょう。 自発的に売春に行ってがっぽり儲けた者も、すべてを日本のせいにすればさらに賠償金が貰えるという薄汚い思惑がミエミエです。
まあ、相変わらずアホな事をいっている朝鮮人戦時売春婦も多いみたいですけど‥‥‥コイツらは ずぅ~と、アホやってろという感じですが、こういったアホ連中の戯言よりも、その戯言に踊らされる 河野洋平 など売国奴どもが我が国の一番の問題でしょう。
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