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韓国よもやま話 Part4 ・・・・・ 川島道子
朝鮮通信使 その二
豊臣秀吉の朝鮮出兵によって大きな被害を受けた朝鮮王朝と、
誠意を持って戦後処理にとりくんだ徳川幕府との間にようやく
和平が成立しました。朝鮮通信使は慶長12年(1607)から
文化8年(1811)までの計12回。将軍の代替わりや世継ぎの
誕生を祝って来日しましたが、両国は国をあげての交流を、
朝鮮王朝側は通信使みずからの回想録や絵師による絵画、徳川幕府は
御用画家や町の絵師に命じて記録させました。総勢504名からなる
善隣友好のシンボル、朝鮮通信使の往復6ヶ月の旅がはじまりました。
(朝鮮通信使の行程)
漢城(ソウル)を出発して陸路釜山にむかい、海峡をわたって対馬に到着すると、藩主宗氏がのる御座船を先導に、対馬藩の船が40隻(対馬藩士800人)が随行して、本州へむかいます。
朝鮮通信使を先導しての江戸までの往復の案内警護は、対馬藩にとっては諸大名へのデモステレーション道中であり、その年は参勤交代も免除されました。
(鞆の浦に入港する通信使船団図屏風)
享保4年(1719)第9回通信使の製述官(公文書など作成)・申維翰(シンユハン)が、壱岐にむかう通信使船団を見て「あたかも一島が空になったような感じ」と感嘆しました。壱岐をへて筑前に渡り、新宮沖の藍島(相島)に到着しました。福岡の黒田藩は52万石のメンツをかけて、動員された船50隻、船頭、水夫3600人、新設された建物24軒と、膨大な経費と人力を投入しました。
(通信使船団図屏風ー部分)
黒田藩が200年間なぜ博多港から11キロ離れた藍島に通信使接待の場を設けたのか疑問が残りました。博多の城下には黒田長政によって連行された朝鮮人の居留地(唐人町)があったからではないかと言われています。藍島では第10回の寛延元年(1748)の通信使滞在中には、黒田藩の儒学者貝原益軒が、甥や門人を伴い通信使と密度の濃い交流を行いました。
(朝鮮通信使船団図屏風その1)
藍島を出発した通信使船団は関門海峡をめざして北上し、やがて豊前小倉藩の送迎船があらわれて福岡藩と交代します。小倉藩の船団は関門海峡の中ほどで、長州藩にバトンタッチして、日本本土の上陸地赤間関(下関)に到着。通信使が宿泊した阿弥陀寺は現在の赤間神宮。
(朝鮮人御饗応七・五・三膳部図)
大型の朝鮮船6隻を曳航するため、長州藩は各浦から船舶を集め警護に努めました。水軍の村上氏が海上責任者とされ、彦島や巌流島から、安芸の下蒲刈島(しもかまかりしま)までの警護と通信使船曳航のリハーサルを入念におこないました。通信使の接待で最も心をくだいたのが御馳走のメニューでした。対馬藩を通して通信使の好物のリストを入手し、「牛、猪、鹿、豚、鶏、雉、鯛、鮑」などが用意され、内臓の調理方法やキムチの漬け方など料理に工夫がされました。
「通信使船上関来航図」田能村竹田画
次の寄港地、上関(かみのせき)は毛利藩の直轄地で周防灘の三関の一つで交通の要衝でした。通信使の一行は海の本陣である用意された宿館に入りましたが、岩国藩士や対馬藩士の宿舎は町屋にふり当てられたため、島民は山中に臨時の仮屋を建ててくらす不便に耐えました。
上関でもこれまでと同じように、岩国の儒学者との交流があり、一般の町人や漁民も熱狂的に通信使の書を求めました。
(長府藩の川御座舟)
安芸の下蒲刈島は徳川幕府の成立によって整備された港で、12回の通信使の往復のうち11回寄港していますが、通信使500人、対馬藩、広島藩の関係者4000人の来島は、島が沈むと表現されたほどで、経済的負担も膨大でしたが失礼や事故のないように気をつかいました。
広島藩では、通信使の来日が決まると到着5ヶ月前から接待のための準備にとりかかります。まず「御馳走所絵図」にもとづいて大工を送り込み、迎賓館の「御茶屋」の改修にとりかかり、接待の酒菓子奉行蝋燭奉行、賄い青物奉行、活蓄・活鳥奉行の総勢759人が島に渡り専念しました。心を込めた料理は正徳元年(1711)第8回朝鮮通信使をして「天和度(1682)安芸下蒲刈島御馳走一番」と言わしめるほどでした。
次の寄港地、広島県福山市の備後灘にせり出した半島の南端に位置する鞆の浦は、天然の良港で、鞆の浦の高台に建てられた「対潮楼」は通信使のための迎賓館でした。上記の絵は近年現われた絵で、正徳元年の通信使船団を描いたものと言われています。
(朝鮮通信使御楼船団図屏風)
船団は朝鮮の外洋船に水先案内や警護の船が1000隻を超え、沿岸の人々にとってはめったに見ることのできない華やかな光景に、江戸時代中期の代表的な俳人・与謝野蕪村は、「高麗船(こまぶね)のよらで過ぎ行く霞かな」と詠んでいます。
(牛窓の唐子踊り)
岡山の牛窓(うしまど)も古来潮まち港として栄え、良質の水が出るので通信使の船団も度々補給を受けていました。港々での通信使の一行とさまざまな交流により、牛窓に伝わる「唐子踊り」は、滞在期間2週間におよんだ通信使の置き土産といわれています。
(小童)
正使、副使、従事官には身のまわりを世話する小童(しょうどう、日本の小姓)が毎回十数人いて、多芸多才の持ち主の彼らは、正使たちの旅の退屈を慰めるために楽隊に演奏させ、「小童対舞」を舞いました。そのたびに黒山の人垣が作られ、みんなが楽しみました。
各地の朝鮮通信使の風流が消えてしまった今日では、通信使の置き土産として人気が高まっており、保存会の人々の熱心な努力で若い世代にうけつがれているようです。
「通信使室津湊御船備図屏風」
近年出現した上記の地図屏風は、室津湾の地形を真上から正確に描いていて、港の風景も克明に描かれた珍しいものです。港内をうめつくした姫路藩の水軍の船は、全船団の三分の一にすぎず、入りきれない船は港外に停泊しました。この室津沖では見物船が無数にあり、そのうちの1隻が朝鮮船に接近しすぎて転覆、救助されると言うことがありました。
船に近よることは厳しく禁止されていましたが、お触れも上の空で似たような事件が前後して度々起きていました。
(朝鮮通信使国書船団図屏風その1)
瀬戸内海第一級の外交都市、兵庫津は大船団を迎えるに当たって、尼崎藩をはじめ大阪町奉行所の役人たち関係者1万人で、人口は3万人にふくれあがっていました。兵庫津では接待用に六甲山地で28回におよぶ猪狩がおこなわれました。通信使船団は尼崎藩の数百隻の案内警護船に守られて大阪港に到着。
(朝鮮通信使船団図屏風その2)
大阪は朝鮮通信使にとっては、豊臣秀吉の居城の地として忘れることのできない土地でした。同時に繁栄していた大阪の町々や、着飾った人々の印象も強烈でした。吃水のふかい朝鮮船から幕府が用意した「御楼船」にのりかえ、諸大名の川御座船が続き、総数150隻の船団が淀川を上っていきました。
(朝鮮通信使船団図屏風その3)
黄金でおおわれた川御座船の櫓をこぐ水夫たちのそろいの亀甲紋の衣装を見たとき、通信使の一行は日本側の心遣いに心がなごみました。亀甲紋は古くから長寿をあらわす、おめでたい紋様として使われていました。
信(よしみ)を通わす朝鮮通信使には最大級のもてなしとして、館を設けた川御座船が用意され、左右から数千人の綱引き人足にひかれてゆっくり進んで行きました。
(朝鮮通信使船団図屏風その3の部分)
国書先導船を先頭に、水路さらえを終えた淀川を朝鮮通信使の大船団が
進むにつれ、川の両側には近郷近在から30万を超える人々で立錐の余地もないほどでした。裕福な町人たちは川べりに毛氈を敷いてお弁当持参でくつろぎ、着飾った女性たちなどで大賑わいでした。
川御座船を用意した諸大名は、この記念すべき国際交流を絵師に描かせ家宝としました。
(朝鮮通信使国書船団図屏風その2)
大坂の民衆にとって人気の高いのが朝鮮の楽隊で、朝鮮船上で日本にはないさまざまな楽器で音楽が演奏されると、日本船のこぎ手は船歌でこたえ、両岸の観客は異国の文化に陶酔しました。通信使の楽隊は行く先々で大好評でした。
(朝鮮通信使船団図屏風その3の部分)
通信使一行の行く先々で、その宿舎には学問や風雅の道を志す人々が押しかけ、通信使との面会をもとめました。中でも大阪は他の地方の何倍もこのような人が多かったと記録されています。会話は筆談で漢字でおこなわれましたが、漢文の実力は朝鮮側の方が格段に上であったと言われています。
朝鮮王朝では1415年には日本との 交流のため日本語通訳を養成する役所をもうけ、質の高い日本語通訳を育てていました。日本側が本格的に朝鮮語通訳を育て始めるのは300年もたってからでした。
(伊達家の川御座船での抹茶の接待)
大阪で数日滞在した通信使の一行は、ふたたび絢爛豪華な川御座船で淀川をさかのぼり、淀に向かいました。大小の随行船にかこまれた国書船、正使船、上々官船などのきらびやかな御座船が、異国の音楽の流れるなかをゆっくりと進む光景は一幅の絵のようでした。
船内で一行は抹茶をふるまわれ、朝鮮の茶碗が日本で珍重されていることを知って感激するなど、終始なごやかな雰囲気に包まれたと言われています。釜山から海路、対馬をへて瀬戸内海を航行してきた通信使の長い船旅も京の淀で終わり、これより陸路を都にむかいます。
朝鮮通信使その一・その二の参考資料
朝鮮通信使絵図集成 辛基秀(シンギス)講談社
朝鮮通信使の旅日記 辛基秀 PHP研究所
わが町に来た朝鮮通信使 辛基秀 明石書店
図説朝鮮通信使の旅 辛基秀 明石書店
仲 尾 宏
辛基秀と朝鮮通信使の時代 上野敏彦 明石書店
日本・コリア交流の歴史 高麗博物館 明石書店
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