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삼국 시대(三國時代)
ドラマになった三国時代(高句麗、新羅、百済)
【特集/韓ドラここが知りたい/ドラマで知る歴史】
歴史ドラマの多くは朝鮮王朝が舞台の作品が多いが、英雄モノやアクションが好みの方は朝鮮王朝以前にも目を向けてみよう。今回は、高句麗、新羅、百済の三つ巴の時代“三国時代”からドラマで当時の歴史をたどってみたい。
まず韓国歴史年表を確認しよう。半島の歴史は紀元前2333年の檀君朝鮮から始まったとされている。後の李氏朝鮮王朝と区別するため古朝鮮と呼ばれている。日本では縄文時代末期のことで、この時代を神話と見るか歴史的事実と見るかは歴史のプロの判断に任せ、韓ドラおすすめ隊ではこの時代を半島の起源として話を進めよう。
当時の歴史的背景は、【古朝鮮~三国時代】チュモン王、ソドン王、タムドク王の生きた時代のページを先に確認しておいてほしい(読んだ後はページを閉じて♪)
韓国で一般に考えられている半島の正しい血統というのは、檀君に始まり、それを受け継いだ高句麗、高麗へと受け継がれたとされている。両親ともに王族の者を“聖骨”と呼び、これを正当な王位後継者としていた。しかし、朝鮮王朝は、聖骨でない一介の将軍の李成桂が受け継いでいる。朝鮮王朝に入ると、前の時代以上に階級や格式にやかましいのは、ひょっとしてこのあたりに関係しているのかもしれない。
では、ドラマの神話(古朝鮮)~三国時代年表で当時をたどってみよう(この表は最後まで開いたままにしておく)。それぞれのドラマのタイトルの先頭に(高)とあるのは高句麗、(新)は新羅、(百)は百済で、圧倒的に高句麗を舞台にしたドラマの多いことが見てとれる。どうやら聖骨を受け継いだ高句麗に人気が集中しているようだ。次に三国時代の地図で3つの国の地理的な位置を確認しておこう(この地図も開いたまま)。新羅と百済が隣り合わせで互いを脅かし、高句麗と新羅はつばぜり合いで、その境界は時代ごとに大きくスライドする。これに伽耶国が加わって世はまさに戦国時代だ。
高句麗という時代をドラマでたどるには、始祖の東明聖王を主人公にした「朱蒙」から観るのが定石。しかし、高句麗の神聖性を理解するには、先に「太王四神記」の第1話を見ておくとよい。(C)TSG Production Company LLC.つまり、韓ドラの歴史ドラマは「太王四神記」の第1話から始まったといっていいかも知れない。但し、このドラマは神話をベースに書き起こされたファンタジーだということをお忘れなく。続いて、「朱蒙」「風の国」「幻の王女チャミョンゴ」「太王四神記」「淵蓋蘇文」と順にドラマを観ると、高句麗の全体像がつかめるが、「幻の王女」は「太王四神記」の第1話と同じくファンタジー性が高く、ロマンスがメインテーマなので、そこを理解しておくこと。
ただ、「朱蒙」「風の国」「幻の王女」の3作は、チュモン本人から孫、曾孫の4代に渡る“華麗なる一族”の物語なので、チュモンつながりで続けて見るのも一興だ。もっとも、「風の国」の主人公、ムヒュルの描かれ方が「風の国」と「幻の王女」とでは全く違うので、ソン・イルグクが演じたムヒュルのファンの方は覚悟してからご覧になるように。びっくり仰天間違いなし!
先ほど開いたドラマの年表をもう一度見て、ページ最後に4本のドラマがひしめいているのを確認して欲しい。そのうち2本は百済と新羅が舞台のドラマだ。「朱蒙」では、百済を建国したのはヒロイン、ソソノ嬢の次男で、チュモンの実子ではない設定になっている。しかし「三国史記」にはチュモンの実子と記されている。つまり、高句麗の第2代ユリ王の義母弟ということになる。そして、高句麗と百済は同属と見なされている。百済は日本と友好関係にあった国で「日本書紀」には登場しているが、残された資料は少なく、謎の多い国とされてきた。その意味では、「薯童謠」ははじめて本格的に百済という国を描いた意味深い1作といえよう。「薯童謠」は、百済30代武王となったチャン王子の英雄伝に、新羅の姫との悲恋を絡ませた素晴らしいドラマ。「チャングムの誓い」スタッフが再集結して作った作品で、韓ドラおすすめ隊イチ押し作品だ。
MBC&iMBC All right reserved.ところで、新羅は後に半島を統一する国でありながら、ドラマ化されているのは「善徳女王」と統一新羅時代の「海神」ぐらいと少ない。新羅は、百済と違って資料も残っているはずだが…。これには、何か理由があるはず。ひょっとすると、新羅が唐(中国)と連合して高句麗を滅ぼしたことで、冷遇されているのかもしれない。そうだとすれば、新羅は何故唐と手を組んだのか?それなりの理由があったはず。この答えは、「善徳女王」と「淵蓋蘇文」のドラマにあった。
「善徳女王」は新羅の27代女王で、この時代、新羅は高句麗と百済との同盟によって孤立した状況に追い込まれていた。そこで唐(中国)に望みを託したが、高句麗&百済の連合軍に邪魔され唐への連絡路を絶たれてしまった。おまけに百済と伽耶に挟まれるように攻め入られた新羅は、仕方無しに高句麗に助けを求めた。しかし、高句麗の武将ヨンゲソムンはキム・チュンチュ(後の29代武烈王)を助けるどころか監禁してしまった。どうにか脱出に成功したキム・チュンチュは「こうなりゃ、唐と手を組んでやっつけてやる!」とばかりに唐に近づき、とうとう、高句麗と百済は新羅&唐の連合軍にやられてしまうのだ。新羅はこれによって半島統一を果たした。もしあの時、高句麗がキム・チュンチュを助けていれば…歴史に、“もし”も“~れば”もありえないが、「淵蓋蘇文」を見て思わず考えてしまった。「淵蓋蘇文」は、高句麗の武将ヨンゲソムンを英雄として好意的に描いているが、「大祚榮」では彼のことを別の見方で描いている。先ほどのムヒュル(チュモンの孫)もそうだが、実在の同一人物が、ドラマの描き方でいくようにも変わる。これが歴史ドラマの醍醐味だ!
この後半島は統一新羅として新羅が治める。しかし、北部地方には高句麗の血を受け継ぐ渤海が新羅を睨んでいた。
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