http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle/2953448.html
蒙古襲来絵詞
2006/4/20(木) 午後 9:26無題歴史
教科書や歴史書などによく載せられているので、ご覧になったことがある方も多いと思いますが、上に張ったのは元寇にかんする貴重な資料、『蒙古襲来絵詞』の一場面です。
右側に描かれているのが絵巻を描かせた肥後の御家人・竹崎季長です。
一見すると、馬を射られた竹崎季長に、恐ろしげな形相の蒙古兵が今にも襲い掛かろうとしているようで、いかにも日本軍が苦戦しているように見えます。
ところが、驚くことにこの3人の蒙古兵は、後世に加筆されたもので資料的価値はまったく無いのです。
『蒙古襲来絵詞』に描かれた本物の蒙古兵は、上の画像の外に描かれています。
比較すれば本物の蒙古兵と加筆された蒙古兵とでは、あきらかに服装や線の太さが違うのが判ると思います。
さらに本物の蒙古兵は、大半が逃げ腰で中には負傷している者もいます。
実はこの蒙古兵たちは、赤坂で日本軍の集団戦法によって散々に駆け散らされたため、敗走している最中だったのです。
鳥飼潟で逃げて行く蒙古兵を発見した竹崎季長は、追撃を試みましたが馬が射られたために、残念ながら敵を討ち取ることはできませんでした。
つまり、この絵は基本的に「元軍に苦戦する日本軍」ではなく、「日本軍に苦戦する元軍」を描いたものなのです。
他の場面でも、攻めているのが日本軍で、逃げているのが元軍です。
本物の蒙古兵をカットして、わざわざ加筆された蒙古兵だけを抜き出し、いかにも日本軍が苦戦しているかのような説明文を添える・・・
どうしてこんなデタラメが、多くの歴史書や教科書などで、堂々とまかり通っているのか理解できません。
あの3人の蒙古兵が加筆されたものである事が判明したのは比較的最近のことなので、それ以前の書籍なら仕方が無いと思う方もいるかも知れません。
しかし、『蒙古襲来絵詞』に付属する文章を読めば、この絵巻がどういう内容のものかは、最初から理解できたはずなのです。
http://kakopipe.blog38.fc2.com/blog-entry-315.html
68 名前: リービッヒ冷却器(長野県) 投稿日:2009/12/22(火) 14:29:13.46 ID:f1tO3fFs
お前らが小学校時代に習って今でも信じている元寇
オリジナル
普通に日本側が圧勝だったことは絶対に学校では教えない
お前ら自身、大苦戦の結果辛勝したって今でも信じてるだろ?
なんで大学の歴史研究と小学校の現場でこうも歴史の内容が丸っきり違うんだろうな。
136 名前: 墨(不明なsoftbank) 投稿日:2009/12/22(火) 14:51:00.36 ID:PNWW1xbw
>>68
この絵の説明に当時の日本は一対一で名乗りあって戦ってたから苦戦したみたいなこと書いてあったな
後ろにいっぱいいるじゃないか
145 名前: インク(アラバマ州) 投稿日:2009/12/22(火) 14:53:36.18 ID:94wX9tdq
>>136
俺も小学校でそう教わった。
嘘だったんだよなぁ。
なんでそんな露骨な嘘教えてたんだろ?
193 名前: ムーラン(アラバマ州) 投稿日:2009/12/22(火) 15:19:00.65 ID:HrgLquCR
>>68
この前、これの現物を東京国立博物館で現物見てきた
水先案名無い人 :2009/12/23(水) 00:24:20 ID:ENhHkQ+O0
>>292
恩賞を貰うのに尽力してくれた恩人が死んだんで作ったとさ
蒙古襲来絵詞
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/index.html
一騎だけ飛び出して中央にいるのは、これを作らせたスポンサーの竹崎季長
つまり主人公を強調する絵画の演出かもしれない
鎌倉武士団が一騎打ちを挑んだというのは資料の誤読だという説もある
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle/9401856.html
http://mckyblog.jugem.jp/?eid=361
え~...元寇って
俺が中学だか高校だったか教科書にのってた絵はこんなの
たしか
圧倒的な戦力だった元軍に
戦力的にも劣勢な鎌倉軍
また当時としては武士が「やあやあわれこそは」と名乗りをあげて一騎打ちをしかける鎌倉武士に対して
容赦なく集団戦法&火薬兵器で戦術的にも不利で滅多クソにやられまくったんだけど
神風のおかげでからくも日本側勝利した..
って教わってまして、まぁこの絵みた限り劣勢っぽいな~って見えますよね。
でもこの絵、元寇を習った当時から
なんか元軍の「腰が引けてる」風なスタイルが気になってたんだけど
これは当時の画力でこんな描きかたなのかと思ってました、はい。
でも実はこれ、絵の一部だったんですね!
両端をみてみると.....
まずピンチな風な鎌倉武士の後ろ側は....
なんとイケイケな精鋭部隊が控えており...
加えて元軍側の後方はどうなってるかといえば...
あれれ??
完全に印象違っちゃった(笑)
元寇はかなり楽勝楽勝で日本側が勝利したらしいっす♪ ってのが正しい歴史?
冷静に考えれば確かに戦略的に日本が楽勝なのはうなずけます。
当時の鎌倉幕府、一応武士政権っすから
軍事力ってのはまあまあ世界的にみても高レベルだったんでしょう。
最初は「武士の礼儀」的なのはあったにしても戦線が膠着すればそりゃ実戦的な布陣をひくでしょうし
「武士」という兵力はかなりの戦闘レベルとおもわれ...
片や元軍...
いくら騎馬民族とはいえ船による用兵で大規模に騎馬を運用するのはむりっぽいし
(現に絵を見る限り馬ないしw)
最新兵器な火薬も原始的なものだから戦局を左右するまでに至らなかったろうし
なにより現代、近代戦においても
海を越えて上陸作戦を展開するためには敵の10倍の兵力が必要とされるのは常識で
(この点、中国とか北朝鮮とかロシアが日本を攻めるに十分な脅威となってる点は各々の戦略本部で自覚されてるところ)
まぁ冷静に考えれば元寇って日本楽勝だった説がやっぱ正しいんでしょうね....
でもさ
なんでこんなふうに教えてるんだろね??
なんかね....自虐史観?(戦後日本の)
っておもっちゃうのは考え過ぎか?
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