池坊独特の生け方
ニホンズイセン(Narcissus tazetta var. chinensis),Nihon-Zuisen
二本のみで構成 made by only two rods
体 Tai, on the front,千鳥に Chidori
http://blog.goo.ne.jp/amenimomakezu123/e/33f62a6af054c9cf124f68d56ea2e4bc
http://xn--m9j881n25q.jp/cat17/post_883.html
日本水仙(ニホンズイセン)
お正月の生け花に欠かせない日本水仙(ニホンズイセン)は、気品のある姿と香りで人気があります。日本水仙(ニホンズイセン)といっても、古い時代にシナズイセンが日本に渡来して、それが野生化したものといわれています。このシナズイセンもまた小アジア~地中海東部地方がルーツらしいです。
ニホンズイセンは越前海岸の群落が有名であり、福井県の県花ともなっています。
日本水仙(ニホンズイセン)
ニホンズイセンの民話も越前地方にあります。
村長の二人の息子が、ある村娘をそろって好きになり、村娘が悩んで越前海岸から身を投げてしまいました。
そののち村人が海岸に流れ着いた草を植えたら、やがて花が咲き、それが水仙なので村娘の化身という話が残されているそうです。
こういう話を思い浮かべながら水仙をみると、花が清楚な村娘にみえてきます。
ギリシャ神話の美少年ナルキソス(ナルシッサス)も、水面に映るわが姿に見とれ,そのまま花になってしまったのが水仙だということです。
そこで,英名は narsissus です。また,自分の美貌に酔いしれる人をナルシストと呼ぶのもここから来ています。
※ウィキメディア参照
海外では水仙は「希望」の象徴であり、ガン患者をサポートする団体の多くで、春の訪れと共に咲くこの水仙が「希望」のシンボルとのことです。
http://plumkiw948.at.webry.info/201201/article_8.html
中国の水仙に関わる起源伝説。
冬の寒い日、乞食が、漳州南郷の園山の麓の家を訪ね、食べ物をもらおうとした。応対に出た老母は、残っていたご飯を惜しまずに乞食にあげた。ご飯を食べた乞食は、老母の田が何処にあるのか尋ね、老母と一緒にその田へ行った。乞食は田の中に食べたご飯を吐き出すと、老母に「これからは、花を売って暮らしなさい」と言い残して、近くの湖に身を投げて姿を消してしまった。やがて、乞食が田に吐き出したご飯粒から芽が出て、正月には一面に花を咲かせた。水に身を投げた神仙が授けてくれた花なので、その花は水仙花と呼ばれた。
アガツマスイッセン(吾妻水仙)に関わる伝説。
遠い昔から、スミレ(菫)とアガツマスイセン(吾妻水仙)は、仲よく立ち並んで咲いていたのに、アガツマスイセン(吾妻水仙)は、その堅い葉をもって、度々スミレ(菫)すみれを傷つけるのであった。これに憤慨していたスミレ(菫)は、或る風の強く吹く日に、アガツマスイセン(吾妻水仙)が地に倒れた時、日頃の復讐をなすはこのチャンスだとばかりに、スミレ(菫)は尖ったその葉をもって、アガツマスイセン(吾妻水仙)の花の一片を切り落としてしまった。この時から、アガツマスイセン(吾妻水仙)の花は、三辨に咲き出るようになった。
イスラム教の開祖、歴史上の人物として宗教家であると同時に政治家であり、或る時は軍事指揮官でもあったマホメットの教えの1ツで、「2切れのパンを持つ者は、その1切れをスイセン(水仙)と交換しなさい。パンは肉体に必要だが、スイセン(水仙)は心に必要だ。」とある。
イギリスの国花の1ツ、福井県の県花である。
スイセン(水仙)を詠んだ俳句
「其のにほひ 桃より白し 水仙花」 松尾 芭蕉
「初雪や 水仙の葉の たはむまで」 松尾 芭蕉
「水仙や 白き障子の とも映り」 松尾 芭蕉
「水仙や 寒き都の ここかしこ」 与謝 蕪村
「水仙の 花の高さの 日影かな」 河合 智月
「水仙の 香やこぼれても 雪の上」 加賀 千代女
花言葉は、自己愛やうぬぼれなどである。
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