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Thursday, August 9, 2012

三綱行実図 Sam Kang Hang Sil To, Bible of Korean Confucian morality

http://2chnull.info/r/news4plus/1318389533/301-400

331:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/12(水) 23:53:50.46 ID:MM9tBi60
>>316
もちろん日本の識字層の広がりとは比べるべくもないが、
庶民階層でも文字を読み書きできる人は少数ながらいて、彼らはハングルを読み書きしていた。

例えば民衆(特に婦女子)に対する儒教的な道徳教化を目的に編まれた『三綱行実図』や『続三綱行実図』、『烈女伝』は長く版を重ねて広く読まれた。

1618年には、許筠(허균 ホ・ギュン)がハングルによる最古の小説『洪吉童伝』を著した。
詩歌や儒学のハングル書籍は既に存在したが、150年経ってようやく庶民が親しむ小説が登場したことになる。

朝鮮王朝末期まで、公式にはエリート層の両班は漢文を用い、ハングルは身分の低い庶民が使うものという扱いだった。
エリート層の両班である許筠が、暴君と戦う主人公をヒーローとして、ハングルで用いて書いたのは、体制へのアンチテーゼであるといえる。
また、このような小説が出たということは、庶民に対してハングルがある程度浸透したということを窺わせる。

18世紀以降には、朝鮮の伝統的な口承文芸の「パンソリ」を小説化したパンソリ系小説が人気を博した。

Sam Kang Hang Sil To
三綱行実図
(삼강행실도)1490年刊行



〈人物で見る朝鮮科学史-51〉 世宗とその時代⑩
朝鮮独自の暦書の基礎築く



鄭招をはじめ「七政算」の編さん者を伝える「世宗実録」
1405年、文科に及第した鄭招は、2年後には司諫院正6品左正言となり、世宗の父である第3代・太宗王に仕えていた。その年の5月は酷い日照りとなり、太宗は臣下に自身に徳がないためかと尋ねた。他の官吏たちは口を閉ざす中、鄭招は税に関する新しい法が民を苦しめているからだと直言した。鄭招の性格を物語るが、その後、しばらくは彼に関する記録が見当たらないことから、むしろこれが災いして閑職に追いやられたのかもしれない。そんな彼が華々しく再登場するのは、1418年に第4代王となった世宗の経筵官となってからである。

経筵官とは、王に経書を講論する官吏で、いわば学問の師である。もともと、才能豊かで易経、書経などいわゆる六経に深く通じていた鄭招への世宗の信任は厚く、彼が司諫院の正3品に昇進したあとも例外的に経筵官を兼任させた。

ある時世宗が、「自分は宮中で育ったので民の苦労を知らない。どうすればいいか」と鄭招に尋ねたところ、彼は直接民から話を聞くべきと答えたという。世宗はそんな鄭招に「農事直説」の編さんを命じたのである。


三綱行実図

「農事直説」についてはすでに紹介したが、この頃、鄭招は暦書の研究にも携わっていた。「世宗実録」1430年8月3日の記事は世宗の言葉として「以前には宣明暦の法だけを用いた結果誤りが多かったが、鄭招が授時暦の正確な計算をやり遂げて暦書の編纂が遂行できるようになった」と伝えている。1443年に朝鮮独自の暦書「七政算」が完成するが、その基礎を築いたのは鄭招といえる。

また、鄭招は1434年の「三綱行実図」の編さんにも参与している。「三綱行実図」は、忠臣・孝子・烈女など個人の事績に関する資料を集め、文章とともに図で内容を紹介したもので、封建的道徳思想の教育を目的にしたものである。さらに鄭招は、楽譜「会礼文武楽章」、軍事書「癸丑陣書」の編纂も行っており、やはりその才能は異彩を放っている。

鄭招がこの世を去ったのは1434年であるが、もし科挙に及第したのが20歳くらいであったなら50代で没したことになる。同世代の鄭麟趾は83歳まで生きて第6代の太祖時代には領議政まで上りつめ、世宗時代を代表する学者といわれるが、もしも鄭招が長生きしていれば、彼こそこの時代随一の学者と称されていたかもしれない。

さて、世宗時代に活躍した人物とともに、この時代の科学技術的業績を紹介してきたが、特筆すべき事項がまだ残っている。すなわち、世界最初の雨量計「測雨器」の考案と朝鮮の固有文字「訓民正音」の創製である。この二つについては稿を改めて詳しく述べることにしたい。(任正爀・朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2008.3.28]







http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2011/03/1103j0513-00001.htm

〈ハングルの旅 4〉 創製にまつわる数々の記録
なぜハングルを創ったのか?

誰が、何のために、いつごろからハングルを創ろうと考えたのか? これに関する明快かつ詳細な記録はほとんどない。しかし、手がかりがまったくないわけでもない。

1428(世宗10)年に訓民正音を創製しようとする意図を見て取れる記録がある。それは1431年に世宗が集賢殿の副提学である偰循に命じて作らせた「三綱行實図」という本の刊行と関わる事項である。

「三綱行實図」は、儒教の道徳書で君臣・父子・夫婦間で守らなければならない道理を朝鮮と中国の忠臣・孝子・烈女をそれぞれ35人ずつ、合わせて105人を選び絵と漢文で説いたもので1434(世宗16)年に刊行された本である。この本は1481(成宗12)年に忠臣・孝子・烈女を35人に減らし初めてハングルに翻訳して刊行された後、1511(中宗6)年、1516(中宗11)年、1554(明宗11)年、1606(宣宗39)年、1729(英宗5)年にもそれぞれ重版され道徳書として活用された。





「三綱行實図」

1428年に慶尚道晋州に住んでいた金禾という者が父親を殺害するという事件を起こすが、これに大きな衝撃を受けた世宗が「世の中の風俗が乱れて子が子としての本分を果たさない者もいる。孝行録を作りこのような愚かな民を教えなければならない」と言ったという。

「三綱行實図」は、孝行を奨励する本を刊行して民に読ませるという趣旨で1431年に集賢殿の副提学である偰循に命じて作らせた本である。この本は1434年(世宗16)年に刊行されるが、この時期に世宗は、「漢文は民が習いにくいので、簡単に習い、読んで書くことができる文字があれば良いのだが」と言っている。

漢字を読むことのできない民が、絵だけでは十分意味を理解することができないだろうと文字を知らない民を憐れに思ったのであろう。これが、簡単に習って使える文字の創製の必要性についての世宗の最初の言及であると思われる。

そして10年後の1443年、訓民正音の序文で世宗は「わが国の言葉は中国とは異なって中国語を表記する漢字と互いに通じないので、漢字の読み書きができない民は、言いたいことがあってもその意を述べることのできないものが多い。予はこれを憐れに思い、新たに28字を作った。人々が簡単に習い、日々用いるのに便利にさせたいからである」と言ったのである。

世宗は訓民正音を創った時、「三綱行實図」の漢文をハングルに翻訳して刊行しようとしたが臣下の反対にあって、ハングルによる「三綱行實図」の刊行を実現することができなかった。1481(成宗12)年になってようやくハングル版「三綱行實図」が日の目を見ることになる。世宗の命によるハングルによる「三綱行實図」の刊行すら、臣下に反対されて刊行事業を中断せざるを得なかったということは、新しい文字の創製がいかに難しい事業であったかを物語っている。


삼강행실도

《삼강행실도》(三綱行實圖)는 조선 세종 13년 때인 서기 1431년 왕명으로 편찬된 책으로, 총 3권이 1책이다. 책의 내용은 조선과 중국의 책에서 3강으로 일컬어지는 군신·부자·부부의 모범이 될만한 충신·효자·열녀 각 35명씩 총 105명의 이야기와 그림을 기록한 책이다. 1434년(세종 16) 직제학(直提學) 설순(?循) 등이 왕명에 의하여 우리 나라와 중국의 서적에서 군신·부자·부부의 삼강에 모범이 될만한 충신·효자·열녀의 행실을 모아 만든 책. 3권 1책. 인본(印本).
1428년 진주(晉州)에 사는 김화(金禾)가 아버지를 살해한 사건에 대하여 강상죄(綱常罪:사람이 지켜야 할 도리에 어긋난 죄)로 엄벌하자는 주장이 논의되었을 때, 세종이 엄벌에 앞서 세상에 효행(孝行)의 풍습을 널리 알릴 수 있는 서적을 간포(刊布)해서 백성들에게 항상 읽게 하는 것이 좋겠다는 취지에서 만들었다.




烈女もの分析(A Study of "Dong-Kuk-Sin-Sok- Sam - Kang-Haeng-Sil-do "Virtuous Women)。著者は、バクジュ(Joo Park)。学会、大邱(テグ)カトリック...



諺解サムガンヘンシルドのジョンボングァグギェボ(諺解三綱行實圖の傳本とその系譜)(A Study on Sam Kang Hang Sil To it's)

<<同国迅速サムガンヘンシルド>>烈女もの分析(A Study of "Dong-Kuk-Sin-Sok-Sam-Kang-Haeng-Sil-do" Virtuous Women)
언해삼강행실도의 전본과 그계보 (諺解三綱行實圖の傳本とその系譜) ( A Study on Sam Kang Hang Sil To it's )

http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/catalog/c022.html


「続三綱行実図(ぞくさんこうこうじつず)」 3巻 (朝鮮)申用漑等編 〔朝鮮〕 正徳9(1514)序刊 2冊 35.8×22.0cm
 君臣、父子、夫婦三綱の模範となるべき孝子36人、忠臣6人、烈女38人の行実を図を配し説明した書。世宗13年(1431)成立の『三綱行実図』以後の事例を採録する。中宗の命により正徳9年(1514)成立。各葉の表一面に図を刻し、裏に行実の漢文解説を記し、賛を加える。図の上欄には漢文と同内容のハングルを添記する。『三綱行実図』とともに日本に影響を与えた朝鮮書の一つで、江戸初期の孝子説話集には本書から題材を得たものもある。


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