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Tuesday, September 3, 2013

the exported korean Children,Adoption,they were UN comfort women's babies

http://leemilky.exblog.jp/15564902

report "exporting children"
vol.4 Yang-gongju,Miss.western princess


In this way, the international adoption began as a war orphan measures in the Korean War.
However, in practice, they were not war orphans, 70% of the children sent to the United States, was a half-breed after the war, whom born between the U.S. soldiers and Yang-gongju,Miss.western princess.

so called Yang-gongju,they were Korean women who sell against American soldiers. in Korean society, in order to prejudice against half-breed of these deep-rooted, human rights to them, they subjected them to overseas adoption.


レポート「아이수출=子ども輸出
vol.4~양공주=ヤンコンジュ=洋公主
 2011年 04月 18日
こうして、海外養子縁組は朝鮮戦争による戦争孤児対策として始まりました。

しかし、米国に送られる子どもの70%は、実際には、戦争孤児ではなく、戦後、양공주=ヤンコンジュ=洋公主と米兵との間に生まれた混血児でした。

양공주=ヤンコンジュ=洋公主呼とは、米兵を相手にする韓国人女性のことです。
韓国社会では、これらの混血児に対する偏見が根強く、彼らを人権擁護するために、海外養子縁組を行ったたのです。

このようなわけで、戦争孤児が成長し、海外養子縁組の必要が無くなっても、海外養子縁組はその後も、ずっと続くことになります。

ご承知の通り、日本でも、戦後間もなくは、パンパン・ガールと呼ばれる米兵を相手に商売する女性と米兵との間に生まれた混血児が偏見の対象となっていました。

米兵の居るところには必ず彼らを相手にする売春婦が存在するといいます。

しかし、日本では、GHQが、民主主義を定着させるために、建前的には公娼制度を非難。
1956年5月24日
売春禁止法公布。
翌年4月1日
売春禁止法施行。
それと共に、混血児に対する人々の差別意識も風化しました。


一方、韓国でも、米政は公娼制度を1947年に撤廃していますが、実質的には洋公主の存在はなくなりませんでした。

2004年9月
売春禁止法施行。
日本に遅れること、47年。
日本社会における混血児の立場と韓国社会のそれとでは、大きな隔たりがあるのも致し方ないことかもしれません。

http://leemilky.exblog.jp/15840138/

レポート「아이수출=子ども輸出」vol.5~進まぬ国内養子縁組政策 2011年 04月 19日致し方ないこととは言え、韓国の海外養子縁組は、常に国内外からの批判の対象となりました。

そこで、時の政府は国内養子縁組の推進政策を行いました。
しかし、世界的な歴史の大きなうねりの中で、それらの政策は幾度も挫折しました。





http://leemilky.exblog.jp/15896936/
レポート「아이수출=子ども輸出」vol.6~「아이수출=子ども輸出」汚名返上 2011年 04月 30日




アジア通貨危機による経済破綻からなんとか脱却し、経済的に安定した韓国は、先進国の仲間入りをし、それと共に、経済だけでなく、文化や福祉面においても新しい時代に入りました。
その結果、2007年には、初めて国内養子が海外養子を上回り、「아이수출=子ども輸出」の汚名返上へと大きく前進しました。
記事にもあるとおり、これは、独身家庭でも養子を迎えることを可能にし、養父母資格の上限年齢を50歳から60歳に緩和したほか、国内養子縁組優先推進制度を導入するなど、国内養子縁組活性化対策を施行した成果だと言えそうです。
最後に、vol.1で挙げた記事に戻ると、2009年の養子縁組は、2007年の結果を維持した形となっています。
記事は、「依然として国内で縁組されず海外に養子に出されるケースが続いていると分析される。」と伝えていますが、一方で、障害児に偏見の強い国民性からみると、国内養子縁組推進は時期尚早すぎるとの意見もあるようですから、調査結果をどう読み解くかは、養子縁組に対する考え方の違いによって変わるのでしょう。

映画「冬の小鳥」でも、先天性股関節脱臼の子どもは結局養子としては引き取られませんでした。
ホルト理事によると、「韓国では、口唇裂や先天性母斑など治療可能な医療問題がある子供を、『天の呪いを受けた』と言って捨てる事例が少なくない。」ということです。
こういった偏見は、日本にも未だ根強く残っている気がします。





http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120617/1339946702
2012-06-17
国連軍・韓国軍慰安婦の話Add Starsmtz8rawan60dimitrygorodokarama000dj19Gerardygg_drasillGl17Ayers6_9
従軍慰安婦

韓国軍慰安婦の存在を日本軍慰安婦に対する人権問題から目をそらす為の方便としか考えていないネトウヨ・嫌韓厨と違って、日本軍従軍慰安婦問題に関わった研究者は国連軍・韓国軍慰安婦についても研究しています。

たとえば、日本軍の戦争犯罪の研究で知られる林博史氏ですが、「軍隊と性暴力 朝鮮半島の20世紀」にある「韓国における米軍の性管理と性暴力―軍政期から一九五〇年代」という章で以下のように記述しています(P238-239)。

すでに述べたようにプサン地区から売春婦管理政策が実行され始めていた時期、韓国政府は国連軍向けの慰安方法の検討をおこない、一九五一年五月「国連軍への慰安方法の一例」という方針を決定した。この決定には、首相、内務大臣、国防大臣、陸軍参謀総長、海軍参謀総長、国家警察長官なども関わっており、韓国政府全体の意思を示していたといえる。このなかで、地方行政当局(知事、市長、警察)と協力して国連軍向けの慰安所とダンスホールを設置すること、韓国軍兵士向けの特別慰安団を設けることが計画されている。同年七月にはプサンで国連軍専用慰安所が七四軒、ダンスホール五軒が公認され、翌五二年七月時点では慰安所七八軒が公認されている。こうした国連軍専用慰安所の設置には米軍もしばしば関与しており、たとえば、一九五一年九月には米軍とソウル市当局の間で、ソウルの性売買女性をヨンドンポに集め、米兵向けとすることが協議されている。また済州島庁と米軍の間でも慰安所設置が議論されたという。
イ氏*1によると、その目的は、第一に韓国女性を米兵から切り離し、一般女性を保護するため、第二に韓国政府から米軍兵士への感謝の意を示すため、第三に兵士の士気高揚、戦闘力の維持のため、と整理している。
こうして設置された慰安所は全国に展開され、公認された慰安所以外にも国連軍向けの非公認の性売買施設がその数倍あった。一九五三年には特殊売春地区設置についても検討されているという。日本軍慰安婦問題が社会問題化する一九九〇年代の前までは、韓国では米兵相手の性売買女性を「慰安婦」と呼んでいた。また彼女たちは、「洋公主(外人向け王女yang gong ju)」「洋ガルボ(外人向け売春婦yang gal bo)」「国連婦人(UN madam)」「国連婦人(Mrs. UN)」などとも呼ばれており、朝鮮戦争時に国連軍・米軍向けの慰安婦、あるいは彼ら向けの性売買が組織されたことがこうした呼称の始まりだったとみられる。
イ氏は「日本帝国主義の遺物である『慰安婦』は朝鮮戦争中ならびにその後の韓国社会において制度化されていたことは明らかである」と結論づけているが、朝鮮戦争時に米軍と韓国政府がともに、韓国社会における軍隊向け性売買を組織的に生み出し、公娼制は表向きは廃止されたものの、のちの基地村(米兵向け性売買地区)や都市部の売春地区を生み出す契機となっていった。
ところで、日本軍慰安婦問題について、「物的証拠がない」「証言は証拠にならない」「強制連行ではない」「自ら望んで売春した」などと言って否定しているネトウヨらには、韓国軍慰安婦問題を取り上げる資格はありません。

理由は、2002年に韓国軍慰安婦問題を取り上げた金貴玉氏の次の記述を読めばわかるでしょう。

現時点で私は、大韓民国陸軍本部が一九五六年に発刊した『後方戦史(人事篇)』(以下『後方戦史』)以外に軍「慰安所」に関する文書を探し出せていない。だが、歴史の真実を追及する方法は一つではない。私の研究方法は、民衆の記憶に声を吹き込み、抑圧された真実を記録するオーラル。ヒストリー(口述史)の方法論である。確かに軍「慰安婦」であった女性は沈黙してきた。だが、軍「慰安婦」と関わりを持った多くの男性たちの証言は得ることができる。
(P286)
つまり、嫌韓ネトウヨが日本軍慰安婦問題を否定するときのように、証言を証拠とみなさないのなら、韓国軍慰安婦問題も否定しなければならないわけです。日本軍慰安婦問題は否定し、韓国軍慰安婦問題だけをあげつらうのは、レイシズムに基づく悪質なダブルスタンダードでしかありません。

ちなみに上記、唯一挙げられている韓国軍発刊の「後方戦史」ですが、

『後方戦史』は、「慰安婦」が軍「慰安所」に来ることになった過程や動機について全く言及していない。(略)
(P297)
とあるように、いわゆる*2強制連行を示す「物的証拠」ではありません。ですが、金貴玉氏は証言の積み重ねで、

実際に軍「慰安婦」として働くことになった女性たちの例からは、「自発的動機」がほとんどなかったのではないかと思われる。
と推測しています。一般的な感覚から言っても妥当な推測でしょう。

そして同様に、日本軍慰安婦が日本軍や政府によって売春を強要されたのが事実だと判断することも妥当だと言えます。

Permalink | コメント(7) | トラックバック(2) | 00:25 国連軍・韓国軍慰安婦の話を含むブックマーク


*1:李任河氏、Lee Im Ha, "Korean War and Mobilization of Women"、unpublished paper(世界女性学大会での報告、2005年6月20日、ソウル)

*2:と言っても日本軍慰安婦問題を否定する歴史修正主義者しか言いませんけど

コメント一覧
dj19dj19 2012/06/18 09:22
こないだこちらで話題に出てた『軍隊と性暴力 朝鮮半島の20世紀』ですが、さっそく読破されたんですね。
わたしも近いうちに読んでおきたいと思います。
m-matsuokam-matsuoka 2012/06/18 18:24
>「日本帝国主義の遺物である『慰安婦』」

李氏朝鮮は中国に女性を輸出していましたね。
今も昔も数十万単位で周辺国に朝鮮人売春婦が密入国して商売している事実があるのに日本帝国主義の遺物とか言われてもなあ。


>一般的な感覚から言っても妥当な推測でしょう。

当時の朝鮮半島は非常に貧しく、女性は売春くらいしか金を稼ぐ手段が無かったという事実から目を逸らしているだけでしょう。
rawan60rawan60 2012/06/18 19:02
m-matsuoka さん

>今も昔も数十万単位で周辺国に朝鮮人売春婦が密入国して商売している事実
>当時の朝鮮半島は非常に貧しく、女性は売春くらいしか金を稼ぐ手段が無かったという事実

きみはとにかく明確な史料を出してコメントしなさいよ。
で、「売春婦」なら性暴力被害にあってもいいのかよ?
bogus-simotukarebogus-simotukare 2012/06/18 20:28
>「売春婦」なら性暴力被害にあってもいいのかよ?

まあ、今の世界(日本も含む)において現実にそう言うこと(売春婦の性暴力被害)もあり得る(つうかたぶんあるでしょう)わけですけどね。何とも思ってないんですかね。
m-matsuokam-matsuoka 2012/06/18 21:56
>「売春婦」なら性暴力被害にあってもいいのかよ?

日本が朝鮮を統治するまでは、朝鮮半島での女性の地位は奴隷でした。
奴隷同然の扱いを規制し、朝鮮半島に法秩序をもたらし女性を解放したのが日本。
その功績を無視して、日本が朝鮮半島に性暴力をもたらしたかのように捏造するのは、まさにレイシズムそのもの。

そもそも朝鮮半島の女性が売春に追い込まれるほど貧しく、今も貧しいのは日本の責任では無く、朝鮮民族自身の責任。
いい加減、何でも日本が悪い!とレイシズム満載で騒ぐのでは無く、朝鮮半島の歴史を真摯に振り返るべきでしょう。
rawan60rawan60 2012/06/18 22:57
>奴隷同然の扱いを規制し、朝鮮半島に法秩序をもたらし女性を解放したのが日本。

いやあ、すごいなキミは。
「法が無かった当時のシナに、法秩序を作ろうと苦心したのが日本軍」
を、散々揶揄されているのに、また同じこと繰り返している。

>そもそも朝鮮半島の女性が売春に追い込まれるほど貧しく、

なに言ってるの?「従軍慰安婦」の問題は日本の植民地下における話だよ。「功績」があるのなら、「売春に追い込まれるほど貧しく」ないはずだよな。

>今も貧しいのは

「貧しい」人は性別や年齢に関係なく世界中共通の問題ですが、キミの「貧しい」はどの程度の貧困の話をしているんだ?

>いい加減、何でも日本が悪い!と

いいかげん何でも「日本は悪くない」とレイシズムとセカンドレイプ満載で無根拠に喚くのはやめて、日本の歴史を真摯に真摯に振り返るべきでしょう。
あなた日本人なんでしょ?中国人や朝鮮人を愚弄しないと何も語れないなんて最低最悪ですよ。
sutehunsutehun 2012/06/22 05:09
m-matsuoka氏へ。
いやいや、おかしいおかしい。
史料とか以前に、その『理屈』自体がおかしい

>>「売春婦」なら性暴力被害にあってもいいのかよ?

>奴隷同然の扱いを規制し、朝鮮半島に法秩序をもたらし女性を解放したのが日本

これ以上ないくらい譲歩して仮にそうなんだとしてもだ、当時の朝鮮半島は大日本帝国の領土なんだから、その法秩序の中では当然大日本帝国の法が適用されてるよな。明治40年刑法って奴だ。
その刑法に照らして、それが何であれ「行為の強要」は犯罪なんだけど。
強要される行為が売春であった場合、強姦罪の適用も視野に入るんだけど。

日韓併合条約以降1945年の敗戦まで、朝鮮半島は大日本帝国にとって『国内』だぞ。
『国内法で違法とされる行為を国内で行ったことに対して不問に付すべき』という主張はいったいどこを押したら出てくるんだ?
おかしいと思わんのか?

Yanggongju (洋公主) the USFK against the trafficking and money to Koreans who say that women are myeolching. yanggalbo place everything is there. Amount (洋) of the Western-is a prefix meaning with.

韓国軍慰安婦または大韓民国軍慰安婦 (한국군위안부、대한민국군위안부、Korean Military Comfort Women[1])

1961 년 9 월 13 일에 실시 된 유엔군을 상대로하는 위안부의 등록 안내 기사. 동아 일보 1961 년 9 월 14 일

양공주(洋公主)는 주한 미군을 상대로 성매매를 하며 돈을 벌었던 한국인 여성을 멸칭하는 말이며. 양갈보라 이르기도 한다. 양(洋)은 서양의- 뜻을 가지고 있는 접두어이다.





http://www.ilbe.com/227936913

60년대 양공주 클라스
[레벨:1] 양공주클라스
http://www.ilbe.com/2279369132012.09.29 18:11:10


왼쪽 봐라 후덜덜덜덜... 탈김치 양공주
21세기의 웬만한 절벽가슴 절벽엉덩이 아이돌녀는 발라버리는 저 눈빛과 수박같은 가슴


AV에 출연한다면 소라아오이를 능가할 수 있는 정도의 클라스
젖치기 하고 싶다
얼굴도 60년대 얼굴이 아닌 21세기형 시크한 얼굴


http://kimjonghee.blogspot.jp/2012/11/blog-post_567.html

유신공주는 양공주 문제엔 관심이 없었다

이글은 한겨레신문2012-11-30일자 기사 '유신공주는 양공주 문제엔 관심이 없었다'를 퍼왔습니다.




[토요판]한홍구의 유신과 오늘
(20) 기지촌 정화운동

새누리당의 박근혜 후보가 선거의 핵심 표어로 ‘여성대통령’을 들고나왔다. 생물학적인 성(섹스)과 사회적인 성(젠더)을 엄격히 구분하는 입장에서는 박근혜의 여성대통령론을 마뜩지 않게 여기고 있다. 박근혜 후보가 동시대 여성 전체는 물론이고 자신의 동년배 여성들과도 달라도 너~무 다른 삶을 살았기 때문이다. ‘유신과 오늘’에서는 여성대통령을 표방하고 나선 박근혜가 영애로서, 퍼스트레이디로서 생활했던 유신시대에 동년배 여성들은 과연 어떤 삶을 살았는지를 돌아보고자 한다. 유신시대 여성들의 삶은 이미 살펴본 여공들보다 더 내려가 기생관광과 기지촌을 들여다보아야 바닥이 보인다.박근혜가 구국의 결단이었다고 찬양해온 유신의 속살을 들여다보면 일본군 위안부 제도와 본질적으로 다를 바 없는 기지촌 정화운동이 나온다. 인혁당이나 정수장학회 문제와 같은 낯익은 국가폭력 사건의 경우 직접적인 피해자도, 직접적인 가해자나 수혜자도 국민 전체에서 보면 소수라 할 것이다. 그러나 기지촌 문제는 그 피해자가 수십만이고, 수혜자도 특정하기 힘들 정도로 많은데다 너무나 뚜렷하게 현재진행형이다. 기지촌 정화운동을 통해 우리는 대한민국이라는 국가가 사실상의 공창제를 운영하면서 힘없는 여성들의 몸뚱이를 담보로 국가안보와 외화벌이를 동시에 해결하고자 했던 불편한 진실과 마주하게 된다.

미군철수 막기 위해 어쩔 수 없었다는 변명

해방 후 남한에 진주한 미군은 일본군 주둔지역에 주둔했다. 용산 미군기지는 일본의 조선군사령부 자리였고, 미국 공군이 자리잡은 평택도 일본군이 비행장을 닦던 곳이었다. 당연히 일제 때에 형성된 유곽은 미군을 상대로 한 기지촌으로 바뀌어갔다. 사회안전망이라고는 찾아볼 수도 없던 시절, 갑작스런 전쟁으로 남편을 잃거나 공동체로부터 유리된 여성이 먹고 살기 위해 할 수 있는 일은 많지 않았다. 아무도 그들을 지켜줄 수 없었던 전란 속에서도 순결은 여전히 목숨보다 귀한 가치였다. 한번 ‘몸을 버린’ 여성들, 특히 가진 것이라곤 ‘이왕 버린 몸뚱아리’ 밖에 없는 수많은 여성들은 극도의 가부장적인 사회에서 갈 곳이 없었다. 수많은 순이들은 지친 몸을 뉘일 곳이라곤 기지촌밖에 없다는 것을 깨닫고 에레나가 되어갔다. 도대체 얼마나 많은 순이가 에레나가 되었을까? 한국전쟁 때부터 지금까지 기지촌을 거쳐 간 여성의 숫자를 관련 연구논문에서는 대개 30만 가량으로 추산하는데, 30만이라면 파월장병 숫자와 비슷한 규모이다.미국은 닉슨독트린에 따라 1971년 3월 7사단과 3개 공군 전투부대 등 주한미군 6만2천 명 중 2만여 명의 철군을 단행했다. 미군철수로 공황상태에 빠진 박정희는 미군의 추가철수를 막기 위해 전전긍긍했다. ‘갑’인 미국은 ‘을’인 한국에게 다양한 경로로 기지촌 정비에 대한 요구를 해왔다. 미 대사관은 주로 한국의 기지촌에서 한국인들이 흑인 병사들을 인종차별 하는 것에 대한 닉슨 대통령의 우려를, 미8군 측은 기지촌의 불결한 환경과 성병 문제를 제기했다. 1971년 12월 박정희가 한미 1군단사령부를 순시했을 때 부사령관 이재전은 박정희를 수행하면서 미군 측이 요구하는 기지촌 정화에 대하여 건의했다. 미군은 지원병 제도를 택하고 있는데 자식을 군대에 보낸 부모들이 한국이 성병 발병률도 높고 인종차별도 심하다며 자식의 한국 배치에 극력 반대한다는 것이다. 주한미군측은 독일이나 오키나와 등지의 쾌적한 기지촌의 예를 들며 한국측에 대대적인 기지촌 정비를 요구했다.청와대로 돌아온 박정희는 수년에 걸쳐 내각에 지시했는데 왜 정화가 안됐느냐고 크게 화를 내면서 청와대가 직접 사안을 챙기라고 지시했다. 담당자는 정무비서관 정종택이었는데, 그는 새마을운동 담당관을 겸임하고 있어 기지촌 정화운동은 기지촌의 새마을운동으로 불리기도 한다. 1971년 12월 31일 청와대에서는 10여개 부처의 차관들을 위원으로 하는 청와대 직속의 기지촌 정화위원회가 발족하여 미국의 요구를 적극 수용하여 기지촌의 환경개선과 성병의 예방과 치료 등의 과제를 어떻게 처리할 것인가를 논의했다.미군 철수의 절박한 상황에서 바짓가랑이라도 붙드는 심정으로 기지촌 정화운동을 할 수밖에 없었다는 변명은 사실에 부합하지 않는다. 기지촌 정화운동이 미국의 요구에 의해서 시작되었고, 추진도 한미합작으로 이뤄졌지만, 한국 정부는 사실 기지촌 정화 운동이 공식적으로 시작되기 전부터 기지촌의 정비에 많은 노력을 기울였다. 박정희의 지시로 5·16군사반란의 적극 가담자이자 중앙정보부 서울분실장으로 막강한 위세를 떨친 백태하가 주도한 군산의 아메리카 타운은 미군들의 쾌락을 위해 건설된 계획도시였다. 1969년 9월 문을 연 아메리카 타운은 미군을 위한 클럽, 식당, 미용실, 각종 상점, 환전소에 기지촌 여성들을 위한 500여개의 방까지 갖춘 매매춘을 위한 자급자족형 신도시였다. 여성학자들은 군산의 아메리카 타운을 정부 주도하에 설립된 ‘군대 창녀 주식회사’라 부른다.일본군 위안부 제도는 전투력의 극대화를 위해서는 전장의 병사들이 섹스를 즐길 수 있어야하되, 성병으로 인한 전투력 손실을 막기 위해 깨끗한 성을 공급한다는 국가관리 매매춘 시스템이었다. 이 점에서 기지촌 정화운동은 일본군 위안부제도를 무섭게 빼닮았다. 일본군 위안부 제도는 인간이 만들어낸 가장 야만적인 제도지만, 이 제도를 만든 자들은 야만인이 아니라 대일본제국의 가장 우수한 아들들이었다. 기지촌 정화운동을 입안한 자들도 한국과 미국의 엘리트 관료들이었다. 대일본제국의 가장 우수한 아들들도, 자유와 인권이라는 보편적 가치를 지키기 위해 일본과 싸웠다는 위대한 미국의 빼어난 아들들도, 일본에서 미국으로 주인이 바뀌어도 변함없이 승승장구한 식민지 조선의 수재들도 위안부들의 인권같이 사소한, 어쩌면 처음부터 존재하지 않았던 것들을 무시하기는 마찬가지였다. 박정희에게 기지촌 정화운동을 건의한 이재전이 솔직하게 고백한 것처럼 기지촌 정화운동은 기지촌 주민을 위한 것이 아니라 주한미군을 위한 것이었다.

‘주한미군 전투력 극대화 위해
섹스를 즐기도록 하되
성병으로 인한 전투력 손실을
막기 위해 깨끗한 성을 공급한다’
그것은 일본군 위안부제와 흡사한
좋게 말하면 국가포주제였다

영애 박근혜는 그 시절
원로급 인사들을 모아놓고
충효사상을 강연했지만
밑바닥에서 사회를 떠받치는
기지촌 여성들 손을 잡은 적 없다

“안보와 달러를 위해 몸을 씻으시오”

기지촌 여성들은 청결한 몸과 깨끗한 성을 판매하기 위해 최소 일주일에 두 번 검진을 받아야했다. 아무리 몸을 파는 여성이라 해도 검진대에 올라 남자 의사에게 치부를 보이는 것은 부끄러운 일이었다. 이렇게 검진을 받아야만 검진증에 도장을 받을 수 있었다. 기지촌 여성들에게 검진증은 신분증이자 ‘영업허가증’이었다. 검진증을 갖고 있지 않다가 미군헌병의 검문(기지촌에서는 이를 ‘토벌’이라 불렀다)에 걸리면 즉심에 회부되었다. 당시 미군의 성병은 놀라울 정도로 증가하고 있었다. 기지촌 정화운동에 대한 탁월한 연구인 캐서린 문의 (동맹 속의 섹스)에 따르면, 1천명 당 성병발생 건수는 1970년 389건, 1971년에 553건, 1972년 692건으로 급격히 늘어났다. 미군부대 정문 보초의 주된 임무는 외출 나가는 병사들에게 콘돔을 나눠주는 일이었다고 한다. 검진에서 성병에 걸린 것으로 적발당한 여성은 가차없이 ‘몽키하우스’라 불린 성병진료소에 감금되었다. 반면 성병에 걸린 미군이 완치될 때까지 외출이 금지되거나 하는 일은 절대 없었다. 미군의 7할이 성병에 걸려있건만 성병의 책임은 오로지 한국 여성의 몫이었다. 성병진료소에서는 처음에는 페니실린을 투약했지만 부작용이 자꾸 생기고 잦은 투약으로 내성이 생겨 약효가 떨어지니 투약 용량을 자꾸 늘렸다. 의사들은 부작용이 거의 없었다고 했지만, 여성들은 주사를 맞으면 다리가 끊어지게 아팠고, 많은 사람들이 자다가 죽고, 화장실에서 죽고, 밥 먹다 죽었다고 증언하고 있다.아직 한국경제가 제대로 성장하지 못하던 시절 기지촌 경제의 위력은 대단했다. 이나영 교수의 연구에 따르면 1964년 한국의 외화수입이 1억 달러에 불과하던 시절, 미군 전용 홀에서 벌어들인 돈은 근 10퍼센트인 970만 달러에 달했다. 한국정부는 주말외출 나온 미군들이 오키나와나 일본으로 가 성매매 하는 것을 기지촌 여성들을 업그레이드하여 국내에서 흡수하기 위해 그들에게 영어와 에티켓을 교육하려했다. 기지촌 ‘양공주’에서 활동가로 우뚝 선 아메리카 타운 왕언니 김연자의 회고록에 보면 당시 강사들은 이런 식으로 얘기했다고 한다. “흠흠, 에 여러분은 애국자입니다. 용기와 긍지를 갖고 달러 획득에 기여함을 잊어서는 안 됩니다. 에, 저는 여러분과 같은 숨은 애국자 여러분께 감사드리는 바입니다. 미국 군인들이 우리나라를 도우려고 왔으니 그 앞에서 옷도 단정히 입고, 그 저속하고 쌍스러운 말은 좀 쓰지 마세요.” 원자재 없이 외화를 벌어들이는 산업 전사들이자 미군을 붙들어 두는 안보전사로 그대들이야말로 참된 애국자이니 긍지를 갖고 일하라는 말에 그렇게 좋은 일이면 제 딸부터 시키지 하고 코웃음 치는 사람도 있었고, 그래 우리는 “열심히 씹을 팔고 좆을 빨자”고 자조하는 사람들도 있었다.영어강사들은 “메이 아이 씻 다운?”하는 식의 교양 영어를 가르쳤지만, 여성들은 바쁜 세상에 ‘메이’는 무슨 놈의 얼어 죽을 메이냐며 자신들에게 필요한 영어란 렛스 고 숏 타임, 렛스 고 롱 타임, 하우 마취 같은 것이라고 생각했다. 경찰서나 ‘자매회’가 주최하는 이런 교양강좌에 관심을 갖는 사람은 없었지만, 모두들 검진증 뺏기지 않으려면 자리를 채워야 했다. 일본군 위안부로 끌려간 조선여성들은 학교 문전에 가본 적이 없는 사람들이 대부분이라 일본어를 몰랐다. 그들은 “닛뽄징 조센징 덴노헤이까 오나지네(일보인과 조선인은 천황폐하가 같지요)” 따위의 서비스 언어를 날림으로 배워 급히 외워야 했다.안보 전사답게 기지촌 여성들도 팀스피리트 훈련을 뛰었다. 기지촌과는 달리 훈련 나와서는 부르는 게 값이었다. 미군들도 훈련 사이사이의 짧은 시간에 욕구를 풀려니 앞 사람이 조금만 오래 끌면 문을 두드리고 난리를 쳤다. 이렇게 밖에는 길게 줄을 서 있고, 안에서는 5분도 안 걸리게 일을 치르면서 여성들은 옛날 정신대 끌려간 사람들이 이랬겠구나 생각했다. 그 와중에 한국정부는 야전에 임시보건소를 지어 여성들을 검진했다. 여성들이 아니라 미군을 위해서였다. 왕언니 김연자는 그런 데까지 돈 벌러 간 여자들도 참 대단한 사람들이지만 거기에 천막 치고 보건소 세워 준 정부도 참 대단한 정부였다고 혀를 찼다.



한미동맹은 가치동맹 이전에 ‘섹스동맹’

미군기지에서 얼마나 떨어진 곳까지가 기지촌일까? 보산리, 안정리, 용주골만 기지촌이 아니었다. 미군기지는 어디에나 있었다. 대한민국이 캠프 코리아였고, 대한민국 전체가 거대한 기지촌이었다. 미군이 떠나면 우리는 다 죽는다며 미군의 바짓가랑이 잡고 늘어지는 자들이 한국의 ‘지도층’ 인 한, 정신적으로 대한민국 전체가 기지촌일 수밖에 없다. 우리는 모두 그 거대한 기지촌 캠프 코리아의 주민이었다. 우리가 몸을 팔지 않았고, 우리가 포주질 하지 않았고, 우리가 뚜쟁이질 하지 않았어도 우리는 우리 부모와 우리 형제자매가 그렇게 번 돈으로 밥 먹고 학교 다닌 것이다. 기지촌 정화운동은 아무리 좋게 얘기해도 일본군 위안부 제도와의 관련성을 부인할 수 없는 국가포주제도였다. 이나영 교수의 지적처럼 대한민국 전체가 ‘양공주’가 담보하는 국가안보에 기대어, ‘양색시’가 번 돈에 혹은 그들의 일터와 관계된 경제구조에 기생하며, 일정 부분 미국의 ‘위안부’가 되어 살아왔던 것이다.군대가 있는 곳에 매매춘이 있기 십상이지만, 군대와 매매춘 사이에 필연적인 상관관계가 있는 것은 아니다. 사우디처럼 이슬람 율법이 엄한 나라의 미군기지 앞에는 매매춘으로 흥청대는 기지촌은 존재하지 않는다. 기지촌 정화운동은 도덕적으로 타락한 여성들이나 업주들과 매매춘을 원하는 미군병사 사이의 사적인 거래에 대한 것이 아니었다. 기지촌 정화운동은 미국과 한국 두 국가가 긴밀히 협력하여 추진한 국가적인 산업이자 정책이었다. 한미동맹을 얘기할 때 가치동맹을 얘기하지만, 가치동맹 이전에 섹스동맹이 있었다. 미국은 자국 병사들의 안전한 섹스와 스트레스 해소를 원했고, 한국은 주한미군의 계속 주둔과 미국 병사들이 뿌리는 달러를 원했다. 두 나라는 굳게 손잡고 기지촌 정화운동을 펼쳤다.1960년대까지만 해도 미군범죄에 관한 기사는 신문에 자주 실렸다. 그러나 기지촌 정화운동과 거의 동시에 시작된 유신시대의 신문지상에서 미군범죄에 관한 기사는 찾아보기 어렵다. 정부는 기지촌 여성들을 안보전사이자 산업역군이라고 떠받들었지만, 정작 그들의 인권과 권리를 보호하기 위해서는 아무 일도 하지 않았다. ‘혼혈’ 자식들은 미국으로 입양보내고 홀로 남은 이들은 이제 늙고 병든 몸으로 고독한 나날을 보내고 있다. 지난 8월 31일 기지촌여성인권연대가 발족했다. 그동안 기지촌 여성들을 위해 활동해온 이들이 먼저 깃발을 들었지만, 어찌 이 문제가 기지촌여성인권연대만의 과제이겠는가? 거대한 기지촌 캠프 코리아의 주민 모두는 이 문제와 무관하지 않다. 기지촌 여성 문제는 모든 국민이 책임져야 할 문제이지만, 국가포주제를 건설하고 운영한 수장의 따님인 박근혜 후보는 각별한 책임을 느끼고 그에 걸맞은 행동을 해야 한다. 그들은 사회가 조금만 문 열어 주었어도 우리가 이렇게 살지는 않았다고 지금 통한의 눈물을 흘리고 있다. 그들이 정녕 안보전사였다면 마땅히 국립묘지에 모셔야 하는 것 아닌가? 국립묘지 문 열어달라는 말은 안 하겠다. 다만 그들을 향해 굳게 닫혀 있는 우리 사회의 문, 우리의 마음의 문은 열어야 할 것이다. 그 문을 가장 먼저, 가장 활짝 열어야 할 책임은 다른 누구보다도 박근혜 후보에게 있다. 공주와 양공주는 딱 한 글자 차이지만, 이 사이에 우리나라의 모든 여성이 다 들어간다. 영애 박근혜는 그 시절 자신보다 두세배 나이를 잡수신 교장선생님이나 원로급 사회인사들을 모아놓고 새마음정신 고취란 이름으로 충효사상을 강연했지만, 정말 이 사회를 밑바닥에서 떠받치는 기지촌 여성들의 손을 잡은 적은 없다. 박근혜 후보여, 여성 대통령을 표방하려면 동시대를 산 동년배 여성들의 희생에 먼저 경의를 표하시라!






http://www.ilbe.com/1213648436


[국내외에 참 많다] 한국출신의 노랗고 넙적한 양공주, 양갈보 사진
[레벨:18] 왕이로소이다
http://www.ilbe.com/12136484362013.05.12 15:29:08 (*.204.*.240)

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양공주.jpg






최근 전국적으로 CNN을 비롯한 주류 언론들이 일제히 한인 또는 한국 출신 여성들의 성매매 실태를 부각시키는 보도를 쏟아내면서 마치 한인사회가 성매매의 온상이자 미국 내 매춘 여성들의 주 공급원처럼 비쳐지고 있다. 이로 인해 한국이‘성매매 수출대국’이라는 부끄러운 별명까지 붙게 된 상황이다. 미국 내 한인 성매매의 현주소와 실태, 원인 및 대책을 시리즈로 진단해 본다.

■매춘의 온상, 불법 마사지
현재 미국 내 한인 성매매 단속 사례 중 단골로 등장하는 단어가 ‘마사지 팔러’다. 소위 ‘한국식’ 마사지 업소들이 전국적으로 파고들면서 이중 일부 업소들이 한인뿐 아니라 비한인 남성들을 대상으로 마사지 서비스를 가장한 불법 퇴폐 성매매 영업을 하고 있어 한인사회의 이미지를 실추시키는 주범이 되고 있다.

일부 불법 마사지 업소들은 한국에서 오는 여성들은 물론 현지의 여성들까지 20대에서 50대까지의 다양한 연령층을 고용해 마사지를 가장한 사실상 매춘행위를 하고 있어 문제가 되고 있다.

상황이 이렇다보니 미국의 영화나 드라마에서도 ‘코리안 마사지’ 하면 마치 성매매와 연결된 퇴폐의 상징처럼 등장하기도 한다.

http://www.kornet24.com/overseas/154344




[매춘] 환향녀에서 매매춘까지 뉴스메이커 / 남성학 칼럼
2011/06/30 11:55
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환향녀에서 매매춘까지




지난 세기말 '빨간 마후라', 'O양 비디오', '서갑숙 파동' 등으로 인한 성의 공론화가 우리 사회의 화두였는데 새 천년의 화두 역시 '성'이 아닐까. 다만 세기말의 성이 '몰래 엿보기'였다면 새천년의 성은 '매매춘'이 그 차이점일 뿐이다. 당찬 여성 경찰서장에 의해 이루어지고 있는 '매매춘과의 전쟁'을 지켜보면서 인간의 역사와 공존했던 성의 역사, 그 중에서도 10대 어린 소녀들까지 몸을 팔게(?) 만드는 매춘의 역사를 생각하지 않을 수 없다.





성에는 '종족 번식'이라는 동물적 본능과 '애정 표현'이라는 이성적 감정이 함께 한다. 따라서 지극히 '몸적'이면서도 '이성적'인 인간의 행동이다. 종교와 결혼이라는 제도가 생기기 전에는 성은 '공유물'(共有物)이었다. 원시사회에서 모든 남성과 모든 여성은 한사람에게 구속되지 않고 본능적으로 성을 탐닉했다. 이런 잔재가 바로 매춘의 역사적 근원이라고 할 수 있다.





전쟁을 매춘의 시작으로 보는 견해도 있다. 남성들은 전쟁 중에 생명의 위협을 받지만 여성들은 성의 위협을 받는다. 제2차 세계대전 때 일본이 '종군위안부'라는 명목으로 우리나라 여성들을 희생시켰던 것처럼 매춘은 전쟁이라는 특수한 상황을 통해 확산되었다. 물론 강제적 능력이 없는 여성들이 생존의 수단으로 매춘을 선택할 수밖에 없었던 사정도 근원의 하나이다.





우리 나라 역사를 예로 보면 '삼국지'에 기술된 것이 성에 대한 가장 오래된 기록이다. 동옥저가 고구려에 패한 뒤 미인들을 바쳤다는 기록이 바로 그것이다. 역시 전쟁에 패한 대가로 여성을 빼앗겼음을 알 수 있다. 또한 신라시대 당나라 현종에게 '미스 신라'라고 할 수 있는 미녀들을 바친 것처럼 강대국과의 원만한 관계를 유지하기 위해 성을 공물(貢物)처럼 헌납하는 경우도 있었다.




특히 인조 때에는 병자호란 중 청나라에 수많은 조선여인들이 낯선 중국 땅까지 끌려가 이국남성들의 노리갯감으로 전락하기도 했다. 이들 중 일부가 전쟁 후 다시 조선으로 돌아왔으며 이들을 환향녀(還鄕女)라고 불렀다. 흔히 몸가짐이 단정치 못한 여성을 빗대어 '화냥년'이라고 하는데 그 어원이 '환향녀'에서 비롯된 것이다.



이들 환향녀들은 몸을 더럽혔다는 수치심 때문에 목을 매 자살하거나 집에 돌아가는 것을 포기하고 뜨내기처럼 살 수밖에 없었다. 물론 이러한 점을 고려해 지금의 홍제동 개울에서 몸을 씻는 것으로 일체의 과거사를 묻지 못하게 했으나, 이는 의례적인 미봉책에 불과했다. 몸도 더럽히고 가족과의 인연도 끊겨 더욱 경제력이 없던 이들은 자연스레 '씨받이'가 되거나 유곽의 여성이 되어 매춘으로 생계를 이어갈 수밖에 없었다.












이러한 예는 임진왜란 당시 왜군에 강제로 몸을 빼앗겨 임신한 여성들을 집단으로 모여 살게 했던 데서 유래한 이태원(異胎院)처럼 우리 문화 곳곳에 상처로 남아 있다. 따라서 본격적이고 집단적인 매춘 여성의 양산은 전쟁으로 비롯되었음을 알 수 있다. 가까운 예로 한국전쟁을 통해 양산된 󰡐양공주󰡑도 전쟁은 과거에나 현대에나 여성들에게 크나큰 수난사임을 깨닫게 한다.



하지만 '매매춘과의 전쟁'을 지켜보면서 전쟁도 겪지 않은 이 시대에 미성년자들까지 매춘으로 내모는 원인을 선뜻 찾아내기란 쉽지 않다. 산업화와 물질만능, 가족이 붕괴되는 현대사회가 곧 '총성없는 전쟁'이 아닐까라는 생각만 하게 될 뿐이다.

[출처] [매춘] 환향녀에서 매매춘까지|작성자 퍼스트

http://www.redian.org/archive/52317

성애 / 남자 / 가부장적 가족에 대하여,



(필자) 근데 어르신은 다른 깝깝한 여자들에 비해 자유롭고 당당하셔서, 성적인 면에서도 다르셨을 거 같아요. 더군다나 젊어 혼자 되신데다, 몸매도 좋으시고 성격도 활달하여서 어르신을 좋아하는 남자들도 많았을테고. 미군들 빼놓고 그 전이나 후에 남자들과도 사귄 경험이 있으시면 이야기 좀 해주셔요. 그리고 성에 대해 어르신이 생각하시는 것도 말씀해 주시고.

(김미숙) (약간 쑥스러워 하시면서도 활짝 웃으시며) 아~ 젊어서 혼자 되갔고 남자 안사겨봤겠어? 아닌게 아니라 살아오면서 한국 남자들도 여럿 사겨 봤어. 가만 보니까 내가 머 절개지키든 말든 누가 머 어쩔 사람두 없었구.

캬바레 다니구 할 때 주로 만났는데, 대체루 유부남들이었어. 근데 맻을 사겨도 나한테 아무것도 이익이 없는 거야. 사겨봐서 괜찮으면 생활비라도 좀 대줄려나 싶기두 했지. 그 때나 지금이나 여자 혼자 사는 게 너무너무 힘든 세상이잖아. 그 때는 더 그랬구.

영화 에서 양공주로 일하는 여동생이 나오는 장면
영화 ‘오발탄’에서 양공주로 일하는 여동생이 직업을 들키는 장면

근데 생활비 대주긴 커녕 밥 한 때라도 얻어먹을려구만 그래. 누구 하나 십원 한장 도와주는 사내두 없더라구. 게다가 동네 망신당할까봐 조심스럽기도 하구. 본마누라가 알면 대가리 끄들구 머리 끄뎅이 잡아땡기며 싸우게 될 거 아냐. 집에 와서 자구 가구두 했으니까. 그르니 동네 망신할까봐 겁두 나구 그랬지. 그걸 또 때버릴려면 힘들거든.

한국 남자들은 싫다 그래도 계속 쫓아오구 그러더라구. 여러 날을 친구네 집가서 자구 집에 안들어오구 그러면서 겨우 때버리구 그랬어.

한번은 피엑스 미국인 책임자였는데, 사귀자며 집에 오고 싶다는 걸 거절했었어. 근데 그 사람들은 한번 노 하면 그걸루 딱 끝나. 절대 두 번 다시 귀찮게를 안해. 한국 사람들하구는 아주 딴판이더라구.

(필자) 한번 거절에 끝나버려서 좀 아쉬우셨겠네요.

(김미숙) 아닌게 아니라 좀 아쉬웠어. 그 사람하구 사겼으면 양키 물건이라도 더 싸게 많이 사구 해서 돈두 많이 벌구 했을 텐데. 모르지, 집 맻채 샀을지….ㅎㅎ

내가 성, 섹스 머 그런거는 여엉 발달이 안됐는지 별 취미가 없었어. 남편 만나서두 내가 머 나무대기 같아서 지가 바람핀다는 둥 그러더라구. 그러니 남자 사귀는 게 아무 필요가 없는 거지. 돈이나 좀 도움을 받을까 하는 건데 그렇게 만나는 한국 놈들은 다 건달들이더라구. 성이 발달됐다구 하더라두, 내가 거기 미쳐서 살 수는 없는 거지. 그걸루 세상을 사는게 아니잖아. 여자 혼자 자식새끼 키울려면 정신 차리구 살아야 하는 데. 난 그런 사람은 아냐.

세상에 태어나 처음이자 마지막으루 딱 한번 제대로 맛을 느껴본 적이 있었어. 캬바레 댕기면서 만난 한국인 대위였는데, 정말 잘 하더라구. 근데 그거루만 사는 거 아니니까 더 미칠까봐 빨리 때 뻐렸어. 더 미치면 못때잖아. ‘정들기 전에 저기 허자‘ 허구, 오지 말라구 그랬어. 알아듣게 여러 번 얘기해도 자꾸 집으로 쫓아오더라구.

경기도 어디 미군부대 근처 시골서 셋방살 땐데, 밤에 와서 문 뚜들기구 하니 안집두 있는데 안열어줄 수가 없잖아. 더구나 동지섣달이어서 무지 춥기도 했구. 그래서 문 열어 주구는, ’나 젊어서 돈벌어야지, 당신하구 이렇게 엔조이나 하면서 살 여유가 없다. 날 먹여 살릴거냐? 속채려라.‘ 그러면서 그냥 한 구석에서 자구 가게만 했어.

겨우 때어내구 한참 지났는데 한번은 그 대위 여편네가 어린애를 업고 찾아 왔더라구. 그래서 ’벌써 오래 전 이야기고 몇 번 만나지도 않았고 때뻐린 지 옛날‘이라구 하면서 아무게 집으로 가보라구 알려줬어. 또 딴데 여자를 뒸다구 소문이 쫘악 퍼졌었거든. 그 남자가 여엉 바람둥이였어. 잘생겼다구 난리들인데, 난 우리 애 에비가 워낙에 잘 생겼어서 그런가 잘 생긴 줄은 모르겠구, 육체관계는 정말 잘하더라구. 그 때 딱 한번 느껴봤어.

그루구 미군들하고 살림한 거 말구 다른 한국 남자들은 없었어. 먹구 살기 힘들어서 그럴 겨를두 없었지. 눈만 뜨면 물건 사다 팔아야 된대는 그 생각, 머릿 속에 그것밖에 없었어. ‘젊어서 벌어야 늙어서 고생 안한다.’ 그 목적은 그래두 좀 이룬 거지.

남자, 섹스, 가정, 그런 거가 나한테 중요하지는 않았던 거 같아. 그저 내 인생 내가 책임져야 한다….거러구 산거야. 철 없을 때 평양서 서울로 친구랑 놀러 내려와서 우연히 모든 줄이 끊어져 깜깜할 때 겨우 잡은 동아줄이 내 인생을 이렇게 만든 썩은 동아줄이었던 거지.

가난한 무능력자에 계집질과 아편질까지 일삼는 남자. 그 새끼와의 인연 때문에 내 인생이 뒤집힌거구. 그런데 그 새끼 자살로 그 연을 끊고서야 다시 내 인생을 시작할 수 있었던 거야. 그르구, 이전 평양에서의 나는 이미 없었어. 다시 혼자가 돼서 부닥치며 살아야 했던 거야. 여자가 혼자 벌어먹고 사는 게 왜 그렇게 힘든지….평생 죽어라고 일을 해도 겨우 밥만 안굶고 사는 거야.

남자에 기대보려고 했지만 누구 하나 기댈게 되지 못하는 게 남자들이었어. 순결 정조 머 그런 걸 중요하게 생각한 거는 아닌 데, 남자들 만나고 관계를 맺어봤자 오히려 나 살기만 더 복잡하고 힘들어지고, 얻는 것도 없이 시끄럽게 말려든다는 생각에 그냥 별 관심이 없어지더라구.

딱 한번 잠자리의 진짜 맛을 느끼기는 했지만 그거에 빠져봤자 나만 더 손해보고 망가질거라는 두려움에 오히려 도망치게 되더라고. 남의 남잔데 내가 못빠져나오면 나만 망치는거지 내가 멀 어쩌겠어?

그런 남자들 천지에 한번 결혼할래다 포기하고 나서는[이 부분은 뒤에 상세히 구술], 남자구 가정이구가 나한테는 허깨비루 여겨지더라구. 남편 덕에 잘 사는 여자들 보면 겉이 아닌 속내는 내가 알 수 없으니 머라구 못하는 거겠지만, 하여튼 나한테는 그런 팔자가 영 가당치도 않구, 사느라구 바빠서 부럽지도 않구 그랬어.

지금도 그래, 성질이 더러워서 내가 누구한테 미안한 짓이야 했겠지만, 큰 죄 안짓구 남 안돌라먹구, 내 인생 뼈빠지게 기를 쓰구 내가 산건데 미안하구 주눅들구, 후회되구 할 게 머있어?

그래서 그런가 노인 우울증 머 그런 거가 나는 없어. 딱 하나, 죽을 때 시간 끌지말구 얼른 죽었으면 싶어. 그러구는 천당을 가든가 어딜 가든가, 지옥 갈 일은 안한거 같으니까 죽고나서 걱정도 없구. 내가 어릴 때구 이제는 그냥 배짱으루 사는거야. ㅎㅎㅎ

댁 보기에 잘 살았다니, 나도 한번 생각을 해봐야겠네.

(필자) 경제적으로 힘들기는 하셨지만, 다른 여자들이랑 다르게, 정말 당당하게 어르신 삶의 주인으로 사신거네요. 정말 어르신은 제가 본 분들 중 드물게 당당하고 주체적인 여성 선배셔요. 어차피 인생이야 다른 사람과 비교할 필요가 없는거구, 어르신 자신이 어떻게 느끼시느냐가 중요한 거잖아요.

(김미숙) 글쎄….내가 남들보다 머 어쩐가는 모르겠고, 또 그런거는 상관도 없어. 그냥 ‘내 인생 내가 살아냈구나’ 그런 생각이야. 댁 보기에 잘 살았다니, 나도 한번 생각을 해봐야겠네. 머를 잘했고 머가 모자랐는가, 머를 더 하고 가야 좋은가…. 댁 생각에는 내가 머를 더 하면 좋겠어?

(필자) 글쎄요. 어르신이야 어르신이 알아서 하시는 거지만, 저 같으면 죽기 전에 미운 사람이랑 푸는 거는 좀 하고 갈까….싶어요. 그냥 내 마음 편하자고 하는 거겠지만….

(김미숙) 그르게… 나야 머 다른 미운 사람이 있을 게 머 있어. 아들 며느리 미운거야, 지네 잘되라고 미운거구…..

(필자) 근데…. 제 나이 또래 여자들이랑 마음 터놓고 얘기하다보면 모두들 어렸을 때 크든 작든 성폭력 경험들이 있더라구요. 다들 말을 안해서 그렇지…. 특히 친척 오빠나 가까운 남자들한테서 사실은 많이 당하거든요. 어르신은 어렸을 때 성폭력 경험은 없었어요?

(김미숙) 성폭력 그런거까지야 모르겠구, 열일곱 한참 성숙했을 때 외갓집 사촌 오빠가 우리 집에 잠깐 와있었거덩. 근데 그 놈이 자꾸 내 가슴이랑 엉덩이를 만질려구 하더라구. 난 그게 징그럽구 아주 싫었거든. 게다가 지가 사촌오빤데 누가 그러더라도 못하게 해야 하는 일가잖아. 그래서 내가 ‘이 새끼 왜 이러냐?, 저리 가지 못하냐?, 무슨 짓 하느냐?, 우리 아버지랑 니 아버지한테 말해버린다.’ 그러구 난리를 쳤지. 그러구 나니 그 짓을 안하더라구. 그러다가 곧 저의 집 가버리구.

유부남과 사귀는 게 결국은 도둑질이자나, 남의 꺼니까. 그래서 여엉 찝집하기는 한데, 그래도 좀 경제적으로 실속이 있을라나 했는데 그런 것도 없구 하니까, 유부남들이랑 길게 연애를 하게 되지가 않더라구. 경제적으로 너무 어려우니까 도와줄 사람이 있으면 사귀고는 싶더라구. 그러다가 결론은 에이 이깟 놈의 것, 실속은 없고 속곳밑만 닳는 짓이구나, 이렇게 된거지. 쌍말루 하자면 보지만 닳는다 그거야.

외아들 키운 이야기 / 재혼의 기회 / 미국인네 집 파출부

(필자) 아들 키운 이야기 좀 해주셔요.

(김미숙) 한번은 본정 근처에서 살면서 아들 두 살 때나 됐을 땐데, 여기 이화동에서 저기 동대문 정도 되는 거리에 우리 친구가 있었거든. 내가 걔를 업고 그 친구네를 몇 번 갔었어. 근데 어느날 걔를 안데리구 집을 나서서 일을 보고는 친구네 집에 들렀는데 그 어린 게 글쎄 그 집 계단을 기어서 올라갔다 내려왔다 하고 있는 거야.

내가 얼마나 놀랬는지…. 걔를 데리고 집에 오니까 시어머니가, ‘아니 애를 데리고 나가면 그런다고 말을 해야지, 애 없어진 줄 알고 난리를 치고 찾았’데는 거지. 그래서 내가 “애 안데리고 나갔었어요. 근데 친구네 가보니까 얘가 그 집 층층대를 기어서 오르락 내리락 하고 있더라구요.” 그랬더니 우리 시어머니가 곧이 안들어. 말도 안되는 소릴 한다구 나를 더 야단치는 거야. 거짓말까지 한다구.

벌어먹구 살려니까, 양색시들 옷장사 돌아다니면서는 아들은 큰어머니한테 맡겼었어. 근데 애들 큰어머니가 어른들한테는 그렇게 잘할 수가 없는 데 그 애한테는 그럴 수가 없이 구박을 하는거야. 서모도 그런 서모가 없게 독하게 한 거야.

세 살에 맡겨서 열두 살에 데려왔는데, 그 집이 못살고 큰아버지가 배운 것도 없어서 멀리 왕십리까지 가서 밭을 세내서 시금치 김장배추 그런 거를 키워서 내다 팔았거든. 채소를 뽑으면 열두살짜리 애한테만 그걸 니아까에 싣게 해서 혼자서 시장으로 끌고 오라 그러고, 저그 두 내외는 차타구 갔대. 자기네 애들은 다섯인가 그랬는데, 시킬려구두 안한 거지. 걔가 그 집 오남매보다 컸었거든.

난 몰랐지 그걸. 나중에사 아들이 얘기를 하니까 알았지. 우리 시어머니가 내가 데리고 나가려구 해도 못데려 나가게 해. 늘 장사 돌아다니느라 바쁜데 데려갔다가 어디 잃어버리고 죽기라도 하면 어쩌냐는 거지. 지네가 부려먹을려고 그런 걸 내가 몰랐던 거야.

내가 보니까 나 혼자서 한달에 딱 쌀 한말을 먹더라구. 어린 게 나만큼이나 먹어? 그래도 내가 달마다 꼬박꼬박 쌀 한말을 보냈었어. 애미 애비 없는 자식이 옷마저 그러면 안되겠다 싶어 옷도 자주 사서 줬고. 근데 큰어머니가, 지새끼들 양말 한쪼가리 안사줬다고 불평을 하더라구. 아니 내가 밥값 지대로 내고 하는데 머하러 지 새끼들 양말이니 옷이니를 사주냐구.

나 먹지 못하고 모은 돈으로 쌀하고 옷하고 사보내는 건데, 내가 무슨 무쇠 떵어리야? 더구나 시어머니가, 내 아들이 자기네 자식이니까 자기네가 키운다 그랬었거든. “너는 니가 알아서 시집을 가라. 애는 우리가 키우겠다. 명 길면 살고 명 짧으면 죽을테니 애 걱정은 말아라. 너 하나나 알아서 해라.” 그 소리를 자주 했었어. 그러니 저그네 새끼잖아, 박씨네 새끼. 그래두 에미라고 쌀주고 옷주면 됐지 멀 더 바래….

애가 열두살이 되니까 우리 맏동서가 이젠 죽어두 애를 못키우겠대. 그 애 하나가 지네 애 다섯 키우는 거보다 더 힘들대나 머래나. 아, 나더러 애 놓고 시집 가라고 그랬으니, 나 없다고 생각하고 저그 박씨네 자식 저그네가 키운다고 생각하면 되는 거잖아.

나 시집갔으면 어떡할거야? 저그가 키워야 될 거 아냐? 근데 그렇게 못키우겠니 힘드니 하고 난리를 치구 지랄을 하구 자빠졌더라구. 애가 열두살이 되도록 학교도 하나도 안보냈던 거야. 그래서 내가 걔를 데려다가 가평에 하숙을 시켰어.

그루구는 그 박씨네 사람들하구는 딱 발을 끊었었어. 가평 하숙집 여자가 한 달에 쌀 너말 달래서 두말도 안고 그랬더니 밥도 배부르게 먹이고 옷도 깨끗이 빨아 입히고 그렇게 잘할 수가 없어. 그러니 애도 좋구 나도 신간이 편한 거지.

그런데 어떤 남자가, ‘아, 자식을 공부를 안시키면 어쩌냐?’고 ‘더 늦기 전에 공부를 시키라’는 거야. 그래서 늦은 공부니까 우선 선생 하나를 붙여서 과외를 시켰어. 그랬더니 왜 그랬는가 애가 달아나 버렸어. 가출을 한 거지. 지 친가말고는 천지에 아는 데도 없는 애가 글루는 안갔데고, 어디 찾을 데도 없더라고. 아무리 기다려도 안와서 더 찾지를 않고 포기를 하고 있었어, 한 삼년을.

애 가출하구 삼년 된 해에 내가, ‘이제 서방두 없구 자식도 없구 그러니 시집을 가야겠다….’ 하는 생각을 하구 선을 봤어. 그 때 내가 양색시들 외상값 받으러 강원도 원주 한 여관에 여러 날을 있을 때야. 자구 일어나니까 부대가 싹 원주로 떠났고 그러니까 양색시들도 부대 따라서 원주로 갔던 거지. 그러니 어떻게?, 외상값 받으려면 원주까지 쫓아가야자나.

그 원주 여관 주인이 나를 잘 보고 중매를 선거야. 남자는 아주 못났어. 그래도 애 아범은 얼굴도 잘생기고 노래도 잘하고 그랬는데, 그 선본 남자는 아주 촌스럽구 못났구 베기 싫게 생겼던 거야. 키도 작고 거기에 내 아들만한 아들까지 하나 있고. 그른데 그 남자가 고등학교 선생이래.

그르니 내가 그동안 벌어먹기 너무너무 힘들어서 마음이 쏠렸던 거야. ‘에이, 남편 낯짝 파먹구 사냐? 밥이나 편하게 얻어 먹구 살자….’ 싶어서 마음을 정하고 따악 살림 합할 약속을 했어. 살림을 여기 이 집에서 하기로 했어. 이 집은 양키물건 장사해서 사놓고 있었잖아. 가서 집 고쳐놓고 맻날 매칠까지 다시 오겠다고 약속했지.

원주쪽 내 살림이야 여관방인데 정리하고 말 것도 없었어. 서방인지 남방인지 데려 올래믄 수리라도 해 놓구 데려오려구 한거야. 여기 와서 막 집을 고칠라고 공사할 사람을 찾고 있는데, 아 집 나간 아들 새끼가 떠억 하니 기어 들어오지 않았겠어.

근데 참 사람 마음이 그렇데. 바로 전까지만 해도 시집을 가야겠다고 마음을 먹고 철썩같이 약속까지 해놔 놓구서는, 자식이 들어오니까 마음이 싸악 뒤집어지는 거야. 머 어쩔까 고민을 하는게 아니구 손바닥 뒤집듯 마음이 싹 바뀐 거야. ‘아, 내가 남의 아들 키워줘서 머하겠느냐? 내 자식 들어왔으니 내 자식이나 키우구 살아야지….’ 그렇게 마음이 뒤집어지더라구.

그래서 집수리하고 오겠다고 약속해 놓고는, 안간다 못간다 소리도 없이 연락을 딱 끊어 버린거야. 아들한테도 이런 저런 한마디도 안하구. 한 삼년 만에 들어왔으니 걔가 열아홉이나 스물이나 됐었어.

그 때까지는 아들은 학교는 한번두 다닌 적이 없어. 평양서 같이 온 친구 그 년 있잖아, 그년이 내 집 여기서 살 때 좀 데리고 있으랬더니 오륙개월이나 데리구 있었어. 근데 공부시킬 생각도 안하고 전기 다마 만드는 공장을 보내서 손이 죄 베어 가지구 많이 다치구 그랬더라구. 왜 남의 자식 데리고 있으면서 그렇게 험한 일을 시켜? 그 여자가 평생 나를 이용해 먹었어, 내 인생에 오나가나 거머리처럼 붙어서 꼬여 놓는 거지….

우리 아들 마흔 두 살까지 내가 데리고 먹구 입히구 하면서, 신학대학 4년 연구과 3년 목회학과 1년, 8년을 목사 공부를 시킨 거야. 일반 공부를 안해서 밑바닥 공부가 없으니까 목사되는 공부를 더 오래 한 거지. 저 마흔 두 살, 나 예순 네 살에 목사안수를 받은 거구.

그 동안이고 그 다음이고 지가 나한테 돈 십원 한 푼을 안갖다 줬대니까. 누구 닮아서 그런지 몰라. 나는 열네살부터 일하기 시작해서 평생 내 손으로 내 몸땡이루 먹구 산거자나. 습성이 지 애비를 닮았나….

외국인 가정부
한국가정에서 파출부, 가정부 일을 하고 있는 이주노동자의 한 모습

아들 목사공부 하는 동안, 나 육십에서 육십 넷까지 딱 4년을, 미국 사람네 집 파출부를 다녔어. 그 사람들은 딱 4년을 계약하구 한국을 들어오니까 나도 딱 4년을 한 거지. 미국집에 들어가서 식모로 일하던 친구가 소개해 준 자리였어. 하루 걸러 컴 가서 아침 아홉시에서 저녁 여섯시까지 꼬박 아홉 시간을 서서 일만 하는 거야. 단 오초 일초도 앉았을 시간이 없어.

근데 한국 사람 집에 들어가 살면서 한 달 내내 묶여있는 다른 파출부들보다 내가 더 받기는 했어. 현관문 닦기가 젤루 힘들어. 양짝이 열여섯 면인데 그걸 딱구 나면 땀으루 속 빤쓰까지 다 젖는다니까.

그 사람들은 보통 아침에 나갔다 저녁에 들어오는데 내가 주변머리가 원체 없어. 원체 고지곧대루 여서 샤워 한 번을 못해. 남들이 그러는 거 하구 나하구는 아무 상관이 없는 거야. 저엉 땀이 많으면 물 한바가지 떠가지구 저 베란다 가서 씻구 말지.

그런데 한번은 하도 땀나서 화장실 물 틀어서 좀 씻었더니 그 미국년이 머래는줄 알아? 너네집은 수돗물도 안나오냐는 거야. 그것들은 대대손손이 껌댕이들 부려먹던 게 있어서 우리같은 사람이 사람으로 안보이는거야, 불쌍한 생각 안하는거야. 그래서 그 후로는 저엉 땀 씻을 일 있어도 따로 그릇 하나를 두고 거기 물떠서 베란다에서 쓰고, 그 집 화장실도 안 쓰려고 집에서 미리 보고 가고, 가서도 참고 그랬어.

내가 세상을 그렇게 살았어. 몸은 힘들어도 신간이 편했어, 파출부는. 뺏길 염려도 없고 잡혀갈 염려도 없고. 자기네 노는 날은 일하지 말래. 청소기랑 돌리면 소리가 시끄럽거든. 그러니까 자기네가 집에 있는 날은 쉬래. 내 사는 주인집 전화번호 줬으니 내가 집에 있을 때 전화해 주면 오죽 좋아? 막상 가야지 그때사 오늘 자기네 쉬는 날이니, 집에 가서 쉬라는 거야.

그래도 그날 돈은 주고 쉬라고 하지. 원래는 일하는 날인데 자기네 사정으로 쉬니까. 계산은 분명한 사람들인 거지. 만일 내가 아파 쉬었다면, 돈을 안주는 거지. 근데 내가 하루라도 내 사정으루 쉬어본 적이 없어. 점심은 쌀 한말을 미리 사줘. 가루커피 한 통하구. 그래서 점심먹고 커피한잔 마시는 게 지금까지 습관이 돼 있어. 반찬은 딱 미군부대서 나온 깡통 하나야. 그게 우리한테는 반찬이 안되지.

미국 사람 집에 들어간 게 너무 고마워서 혹시 마음에 안든다구 그만두라 할까봐 비지땀을 흘리면서 일을 했어. 일에 대해서는 말 한마디를 내가 안시켰어. 알아서 깔끔하게 미리 다 마음에 맞게 하는 거지. 청소하구 빨래하구 옷 대리구 그게 내 일인데, 그걸 아홉시간 꼬박 해두 시간이 모자라는 거야. 옷들은 물론이구 팬티부터 수건에 행주까지 다 빳빳하게 다리는 거야.

(필자) 파출부 일 4년 하고서는 그 다음 다른 일은 어떤 걸 하신 거에요?

(김미숙) 파출부 딱 4년 하구 그 사람들 미국 들어가고 나서는 나이도 그렇고 해서 다른 일을 찾기가 힘들더라고. 아들이 목사공부 하고 있는 중이니 전처럼 미군부대 근처로 들어가 양키물건 장사를 하기도 그렇고.

그래서 내가 사논 이 집에 딸린 가게방에다 과일장사를 시작했는데, 그게 앞으로 남고 뒤로 밑가는 장사더라고. 안팔리는 게 상하구 하니까 별 이문이 없는 거지. 그래서 곧 그만 두구는 이 집으로 내가 들어 온거지. 여기 살던 친구년 내쫓구는. 아들 목사공부 8년 동안을 파출부 할 때부터 시작해서 매일 산을 다니면서 기도를 한 거야.











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양공주, 양색시, 양갈보
글쓴이 : 뚜벅이 날짜 : 2006-02-27 (월) 16:26 조회 : 8741 신고 인쇄
동두천과 가까운 동네에서 어린 시절을 보낸 내 귀에 익숙했던 말 중에, 양색시라는 말이 있었다. 어디선가 화장이 좀 야한 낯선 여자가 이사를 오면 아주머니들은 개울가 빨래터에서 양색시, 혹은 양공주라는 단어를 수군수군 거렸다.




술만 마셨다 하면 부부싸움을 벌이던 어느 집에서는 아주머니를 향한 아저씨의 매타작 육두문자 속에서 갈보 혹은 똥갈보같은 말이 튀어나왔는데, 양색시나 양공주보다 갈보라는 것이 더 강도가 센 욕이었다는 걸 느낌으로 알 수 있었다.


어린 깜냥으로도, 미군에게 가랑이를 벌리며 살아가는 천한 년이란 뜻으로 그 말들이 쓰이고 있음을 아는 것은 그다지 어렵지 않았었다. 그러나 국민학교 5학년 때 서울로 이사를 오면서 그 단어도 거의 내 주변을 떠나간 사어가 되어버렸다. 아무래도 군사지역과 서울의 환경차이가 분명히 있었거나 서울에는 빨래터가 없었거나 둘 중 하나의 이유.


그 말, 양색시, 양공주, 양갈보와 같은 말들이 불쑥 다시 생각난 것은 이번, 하인즈 워드 파동을 지켜보면서였다.


파동. 맞다, 그것은 파동이었다. 하인즈 워드가 미 수퍼볼에서 MVP를 딴 것이 파동이 아니라 그 뉴스를 보도하는 언론의 생난리- 가난을 소재로 한 눈물나는 민족주의, 미국놈 한국놈 만드는 신기술, 윤수일과 인순이까지 끌어들이는 오지랖, 유효기간 보름 짜리 영웅만들기가 파동이었던 것이다. 에헤..파동이라는 말은 너무 점잖다. 지랄. 그 말이 더 적절한 단어다.


그 파동을 스치듯 지켜보던 중, 미국시민권자 후배놈과 술자리를 했는데 그 자리에서 녀석이 그런 말을 했다. 이른바 흑인의 정서에 대한 코멘트.


" 형. 하인즈 워드가 말하는 어머니에 대한 감상은, 우리가 말하는 효도라는 유교적 논리로 해석하면 안돼. 그건 흑인 특유의 정서라구. 대부분 흑인이 어떤 어워드에서 수상 소감을 이야기할 때 빠지지 않는 것이 바로 어머니라구."


그 말을 들으면서 나는 작년 아카데미 시상식 때 '레이'로 남우주연상을 받은 제이미폭스를 떠올렸다. 아니 더 정확히 말해, 그의 장황한 수상소감에서 가장 많은 부분을 차지했던 할머니 이야기를.


"Only now, she talks to me, in my dreams. And I can't wait to go to sleep tonight because we got a lot to talk about. I love you." 오늘 밤 꿈에서 할머니를 만나 아주 오랫동안 이야기를 할 것이라며, 오늘날의 자신을 만들어준 돌아가신 할머니에게 바치는 헌사.


만일 미국기자가 한국식으로 기사를 썼다면 '할머니 눈물이 영웅을 키웠다' 라는 헤드라인이 굵은 고딕으로 등장하고 ' 제이미폭스의 할머니는 자신보다 아이한테 투자한 전형적인 미국 할머니' 라는 내용의 기사와 함께 ' 세월이 지나도 변하지 않는 효심은 미국을 지탱하는 힘'이라는 결론으로 마무리를 했을 터였다. 자위와 몽정의 경계를 지 멋대로 넘나드는 꿈보다 해몽의 저널리즘.


그 후배가 말한 대로, 피부 검은 흑인이 숙명처럼 짊어져야 할 차별의 한스러움은 똑같은 운명에 여성이라는 멍에까지 씌워진 어머니를 동지의 개념으로 끌어안을 수밖에 없는 것이고 그것을 ' 바른생활 孝' 가 아닌 'soul'로 해석해야 한다는 말은 충분히 타당하다.





하기야 해몽저널리즘이 먹히는 사회와 저렇게 우수한 인종은 당장 국민훈장을 줘서라도 한국인으로 만들어야 한다고 거침없이 말하는 분위기와 그래서, 내심 하인즈워드의 입에서 이승복처럼 " 나는 미국인이 싫어요! 나는 한국인이어요!"라는 말이 아주 살짝 만이라도 나오길 기대하는 순수한 방청객들의 기대 속에서는, 쏠이고 도레미고 다 집어치고 그는 효자여야만 한다. 토리노의 토비 도슨처럼 " 아이 왜 이러셈? 한국인들 너무 오버하는거 아니얌?" 이라고 주인공이 말하기 전까지는 河 워드는 효성 깊은 한국인이고 그의 어머니는 신사임당의 후예, 한국의 어머니여야 한다.


다시..내가 이 파동을 지켜보며, 그리고 후배와 술을 마시면서 내내 생각하고 있던 갈보라는 말로 돌아가 보자.


하인즈워드의 어머니, 나이트클럽 종업원으로 일하다 동두천 미2 사단에서 주한미군 흑인병사와 결혼했고 하인즈를 낳았다. 오늘, 언론이 칭송해 마지 않는 한국의 자랑스런 어머니는 내 어릴 적 동네 빨래터에서 아주머니들이 수군거리고, 지금도 이민사회에서 인도의 하리잔, 불가촉천민이며 언론에서는 그 신성한 지면에 흠집이라도 날까 봐 쉬쉬해 마지 않던, 갈보의 혐의를 가진 사람이었던 것이다.





당신은 갈보야, 라고 생각하면서도 과거는 일단 덮고, 좋은 게 좋은 것이라며, 오늘의 성공스토리를 써제끼던 해몽가들이, 그냥 실수로라도,


형이 말하는 것 오해 없이 들어..


한국전쟁 이후 100만이 넘는 미군기지 매춘업 종사 여성들이 들었던 갈보라는 말은 그녀들의 병든 부모의 한 끼 양식과 어린 동생들의 학비로 교환됐거든,


60년대 초에는 한국정부가 그녀들을 외화벌이의 일등공신이라며 윤락행위등방지법 적용에서도 제외했거든,


1970년 초의 닉슨독트린때 미군 철수 계획을 저지하기 위해 박정희가 행한 clean-up 캠페인이란 것은 " 미군들이여, 깨끗한 갈보의 나라에 좀 더 오래 있어주십시오. 플리즈" 에 불과한 기지촌 개선 운동이었거든,


당시에는 외국인에게 몸 파는 여자들은 나라에서 통금도 풀어줬거든,


그렇게 가난한 국가가 만든 희생양들이 오늘 자랑스런 하인즈의 어머니일 수 있으며, 그들을 갈보라고 아무 생각 없이 매도하는 것은 호란에서 돌아온 여인들에게 화냥년이라 부르거나 , 정신대를 공창이라고 부르는 개념박탈 짓거리거든,


그러니 이쯤에서 우리 양공주에 대해 제대로 공론화를 해보면 .. 안되겠니? ..


라는 말을 한번이라도 듣고 싶었던, 나의 하인즈 파동 관전평이다.






http://news.hankooki.com/lpage/people/201207/h2012071121040991560.htm



"양공주라 불리던 아픈 기억 떠나보낼 때가 된 것 같다"
■ 평택 기지촌 할머니들의 연극 '숙자 이야기'
'고향 떠나온 날' '사랑' 고달팠던 자신의 삶을 15명의 할머니들이 직접 무대서 열연
"사람들 앞에 나서기가 싫어 망설였지만 무거운 짐 내려놓은 듯"

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평택=손효숙기자 shs@hk.co.kr
입력시간 : 2012.07.11 21:04:09
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기지촌 할머니들이 연극 '숙자 이야기'공연을 마친 뒤 함께 기도하고 있다. 평택=김주영기자 will@hk.co.kr


10일 오전, 연극 '숙자 이야기'가 무대에 올려진 경기 평택시 팽성국제교류센터. 칠순에 가까운 할머니 10여명이 무대 위에 마련된 한 기지촌 여성 영정 앞에 장미꽃을 올려 놓았다. 객석의 관객들도 누가 시키지도 않았는데 하나 둘 무대에 올라 묵념했다. 이어 배우들이 '여자의 일생'이라는 제목의 노래를 부르자 100여 관객들의 흐느낌이 들려왔다. '숙자 이야기'의 마지막 장면은 이랬다. 무대와 객석은 온통 눈물 바다였다. 무대의 영정은 최근 기지촌의 쪽방에서 외롭게 세상을 떠난 여복동 할머니다.

'숙자 이야기'는 여느 상업적인 연극과는 판이하게 다르다. 젊은 시절'기지촌 여성'이었던 할머니들의 험난했던 삶을 다룬 사회성 짙은 소재라는 이유외에도 할머니들이 직접 배역을 맡은 까닭에서다. '숙자'는 한 할머니의 실명이다.

연극 배우로 변신한 기지촌 할머니들은 15명. 모두 미군기지가 있는 평택시 팽성읍 안정리 일대에서 미군을 상대하면서 오랫동안 생계를 꾸려온 공통점이 있다. 나이가 들어 일을 그만두고도 오갈 데가 없어 정착한 경우가 대부분이다.

1시간 동안의 공연에서 기지촌 할머니 배우들은 각자 맡은 배역을 100% 소화해 냈다. 모든 장면 장면이 자신들의 아픈 경험들이었기 때문이다.

연극엔 11개 배경이 등장했다. '숙자'가 기지촌으로 들어올 수밖에 없었던 내용이 그려진 '고향 떠나온 날', 미래를 약속했던 미군으로부터 버림 받은 얘기를 담은 '사랑', 살아서도 사람대접 못 받고 죽어서도 사람대접 못 받는 현실을 녹여낸 '장례식장' 등이 관객들을 사로 잡았다.

기지촌 할머니 배우들은 당당했다. 오랜 연습 덕분인지 거침없이 대사를 쏟아 냈다. 연극을 주최한 햇살사회복지회 측은 "할머니들은 지난 3주 동안 전문 연극인의 지도로 맹연습했다"고 귀띔했다. 앞서 이들은 3월 15일부터 3개월 동안 심리 치료 연극 워크숍 '밝고 당당하게 살자!'에 참여하기도 했다.

공연을 성공리에 마친 할머니들은 만감이 교차하는 표정이었다. 주인공 '숙자'역의 엄모(67) 할머니는 "남몰래 묻어뒀던 아픈 기억이 자꾸 떠올라 연기가 힘들었다"고 했다.'숙자2'를 연기했던 김모(65) 할머니는 "사람들 앞에 나서는 것이 싫어 어제까지도 망설였는데 끝내고 보니 무거운 짐을 내려놓은 듯 후련하다"고 털어놓았다. 평택 기지촌에서 40여 년을 보내고 있는 김모(65) 할머니는 "'양공주', '양색시'라 불리며 천대 받았던 아픈 기억을 떠나 보낼 때가 된 것 같다"고 했다.

워크숍과 연극 연출을 맡은 노지향 연극공간-해 대표는 "할머니들 모두 혼자 생활하시던 분들이라 처음엔 따로 존재하는 섬 같았지만 워크숍이 진행되면서 서서히 경계를 풀었고, 연극을 준비하면서 마음을 터놓고 어울렸다"고 전했다. 기지촌 여성들을 돕고 있는 복지단체 햇살사회복지회 우순덕 대표는 "기지촌 할머니들이 눈물을 떨쳐내고 여생을 보다 적극적으로 보낼 수 있는 계기가 된 것 같다"고 했다.



http://www.sisapress.com/news/articleView.html?idxno=1864

6·25의 사생아 ‘양공주’ 통곡 50년
전쟁 그리고 약소국의 아픈 상처 ‘양공주’. 6·25가 끝난 지 50년이나 흘렀지만, 분단과 전쟁의 희생양인 양공주는 아직도 민족사 한가운데에서 총성 없는 전쟁을 치르고 있다.
기사입력시간 [719호] 2003.07.29 (화) 주진우 기자 | ace@sisapress.com
기지촌에서 미군에게 몸을 팔던 창국 엄마(방은진)는 마을 입구에 놓인 폐차된 버스에서 혼혈아 창국(양동근)과 산다. 그녀는 미국으로 떠난 흑인 남편이 자기와 아들을 데리러 오리라는 희망을 잃지 않고 끊임없이 편지를 보낸다. 그러나 편지는 ‘수취인 불명’이라는 직인이 찍힌 채 되돌아올 뿐이다. 1970년대 말 기지촌을 배경으로 한 영화 <수취인 불명>은 전쟁이 빚어낸 ‘양공주’와 혼혈아의 상처를 고스란히 드러내고 있다.

창국 엄마처럼 기지촌에서 미군을 상대하는 이들을 미군은 ‘스페셜 엔터테이너’ ‘바걸(bar girl)’ ‘비즈니스 우먼’ ‘GI(미군을 칭하는 말) 브라이드’라고 불렀다. 한국 사람들은 ‘양공주’ ‘양색시’ 심지어는 ‘양갈보’라는 모욕적인 이름으로 불렀다.
미군 제2 보병사단 캠프 케이시가 자리 잡은 경기도 동두천시 보산동의 일명 ‘7리’. 1992년 윤금이씨가 변을 당한 곳으로 클럽 66개와 양공주 천여 명이 활동하는 대표적인 기지촌이다. 하선애씨(46)는 석 달 전까지만 해도 이곳에서 양공주 ‘써니’였다. 하씨의 인생은 말 그대로 ‘양공주의 역사’였다. 한국인 여성과 미군 남성 사이에는 한국전쟁 이후 한·미 관계사가 작용하고 있다(60~62쪽 딸린 기사 참조).


“남편의 구타를 피해 스물한 살 때 이곳에서 양공주 생활을 시작했어. 얼마 되지 않아 흑인 메일빈을 만나 동거하다가 운 좋게 결혼해 미국에 갔어. 아들과 딸을 낳았지만 남편은 2년 만에 심장병으로 죽었어. 이후 미군 캐빈을 만났지. 전 남편으로부터 받은 유산이 떨어지자 캐빈은 때리기 시작했고, 돈도 없고 갈 곳도 없어 다시 동두천으로 돌아왔어. 클럽 생활을 하다가 여섯 살 아래인 한국 남자와 결혼했어. 그런데 남편은 내가 몸이 아파 돈을 벌어가지 못하자 아무 말 없이 집을 나가버렸어. 석 달 전 자궁을 들어내는 수술을 받고서야 25년 간의 지긋지긋한 양공주 생활을 접을 수 있었어….”

양공주의 역사는 주한미군의 역사와 궤를 같이한다. 1945년 9월8일 미군 2개 사단은 인천항의 외곽지 부평에서 38선 이남을 지배하는 점령군으로 주둔하기 시작했다. 1945년 10월 열린 연합군 환영식에서는 ‘미군 앞에서 한국 여자가 노래를 부른다’는 이유로 관중들이 야유와 욕설을 퍼부어 행사가 무산된 적이 있다. 한국인들은 한국 여성들이 미군과 접촉하는 것을 용인하지 않았다. 하지만 높은 윤리 의식도 가난이라는 현실의 벽을 오래 버텨내지는 못했다.

양공주는 한국전쟁과 함께 양산되었다. 전쟁으로 살 길이 막막해진 피난민들은 미군부대 주변으로 몰려들었고, 이 가운데는 전쟁으로 홀몸이 된 부녀자와 고아가 다수 포함되어 있었다. 이들이 미군을 상대로 하는 클럽에 나가기 시작했다. 이들은 보통 기본급과 자신이 손님에게 판 술값의 20∼50%를 받았다. 이를 ‘드링크 머니’라고 불렀다. 하지만 할당된 주스와 술을 팔지 못할 경우 드링크 머니는 턱없이 줄어들었다. 또 업주들이 월급을 제때 지급하지 않아 양공주들은 미군과 잠을 자야만 했다.

양공주가 되는 까닭은 다른 사창가에서 일하는 것보다 벌이가 나았고, 자유로웠기 때문이다. 더구나 미군과 결혼하면 지긋지긋한 가난과 빚의 사슬에서 벗어날 수 있었다. 한국을 떠나 새 생활을 시작할 수 있으리라는 막연한 기대감도 있었다. 1960년대에 전국 62개 기지촌에 있는 양공주의 수는 2만명을 넘었다.



기지촌이 급격히 늘어난 데에는 양국 정부의 ‘후원’도 큰 몫을 차지했다. 미군측은 가족을 데려오지 못한 미군들을 위한 서비스 공간으로 생각했다. 미군이 훈련할 때 양공주를 ‘담요 부대’로 데리고 가기도 했다고 한다. 한국 정부는 양공주를 남한의 자유를 수호하는 미군을 즐겁게 해주어 양국의 우호를 증진시키는 수단이자 외화벌이 창구로 보았다.

1961년부터 22년간 경기도 평택 기지촌에서 양공주로 일했던 김 아무개씨(63)에 따르면, 한 달에 한 번씩 군청 관리들이 양공주와 업주를 예식장에 모아 놓고 다음과 같은 말을 했다. “우리한테 미군을 위안해 주고 달러를 벌어들이는 당신들은 애국자다. 양공주가 없으면 동네 처녀들과 아줌마들이 다 당한다. 당신들이 미군에게 서비스를 잘 해야 나라가 편안하다.”

미국 웨슬리 대학 캐서린 문 교수는 자신의 저서 <동맹 속의 섹스>에서 다음과 같이 썼다. ‘한국 정부는 미군이 한국 주둔군 철수 문제와 한국에 대해 긍정적인 발언을 하도록 만들기 위해 이들에게 아첨하는 등의 노력을 기울였다. 매일 밤 미군 장교들을 위해서 기생 파티가 열렸다. 접대였던 것이다. 미군들은 그것을 너무 좋아했다.’

양공주들 사이에도 계층이 존재한다. 젊고 아름다운 여성은 클럽에서 일하며 보수도 많이 받는다. 이들은 허가증을 가지고 있고, 매춘을 이유로 감옥에 가지 않는다. 이에 비해 나이 든 ‘베테랑’들은 돈벌이가 안되어 ‘마마상’(관리자)으로 나서기도 한다.

미군과 결혼한 양공주는 양공주 사회의 꼭대기에 위치한다. 이들은 자기가 진 클럽의 빚을 미군 남편이 갚아준 상태여서 클럽에서 호객 행위를 하지 않아도 된다. 미군 영내에 들어갈 수도 있고, PX에서 산 물건들을 블랙 마켓에 팔아 짭짤한 수입을 챙길 수도 있다. 기지촌 양공주로 일한 특권이다. 동거 양공주들이 그 다음에 위치한다. 미군이 집 열쇠를 갖고 있다고 해서 ‘키 우먼’으로 불리는 그들도 애인의 후원으로 더 이상 클럽에 갈 이유가 없다.

양공주들은 사회 문제를 양산했다. 혼혈아가 대표적이다. 1950년대에 노출되기 시작한 혼혈인은 1970년대 들어 그 수가 만명을 훌쩍 넘었다. 현재 국내에 거주하는 미군과 한국 여성 사이의 혼혈인 수를 펄벅재단은 5천명, 혼혈인협회는 2만명 정도로 추산하고 있다. 정부는 통계치도 없다. 펄벅재단 사회복지사 이지영씨는 “혼혈인들은 의무 교육을 받지 못하는 경우가 30%가 넘을 정도로 극심한 차별을 받는다”라고 말했다. 동두천시 보산동에서 사회공동체를 운영하는 전우섭 목사는 “혼혈인들은 사회에서 철저히 버림받아 3대가 양공주가 된 집안도 있다”라고 했다.
동두천시 보산동에서 중학교에 다니는 한 흑인 혼혈 여학생은 “공주의 반대말은 양공주다. 피부색이 다르게 사는 것보다 다리 없이 사는 게 낫다는 생각을 수없이 했다”라고 말했다.

기지촌 주변에서 계속되어온 주한미군의 범죄 행위도 무시할 수 없는 문제다. 1992년 윤금이씨가 미군에게 무참히 살해되었고, 1996년 평택 기지촌에서는 에바다 농아원생이 성추행당했다. 1998년 군산 아메리카타운에서는 박순녀씨가 숨졌다. 하지만 정부는 불평등한 주둔군 지위협정 규정과 국가 안보라는 미명 아래 주한미군 범죄 행위에 대해 적극 대처하지 않고 있다.
양공주는 미군 감소와 더불어 1980년대부터 꾸준히 줄어들고 있다. 양공주는 현재 전국 50여 곳의 기지촌에 만여 명이 있는데, 러시아와 필리핀 여성이 대부분을 차지하고 있다. 한국인 양공주는 3천명 정도로 추산된다. 의정부 외곽 캠프 스탠리 옆에 위치한 기지촌 ‘뺏벌’(배나무가 많아서 뱃벌이었으나 한번 발을 들여놓으면 뺄 수 없다고 해서 뺏벌로 불린다)에서 기지촌 여성들을 위한 단체 두레방을 운영하는 유영임씨는 “한국 여성 수가 줄고 아이를 갖지 않는다는 것을 제외하고는 이곳은 사정이 달라진 게 없다. 가정 폭력에 시달려 집을 뛰쳐나온 여성들이 정보지를 보고 이곳으로 오고 있다. 하지만 한국 정부는 기지촌 여성들에 대한 미군의 범죄 행위와 육체적·성적 학대와 같은 민감한 부분에 대해서는 언제나 외면하는 정책을 써왔다”라고 말했다. 캐서린 문 교수는 “한국 정부는 기지촌 매춘 여성들을 미군과 매춘 여성 간의 문제, 즉 미국의 문제라고 여겼다”라고 지적했다.

정부와 사회의 무관심은 양공주를 계속 만들어내고 있다. 서울 이태원 R클럽에 나가는 순이(가명·21)와 수지(가명·22)는 전문대에 입학하자마자 양공주가 되었다. 순이는 “미국 문화를 익히고 영어도 배울 수 있다는 생각이었다. 결론을 말하자면 미국인 남자와 결혼해 미국으로 가고 싶었다”라고 말했다. 지난해 그녀는 미군을 만나 결혼을 약속하고, 은밀한 곳에 그의 이름과 장미꽃 문신까지 새겼다. 하지만 그 미군은 선물한 반지까지 빼앗아 미국으로 가버렸다. 순이는 정신과 치료를 받고, 문신 때문에 이름을 그 미군 이름으로 바꾸어야 했다.

순이는 아직 미국으로 가는 꿈을 버리지 않았다. 하지만 순이는 꿈 때문이 아니라 밀린 빚 때문에 오늘도 이태원 언덕을 오른다.


http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/563197.html

유신공주는 양공주 문제엔 관심이 없었다
등록 : 2012.11.30 15:21수정 : 2012.12.28 19:56툴바메뉴
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기지촌 정화운동은 기지촌 여성들을 위한 것이 아니라 주한미군을 위한 것이었다. 사진은 1970년대 말 동두천 기지촌의 모습.
[토요판]한홍구의 유신과 오늘
<20> 기지촌 정화운동
새누리당의 박근혜 후보가 선거의 핵심 표어로 ‘여성대통령’을 들고나왔다. 생물학적인 성(섹스)과 사회적인 성(젠더)을 엄격히 구분하는 입장에서는 박근혜의 여성대통령론을 마뜩지 않게 여기고 있다. 박근혜 후보가 동시대 여성 전체는 물론이고 자신의 동년배 여성들과도 달라도 너~무 다른 삶을 살았기 때문이다. ‘유신과 오늘’에서는 여성대통령을 표방하고 나선 박근혜가 영애로서, 퍼스트레이디로서 생활했던 유신시대에 동년배 여성들은 과연 어떤 삶을 살았는지를 돌아보고자 한다. 유신시대 여성들의 삶은 이미 살펴본 여공들보다 더 내려가 기생관광과 기지촌을 들여다보아야 바닥이 보인다.
박근혜가 구국의 결단이었다고 찬양해온 유신의 속살을 들여다보면 일본군 위안부 제도와 본질적으로 다를 바 없는 기지촌 정화운동이 나온다. 인혁당이나 정수장학회 문제와 같은 낯익은 국가폭력 사건의 경우 직접적인 피해자도, 직접적인 가해자나 수혜자도 국민 전체에서 보면 소수라 할 것이다. 그러나 기지촌 문제는 그 피해자가 수십만이고, 수혜자도 특정하기 힘들 정도로 많은데다 너무나 뚜렷하게 현재진행형이다. 기지촌 정화운동을 통해 우리는 대한민국이라는 국가가 사실상의 공창제를 운영하면서 힘없는 여성들의 몸뚱이를 담보로 국가안보와 외화벌이를 동시에 해결하고자 했던 불편한 진실과 마주하게 된다.
 미군철수 막기 위해 어쩔 수 없었다는 변명 
해방 후 남한에 진주한 미군은 일본군 주둔지역에 주둔했다. 용산 미군기지는 일본의 조선군사령부 자리였고, 미국 공군이 자리잡은 평택도 일본군이 비행장을 닦던 곳이었다. 당연히 일제 때에 형성된 유곽은 미군을 상대로 한 기지촌으로 바뀌어갔다. 사회안전망이라고는 찾아볼 수도 없던 시절, 갑작스러운 전쟁으로 남편을 잃거나 공동체로부터 유리된 여성이 먹고살기 위해 할 수 있는 일은 많지 않았다. 아무도 그들을 지켜줄 수 없었던 전란 속에서도 순결은 여전히 목숨보다 귀한 가치였다. 한번 ‘몸을 버린’ 여성들, 특히 가진 것이라곤 ‘이왕 버린 몸뚱어리’밖에 없는 수많은 여성들은 극도의 가부장적인 사회에서 갈 곳이 없었다. 수많은 순이들은 지친 몸을 누일 곳이라곤 기지촌밖에 없다는 것을 깨닫고 에레나가 되어갔다. 도대체 얼마나 많은 순이가 에레나가 되었을까? 한국전쟁 때부터 지금까지 기지촌을 거쳐 간 여성의 수를 관련 연구논문에서는 대개 30만가량으로 추산하는데, 30만이라면 파월장병 수와 비슷한 규모이다.
미국은 닉슨독트린에 따라 1971년 3월 7사단과 3개 공군 전투부대 등 주한미군 6만2천명 중 2만여명의 철군을 단행했다. 미군 철수로 공황상태에 빠진 박정희는 미군의 추가 철수를 막기 위해 전전긍긍했다. ‘갑’인 미국은 ‘을’인 한국에 다양한 경로로 기지촌 정비에 대한 요구를 해왔다. 미국대사관은 주로 한국의 기지촌에서 한국인들이 흑인 병사들을 인종차별하는 것에 대한 닉슨 대통령의 우려를, 미8군 쪽은 기지촌의 불결한 환경과 성병 문제를 제기했다. 1971년 12월 박정희가 한미 1군단사령부를 순시했을 때 부사령관 이재전은 박정희를 수행하면서 미군 쪽이 요구하는 기지촌 정화에 대하여 건의했다. 미군은 지원병 제도를 택하고 있는데 자식을 군대에 보낸 부모들이 한국이 성병 발병률도 높고 인종차별도 심하다며 자식의 한국 배치에 극력 반대한다는 것이다. 주한미군 쪽은 독일이나 오키나와 등지의 쾌적한 기지촌의 예를 들며 한국 쪽에 대대적인 기지촌 정비를 요구했다.
청와대로 돌아온 박정희는 수년에 걸쳐 내각에 지시했는데 왜 정화가 안 됐느냐고 크게 화를 내면서 청와대가 직접 사안을 챙기라고 지시했다. 담당자는 정무비서관 정종택이었는데, 그는 새마을운동 담당관을 겸임하고 있어 기지촌 정화운동은 기지촌의 새마을운동으로 불리기도 한다. 1971년 12월31일 청와대에서는 10여개 부처의 차관들을 위원으로 하는 청와대 직속의 기지촌 정화위원회가 발족해, 미국의 요구를 적극 수용해 기지촌의 환경 개선과 성병의 예방과 치료 등의 과제를 어떻게 처리할 것인가를 논의했다.
미군 철수의 절박한 상황에서 바짓가랑이라도 붙드는 심정으로 기지촌 정화운동을 할 수밖에 없었다는 변명은 사실에 부합하지 않는다. 기지촌 정화운동이 미국의 요구에 의해서 시작되었고, 추진도 한·미 합작으로 이뤄졌지만, 한국 정부는 사실 기지촌 정화운동이 공식적으로 시작되기 전부터 기지촌의 정비에 많은 노력을 기울였다. 박정희의 지시로 5·16 군사반란의 적극 가담자이자 중앙정보부 서울분실장으로 막강한 위세를 떨친 백태하가 주도한 군산의 아메리카타운은 미군들의 쾌락을 위해 건설된 계획도시였다. 1969년 9월 문을 연 아메리카타운은 미군을 위한 클럽, 식당, 미용실, 각종 상점, 환전소에 기지촌 여성들을 위한 500여개의 방까지 갖춘 매매춘을 위한 자급자족형 신도시였다. 여성학자들은 군산의 아메리카타운을 정부 주도 아래 설립된 ‘군대창녀주식회사’라 부른다.
일본군 위안부 제도는 전투력을 극대화하려면 전장의 병사들이 섹스를 즐길 수 있어야 하되, 성병으로 인한 전투력 손실을 막기 위해 깨끗한 성을 공급한다는 국가관리 성매매 시스템이었다. 이 점에서 기지촌 정화운동은 일본군 위안부 제도를 무섭게 빼닮았다. 일본군 위안부 제도는 인간이 만들어낸 가장 야만적인 제도지만, 이 제도를 만든 자들은 야만인이 아니라 대일본제국의 가장 우수한 아들들이었다. 기지촌 정화운동을 입안한 자들도 한국과 미국의 엘리트 관료들이었다. 대일본제국의 가장 우수한 아들들도, 자유와 인권이라는 보편적 가치를 지키기 위해 일본과 싸웠다는 위대한 미국의 빼어난 아들들도, 일본에서 미국으로 주인이 바뀌어도 변함없이 승승장구한 식민지 조선의 수재들도 위안부들의 인권같이 사소한, 어쩌면 처음부터 존재하지 않았던 것들을 무시하기는 마찬가지였다. 박정희에게 기지촌 정화운동을 건의한 이재전이 솔직하게 고백한 것처럼 기지촌 정화운동은 기지촌 주민을 위한 것이 아니라 주한미군을 위한 것이었다.
‘주한미군 전투력 극대화 위해
섹스를 즐기도록 하되
성병으로 인한 전투력 손실을
막기 위해 깨끗한 성을 공급한다’
그것은 일본군 위안부제와 흡사한
좋게 말하면 국가포주제였다

영애 박근혜는 그 시절
원로급 인사들을 모아놓고
충효사상을 강연했지만
밑바닥에서 사회를 떠받치는
기지촌 여성들 손을 잡은 적 없다 
 “안보와 달러를 위해 몸을 씻으시오” 
기지촌 여성들은 청결한 몸과 깨끗한 성을 판매하기 위해 최소 일주일에 두 번 검진을 받아야 했다. 아무리 몸을 파는 여성이라 해도 검진대에 올라 남자 의사에게 치부를 보이는 것은 부끄러운 일이었다. 이렇게 검진을 받아야만 검진증에 도장을 받을 수 있었다. 기지촌 여성들에게 검진증은 신분증이자 ‘영업허가증’이었다. 검진증을 갖고 있지 않다가 미군 헌병의 검문(기지촌에서는 이를 ‘토벌’이라 불렀다)에 걸리면 즉심에 회부되었다. 당시 미군의 성병은 놀라울 정도로 증가하고 있었다. 기지촌 정화운동에 대한 탁월한 연구인 캐서린 문의 <동맹 속의 섹스>에 따르면, 1천명당 성병 발생 건수는 1970년 389건, 1971년에 553건, 1972년 692건으로 급격히 늘어났다. 미군부대 정문 보초의 주된 임무는 외출 나가는 병사들에게 콘돔을 나눠주는 일이었다고 한다. 검진에서 성병에 걸린 것으로 적발당한 여성은 가차없이 ‘몽키하우스’라 불린 성병진료소에 감금되었다. 반면 성병에 걸린 미군이 완치될 때까지 외출이 금지되거나 하는 일은 절대 없었다. 미군의 7할이 성병에 걸려 있건만 성병의 책임은 오로지 한국 여성의 몫이었다. 성병진료소에서는 처음에는 페니실린을 투약했지만 부작용이 자꾸 생기고 잦은 투약으로 내성이 생겨 약효가 떨어지니 투약 용량을 거푸 늘렸다. 의사들은 부작용이 거의 없었다고 했지만, 여성들은 주사를 맞으면 다리가 끊어지게 아팠고, 많은 사람들이 자다가 죽고, 화장실에서 죽고, 밥 먹다 죽었다고 증언하고 있다.
아직 한국 경제가 제대로 성장하지 못하던 시절 기지촌 경제의 위력은 대단했다. 이나영 교수의 연구에 따르면 1964년 한국의 외화수입이 1억달러에 불과하던 시절, 미군 전용 홀에서 벌어들인 돈은 근 10퍼센트인 970만달러에 달했다. 한국 정부는 주말 외출을 나온 미군들이 오키나와나 일본으로 가 성매매하는 것을 기지촌 여성들을 업그레이드하여 국내에서 흡수하기 위해 그들에게 영어와 에티켓을 교육하려 했다. 기지촌 ‘양공주’에서 활동가로 우뚝 선 아메리카타운 왕언니 김연자의 회고록에 보면 당시 강사들은 이런 식으로 얘기했다고 한다. “흠흠, 에 여러분은 애국자입니다. 용기와 긍지를 갖고 달러 획득에 기여함을 잊어서는 안 됩니다. 에, 저는 여러분과 같은 숨은 애국자 여러분께 감사드리는 바입니다. 미국 군인들이 우리나라를 도우려고 왔으니 그 앞에서 옷도 단정히 입고, 그 저속하고 쌍스러운 말은 좀 쓰지 마세요.” 원자재 없이 외화를 벌어들이는 산업전사이자 미군을 붙들어 두는 안보전사로 그대들이야말로 참된 애국자이니 긍지를 갖고 일하라는 말에 그렇게 좋은 일이면 제 딸부터 시키지 하고 코웃음 치는 사람도 있었고, 그래 우리는 “열심히 씹을 팔고 좆을 빨자”고 자조하는 사람들도 있었다.
영어 강사들은 “메이 아이 싯 다운?” 하는 식의 교양 영어를 가르쳤지만, 여성들은 바쁜 세상에 ‘메이’는 무슨 놈의 얼어죽을 메이냐며 자신들에게 필요한 영어란 렛스 고 숏 타임, 렛스 고 롱 타임, 하우 마취 같은 것이라고 생각했다. 경찰서나 ‘자매회’가 주최하는 이런 교양강좌에 관심을 갖는 사람은 없었지만, 모두들 검진증 뺏기지 않으려면 자리를 채워야 했다. 일본군 위안부로 끌려간 조선 여성들은 학교 문전에 가본 적이 없는 사람들이 대부분이라 일본어를 몰랐다. 그들은 “닛뽄징 조센징 덴노헤이까 오나지네”(일본인과 조선인은 천황폐하가 같지요) 따위의 서비스 언어를 날림으로 배워 급히 외워야 했다.
안보전사답게 기지촌 여성들도 팀스피릿 훈련을 뛰었다. 기지촌과는 달리 훈련 나와서는 부르는 게 값이었다. 미군들도 훈련 사이사이의 짧은 시간에 욕구를 풀려니 앞사람이 조금만 오래 끌면 문을 두드리고 난리를 쳤다. 이렇게 밖에는 길게 줄을 서 있고, 안에서는 5분도 안 걸리게 일을 치르면서 여성들은 옛날 정신대 끌려간 사람들이 이랬겠구나 생각했다. 그 와중에 한국 정부는 야전에 임시보건소를 지어 여성들을 검진했다. 여성들이 아니라 미군을 위해서였다. 왕언니 김연자는 그런 데까지 돈 벌러 간 여자들도 참 대단한 사람들이지만 거기에 천막 치고 보건소 세워 준 정부도 참 대단한 정부였다고 혀를 찼다.

동두천 기지촌의 여성들. 정부는 그들을 안보전사이자 산업역군이라고 떠받들었지만, 정작 그들의 인권과 권리를 보호하기 위해서는 아무 일도 하지 않았다.
 한미동맹은 가치동맹 이전에 ‘섹스동맹’ 
미군기지에서 얼마나 떨어진 곳까지가 기지촌일까? 보산리, 안정리, 용주골만 기지촌이 아니었다. 미군기지는 어디에나 있었다. 대한민국이 캠프 코리아였고, 대한민국 전체가 거대한 기지촌이었다. 미군이 떠나면 우리는 다 죽는다며 미군의 바짓가랑이 잡고 늘어지는 자들이 한국의 ‘지도층’인 한, 정신적으로 대한민국 전체가 기지촌일 수밖에 없다. 우리는 모두 그 거대한 기지촌 캠프 코리아의 주민이었다. 우리가 몸을 팔지 않았고, 우리가 포주질 하지 않았고, 우리가 뚜쟁이질 하지 않았어도 우리는 우리 부모와 우리 형제자매가 그렇게 번 돈으로 밥 먹고 학교 다닌 것이다. 기지촌 정화운동은 아무리 좋게 얘기해도 일본군 위안부 제도와의 관련성을 부인할 수 없는 국가포주제도였다. 이나영 교수의 지적처럼 대한민국 전체가 ‘양공주’가 담보하는 국가안보에 기대어, ‘양색시’가 번 돈에 혹은 그들의 일터와 관계된 경제구조에 기생하며, 일정 부분 미국의 ‘위안부’가 되어 살아왔던 것이다.
군대가 있는 곳에 매매춘이 있기 십상이지만, 군대와 성매매 사이에 필연적인 상관관계가 있는 것은 아니다. 사우디처럼 이슬람 율법이 엄한 나라의 미군기지 앞에는 매매춘으로 흥청대는 기지촌은 존재하지 않는다. 기지촌 정화운동은 도덕적으로 타락한 여성들이나 업주들과 매매춘을 원하는 미군 병사 사이의 사적인 거래에 대한 것이 아니었다. 기지촌 정화운동은 미국과 한국 두 국가가 긴밀히 협력하여 추진한 국가적인 산업이자 정책이었다. 한-미 동맹을 얘기할 때 가치동맹을 얘기하지만, 가치동맹 이전에 섹스동맹이 있었다. 미국은 자국 병사들의 안전한 섹스와 스트레스 해소를 원했고, 한국은 주한미군의 계속 주둔과 미국 병사들이 뿌리는 달러를 원했다. 두 나라는 굳게 손잡고 기지촌 정화운동을 펼쳤다.
1960년대까지만 해도 미군 범죄에 관한 기사는 신문에 자주 실렸다. 그러나 기지촌 정화운동과 거의 동시에 시작된 유신시대의 신문지상에서 미군 범죄에 관한 기사는 찾아보기 어렵다. 정부는 기지촌 여성들을 안보전사이자 산업역군이라고 떠받들었지만, 정작 그들의 인권과 권리를 보호하기 위해서는 아무 일도 하지 않았다. ‘혼혈’ 자식들은 미국으로 입양보내고 홀로 남은 이들은 이제 늙고 병든 몸으로 고독한 나날을 보내고 있다. 지난 8월31일 기지촌여성인권연대가 발족했다. 그동안 기지촌 여성들을 위해 활동해온 이들이 먼저 깃발을 들었지만, 어찌 이 문제가 기지촌여성인권연대만의 과제이겠는가? 거대한 기지촌 캠프 코리아의 주민 모두는 이 문제와 무관하지 않다. 기지촌 여성 문제는 모든 국민이 책임져야 할 문제이지만, 국가포주제를 건설하고 운영한 수장의 따님인 박근혜 후보는 각별한 책임을 느끼고 그에 걸맞은 행동을 해야 한다. 그들은 사회가 조금만 문 열어 주었어도 우리가 이렇게 살지는 않았다고 지금 통한의 눈물을 흘리고 있다. 그들이 정녕 안보전사였다면 마땅히 국립묘지에 모셔야 하는 것 아닌가? 국립묘지 문 열어달라는 말은 안 하겠다. 다만 그들을 향해 굳게 닫혀 있는 우리 사회의 문, 우리의 마음의 문은 열어야 할 것이다. 그 문을 가장 먼저, 가장 활짝 열어야 할 책임은 다른 누구보다도 박근혜 후보에게 있다. 공주와 양공주는 딱 한 글자 차이지만, 이 사이에 우리나라의 모든 여성이 다 들어간다. 영애 박근혜는 그 시절 자신보다 두세배 나이를 잡수신 교장선생님이나 원로급 사회인사들을 모아놓고 새마음정신 고취란 이름으로 충효사상을 강연했지만, 정말 이 사회를 밑바닥에서 떠받치는 기지촌 여성들의 손을 잡은 적은 없다. 박근혜 후보여, 여성대통령을 표방하려면 동시대를 산 동년배 여성들의 희생에 먼저 경의를 표하시라!


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