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李氏朝鮮の妃嬪・宗室(既見ドラマのみ)
韓国時代劇を見ながら、后妃や王子たちがたくさん登場するのでまとめてみました。その王の時代が舞台ってだけでなく、もろに宮廷闘争ものだと、登場人物のプロフィールを把握したほうが見やすいので・・。史実と違う脚色には面白さを覚えますし、逆に史実や稗史からこんな風に演出したのか、と気がつくと大変面白いです♪→「龍の涙」・「キム尚宮」(95)、「王と妃」(99)、「女人天下」(01)、「張禧嬪」・「王の女」(03)、「王と私」・「イ・サン」(07)、「大王世宗」(08)などなど。見ずらいですが、青い字は中文解説へ飛びます。
日本語版ダイジェスト「朝鮮王朝実録」や中国ウィキペディアなどから構成しています。
正室一覧、側室一覧、宗室一覧※王子、王族など
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初代太祖(李成桂、全州李氏出身)
※第二夫人の息子を世子にするも、前妻の子たちから総すかん。
神懿王后・韓氏(1337-91)
太祖の第一夫人で郷妻。太祖が王となる一年前に死亡。芳果(2代定宗)、芳幹、芳遠(3代太宗)の生母。ほか鎮安太君・芳雨、益安大君・芳毅、芳裄の六男と敬善、敬慎公主の生母。追号は定宗朝(この頃はまだ後宮制度が整わず位階がなかった)。
神徳王后・康氏(?-1396)
太祖の第二夫人。権門の生まれ。末息子の撫安大君・芳蕃、宣安太君・芳碩、敬順公主の生母。政治に影響を及ぼすが第一王子の乱がおき、両王子と娘とを殺される。太宗から何度も墓を移され尊号も剥奪、200年後の18代顕宗朝に復位。
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2代定宗(初代太祖の息子・芳果で太宗の兄)
粛宗朝で廟号がつくまで王として扱われなかった(明からの諡名のみ)。定安王后・金氏ほか7人の夫人、15人の息子、7人の娘。しかし保身にたけ長寿を全うする。
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3代太宗(初代太祖の息子芳遠で定宗の弟)
※何度も譲位騒ぎを起こした、王朝基礎固めをした厳しい王。「龍の涙」でおなじみ。
元敬王后・閔氏(1365-1420)
太宗の即位に尽力し、第一王子の乱でも活躍。王権強化のため後宮を増員しようとした太宗と対立、廃妃されかける。譲寧、孝寧、忠寧大君、貞順、慶貞、貞善公主の生母。ほか、側室の子に孝嬪・金氏から敬寧君、宣嬪・申氏から誠寧、温寧、勤寧君、善嬪・安氏から益寧君、淑儀・崔氏から喜寧君、安氏から恵寧君、崔氏から厚寧君がいる。
譲寧大君(1394-1462)
太宗の長男。素行不良で廃世子、臣下から弾劾されるも長寿。お忍び好き。
孝寧大君(1396-1486)
太宗の次男。兄の廃世子後、野心があったものの弟の忠寧が世子になると僧侶に。成宗朝まで生きて尊敬を集めたが、それが廃仏を主張する儒家から批判されることに。
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4代世宗(3代太宗の息子)
※李氏朝鮮歴代王のうち、最も多くの王子を得た(18人)。名君といえばこの王様。
昭憲王后・沈氏(1395-1446)
この頃から王妃を「中殿」と呼ぶ。5代文宗、7代世祖、安平、錦城大君など8人の王子、貞昭、貞懿公主の生母。青松沈氏出身で、子孫に13代明宗の王妃、20代景宗の初代世子嬪(端懿王后)。
安平大君(1418-53)
昭憲王后の子。当代一の書家とうたわれるが、兄弟の首陽大君(世祖)の癸酉靖難でファンボ・インらとともに賜死。「王と妃」では前半に出演、「張禧嬪」でのチャン・ヒジェの俳優さん。
広平大君(1425-44)
昭憲王后の子。太祖と神徳王后の息子・芳蕃の養子になり、父の世宗と従兄弟に。芳蕃の祭祀を担当するが19歳で夭折。芳蕃、芳碩兄弟ってどこまでも不幸?
錦城大君(1426-1457)
昭憲王后の子。太祖と神徳王后の息子・芳碩の養子に。兄弟の首陽大君による癸酉靖難に反対、甥の6代端宗復位計画が発覚し31歳処刑。芳碩の祭祀も絶えてしまう。
平原大君(1427-45)
昭憲王后の子。学問に優れていたが夭折し、8代睿宗次男・斉安大君が後を継いだ。
龟城君
世宗の孫で臨灜大君の息子。ハン・ミョンフェと対立し、これ以降王族は政治参与禁止に。
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5代文宗(4代世宗の長男)
長子相続を取りたい世宗の決断で早くから世子となり父王の摂政を務めたが、病弱で即位後2年で死亡。初代嬪宮・金氏、二代目・奉氏ともに不和で実家へ戻す(廃位とは違うの?金氏は恥辱と父と無理心中)。三代目嬪宮に顕徳王后・権氏がおり、6代端宗生母。
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6代端宗(5代文宗の長男)
歴代最も幼い11歳で即位、叔父の首陽大君(世祖)に殺害。定順王后・宋氏は廃妃。首吊り自殺説、毒殺説があるが、「王と妃」では絞殺のうえ川に遺体が捨てられる。宋氏の縫った衣装をいとおしむところも泣け、彼が死ぬ89話まではイタイ。
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7代世祖(4代世宗の息子で、5代文宗の兄弟、6代端宗の叔父)
※幼い甥から王位簒奪した弱みがあるが、有能な王様らしい。墓改革の人。
貞喜王后・尹氏(1418-83)
8代睿宗、世子時代に死んだ徳宗(桃源君)の生母。李氏朝鮮初の垂簾聴政を行う。嫡孫(睿宗息子)の斉安大君がいたが、睿宗死後は孫の者乙山君(成宗)を後継者に。ドラマだと穏やかな性格が多い。昭恵王后がキョーレツだから?史実ではもうちょっと強そう。
徳宗/懿敬世子(1437-57)
貞喜王后の子で、世子時代に夭折。次男が成宗となり徳宗と追号。ほか息子に月山大君。
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8代睿宗(世祖と貞喜王后の子、徳宗の弟)
※7歳で世子に、18歳で即位するも、1年未満で病死。
章順王后・韓氏(1445-61)
世祖とともに癸酉靖難を推進したハン・ミョンフェの娘。成宗妃・恭恵王后の姉で親等でいくと姑(父の姉妹)。世孫・仁城大君を産むが夭折、自身も産後16歳で死亡。
安順王后・韓氏(?-1498)
世子時代の睿宗と結婚、夫の即位に伴い王妃となるが、睿宗死後に仁恵大妃に。その後、明懿大妃。燕山君朝に死亡。斉安大君と顕粛公主の生母。「王と妃」に登場。
斉安大君(1466-1525)
安順王后の子で睿宗の嫡次男。睿宗死後、彼は世子にはならず、祖母の貞喜王后の意向で従兄弟の成宗が即位。世宗の子・平原大君の養子に。11歳で金氏と結婚するが母の安順王后が追い出し、13歳で朴氏と再婚するも、成宗のとりなしで再び金氏と結婚。親孝行で母の死後は女性を遠ざけた。燕山君に張緑水を紹介したのでも有名。保身うまそう。
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9代成宗(世祖孫、徳宗の次男)
※王朝の基礎固めをしたが、初めて離婚した王様。廃妃尹氏のエピソードで有名?
昭恵王后・韓氏(1437-1504)
世祖の長男・徳宗の正室で綏嬪、仁粹大妃。長男・月山大君、次男・者乙山君を産んだ。夫は即位せず死んだので掟に習い実家に戻ったが、次男が成宗となり王妃に、ついで仁綏大妃へ。嫁の尹氏と不仲で、そのため孫の燕山君と対立、謀殺説もある。
恭恵王后・韓氏(1456-74)
ハン・ミョンフェの次女。姉は先代・睿宗の正室である章順大后。姉妹ともども10代で夭折し、他の王族の死とともに端宗と顕徳王后の祟りとされた。
廃妃尹氏(?-1482)
はじめ淑儀になり、二代目王妃に。世子で長子の燕山君を産むが素行不良で賜死。復位の動きもあったが貞喜・昭恵王后が反対。墓も粗末で実子の燕山君による甲子士禍の引き金に。燕山君によって斉敬王后と追号されるも、11代中宗が即位すると廃妃に戻る。「王と私」のヒロイン、「王と妃」では怨念全開。
貞顕王后・尹氏(1462-1530)
三代目の王妃。燕山君の弟、晉城大君(のちの11代中宗)の生母。はじめ淑儀。以後、慈順大妃となり、ほか娘の慎淑公主がいる。成宗と同葬。「女人天下」ではイ・ボヒが演じる。
月山君夫人
成宗兄の月山君の後妻。美人の誉れ高く燕山君に強姦され自決。「王と妃」では、関係はないものの燕山君から「母になってください」とせがまれ、昭恵王后から釘を刺されていた。
厳貴人、鄭貴人
成宗の側室。鄭貴人には安陽君と鳳安君がいるが、燕山君によって全員殺害。
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10代燕山君(成宗の長男、廃妃尹氏の子で11代中宗の兄)
稀代の暴君、ドラマだと母親にこだわりまくってコワイ。映像化も多い。廃妃慎氏((燕山君側近の慎守勤の妹で、夫の廃位とともに廃妃)、後宮から四男二女をもうけるが全員賜死(暴君の子の末路は悲惨?)。妓生出の側室で三大妖婦の一人・張緑水がいるが廃位とともに処刑された。
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11代中宗(9代成宗の子、10代燕山君の弟)
※初めて臣下クーデターにより擁立された。そのせいかドラマでは頼りなさげに登場。
端敬王后・慎氏(1487-1557)
燕山君の正室の姪(慎守勤の娘)のため廃妃。中宗との仲は特別でチマ岩伝説で有名。21代英祖朝に復位、追号。「女人天下」の宮廷シーンは彼女の廃位で始まる!
章敬王后・尹氏(1491-1515)
外従母の月山君夫人・朴氏に養育。淑儀となり、のち二代目王妃に。12代仁宗を産むが産褥で死亡。娘に孝恵公主がいるが仁宗とも夭折。みんな若死にで「女人天下」だと犠牲者。
文定王后・尹氏(1501-65)
最初から王妃として宮中へ。前王妃と同じ坡平尹氏。13代明宗を産み仏教を信仰、権勢を振るう。弟の妾で妓生の鄭蘭貞を側近にし悪后との評判。「女人天下」ではチョン・インファ。チャングムではいい人キャラらしいです。
敬嬪・朴氏(?-1533)
はじめ中宗の寵愛を受け、福城君、恵順・恵静翁主をもうける。章敬王妃の産んだ世子(仁宗)を支持するキム・アンロらを流刑にするが、灼鼠之变によって息子と共に賜死。
煕嬪・洪氏(1494-1581)
13歳で宮中入り、中宗との間に5人の息子をもうけるが3人は夭折。1547年に鳳城君は19歳で賜死、62年に錦原君は50歳で死亡。彼女は88歳まで生きた。
昌嬪・安氏(1498-1549)
生前は淑容(正三品)だが、彼女の孫・宣祖が即位し死後に嬪(正一品)へ格上げ。
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12代仁宗(中宗の長子、章敬王后の子)
朝鮮歴代王で最も短い治世の王。焼鼠の変で有名。即位後8ヶ月で原因不明の病気により死亡、在位が短く葬儀が簡略化というかわいそうな人。仁聖王后・朴氏、鄭貴人がいるが、子女はなし。仁聖王后は夫の死後32年間生き、のち仁宗とともに埋葬された。「女人天下」での悲しき犠牲者で、文定王后や敬嬪のイビリに耐え、前述の変で焼き殺されそうになるも「お母様方の気が済むなら」とどこまでも泣かせる世子だった。
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13代明宗(中宗と文定王后の子、仁宗の弟)
11歳で即位、生母の文定王后の垂簾聴政を受け、苦労した王様。世子時代には許婚が病弱で世子嬪候補交替劇も。家族に順懐世子とその生母仁順王后・沈氏。しかし世子は12・3歳で夭折、嫡流後継不在になり王位は傍系に流れた。
王妃、王大妃、大王大妃の違いについて
歴代の王世子嬪、王世孫嬪(※)
※王世孫(王の孫で、大体は世子の息子。既に世子の次の王位継承者に指名)の正室。
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14代・宣祖(徳興大院君の三男・河城君。中宗の孫。)
※初めての傍系出身の王様、自らの跡継ぎ問題でも14人の王子がおり嫡庶で大もめ。
懿仁王后・朴氏(1555-1600)
初代王妃だが病弱で子がなく45歳で死亡。ドラマだと前振りのみ登場でで余計哀れ。
仁穆王后・金氏(1548-1632)
18歳で50代の宣祖の継妃に。嫡子永昌大君を産むが光海君により殺され、自身も十数年間幽閉。ほか貞明公主。ハングル文字で懿旨を下し仁祖反正を支持。彼女直筆の「宝文経」が現存する。「王の女」ホン・スヒョンより「キム尚書」イ・ボヒの方がいい。貞明公主は夭折する王女が多い中、最長寿らしい。
仁嬪・金氏(1555-1613)
宣祖が最も長く寵愛した後宮で水汲みのムスリ出身。信城君は王位継承候補だったが倭乱時に病死。宣祖の死によって宮中を出るが、息子の定遠君の子・綾陽大君が仁祖として即位、王の祖母に。「キム尚宮」(95)や「王の女」(03)では実兄とともに光海君のライバル。
恭嬪・金氏(1553-1577)
長子・臨海君と次子・光海君の生母。比較的すぐ亡くなるが嫡子が不在だっため、二人の息子は宣祖の跡継ぎとして有力視された。ドラマだと生きた姿で見たことないが、ホジュンで活躍らしい。
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15代・光海君(宣祖の次子、庶出)
※父王時代からの庶出継承者問題で苦労、革新的政策を推進するも仁祖反正で廃位。
金尚宮
父・宣祖の後宮だったが、義理の息子たる光海君の愛人となり権勢を振るう。光海君廃位後殺される。張千三大妖婦にたまに入る(ほか張禧嬪、張緑水、鄭蘭貞)。
臨海君
光海君の同母兄だが、素行が乱暴で父の宣祖から疎まれる。倭乱で捕虜になったり国のために尽力したが、光海君により殺害。「王の女」ではかっこよく描かれている。
廃妃・柳氏、廃世子・チル
ともに夫/父の廃位で流刑になり、妻は精神を病んで死亡、息子は逃亡を図り殺される。
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16代仁祖(宣祖の孫、光海君の甥)
※光海君の親後金政策に反対しクーデターで即位するも、清に屈服するはめに。
仁烈王后・韓氏(1594-1635)
即位前の綾陽大君と結婚、昭顕世子など四男を産む。41歳で死亡。
荘烈王后・趙氏
二代目王妃。14歳で43歳の仁祖と結婚。子はなく26歳で死別。孝宗の死後、彼女の喪礼が政治問題化。仁祖と別葬。「張禧嬪」ではカン・プジャが演じる意地悪な長老ババア(笑)。「妖婦・・」ではキム・ヨンエ。
昭顕世子(1612-45)
仁祖の長男で母は仁烈王后。1636年、三田渡の屈辱で弟の鳳林大君と清へ人質に。瀋陽で8年過ごし帰国するが、2ヵ月後に死亡。不仲の父・仁祖による毒殺説も。「必勝チル」など。
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17代孝宗(仁祖の息子、昭顕世子の弟)
反清に燃えるものの実行には移せず。仁宣王后・張氏(1618-74)は孝宗より一歳年上。世子嬪として夫とともに清で人質生活を送り、孝宗即位後には王妃に。顕宗、淑敬公主など六女をもうけた。ほか、安嬪・李氏との間に一女。
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18代顕宗(孝宗の息子)
朝鮮歴代王で唯一、後宮(側室)のいない王様。正室の明聖王后・金氏(1642-83)は9歳で世子嬪に冊立、夫の即位で王妃となり、感情的で荒っぽかった。19代粛宗の生母。粛宗時代は政治に介入し文定王后の再来と言われたことも。1675年の紅袖之変(粛宗時代、顕宗の従兄弟である福昌(善)君・福平君が宮女を妊娠させた事件)では粛宗に激しく意見。
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19代粛宗(顕宗の一人息子、嫡出)
※換局政治を行い、最後の強い王権を誇った王様。でも後宮ではトラブル続き。
仁敬王后・金氏(1661-80)
世子時代からの粛宗の正室だが、天然痘で死亡。王への罹患を恐れた明聖王后の妨害で、粛宗は彼女の病中、まったく会えなかったらしい。
仁顕王后・閔氏(1667-1701)
二代目王妃。子はない。己乙換局で廃位されるが6年後の甲戌獄事で復位。34歳で死亡。宮女が彼女を主人公にして書いた「仁顕王后伝」が伝わる。粛宗と合葬。
仁元王后・金氏(1687-1757)
三代目王妃。子はなく英祖の即位で大王大妃に。死後、仁顕王后・粛宗とともに合葬。
張禧嬪(1659-1701)
父は不明。通訳官の姪で、中人階級出身。王族の東平君と荘烈王后の後押しで宮女、のち淑儀に。景宗の生母で嬪に昇格。一時は王妃となるが嬪に降格、呪い事件で賜死。三大妖婦の一人。悪女ドラマの女王でキム・ヘス、チョン・イナらが演じる。
淑嬪・崔氏(1670-1718)
非常に低い出身で、宮廷でも最下層の針房に勤めていたが、粛宗の淑儀に。21代英祖を産み、嬪に昇格。史実では不美人らしいがドラマでは美人・・。手がごついらしい。
明嬪・朴氏(?-1703)
景宗、英祖の兄弟延龄君の生母。「張禧嬪」では一切出ない。延龄君は夭折。
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20代景宗(粛宗の長子、英祖の兄)
※母の賜死を13歳で目撃、臣下を抑えることが出来ず、不能の噂もある悲しい王様。
「朝鮮王朝史」(日本評論社)によると禧嬪死後は粛宗から疎んじられ鬱病になったらしい。
端懿王后・沈氏(1686-1718)
10歳で世子嬪冊立、世宗の妃らを輩出した名門。「張禧嬪」ではすごく出来たお嫁さん。
宣懿王后・魚氏(1705-30)
世子嬪に冊立され、景宗即位で王妃に。英祖即位で大妃になるが、その後25歳で死亡。
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21代英祖(粛宗の次子、景宗の弟)
※生母の身分が低く苦労し、兄の健康問題で早くから王世弟(※)に。
貞聖王后・徐氏(1692-1757)
12歳で即位前の延礽君(英祖)と結婚。長く仕えるが子どもはなし。
貞純王后・金氏(1745-1805)
14歳で65歳の英祖と結婚したスゴイ運命の人。思悼世子を嫌い、政治にも介入。
孝章世子(1719-28)
英祖の長子で靖嬪・李氏所出。妃は孝純王后。9歳で病死、真宗と追号。22代正祖養父。
思悼世子/荘敬世子(1735-63)
英祖の次子で映嬪・李氏が生母。異母兄の孝章世子は夭折、遅く出来た子で1歳で世子に。9歳で恵嬪・洪氏と結婚、別宮に住む。義母の貞純王后に疎まれ英祖から誤解をされ、米櫃に閉じ込められ8日目に餓死、享年27歳。息子の正祖が即位し荘祖に追号。
恵嬪・洪氏/恵慶宮/献敬王后(1735-1815)
正祖の生母で思悼世子の正室。夫の死後、恵嬪となり、また荘祖となるとともに献敬王后に追尊。恵慶宮として有名。父と叔父が夫を弾劾する立場におり、夫の惨事を中心とした自伝「恨中録」をしるし宮中文学の祖に。(祖がこんな暗い宮中文学って・・・)。
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22代正祖(英祖の孫、思悼世子の息子)
父から始まり、自分の息子の悲劇もあり映像化度高しのエピソード王?孝懿王后・金氏は9歳で世孫妃に冊立。姑の恵嬪・洪氏や、英祖の継妃・貞純王后からも愛された徳の高い人らしい。子どもはなく、生前おくられた尊号は総て辞退。ほか宣嬪・成氏から文孝世子(夭折)を、綏嬪・朴氏から23代純祖と淑善翁主が生まれた。
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26代高宗(仁祖の8世孫)
※第21代王英祖の子・荘献世子の三男・恩信君の養子である南延君の四男・興宣大院君の次男というすごい傍系。母は驪興府大夫人閔氏。この人から朝鮮は大韓帝国となり、自身も初代皇帝に。
明成皇后・閔氏(1851-1895)
舅の興宣大院君の夫人の勧めで入宮するが、次第に親日派の興宣大院君と対立。日本からの独立を目指し政治に介入、甲未事変で日本軍により殺害された。純宗の実母。2001年ドラマ「明成皇后」がある。中国では「朝鮮皇后」とも。
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27代純宗(高宗と明成皇后の子)
大韓帝国二代皇帝、日韓併合後は初代李王。李氏朝鮮王朝最後の王。純明孝皇后・閔氏、継妃に純貞孝皇后・尹氏がいるが、子がなく皇太子は異母弟の英親王。
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※長子/嫡子相続が原則のため、本来は景宗の息子が世子になるはず。しかしこの場合は父・粛宗により「病弱で子どもが出来ない」と弟が次の王位継承者として指名されていた。19粛宗(父)→20景宗(兄)→21英祖(弟)、となる。は3代太宗も本当は2代定宗の「王世弟」だが、当時は朱子学が輸入されて浅く大義名分を必要としたため「世子」とした。
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