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不許可写真―毎日新聞秘蔵 (1)
http://sky.geocities.jp/pac_remix/honron/masaki.html
1999夏特集
「インターネット・グローバルカレッジ」にひそむ怪 Part1
「インターネット・グローバルカレッジ」というサイトがある。ご存知であろうか。マサキ・ヨシユキ氏が運営しているサイトである。そこは写真で「南京事件」を証明しようと試みており、大量の写真がアップされている。最初訪れた時、私は作者の熱心さに驚き、正直感心した。
ところが、ひょんなことから私も歴史写真をいろいろ調べることになった。するとマサキ氏のHPの写真のキャプションや解説をみて、「おかしい」と感じるようになり、最近はそれが「アヤシイ」と思うまでになった。
そこで今回は、マサキ氏の掲載写真の解説を「解説」してみたい。
引用したマサキ氏の解説(つまり②)は全文引用をおこないました。
1999年7月28日確認済みです。もしそれ以降マサキ氏HPの解説が、当サイトの引用したものと異なる場合がありましたら、それはマサキ氏の「変更」です。ご了承ください。
構成は以下のようになってます。
① ②
③
①:扱う写真です
②:「インターネット・グローバルカレッジ」の①のコメント・キャプション。
③:当サイト管理者による写真の解説。
Part2へ
1937年8月28日正午、日本軍の上海南駅爆撃後の情景。血まみれの赤ん坊が必死に助けを求めて泣いている。駅の待合室にいた約200人が死亡し、多くの負傷者が出た。この写真は雑誌「ライフ」に掲載されたものでこれを見た世界中の人たちは日本の虐殺を激しく非難した。
当サイトのFiles№01を参照
上海中心地の南部から大きな火の手が上がる。日本軍は大規模な焼き討ち作戦を開始。
オリジナルの写真は、「支那事変画報」第11号(毎日新聞社、昭和12年12月1日号)に掲載された。キャプションは、「虹口側からみた浦東の大火災=わが○○艦上より」。どちらの攻撃かは不明。
日本軍の攻撃によって上海北部の閘北区が全滅した。
オリジナルは「支那事変画報」第7号(朝日新聞社、昭和12年11月8日)に掲載。キャプションは「打ち続く戦火によつて 今や全く完膚なきまでに爆破された上海戦線に於ける最激戦地閘北三義里附近の敵陣に向つて 決死の突撃を敢行する我が陸戦隊員の勇士」。撮影日は10月6日、撮影者は河村特派員撮影。また「支那事変写真全輯(中)」にも転載されている。戦闘の場面である。
上海の近くの月浦という町で中国市民が殺される瞬間である。(この写真は日本のジャーナリストが撮ったものである。右側のスタンプは日本の新聞審査局が押したもので「不許可」と書いてある。)
毎日新聞社「不許可写真1」及び「一億人の昭和史10不許可写真史」に掲載。キャプションは「羽田部隊渡辺○隊日本軍の缶詰を盗んでいた正規兵を捕らえる月浦鎮南方」撮影日時は1937年9月20日。殺害されたかどうかは不明。
一九三七年八8月二十三日上海の殺戮場面。(この写真も新聞審査局の「不許可」のスタンプがある。
毎日新聞社「不許可写真1」及び「一億人の昭和史10不許可写真史」に掲載。前者の方には別カットあり。キャプションは「八月二三日竹下部隊に捕えられた正規兵の捕虜」。殺害されたかどうかは不明。
今日は徴発による大収穫。
アサヒグラフの裏表紙の写真Files№07参照。
杭州はもともと南京攻略の攻撃ルートにはなかったが、日本軍の略奪から逃れることはできなかった。この写真は森山康平著の「南京大虐殺三光作戦」にあるものだが、お寺から魚を徴発してきた日本兵は大漁に御満悦である。見出しの原文にはこうある。「上陸後、最高の収穫。玉泉寺から鯉を徴発。荷は重けれど足取り軽し。」
「支那事変画報」17号(毎日新聞、昭和13年2月1日)に掲載された。 キャプションは「西湖の鯉をとつて踊る藤山部隊の勇士」。森山著~のキャプションは創作。オリジナルはこちらである。
日本軍による空襲の後の南京。
南京ではない。Files№10参照。
一九三七年十二月十五日、日本兵は真っ昼間から破廉恥な略奪者に成り下がった。あらゆる手段を―乳母車までー使って略奪品を運ぶ。兵士が五十個から二百個の金の指輪をベルトに挟んで歩く姿は日常茶飯事であった。
撮影者は佐藤振寿氏。キャプションは「乳母車に荷物を乗せて歩く兵隊さん 中山路にて」(毎日新聞社「不許可写真1」)。また佐藤氏はこう述べている。「中国の『日軍南京大ト殺写真集』の中に、筆者が撮影した写真が、洞富雄氏の著書からの引用という形で無断使用されていた。空腹をこらえ、強行軍に耐えた兵の中には、疲労困憊のあまり乳母車まで使う者があった。そうした兵の苦しみに同情して撮影したものだが、洞氏の写真説明では撮影者の意図を無視して、この日本兵たちは悪者として非難されている。」(偕行社『南京戦史資料集Ⅱ』)
指輪云々は戦後の創作である。
日本軍第六師団大尉田中軍吉(中央でかがんでいる)は中国人を多数殺した後、犠牲者の衣服や所有物を奪う。
出所不明の写真である。市場での買い物の風景かと思われる。中央下の背を向けている人間は中国人であろう。撮影者・撮影日時・出典不明。
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