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대왕세종 大王世宗 第83回 King Sejong (The Prestigious King)
the great king sejong,as greatest that he didn't banish Choe Manri who opposed to make hangul.choe just was ordered to stay at home to reflect for a few month,the usually king should order the death whole of his relations,wife,children,parents,brothers and sisters. sejong's son,世祖 king Sejo ordered to execute to six wise scholars who studied hangul with sejong,like as Slow slicing 凌遅刑,Dismemberment 八つ裂きの刑.
【集賢殿は、世宗が歴史を歪曲し、また自分の後孫たちの王権を揺るぎなく永続化するために作った機関であり、訓民正音と高麗史を始め、実録と地理志、五禮儀などは、世宗の秘密組織の宦官たちが史草を作り、こうして作った史草を中国の史書たちと形式的な面を対照しながら世宗に推認を受けた、世宗の腹心機関であります。
대왕세종 大王世宗 第83回 King Sejong (The Prestigious King)
the great king sejong,as greatest that he didn't banish Choe Manri who opposed to make hangul.choe just was ordered to stay at home to reflect for a few month,the usually king should order the death whole of his relations,wife,children,parents,brothers and sisters. sejong's son,世祖 king Sejo ordered to execute to six wise scholars who studied hangul with sejong,like as Slow slicing 凌遅刑,Dismemberment 八つ裂きの刑.
【集賢殿は、世宗が歴史を歪曲し、また自分の後孫たちの王権を揺るぎなく永続化するために作った機関であり、訓民正音と高麗史を始め、実録と地理志、五禮儀などは、世宗の秘密組織の宦官たちが史草を作り、こうして作った史草を中国の史書たちと形式的な面を対照しながら世宗に推認を受けた、世宗の腹心機関であります。
丙子年6月2日、集賢殿で七人の文士方が、前日(6月1日)から夜更かしで世宗の歴史捏造と
魯山君の王位継承の問題などを討論なさっていましたが、参内するところであった金質が、門の外でそれを盗み聞きしては、鄭昌孫を訪ね、彼と共に謀議した事が、所謂、魯山君の復位事件であります。
だが世祖は、既にこれが虚位、即ち讒訴という事を知っていましたが、世祖には秘密があったため、これを大いに利用したのであります。
6月2日の朝、集賢殿にて朴彭年、成三問、李塏、河衛地、李徽、柳誠源、兪應孚先生方は逮捕され、柳誠源先生は、その場で抵抗なさり、自殺なさいました。】
集賢殿は、世宗が初めて作った物ではありません。
次は、朝鮮王朝実録の一部であります。
正宗1年3月13日
趙璞の建議に従い、初めて集賢殿を活性化させようとの措置をする。
趙璞の建議に従い、初めて集賢殿を活性化させようとの措置をする。
初めて、文臣たちを集賢殿に召し寄せた。
大司憲・趙璞が上言した。
“集賢殿は、今はその名だけで実状が無いため、願わくは、古来の制度を回復させ、書冊を多いに備え、藝文・校書を主にするようにさせ、文臣4品以上として館閣の職策を持つ者は、日を代わって集い、經籍を談義するようにさせ、顧問に備えるようにしてください。”
“集賢殿は、今はその名だけで実状が無いため、願わくは、古来の制度を回復させ、書冊を多いに備え、藝文・校書を主にするようにさせ、文臣4品以上として館閣の職策を持つ者は、日を代わって集い、經籍を談義するようにさせ、顧問に備えるようにしてください。”
王がこれを許し、左政丞の趙浚、醴泉伯の權仲和、大司憲の趙璞、 中樞の權近・李詹を提調官に任じ、 文臣5品以下を校理に任じ、7品の說書・正字に任じた。
世宗2年3月16日
集賢殿の人員数を定め、官員を任ずる。
最初は高麗の制度により、修文殿、集賢殿、寶文閣の大提学と提学は2品以上の者に任じ、直提学、直殿、直閣は3・4品の者に任じたが、官庁もなく職務もなく、ただ文臣として官職を与えただけであったのに、今に至ってはすべてを廃止し、ただ集賢殿だけを残し、官司を宮中に置き、文官の中で、才があり、身持ちが良く、年が若い者を選び、これの職に就かせ、ひたすら経典と歴史の談義を行い、王の諮問に備えた。
【 集賢殿にて、この方々が逮捕されたため、集賢殿の官員たちが、皆連れて行かれ、刑罰を受けたのであり、また集賢殿が閉鎖され、 後世の歴史学者が南孝溫を押し立てた六臣伝を見て、朝鮮王朝実録を見ることが出来なかったため、集賢殿の学士たちのクーデター云々とする妄言を今まで吐いているのである。】
次は、朝鮮王朝実録の一部であります。
世祖2年 6月2日
集賢殿の直提学・梁誠之を疑う人々が居るが、罪を与罰する事は出来ぬと仰せられる。
ある人が告するに、 ”集賢殿の直提学・梁誠之に恐れる気配があり、これは、さぞかし陰謀した事があるためでございましょう。と申し上げると、王が仰せられるに、
“このような時期には、誰しも恐れるであろう。
“このような時期には、誰しも恐れるであろう。
梁誠之とて、すべての官司の人々が連れて行かれた事に恐れを抱いてたとして、不思議ではないであろう。梁誠之は、余に長く仕えた者であるため、そのような憂慮は必要ないであろう。”
仰せられた。
具致寬が申し上げるに、
“梁誠之が、もし良からぬ思いを抱いているのならば、近日に輪対する時に好んで密策を申し上げる事など致さなかったでございましょう。”
“梁誠之が、もし良からぬ思いを抱いているのならば、近日に輪対する時に好んで密策を申し上げる事など致さなかったでございましょう。”
と申し上げ、申叔舟らが申し上げるに、
“梁誠之が柳誠源らと共に嫌疑がかかられている事は、国中のすべての人が知っている事でございましょう。”
“梁誠之が柳誠源らと共に嫌疑がかかられている事は、国中のすべての人が知っている事でございましょう。”
と申し上げ、因って、王が仰せられるに、
“余は、その事を知っておる”
と仰せられ、また仰せられるに、
“この事については、既に余は実情を知っておる。昔、房玄齡が太宗を裏切ったと告発した者がいた時、直ちにその者の首を斬ったのである。今は、申し上げる者の妨げる事になろうかとの憂慮のため、ただ<その申し上げ>を退けるだけであり、罰する事は出来ぬ。”
“余は、その事を知っておる”
と仰せられ、また仰せられるに、
“この事については、既に余は実情を知っておる。昔、房玄齡が太宗を裏切ったと告発した者がいた時、直ちにその者の首を斬ったのである。今は、申し上げる者の妨げる事になろうかとの憂慮のため、ただ<その申し上げ>を退けるだけであり、罰する事は出来ぬ。”
と仰せられ、ついに具致寬を以って梁誠之を召し寄せ、その事を徐々に仰せられ、恐れる事のないようになさったため、梁誠之が王の命を承り、感激した。
【朝鮮王朝実録では、この梁誠之だけが三国史記と言った事に注目してください。
世宗と仕官たちは三国史と言っているだけで、三国史記とは言っていません。
そして三国遺事は、物とも思わなかったのであります。 三国の歴史を失踪させ、歪曲し、捏造した事を世宗を始め、極少数の仕官たちは既に知っていて、これを政治的に利用し、鄭道傳を利用しては追い出させ、金宗瑞の野望は癸酉靖難で終わり、世祖は十人の文士の方々を処刑した事で、李成桂から始まり、李芳遠、そして李道に至る憂慮を終結させたが、歴史は人間の物ではなく、神々の物であり、天上の災厄を逃れる事が出来ないため、李道の家門に下された祖先罰は、それほどまでに恐ろしい物であります。
これは、朝鮮の焚書坑儒と言えましょう。世宗が金文起を以って漢半島(韓半島)の古代の史書たちを燃やし、失くさせた事が焚書に当たり、世宗がこの金文起を始め、文士たちを処刑した事が坑儒に当たりましょう。歴史を文字で弄んだ者は、孔子を始め、現代に至るまで例外なく祖先罰を以って罰する事は、既に史書を通して知っていらっしゃる筈です。】
次は、朝鮮王朝実録の一部であります。
世祖2年 6月6日
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