村山智順所蔵写真選
Photo Collection of Murayama Chijun
一九二〇から三〇年代の朝鮮の人と暮らし
Korean People and Their Lives During 1920s to 30s
Author : Nomura Shinichi(野村 伸一)
I. 日常生活
Daily Life
1. raft in Jeju Seogwipo 제주도
1.済州島西帰浦の筏船
2. a horse in Jeju Island
3. Jeju Folk who burn fields agriculture 화전민
3.済州島の火田民
women divers in Cheju Island (1)
4.済州島の海女(1)
women divers in Cheju Island (2) as their livelihood
5.済州島の海女(2)なりわいのようす
women divers in Cheju Island (3)
6.済州島の海女(3)
women divers in Cheju Island (4).
After work, take a warm with fire.
7.済州島の海女(4)。
作業後、たき火で暖をとる
milling
8.臼つき
Grinder wheat
9.麦挽き
making kimchi
10.キムチをつける
Urn on the Garden (1) Saving kimchi and Gochujang 고추장
11.庭の甕(1) キムチやみそなどを保存する。
Urn on the Garden
12.庭の甕(2)
Washing on the riverside (1)
13.川辺の洗濯(1)
Washing on the riverside
14.川辺の洗濯(2)
15.板の間での砧打ち(1)
beating cloths with posser on the wooden floor
16.板の間での砧打ち(2)
복날
칠석(한자: 七夕)
오본(일본어: お盆
山地川(산지천(하천))
17.済州島の水浴び。
初伏をはじめとした夏の三伏、また七夕や百中日(7月15日)に、済州島民は水浴びをした。特に七月十五日の水浴びは胃病、腰の痛み、熱病をはじめ、内臓疾患に効き目があるという。またその水は薬水として飲む。水浴びの場所として山地水は名高かった。写真の男たちの表情は村山のものとしては珍しく和やかである。【山地】 (2001年4月30日追記)
Bathing in Jeju island.
Jeju islanders had a bath on the first dog day, star festival day on July 7 or Bon festival day on July 15 in Summer.
particularly bathing on July 15 was said that has visceral effect for stomach disorder, back pain, including fever disease. also drinking it as medical mineral water. Sanjichon was famous bath spots. the men in the photos are peaceful like not Murayama's unusually works.(added 30 April 2001)
18.むすめたちの宕巾作り
済州島の宕巾作り。済州島の女性たちは宕巾、帽子、涼太(笠の縁)編みなどに精を出した。
済州島には各地域の地名をよみこんで長ながとうたっていく民謡があり、そのなかに
朝天近傍の 娘子たちは
網巾あみにと みな出てゆく
新村、新興の 娘子たちは
涼太あみにと みな出てゆく
別刀近方の 娘子たちは
宕巾あみにと みな出てゆく
といった歌詞もある。写真は村山が済州島を訪れた1931年に撮したのものか。
一般に朝鮮の農家のむすめたちはさまざまな内職をした。伝統的には麻や木綿の織物の仕事があったが、1970年代の農村では、むすめたちがちょうどこのようなかたちで板の間に坐して、緋緞(絹織物)作りにいそしんでいた。【宕巾作業 伝娃析舛】
(2001年4月30日追記)
19.大邱の市場風景
慶尚北道大邱は今日、慶尚道では釜山に次ぐ大都市である。写真では白衣をまとった人が圧倒的に多い。画面下側には牛、自転車、荷車がみえる。チゲを負った少年、方笠をかぶった者もいる。穀物を入れたかますが山積みされているが、これはカネや他の物に換えるものである。それで朝鮮語ではかつて穀物を市場で売ってカネやその他の物を入手することを「サダ 紫陥」といった。サダは都市では一般に「(物品を)買う」という意味で使うが、もとは「(~に)交う・交換する」という意味であったとみられる。写真の左下に「京城・村上天紅写場」という白抜きの刻印がみられる。(2001年4月30日追記)
20.くつ作り
21.服喪姿の男
方カッまたは方笠。服喪中の者が外出のときにかぶる。現今、こうした笠をかぶる者はほとんどいないが、1988年1月末におこなわれた儒学者権龍鉉先生の踰月葬の際、この笠をかぶった弔問客がみられた。背後の門は南大門(図版199も参照のこと)。この写真は『朝鮮の服装』に「方笠」として、また『朝鮮の習俗』に「方笠の喪人」として掲載されている。【方笠の喪人、朝鮮風習⑤2)】(2001年4月30日追記)
22.山村の老人
どこの山村かはっきりしないが、おそらく写真68と一連のものであろう。皮の被り物、皮の周衣を着ている。このような皮衣は済州島独特のもの。【山村老人 亜旋姶汽】
(2001年4月30日追記)
23.背負子を背負った男(1)
24.背負子を背負った男(2)
25.カマまたは乗轎とよばれる物。カマには国王の乗る輦、公主などの乗る八人轎、花嫁の乗る四人轎などいろいろな種類があったが、写真のものは「張獨轎」とよばれるカマであろう79)。村山は轎子と記したが、誤解。轎子は朝鮮朝の高官の乗り物で、覆いがない。【轎子(20)】
(2001年4月30日追記)
26.一輪車
従二品以上の者が乗った。
27.馬に乗る者(1)
28.牛と農夫。
牛は農作業や運搬の手段として使われ、また食肉として牛市場で取り引きされた。 この図のような光景は1970年代までは珍しくはなかった。
29.絵をかく女性
朝鮮の女性は正座をしない。オンドル部屋の床は石と土、その上に油紙を貼ったもので硬い。ここでは正座はできなかった。裳の裾は長く広い。そしてその下に袴を着けているので、裾が割れて礼儀を失するおそれももない。そこで胡座とか立て膝がふつうだが、書画をたしなむようなときは膝をくずして写真のように座る。この写真は『朝鮮の習俗』に「婦人の座風」として掲載されている41)。【婦人の座風、朝鮮風習】
(2001年4月30日追記)
30.若いむすめの髪型
32.歳拝(セペ)する子供
元旦は、邸内の祠堂、あるいはイエのなかで、四代までの祖先に拝礼する(茶礼(チャレ))。次に長老に新年のあいさつをする。これを歳拝(セペ)という。子供たちはこのとき歳拝銭(セペトン)(お年玉)をもらう。写真の老夫人の被りものは、飾りを付けた防寒用の帽子でチョバウィという。拝礼する女の子は弁髪に大きなタンギ(リボン)をつけている。結婚前の女の子の典型的な姿であった。この写真は『朝鮮の習俗』に「歳拝」として掲載されている33)。【歳拝】
(2001年4月30日追記)
33.内房の家具
34.両班の家(1)
35.両班の家(2)
36.イエのまつり祭祀(チェサ)
家門のまつりごとは四代までの祖先に対する茶礼(チャレ)と忌祭(キジェ)(祭祀)である。茶礼は現在、正月と秋夕におこなうが、かつてはさらに三月の寒食(ハンシク)、五月の端午におこなうイエもあった。茶礼は祠堂もしくは内房でやる。チェサは祖先の命日ごとに、大庁(デチョン)(板の間)のようなところで午前零時を期してやる。四代の男女の先祖がすべて物故していれば年八回のチェサがある。これは直系の宗孫がおこなう。ただし準備や訪問者の接待はすべて女性の仕事。また五代以上の先祖に対しては時祭(墓祭)があった。十月または寒食や秋夕にする。村山はこれらを一括して「家祭」とよんでいる。この写真は茶礼にあたる。【家祭】
(2001年4月30日追記)
17.済州島の水浴び。
初伏をはじめとした夏の三伏、また七夕や百中日(7月15日)に、済州島民は水浴びをした。特に七月十五日の水浴びは胃病、腰の痛み、熱病をはじめ、内臓疾患に効き目があるという。またその水は薬水として飲む。水浴びの場所として山地水は名高かった。写真の男たちの表情は村山のものとしては珍しく和やかである。【山地】 (2001年4月30日追記)
Bathing in Jeju island.
Jeju islanders had a bath on the first dog day, star festival day on July 7 or Bon festival day on July 15 in Summer.
particularly bathing on July 15 was said that has visceral effect for stomach disorder, back pain, including fever disease. also drinking it as medical mineral water. Sanjichon was famous bath spots. the men in the photos are peaceful like not Murayama's unusually works.(added 30 April 2001)
18.むすめたちの宕巾作り
済州島の宕巾作り。済州島の女性たちは宕巾、帽子、涼太(笠の縁)編みなどに精を出した。
済州島には各地域の地名をよみこんで長ながとうたっていく民謡があり、そのなかに
朝天近傍の 娘子たちは
網巾あみにと みな出てゆく
新村、新興の 娘子たちは
涼太あみにと みな出てゆく
別刀近方の 娘子たちは
宕巾あみにと みな出てゆく
といった歌詞もある。写真は村山が済州島を訪れた1931年に撮したのものか。
一般に朝鮮の農家のむすめたちはさまざまな内職をした。伝統的には麻や木綿の織物の仕事があったが、1970年代の農村では、むすめたちがちょうどこのようなかたちで板の間に坐して、緋緞(絹織物)作りにいそしんでいた。【宕巾作業 伝娃析舛】
(2001年4月30日追記)
19.大邱の市場風景
慶尚北道大邱は今日、慶尚道では釜山に次ぐ大都市である。写真では白衣をまとった人が圧倒的に多い。画面下側には牛、自転車、荷車がみえる。チゲを負った少年、方笠をかぶった者もいる。穀物を入れたかますが山積みされているが、これはカネや他の物に換えるものである。それで朝鮮語ではかつて穀物を市場で売ってカネやその他の物を入手することを「サダ 紫陥」といった。サダは都市では一般に「(物品を)買う」という意味で使うが、もとは「(~に)交う・交換する」という意味であったとみられる。写真の左下に「京城・村上天紅写場」という白抜きの刻印がみられる。(2001年4月30日追記)
20.くつ作り
21.服喪姿の男
方カッまたは方笠。服喪中の者が外出のときにかぶる。現今、こうした笠をかぶる者はほとんどいないが、1988年1月末におこなわれた儒学者権龍鉉先生の踰月葬の際、この笠をかぶった弔問客がみられた。背後の門は南大門(図版199も参照のこと)。この写真は『朝鮮の服装』に「方笠」として、また『朝鮮の習俗』に「方笠の喪人」として掲載されている。【方笠の喪人、朝鮮風習⑤2)】(2001年4月30日追記)
22.山村の老人
どこの山村かはっきりしないが、おそらく写真68と一連のものであろう。皮の被り物、皮の周衣を着ている。このような皮衣は済州島独特のもの。【山村老人 亜旋姶汽】
(2001年4月30日追記)
24.背負子を背負った男(2)
25.カマまたは乗轎とよばれる物。カマには国王の乗る輦、公主などの乗る八人轎、花嫁の乗る四人轎などいろいろな種類があったが、写真のものは「張獨轎」とよばれるカマであろう79)。村山は轎子と記したが、誤解。轎子は朝鮮朝の高官の乗り物で、覆いがない。【轎子(20)】
(2001年4月30日追記)
26.一輪車
従二品以上の者が乗った。
27.馬に乗る者(1)
28.牛と農夫。
牛は農作業や運搬の手段として使われ、また食肉として牛市場で取り引きされた。 この図のような光景は1970年代までは珍しくはなかった。
29.絵をかく女性
朝鮮の女性は正座をしない。オンドル部屋の床は石と土、その上に油紙を貼ったもので硬い。ここでは正座はできなかった。裳の裾は長く広い。そしてその下に袴を着けているので、裾が割れて礼儀を失するおそれももない。そこで胡座とか立て膝がふつうだが、書画をたしなむようなときは膝をくずして写真のように座る。この写真は『朝鮮の習俗』に「婦人の座風」として掲載されている41)。【婦人の座風、朝鮮風習】
(2001年4月30日追記)
30.若いむすめの髪型
31.正月の福笊売り
32.歳拝(セペ)する子供
元旦は、邸内の祠堂、あるいはイエのなかで、四代までの祖先に拝礼する(茶礼(チャレ))。次に長老に新年のあいさつをする。これを歳拝(セペ)という。子供たちはこのとき歳拝銭(セペトン)(お年玉)をもらう。写真の老夫人の被りものは、飾りを付けた防寒用の帽子でチョバウィという。拝礼する女の子は弁髪に大きなタンギ(リボン)をつけている。結婚前の女の子の典型的な姿であった。この写真は『朝鮮の習俗』に「歳拝」として掲載されている33)。【歳拝】
(2001年4月30日追記)
33.内房の家具
34.両班の家(1)
35.両班の家(2)
36.イエのまつり祭祀(チェサ)
家門のまつりごとは四代までの祖先に対する茶礼(チャレ)と忌祭(キジェ)(祭祀)である。茶礼は現在、正月と秋夕におこなうが、かつてはさらに三月の寒食(ハンシク)、五月の端午におこなうイエもあった。茶礼は祠堂もしくは内房でやる。チェサは祖先の命日ごとに、大庁(デチョン)(板の間)のようなところで午前零時を期してやる。四代の男女の先祖がすべて物故していれば年八回のチェサがある。これは直系の宗孫がおこなう。ただし準備や訪問者の接待はすべて女性の仕事。また五代以上の先祖に対しては時祭(墓祭)があった。十月または寒食や秋夕にする。村山はこれらを一括して「家祭」とよんでいる。この写真は茶礼にあたる。【家祭】
(2001年4月30日追記)
37.祭祀に用いる物
38.貰物廛
婚礼や葬式に用いる物を貸す店。
39..朝鮮家屋
40.食膳
41.襦、袴、裳
42.煙突(1)
43.煙突(2)
44.開城の藁屋根
高麗の都開城は蔵風の局をなしていた。また高麗王氏発祥の地も蔵風の地勢である(図201)。村山は、当時は蔵水よりも蔵風の地勢を良しとする観念があったのかもしれないといい、開城の民家の藁屋根には風害を防ぐために縄を掛けることが少ないことをあげた59)。この写真は『朝鮮の風水』に「開城の藁家」として掲載されている60)。【開城の藁屋根】
(2001年4月30日追記)
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