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Wednesday, February 29, 2012

Procession of Joseon mission korean envoys steal chickens

「朝鮮人来聘記」 京都大学 所蔵
らい‐へい【来聘】: 外国から使節が来朝して礼物(れいもつ)を献じること。
Raihei ; the envoy come from oversea to tributary

Procession of Joseon mission
korean envoys were called thief.
조선 통신사(朝鮮通信使)

Medieval Korean envoys are stealing some chickens and fighting with Japanese citizens.
They are on the way to Edo city to pay a courtesy call to the new shogun.
This picture was painted by a certain samurai in 1748.

訳文:朝鮮通信使が鶏を盗んで市民たちと喧嘩している。
彼らは新将軍に挨拶をするため江戸を向かう途中である。
この絵はある侍によって1748年に書かれた。

역문:조선 통신使가 닭을 훔쳐서 시민들과 싸우고 있다.
그들은 신쇼(新將)군에 인사를 하기 위해서 에도(江戶)를 향하는 도중이다.
이 그림은 있는 사무라이에 의해 1748년에 씌어졌다.



当時の日本人には朝鮮人の肉食文化が野蛮なものに見えたことが原因であるとし、その根拠として『画図入(えずいり)朝鮮来聘記全』内の狂詩における「通信使が寺の中に魚や肉を持ち込んで食い散らかしている」という表現、及び淀藩の資料『朝鮮人来聘記』内の朝鮮聘礼使淀城着来図の絵に描かれたうちの一部(右図)を「通信使一行が町人の飼っている鶏を盗んで逃げようとし、日本人と喧嘩になっている」様子だとしたうえで挙げている。


http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/a7f722e4ddaaf095d1e416121e19db1e



http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/82771b0004b2dc21969e7cba4c53bc0e

江戸時代の日本人は、一般的に肉食はしませんでした。薬食いと称して肉食する場合でも、庭に鍋を出して匂いが家に入らぬよう団扇で扇ぎ、煮込みすぎてゴムのようになった肉を食べていたようです。幕府は、朝鮮通信使の食事のために雉や猪の肉を用意しました。しかし、大食の韓国人には少量だったようで、卵を産ませるために町人が飼っていた鶏を盗んで大騒動になることがありました。よほど、肉が食べたかったのでしょう。画像は、大坂で、鶏を盗んで逃げる朝鮮通信使と追いかけて来た日本人の騒動の様子です。

鶏を盗む時にも帽子を被ってるのが笑えます。

この掲示板に、朝鮮通信使が日本人の頭を叩いているように見える絵を掲示する韓国の人がいますが、実際に1764年、通信使(都訓導という職の中級官人)の崔天宗が日本人の下級武士(対馬藩の通詞)の鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)を杖で叩く事件が起こりました。下級武士とはいえ武士ですから、杖で叩かれて黙って済ませるわけにはいきません。

鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、その夜、崔天宗の喉を槍で突き刺し殺害しました。この朝鮮通信使随行員殺害事件は、重大外交事件であり、きっかけとなった口論や事後処理の過程も興味深いものがあります。当時の対馬藩隠居、宗義蕃(Sou Yosiari)は、こう語っています。「朝鮮国においては、人を打擲することを尋常と心得、また打擲にあった者もさしたる恥辱にも感じないという下貔の風習があり、今度の事件もそれが原因である。」嫌な風習ですね。

朝鮮通信使が在日韓国人研究者によって日韓友好の象徴として祭り上げられてから、その実態(負のイメージを含む)を明らかにすることが憚られるようになりました。明治以前の日本人は韓国人を蔑視していなかった。朝鮮通信使を尊敬していた。などと主張する人々がいます。しかし、朝鮮通信使について歴史資料を集めていくと、面白い事実が明らかになります。興味は尽きません。




enjoy Korea http://han533.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=71604

even if japanese ate meat, they thought that eaten meat was as called eating medicine, cooked turn the pot in the garden out of house, in fanning by fan not to smell, they ate meats became too stew like a rubber band. Bakufu;Japan's feudal government prepared the flesh pheasant or wild boar for the meals of Korean envoys. However, for melon-belly Korean seemed to be a few, there was some riot korean envoys stole chickens had been kept in order to lay eggs by townspeople. exceptionally they wanted to eat flesh. as the image, in Osaka, its the scene that Korean envoys steal chickens and run away and Japanese came and chased with.





 에도(江戶) 시대의 일본인은, 일반적으로 육식은 하지 않았습니다. 약먹음이라고 칭해서 육식할 경우라도, 정원에 냄비를 내보내서 냄새가 집에 들어오지 않는 양 부채로 부채질하고, 지나치게 푹 끓여서 고무인 것 같아진 고기를 먹고 있었던 것 같습니다. 막부(幕府)는, 조선 통신使의 식사를 위해서 꿩이나 멧돼지의 고기를 준비했습니다. 그러나, 대식의 한국인에게는 소량이었던 것 같아서, 알을 낳게 하기 위해서 마을 사람이 기르고 있었던 닭을 흠쳐서 법석판이 될 것이 있었습니다. 상당히, 고기가 먹고 싶었지요. 이미지는, 오사카(大坂)로, 닭을 훔쳐서 도망치는 조선 통신使와 쫓아온 일본인의 소동의 모양입니다. 닭을 훔칠 때에도 모자를 쓰고 있는 것이 웃음이 나옵니다. 이 게시판에, 조선 통신使가 일본인의 머리를 치고 있게 보이는 그림을 게시하는 한국인이 있습니다만, 실제로 1764년, 통신使(수도 가르치고 이끎이라고 하는 직장의 중급관인)의 최(崔) 덴(天) 소(宗)가 일본인의 하급 다케시(武士)(쓰시마(對馬) 번의 통사)의 스즈키(鈴木) 덴(傳) 곳간(Suzuki Denzou)을 지팡이로 치는 사건이 일어났습니다. 하급무사라고는 해도 무사이기 때문에, 지팡이로 맞아서 다물어서 끝마칠 수는 있지 않습니다. 스즈키(鈴木) 덴(傳) 곳간(Suzuki Denzou)은, 그 밤, 최(崔) 덴(天) 소(宗)의 목을 창으로 찔러 살해했습니다. 이 조선 통신使수행원 살해 사건은, 중대외교사건이며, 계기가 된 말다툼이나 사후 처리의 과정도 흥미 깊은 것이 있습니다. 당시의 쓰시마(對馬) 번은거, 무네요시(宗義) 시게루(蕃)(Sou Yosiari)은, 이렇게 함께 이야기 하고 있습니다. 「조선국에 있어서는, 사람을 타擲 하는 것을 심상이라고 알고,또 타擲에 있었던 사람도 이렇다 할 치욕에도 느끼지 않는다라고 하는 아래비의 풍습이 있어, 이번의 사건도 그것이 원인이다. 」 싫은 풍습이네요. 조선 통신使가 재일 한국인연구자에 의해 일한 우호의 상징으로서 추대할 수 있고나서, 그 실태(부의 이미지를 포함한다)을 밝히는 것이 꺼리겨지게 되었습니다. 메이지(明治)이전의 일본인은 한국인을 업신여기지 않고 있었다. 조선 통신使를 존경하고 있었다. など과 주장하는 사람들이 있습니다. 그러나, 조선 통신使에 대해서 역사자료를 모아 가면, 재미있는 사실이 밝혀집니다. 흥미는 다하지 않습니다.






「朝鮮通信使と鶏」考

先日、掲示しました「朝鮮通信使と鶏」の画像は、いろいろな所で引用され、反響の大きさに驚きました。
朝鮮通信使は、日韓の友好の象徴として美化されているので、このような絵を見ると、日本人も韓国人も驚いてしまうのでしょう。

この画像は『日韓中の交流』山川出版社からの引用です。

『船着場から上陸して町の中をうろついていた朝鮮通信使一行が、町人が飼っているニワトリを盗んで逃げようとし、日本人とけんかになっている。』

という説明文がついています。

『日韓中の交流』山川出版社 1800円。図書館で借りて読んだのですが、一応、筋を通して一冊購入しました。笑。山川出版社は、日本史の教科書を出版しています。どちらかと言うと韓国人にとって「良心的な」出版社です。笑。

この画像について少し調べてみました。

1748年(延享5)に来日した朝鮮通信使が淀藩領に入った際、接待役を務めたのは家老の渡辺善右衛門という人でした。善右衛門は「来聘記」を書き残しました。それには付図(来朝行列図)があり、この図の一部分がこの画像と思われます。

接待役の善右衛門にとって、このケンカ騒ぎは大事件のはずですから、「来聘記」に、この事件についての詳しい説明が書かれていると思います。翻刻がなされたら、是非読んで見たいです。
このころ、淀藩城下では、『猫は朝鮮通信使の大好物で、町中の猫を彼らがつかまえて料理して食べているので、町から猫がいなくなった』という噂もたっていました。

さて、この図の全体は縦横1.4Mもある大きなもので、複製が教育機関に配布されているようです。残念ながらネット上で見つけることはできませんでした。

しかし、面白い情報を見つけました。
それは、読売新聞2004年5月4日の「朝鮮通信使絵図作者子孫に戻る」という記事です。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~sans-culotte/topics297.html

記事の中の「朝鮮聘礼使淀城着来図」は、「来聘記」の付図(来朝行列図)そのものだと思うのです。記事の最後のところに、次の文があるからです。

『藤井教授は「日本の子どもと遊んだり、鶏を一緒に追いかける韓半島人の姿が活き活きと描写され、日本の民衆と交流していた様子がわかる」と話している。』

この文だけ読むと、日本の子供と朝鮮通信使のほのぼのとした触れ合いを想像しますが、実際に絵を見るとぜんぜん違います。右端には棒を振り上げて韓半島人に向かっていく日本人が描かれていますし、遊んでいる様子とはとても思えません。韓半島人が日本人より大きく描いてあるのは注目すべき対象であるからで、日本人が背が低いとか、子供であるとかそういうことではないと思います。

藤井教授が天然なのか、それとも、総連、民団が朝鮮通信使を日韓友好の象徴であり、かつ『自分たちの誇り』と位置づけているために、下手なことを言うと人権問題(笑)になってしまうのを恐れているのか、いずれにしても、このようにして朝鮮通信使の実態が隠蔽されているのです。笑。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72306





日本人は朝鮮通信使をどう見たのか?

埼玉新聞

「あなたもチャングムの衣装で川越市内を練り歩きませんか」?。江戸時代に行われていた朝鮮通信使の
行列をまね、町民らが川越まつりで行っていた「唐人揃い」を復活させた仮装行列「復活!唐人揃い?朝鮮通信使?多文化共生・国際交流パレード」が十一月十二日、川越市内で行われる。日本と朝鮮の平和の象徴だった証の唐人揃いを復活させようと、市民団体「埼玉・コリア21」などを中心に各種団体で組織した実行委員会(江藤善章委員長)が昨年初めて開催した。今年二回目。

www.saitama-np.co.jp/news10/26/09l.html

「唐人揃い」という唐人行列が、川越で行われるようです。
記事には、次のように書かれています。

『唐人揃いが川越まつりで行われたのは、江戸時代の川越の豪商・榎本弥左衛門が九州から東海、江戸地域で行われていた朝鮮からの文化使節団の行列を見たのがきっかけ。その後、川越まつりで唐人揃いの仮装行列が取り入れられ、川越氷川神社祭礼絵巻にも記録が残されている。 』

川越氷川神社祭礼絵巻に描かれている唐人揃いの仮装行列を良く見ると、唐人の衣装を着て、魚の作り物を頭に被っている子供の行列であることがわかります。行列には、「浦島太郎」と「乙姫」を演じる子供がいて、全体として見ると、浦島太郎と乙姫の婚礼行列です。

「唐人揃い」は、朝鮮通信使を真似たものではなく、竜宮城の近くから来ると思われていた琉球使節を真似たものなのです。つまり、川越氷川神社祭礼絵巻に描かれた、江戸時代、町民らが川越まつりで行っていた「唐人揃い」の唐人とは琉球の人たちのことで、浦島太郎と乙姫の引き立て役として登場しているのです。
朝鮮通信使とは全く関係がないのです。

川越氷川神社祭礼絵巻が複数あるのでなければ、市民団体「埼玉・コリア21」は、明らかに嘘をついていることになります。笑。
江戸時代、祭りの仮装行列で演じられた朝鮮通信使行列には、「お約束」の唐人がつきものでした。
その唐人は、「賄い唐人」と呼ばれていました。日本人が創造した架空の朝鮮通信使です。

朝鮮通信使のうち、身分の高い人たちには、幕府からご馳走のもてなしがありましたが、下級身分の人たちは、米・味噌・卵などが支給されて、宿泊先の厨房で自炊していました。彼らは、支給されたもののうち、いらないものを売って好きなものを買ったり、上役の命令により密かに持ち込んだ朝鮮国の人参を日本の商人に売って金を得たりしました。このような行為から日本の庶民の間に架空の朝鮮通信使「賄い唐人」のイメージが生まれました。

「賄い唐人」は、朝鮮国の人参を売るために使う天秤ばかりと売買を記載する帳簿を持ち、鞍には、仕入れた兎や鶏が入った籠をつけています。
日本各地の祭礼で行われた仮装行列で、朝鮮通信使仮装行列の「賄い唐人」は、道化役として、見物客を楽しませていました。

画像を見てください。
鞍に兎が括りつけられています。
そして、左手に鶏を持ち、右手で引きちぎった羽根を口に入れようとしています。
この兎や鶏は本物ではなく、お菓子で作った作り物です。

賄い唐人は、日本の庶民が持っていた韓半島人に対するイメージを表現しているのです。
密かに朝鮮国の人参を売り、腹が減ると生肉を意地汚く食べ散らかす。
このような肉食の野蛮で滑稽な「賄い唐人」は、江戸時代の日本人が抱いていた「韓半島人のイメージ」のひとつなのです。
実際に、本物の朝鮮通信使が通過した町で、『猫は朝鮮通信使の大好物で、町中の猫を彼らがつかまえて料理して食べているので、町から猫がいなくなった』という噂がたったこともあります。
妙な市民団体が、日本各地で朝鮮通信使を模した唐人行列を復活させても、賄い唐人は決して復活しないでしょう。
今や、朝鮮通信使は日韓友好の象徴であるとともに、韓国人、在日韓半島人の「自尊心」と「優越感」そのものなのです。笑。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72308

韓国/朝鮮通信使の真実
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72325




イザベラ・バード『朝鮮紀行』より

「朝鮮の災いのもとのひとつに この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。 両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、 妻がこっそり よその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。 両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。 両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。 慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、 大勢のお供をかき集められるだけ かき集め引き連れていくことになっている。 本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。 従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」

両班 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%8F%AD





<汚名挽回ニダ・・・恥の上塗り>

朝鮮通信使の「鶏泥棒」はぬれぎぬ? ~「鶏が逃げ、それを捕まえようとした可能性も」ー京都新聞






<韓国によって粉飾される朝鮮通信使>

【日韓】朝鮮通信使の行列、242年ぶりに東京で再現 新宿駅を中心に29日から(写真あり)[10/25]
http://yomi.mobi/read.cgi/temp/news18_news4plus_1161777654/-100

朝鮮通信使の行列、242年ぶりに東京で再現

【釜山25日聯合】17世紀以降から韓日の文化交流を担っていた朝鮮通信使の行列が、 242年ぶりに東京で再現される。 朝鮮通信使文化事業会が25日に明らかにした。29日午後12時から新宿駅を中心に行われる予定だ。
1607年から派遣が始まった朝鮮通信使は、1811年まで12回にわたり日本に向かったが、 1811年は東京までたどりつけずに対馬から戻っている。 朝鮮通信使が最後に東京を訪れたのは1764年のこと。
これまで朝鮮通信使の行列は対馬、大阪、牛窓(岡山県)、近江八幡などで再現されたが、 朝鮮通信使の最終目的地だった東京で再現されるのは今回が初めて。 昨年も「韓日友情年」を記念して再現が計画されたが、悪天候のため中止となっていた。
これに先立ち28日午後4時からは、新宿区の四谷区民会館で朝鮮通信使と宮中衣装の ファッションショーや韓国伝統音楽の演奏会などが開かれる予定だ。

写真:9月に釜山で行われた朝鮮通信使の行列再現

http://file.yonhapnews.net/foreign/newsJP/2006/20061025193635.jpg
ソース:聯合ニュース
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=512006102501800



【埼玉】「あなたもチャングムの衣装で川越市内を練り歩きませんか」  来月、川越で朝鮮通信使の行列をまねた「唐人揃い」[10/26]
朝鮮宮廷衣装でパレード 川越で「唐人揃い」
多文化共生で国際交流 11月12日 参加者募集

「あなたもチャングムの衣装で川越市内を練り歩きませんか」?。江戸時代に行われていた朝鮮通信使の行列をまね、町民らが川越まつりで行っていた「唐人揃い」を復活させた仮装行列「復活!唐人揃い?朝鮮通信使?多文化共生・国際交流パレード」が十一月十二日、川越市内で行われる。日本と朝鮮の平和の象徴だった証の唐人揃いを復活させようと、市民団体「埼玉・コリア21」などを中心に各種団体で組織した実行委員会(江藤善章委員長)が昨年初めて開催した。今年二回目。

「江戸時代の川越まつりに近づけるため多種多様な仮装行列の参加者を募集しています」と呼びかける実行委員会のメンバーたち=川越市内

今回は朝鮮通信使や民族衣装だけでなく、高校生による沖縄エイサー隊やよさこいソーランなど多様な衣装の行列が参加する。同委員会は「江戸時代の川越まつりには朝鮮通信使以外に多様なパレードがあった。少しでもそれに近づけるためにも多種多様な団体が参加してほしい」と呼びかけている。

唐人揃いが川越まつりで行われたのは、江戸時代の川越の豪商・榎本弥左衛門が九州から東海、江戸地域で行われていた朝鮮からの文化使節団の行列を見たのがきっかけ。その後、川越まつりで唐人揃いの仮装行列が取り入れられ、川越氷川神社祭礼絵巻にも記録が残されている。

楽隊をはじめ曲馬や衣装が華やかだったことから、当時の庶民を熱中させ、全国でも各地の祭りの中に通信使の踊りや音楽、行列が模倣された。川越まつりでは一七七〇年に通信使の絵馬が奉納されていることから、おおよそ江戸末期まで続けられていたと見られている。

当日のパレードは午後一時から三時まで、川越市の一番街と大正浪漫夢通りなどを練り歩く。朝鮮宮廷の役人だった通信使の衣装と庶民の民族衣装を着た参加者がパレード。その後からミャンマーやタイの民族衣装や音楽、踊りなどさまざまな人たちの行列が続く。

パレードの参加には参加費が必要。

問い合わせは実行委員会事務局(TEL048・686・7957)へ。

2006年10月26日(木)
http://www.saitama-np.co.jp/news10/26/09l.html

ホントは怖い「多文化共生」




<事実上の朝貢、しかも完全に見せ物・・・>

ちょうせんつうしんしらいちょうず
朝鮮通信使来朝図江戸時代 寛延元年(1748)ごろ 羽川藤永筆 69.7×91.2cm




江戸城内(三の丸)で陶器や虎の皮等の礼単(進物)を準備する朝鮮通信使(江戸図屏風より)

http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/077.html




ウマウマ通信使 Medieval Korean diplomats

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