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Sunday, May 27, 2012

medical and sanitation in Ancient China (mainly Han Dynasty)

http://blogs.yahoo.co.jp/lee_senchan/21122371.html

中国古代(漢代中心)の医療と衛生について~少し~。
傑作(5)2009/9/5(土) 午前 8:27歴史(時間旅行編)歴史 Yahoo!ブックマークに登録
今回も言うまでも無く妄想&おばかチックストーリー形式で書きます。

私、senは中国古代の長期時間旅行?をしている何の変哲も無い下郎です。(この文章も前回と同じものでコピーして貼り付けております。)

卑怯にも現代の物を持ち込み売った金で官職を買って官吏になった私、senであります。
しかし、当時の一般の官吏は給料だけでは生活が苦しく、役所からも経費負担なんかさせられていたそうで、やっぱり生活が苦しくなったsenは休沐(休日)に一輪車で荷物運びのバイト(前回歴史記事:中国古代(秦・漢代)の馬車について少し・・)なんてやっていたわけです。
しかし、元々腰痛持ち、首痛(これは本当のことです。どなたか良い治療法を教えてください)・・という厄介なものを持っていたため、どうも調子が悪い・・。
もし、この時代で病気になったら医療は何かあるの?っていうテーマです。


中国の最古の医学書では「黄帝内経(こうていないきょう)」というものがあります。この中には現代でも通用するような療法が書かれているということです。
体育療法(絹に描かれた図が馬王堆漢墓から発見された。)や食事療法、症状が重い者には薬草を調合したり、鍼や灸による治療がなされました。
中国の医学は人間の体内の働きを陰陽に分ける陰陽五行説に基づいた考え方をしておりました。
陰と陽のバランスが崩れ、体内の気と血液の流れが乱れると病気になると考えられていたようです。
それを治すために経絡という気の通り道のつぼの経穴に鍼や灸で刺激を与えて陰と陽のバランスを回復させるということです。鍼治療には金や銀の鍼が使われていました。
なお、古代の中国ではなんと既にBC2世紀(前漢時代)には体内の血液循環の仕組みが理解されていたということです。
また、同じくBC2世紀(前漢時代)には人間の尿から性ホルモンと脳下垂体ホルモンを分離して治療に使っていたとか!


さて、ここでストーリーです。
年中文句を言わない日が無い私、senは、毎日「疲れた~、首が痛ぇ、だるい~、腰が痛ぇ~!眠い~!」と口癖のように言っておりました。
それを聞いたちょっと地位が上の官吏の○○さん。この方は大の医書マニアで最近「鍼治療」に凝ってしまい実践したくなっていました。
そこでいつもあっち痛いこっち痛いと文句ばっかり言っているsenを見かけて、親切にも覚えたての鍼治療をしてあげる(実は実験台?)と言っていますが・・。
さあ、senはどうなったでしょうか?(画像クリックで拡大します。)




史書を読んでいると「疽(そ)」という悪性の腫れ物の膿を口で吸うお話が出てきます。
患部を手で押して膿を出すと痛いけど、口で吸うと痛くないのでこの方法が取られたようです。
以前、列伝もの(佞幸列伝:鄧通ほか)でも記載しましたが、前漢の文帝がこの腫れ物が出来るたびに鄧通様がその膿を口で吸い出していたという話があります。
文帝は息子(後の景帝)がお見舞いに来た時に同じことをさせましたが景帝は非常に迷惑そうな顔をしたということです。現代人の感覚ではそれは当然ですねー。
文帝は仁徳の皇帝と言われていますがね・・・いつも思っているのですが、文帝の疽ってどこに出来たのでしょうか?

ちなみに「痔」もなめて治していたとかで・・腫れ物や痔とかなめる箇所が汚くなるほどご褒美が多くいただけたそうですが・・ちょっと出来ませんねぇ・・。相手が延年様だったらどうしましょ?想像したくもない・・。
当時まだ紙がなくて躊木(竹べらみたいな木片)で拭いていたのでしょうからさぞ痔主も多かっただろうに。



当時の衛生状態としては、一度読んだら忘れられない興味深い話を一つ。
古代の衣服は袖が広くてゆったりしており、下着もマメに取り替えず、お風呂は5日に1回ほど(髪を洗うのは米の砥汁で3日に1回ほど)石鹸などもなく、着物もそう洗濯することもなくて垢で汚れており虱が湧くことが多かったそうです。
冬になると日なたで虱取りをしたとか、物を書きながら虱取りをして取った虱を噛み潰したとか、虱が多くて始終体を掻いていたとか、髯の上を虱が這いまわっていたとか・・・幻滅するようなエピソード(全部官吏や貴族のお話)がたくさんあります。
日本でも終戦直後までは虱が多かったそうですから古代においては当然でしょうねぇ・・延年様の頭や襟元にもいたのでしょう。
分かっていても・・う~ん。現代に連れてきて風呂にぶっこんでシャンプー一瓶ぶっ掛けたい気持ちです。いや、殺虫剤の方がいいか・・。
この虱や蚤とかの害虫は疫病の原因にもなります。全く放っていたわけでもなく、蛤の殻を焼いた灰を家の中に撒いて駆除をしていたとか。



最後に話が反れましたが、追儺(おにやらい)について。
疫病とか家に起きる悪いことは鬼がいるから起こると考えられており、黄金の四つの目を持ち、熊の皮を被って戈と盾を持った「方相氏」が悪鬼を威嚇して追い払うという追儺という儀式が行われていました。(漢代の追儺は12月に一回やっていた。)
「方相氏」ってどんな姿?っていうことですが、書籍に「方相氏」の図がありました。
下の画像です。ネットで調べるとたくさん出てきますがこの画像が漢的で気に入ったので模写しました。

そこで、おバカストーリーです。
私、senが今回の追儺で「方相氏」の役をやることになりました。ジャンケンで負けたそうです。(全くの嘘っぱちです。)下の画像がsenの方相氏コスプレです。(画像クリックで拡大します。)


こんな話もあります。宦官達の間で、子供の脳髄を食べれば「失われた機能」が復活すると信じられ、明の悪徳宦官・魏忠賢などかなりの子供を殺したということを以前読んだことがあります。(ずい分昔にチラッと読んでおり、そう深くも調べていないので間違っていたらスミマセン。)
合理的な民族であって、かなり昔から医学が進んでいたのにとんでもない迷信も信じられていたなと思うことはたくさんあります。(巫蟲もそうですね。)


今回もお付き合いありがとうございました

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