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Friday, April 6, 2012

Armillary sphere and Sun dial were invented by Korean? 日時計と天文儀器は朝鮮人の発明(大王世宗)

Armillary sphere and Sun dial

蒋英実 蔣英實 장영실 しょう・えいじつ チャン・ヨンシル Jang Yeong-sil
1390年頃 - 1450年頃

大王世宗 テワンセジョン 대왕세종








장영실은 하늘을 보았다 Jang Yeong-sil saw sky




장영실은 하늘을 보았다 蒋英実は空を見た 全2巻
2010/5/1(土) 午後 4:41チャン・ヨンシルは空を見たドラマ番組
김종록 金鍾禄著
世宗と蒋英実の科学立国 朝鮮、その夢と挫折
殿下と共に、天・地・人、三才地図の大業を成し遂げた私にはもう何も心残りはありません” 장영실 蒋英実
※三才→陰陽説で天・地・人の総称。


1442年5月3日。
朝鮮王朝最高の科学者蒋英実 チャン・ヨンシルが職牒を奪われ棍杖80回を受けた後に王宮から追放された。半月前、彼の監督下のもとで作られた御輿が壊れたのだ。
その御輿は数10名の人夫が担ぐ安輿であり王の専用車だった。
王の安全と危機に関する罪は不敬罪に該当した。


A Korean sundial first made by Jang Yeong-sil during the Joseon Dynasty, displayed in Gyeongbokgung.

父は中国から帰化した蔵書(産チャン氏 ​​の始祖)の8世孫に高麗末の手紙第一であり母はドンレヒョン官妓で、高麗から朝鮮に移る混乱期に母とチャンヨンシルは、朝鮮の官奴に転落したと主張している。(from hangul wiki)

i read english wiki, but the articles are written by korean pride, reference with korean darama Great king Sejong. not be suprised, its normal korean works.


http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1201-00002.htm

〈人物で見る朝鮮科学史-43〉 世宗とその時代②
中世の朝鮮 最高の技術者、蒋英実



天文機械

韓流ドラマ「チャングムの誓い」の人気は衰えず、今もNHKで放送されている。その終盤に自分の命を救ったチャングムを侍医にしようとする中宗に対して大臣たちが反対する場面がある。その時、中宗は次のように声高に叫ぶ。

「英明なる世宗大王も官庁奴婢であった蒋英実に官位を与え重用したではないか!」

蒋英実、彼こそ知る人ぞ知る朝鮮中世の最高の技術者であり、伝説の人である。彼の家系は元の帰化者であり、母は妓生であった。ゆえに、身分制度の厳しい封建社会のなかで彼は生まれながらに大きなハンディを背負っていたが、ありあまる才能がそれを乗り越えていく。

蒋英実は太宗に抜擢され宮中の工匠人となるが、その才能を高く評価した世宗は1424年に技術研修生として中国に派遣する。帰国後、世宗は蒋英実を官職に就かせようとするが、彼の身分を問題とした大臣たちの反対によって実現しなかった。この頃、蒋英実は「更点之器」という水時計を製作するが、その出来栄えは素晴らしく、彼に官職を与えたいという世宗の再度の意向に大臣たちも同意をせざるをえなかった。ちなみに、この時の蒋英実の官職は王の衣服と宮中の宝物を保管する正五品尚衣院・別坐で、封建官吏19等級のなかの9番目である。


日時計

高麗時代の天文観測機構である「書雲観」を復活させた世宗は、朝鮮独自の暦書を作成するために1432年に集賢殿の学者たちに天文観測器具の製作を命じる。そして、天文理論と文献の研究は鄭麟趾、鄭招が行い、製作は李と蒋英実が担当した。それから1年後、彼らはまず緯度測定器である木製「簡儀」を製作し、それによってソウルの緯度を38度弱と確認した後、より精密で耐久性の優れた銅製の簡儀を製作する。さらに、蒋英実は天の形象を再現する儀機である渾儀・渾象、懸珠日・天平日・指南日・仰釜日などの日時計、夜にも時間を測定できる日星定時儀などを次々と考案・製作している。簡儀は慶福宮内に築かれた幅6.4メートル、長さ約9.7メートル、高さ6.6メートルの石台に設置され、簡儀を簡素化した小簡儀は書雲観に、日星定時儀は書雲観に一つ、国境地帯に二つ、宮中に一つ配備された。残念ながら世宗時代の天文観測器具は残っていないが、文献をもとに復元されたものが、京畿道の驪州郡にある世宗大王陵に展示されている。

天文観測機械の製作過程で銅の加工技術が向上するが、1434年にはそれを活かした銅活字の鋳造においても蒋英実は大きな役割を果たしている。そして、彼をして中世最高の技術者と言わしめたもの、それが自動水時計である「自激漏」と、そこに天体の模型を連結した「玉漏」の製作である。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2007.12.1]


http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j1207-00002.htm



〈人物で見る朝鮮科学史-44〉 世宗とその時代③
不敬罪に問われた「最高の技術者」



徳寿宮の自激漏

東洋では水時計を「漏刻」と呼んでいたが、その原理は「播水壺」を高い所に置き、そこから水が一定の量と速さで流れ落ちるように工夫し、「受水壺」に溜まった量で時を計るというものである。この時、多くの場合は受水壺に「浮箭」と呼ばれる木製の浮きを置き、それが上に昇ってくる高さで時間を知った。蒋英実が1434年6月に製作した「自激漏」はその過程を自動化し、そこに取り付けられた人形が鐘や太鼓、銅鑼を打つようにして時刻を告げるようにしたものである(ただし、壺に水を組み入れるのは人力による)。これは、元代の順帝の命によって造られた水時計とアラビアの水時計の影響を受けているものの、それを飛躍的に発展させたものであった。そして、7月に自激漏は景福宮南側の「報漏閣」という建物に置かれ、公的標準時計として使用された。世宗はこの水時計は蒋英実でなければ造りえなかったと高く評価し、正4品「護軍」という官職を与えている。蒋英実亡き後は修理を行えるものがおらず1455年に使用が中断されたが、その後、中宗31年(1536年)に新しい自激漏が製作され、その一部が現在ソウル徳寿宮に保管されている。

さらに、蒋英実は1437年に「玉漏」を完成させている。やはり水時計の一種で自動的に時刻を知らせるのは自激漏と同じであるが、高さ7尺くらいの紙で山を作り、太陽を表す金色の球が一日に一周するようになっていた。それも、冬至や春分など季節に合わせて日が昇り沈む高さと時間が変化するようになっていた。その機械の部分は「玉漏機輪」と呼ばれ外からは見えないようになっていたが、別掲図は平壌で出版された「朝鮮技術発展史」第4巻に掲載されたこの装置の想像復元図である。数字の1~9が水時計の部分で、その上下運動を滑車によって回転運動に変換し複雑な動作を実現させている。この玉漏もほとんど蒋英実一人によって考案されたもので、その後二度と製作されることがなかった。その完成を心待ちにしていた世宗は、自身の寝所の近くに「書経」のなかの「欽若昊天敬授人時」から名をとった「欽敬閣」を建て玉漏を設置した。

このように世宗時代の輝かしい科学技術発展の一翼を担い従3品「大護軍」まで昇りつめた蒋英実であるが、1442年に突然の不幸に見舞われる。彼の監督下で製造された王の輿が破損し不敬罪に問われたのである。もともと、官奴出身の彼を重用することに反対の者も多く、世宗も鞭打ち200杖の刑を100杖に減刑するに留まった。英明な王といわれた世宗であるが所詮は封建社会の統治者であり、彼から見れば蒋英実は一介の技術者にすぎなかったのか? あるいは、王への不敬というのはそれほどに重い罪なのか、以後、蒋英実の名前が歴史の舞台に登場することはなかった。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2007.12.7]
http://www.korea-fans.com/forum/honcheonui-astronomical-instrument-t-52467.html
Korean Celestial Globe (혼천의) -Astronomical Instrument

Büyük Kral Sejong'un tahtta olduğu dönemde, güvenilir bir bilim adamı olan Jang Yeong-sil'e verdiği ilk görev, astronomik cisimleri gözlemleyebilmek için bir cihaz tasarlamasıydı. Arabistan ve Çin'deki bilim adamlarından sağlanan kitaplarda bu amaçla üretilen aletlerin çoğunun yapımı ya da tasarımı henüz bitmemişti. Zaten üzerinde çalışılan aletler genelde askeri amaçlı olarak düşünülüyordu. 2 aylık bir çalışmanın ardından Jang Yeong Sil, küre taslağı şekilinde basit bir cihaz yaptı. Ancak bu cihaz yüzde yüz doğru sonuç vermemekteydi. Bir yıl sonra 1443'de ilk girişiminin ardında, Jang Yeong Sil Honcheonui (혼천의)'yi yaptı. Honcheonui, bir su çarkına bağlı olarak dönebilen küre bişimindeki bir cihazdı ve zamanı gösteriyordu. Gece ya da gündüz pozisyonunu ayın, güneşin ve yıldızların konumuna göre değiştirebiliyordu. Artı mevsimlik zaman farkını gösterebiliyordu. Bu ve buna benzer amaçlarla üretilmiş aletler, Kyongbok Sarayı'nda astronomlar tarafından kullanıldı. Jang Yeong Sil'in bu icadı 1442 yılına damgasını vurarak kayıtlara geçti.


Kaynak

English:

Sejong's first assignment to Jang was to build a celestial globe to measure astronomical objects. Books obtained from Arabian and Chinese scholars were not complete in their instructions, for these devices could also be used for military purposes. After two months of study, he made a spherical device that could perform with mediocre accuracy. One year after his first attempt, in 1433, Young Sil made the honcheonui (혼천의, 渾天儀). Honcheonui depended on a waterwheel to rotate the internal globe to indicate time. Whether day or night, this allowed the instrument to be updated on the positions of the sun, moon, and the stars. Later celestial globes could measure time changes according to the seasonal variations. These instruments, along with the sundials and water clocks, were stationed around the Kyonghoeru Pond in Kyongbok Palace and made into use by the astronomers. The success of Jang Yeong-sil's astronomical machines was marked in 1442 AD.











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