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Tuesday, August 28, 2012
according to le demi-monde,the half social circles
http://homepage3.nifty.com/classic-air/feuture/fueture_30.html
Vol.40 『ドゥミ・モンド』について
About demi-monde
【ご注意】
これ以降記述した内容は、悪意や偏見に基づくものでは決してありませんが、場合によっては、読まれる方に不快な印象を与えることも考えられますので、その様な文章を読む事を望まない方はここでお止めください。
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恋を前にして、誰が地獄を語ろうか?
シャルル・ボードレール『悪の華』(中山眞彦 訳)
■La Traviata《道を踏み外した女》つまり《椿姫》の主人公ヴィオレッタ・ヴァレリーは第2帝政時のパリに咲いた仇花、つまり高級娼婦でした。そして彼女達の属する社会をドゥミ・モンドと名づけたのはデュマ・フィスです。今回はこのドゥミ・モンドと高級娼婦について調べていきます。
■ドゥミ・モンド
ドゥミ・モンド(demi-monde)とは半社交界という意味で、monde(社交界)に対する半ばしか人権を認められないいわば裏社交界を指す語として、1855年にデュマ・フィスが出した同名の風俗劇から生まれた造語である。
■第二帝政期のパリの娼婦
売春というものは一説には人類史上最も古い職業といわれている。しかし、19世紀のパリに於いてその性格は大きく変化した。正確な数は明らかではないが、1830年頃のパリには1万~3万人の娼婦が存在しており、それがルイ・ナポレオンの第二帝政期(1852-70)の初期には200軒余の娼家と1,000余りの公娼が登録され管理された。これはナポレオン3世が掲げる「良風美俗」の施策に基づくものであったが、結果的に末期の1870年には、娼家こそ150軒にまで減少したものの、逆に私娼の爆発的な増加を生んだ。第二帝政が終わった後の1872年には娼婦の数は12万人にも膨れ上がったとも言われている。
第二帝政期は、それ以前の革命と戦争から一時離れた、享楽の時代であったが、反面、物価は高騰し高利貸しが横行した金権至上の時代でもあった。また、この時代は女性の社会進出が目覚しい時代でもあった。詩人のテオフィル・ゴーチェは当時の女性たちに向かって「美しく、沈黙を守る」ように望んだが、「デカダンスの女」、「第二のロココ」の女性はパリの街に繰り出していった。刺激を求めたパリの市民は夜な夜なキャバレーやナイトクラブへ足を運び、その中にはヴィオレッタの様な高級娼婦も多く含まれていた。
金権至上の時代、そして享楽と退廃の時代であった為に、地方からパリにやって来た若い女性がこの街で生きていくことは極めて困難なことであった。もともとはお針子とかダンサーや売れない女優などの仕事を持っていた女性が、多くは経済的な理由から売春の世界へ入っていった。
パラン=デュシャトレは売春について「人間の大密集地においては、売春婦は、下水道、交通路、ゴミ集積所と同じくらい不可欠である・・・」と今日から見ればかなり危険な考えを述べているが、それだけに増加し続ける娼婦の存在は当時のパリに於ける社会的な問題であった。
当時の娼婦はヴィオレッタのような高級娼婦から、先のひたすら経済的な理由から娼婦となった多くの私娼までいくつかの分類ができるが、鹿島茂氏によればそれは次の4つに分けられる。
クルティザンヌもしくはドゥミ・モンデンヌ いわゆる高級娼婦 違法
番号持ち娼婦 公認の娼家に属する公娼 合法
鑑札持ち娼婦 自家営業の公娼 合法
未登録の娼婦 いわゆる私娼 違法
クルティザンヌもしくはドゥミ・モンデンヌを除く娼婦は合法・違法の差こそあれ性を商品した職業であり、目的は金銭を介した契約である。しかし、高級娼婦となると事情は複雑で、性を商品にした契約とは限らない。むしろ、その個人のあらゆる魅力を駆使して(勿論、性的な魅力を含む)、契約に縛られず、男に金銭を支払わせることが多かった。彼女たちは時には複数のパトロンを抱え、豪奢なアパルトマンを与えられ、高級な調度品に囲まれて、あたかも貴婦人のような生活を送った。
また、彼女達の自由でセンスに溢れた生活は、表社会の貴婦人たちにも影響を与えたばかりか、ファッションや娯楽そして身のこなしは、本家の貴婦人を凌駕するほどであった。実際、彼女達の中にはヴィオレッタのモデルとなったデュプレシのように読書を愛し、ピアノを奏する女性も相当にいたものと思われる。
また、彼女達の多くはパトロンを乗り換えることも多かった。少しでも落ち目になったり(実際、彼女達を囲うのは、莫大なお金が必要で、中には破産して行方をくらまさざるを得なくなった貴族なども存在した。)、他に羽振りの良いパトロンを見つけて、鞍替えすることは当たり前のことであった。こころの通ったヴィオレッタやバルザックの『浮かれ女盛衰記』のエステルのような自己犠牲と献身、そして清らかな愛情に充ちた女性もきっといたに違いないが、多くはやはり仇花であることを承知して、割り切った考え方をしていた。
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