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イザベラ・バード 『朝鮮紀行――英国婦人の見た李朝末期』 時岡敬子訳、講談社〈講談社学術文庫〉1998年
全部を読まなくても、4ページだけ読めば分かります。
58~59ページでは、「北京を見るまでソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていた・・・」と書いています。このような記述は長いですし、かなり悲惨だな、不潔だな、と私も思いました。
事実です。
その一方でと同じ本の543~544ページには、
『『 ソウルの多くの区域がなかでも特に《南大門》と《西大門》の付近が文字どおり変貌していた。
両わきに石積みの深い運河があり石橋のかかった、狭いところで幅55フィートの大通りは、かつてコレラの温床となった不潔な路地のあったところである。
狭かった通路は広げられ、どろどろの汚水が流れていたみぞは舗装され、道路はもはやごみの「独壇場」でなく、自転車が広くてでこぼこのない通りを「すっ飛ばして」いく。
「急行馬車」があらわれるのも間近に思われ、立地条件のすばらしいところにフランス系のホテルを建てる構想もある。
正面にガラスをはめこんだ店舗は何軒も建っているし、通りにごみを捨てるのを禁止する規則も強化されている。
ごみや汚物は役所の雇った掃除夫が市内から除去し、不潔さでならぶもののなかったソウルは、いまや極東でいちばん清潔な都市に変わろうとしている!』』
と出ています。あんなに悲惨で不潔だった街が変わってきたんだなと、感心しました。
ただそれだけのことです。
日本の植民地支配を正当化したい方にとっては、朝鮮が自力で近代化が可能だったかもしれない、少なくとも自力で近代化を推進しようとしていた、そしてその成果が出ていたということがばれると、困るので、イザベラバードのこの記述はウソであってほしい部分でしょうね。
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