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Tuesday, February 21, 2012

Baloney Damjing in Korean textbook

http://tawagotox.exblog.jp/774362/

飛鳥のスーパーマン曇徴(韓国小学校歴史教科書)
2005年 06月 01日
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さて、百済の文化を日本に教えてあげた王仁。(旧一市民の戯言「王仁を知っていますか」にあります、よかったら見てやってください)
に続いて、飛鳥時代のスーパースター曇徴の登場です



この教科書は古いので、現在はどうかかれているかわかりませんが、ず~~っと、こういった電波記述が続いていたようです。

日本の昔の都である奈良市には百済文化の影響で建立した法隆寺という寺がある。この寺には二層の木造建物の金堂があるが、この金堂の壁には、高句麗の僧侶である曇徴が一生かけて完成した壁画がある。

~~中略~~

曇徴は日本に行って漢文も教えたし、紙、筆、墨、絵具、石臼などの作り方も教えてあげた。

日本書紀によると、『推古天皇の十八年(六一〇年)春三月、高麗王、僧二人を献じ、名を曇徴、はじめて碾磑(石臼)を造る。けだし碾磑を造るは、このときにはじまるなり』と有るそうで、言って見れば技術指導に来たてことですね。
石臼そのものというよりも、水車を使っての製粉工場ではないかとも言われているらしい。
わざわざ、高麗王に派遣されてきたわけですから、子供じゃないよね。少なくとも三十台にはなってたんじゃないだろうか。だって、当時の高度な技術を日本に教えにくるんだからね。見習いの若造ってことはありえない。

さて、この曇徴さんが金堂の壁画を描いたって言うんだけど、実は法隆寺って一度焼けてるんだよね。それが670年のこと。そして再建されたのは700年前後のようだ。
曇徴さん、元気に生きて壁画を描いたとしても、御年百歳を越えているだろう。
無理があるんじゃないか、これって? 超人曇徴? それとも、タイムトラベラー??

しかも、法隆寺にいたって言う記録は無いんだって。おいおい・・・ 基本のところ外すなよな。

まぁ、それでも、再建「説」だったから、韓国側の強弁も意味が無いではなかったんだけど、残念ながら創建時の焼けた壁画片が見つかってしまった。
朝鮮新報でさえ(http://japanese.chosun.com/cgi-bin/printNews?id=20041202000054)「今回670年に起こった火災に関する物的証拠まで発掘された状況なだけに、これ以上は金堂壁画を製作した画家として考えることは厳しい」と書いてある。

それにしても、根拠が皆無or希薄なことをあたかも事実のように主張するってのは、国民性なのだろうか?
大きいものでは、日本海&竹島問題も従軍慰安婦問題(Produced by 朝日新聞社)もそうだし、剣道・折り紙に至るまで。
最近では、北の人々がロケットも自分たちが作ったって言い始めるし、もうカンベンシテヨネって感じ。

それでも、「今回発掘された壁画片は伽藍壁画の破片で、当時伽藍を建てるのに20~30年かかったという点を考えた場合、これより後の610年頃には金堂が建てられ、そこに曇徴を含む高句麗の画工集団が描いたという壁画が存在した可能性はある」という和田先生の話を最後に持ってくるという往生際の悪さが悲しいね。

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