李氏朝鮮 クーデター・叛乱一覧表
年代 | 名称 | 首謀者 | 結果 |
1388 | 威化島回軍 | 李成桂(太祖) | 李成桂が高麗の実権を掌握 |
1398 | 第一次王子の乱 | 李芳遠(太宗) | 太祖、譲位、李芳遠が定宗を傀儡王にする。 |
1400 | 第二次王子の乱 | 李芳幹 | 失敗。鎮圧に成功した、李芳遠が譲位を受けて即位(太宗)。 |
1406 | 閔無咎の獄 | 閔無咎 | 閔無咎の追放、自殺。太宗は譲位取り消し。 |
1453 | 癸酉靖難 | 首陽大君 | 端宗を譲位させ、世祖として即位。 |
1455 | 端宗復位事件 | 成三問他 | 失敗し、首謀者は、投獄後に処刑。 |
1468 | 南怡謀叛事件 | 南怡 | 失敗し、処刑。(柳子光の謀略とする説あり。) |
1506 | 中宗反正 | 朴元宗 | 燕山君、配流。(二ヶ月後死亡。毒殺?)中宗即位。 |
1519 | 己卯士禍 | 南袞他 | 趙光祖一派、追放・粛清。 |
1525 | 尹世昌謀叛 | 尹世昌 | 失敗? |
1527 | 灼鼠の変 | 金禧 | 朴氏、福城君殺害、沈貞、柳子光排除。 |
1545 | 仁宗暗殺 | 文定王后 | 文定王后の子、明宗即位。暗殺の真偽は定かではない。 |
1545 | 乙巳士禍 | 尹元衡 | 小尹派が大尹派を追放し実権を握る。 |
1547 | 丁未士禍 | 尹元衡 | 大尹派の残党粛清 |
1559-62 | 林巨正の乱 | 林巨正 | 1562捕縛。処刑。ソウルには山賊が出没、三年間行政は麻痺。 |
1589 | 鄭汝立の乱 | 鄭汝立 | 西人の東人失脚の為の陰謀説あり。これ以後、全羅道は登用制限を受ける。 |
1591 | 世子冊封問題 | 東人対西人 | 西人失脚。 |
1615 | 申景禧の獄 | 大北? | 大北による申景禧・綾陽君の排除工作 |
1623 | 仁祖反正 | 綾陽君 | 光海君を譲位させ、即位(仁祖)。 |
1624 | 李适の乱 | 李适 | 仁祖反正の論功交渉の不満による乱。一時はソウルを占拠するも鎮圧 |
1651 | 金自点謀叛事件 | 金自点 | 親清派金自点による反乱。未遂に終わり死刑 |
1680 | 三福の変 | 鄭元老・福昌君兄弟 | 庚申換局。南人粛清 |
1728 | 李麟佐の乱 | 李麟佐 | 少論と南人の急進派によるクーデター。失敗 |
1811 | 洪景来の乱 | 洪景来 | 勢道政治に反抗した洪景来が平安道でおこした反乱。一次は清川江以北を占有するも鎮圧。以後農民反乱が続く |
1836 | 南膺中の謀叛 | 南膺中 | 正祖弟恩彦君を擁立するクーデター。失敗して凌遅に |
1844 | 閔晋鏞の獄 | 閔晋鏞 | 恩彦君の孫元慶を擁立するクーデター。失敗して凌遅に |
1862 | 壬戌民乱 | 農民 | 晋州の役人の収奪に対する農民反乱が全国に拡大。収拾できず断続的に大規模反乱が繰り返される。 |
1882 | 壬午軍乱? | 大院君 | 閔妃に不満を持つ大院君、斥邪派が同じく不満を持つ旧軍によって閔妃派排除、暗殺を目的とした反乱。清の袁世凱の援軍によって鎮圧。日本公使館と日本人も襲われたため日本が軍隊駐留を要求し、日清戦争の遠因となる。 |
1884 | 甲申政変 | 金玉均 | 清に事大して行く閔妃に対する、開化派のクーデター。袁世凱により3日天下に終わる。 |
1894 | 東学党の乱? | 東学党 | 朝鮮の紊乱な政治と外国勢力に反対する信仰宗教東学が起こした反乱。朝鮮王宮は妥協案を出したが日本と清の軍隊によって鎮圧されそのまま日清戦争に突入する。 |
1895 | 乙未事変? | 大院君、三浦梧楼とする説も | ロシアに接近するのをよく思わない開化派、大院君、日本の一部勢力による閔妃暗殺。露館播遷の遠因になる。 |
1896 | 露館播遷(俄館播遷) | ロシア公使ウェーベル、李完用ら親露派 | 高宗がロシア公使館に逃げ込み、そこから親政を行った親露派によるクーデター。実質はウェーベルによる傀儡政権で有ったが1年で破綻した。 |
1898 | 皇帝譲位事件 | 安駉寿 | 皇帝譲位クーデター。失敗 |
1898 | 毒茶事件 | 金鴻陸 | 皇帝毒殺未遂事件。失敗 |
1898 | 自由民権運動 | 独立協会 | 高宗により弾圧 |
1907 | 高宗廃位 | 李完用ら7人 | ハーグ密使事件を第二次日韓協約に対する重大な条約違反とみた李完用ら7人は高宗を廃位させる。 |
1909 | 伊藤博文暗殺 | 安重根 | 安重根による政治テロ。併合慎重派の伊藤が殺されたこと、また事件により世論が一気に日韓併合に傾き日韓併合を進めた。 |
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