http://www.jca.apc.org/
Daily life of the former Japanese military comfort women - Harumoni(grandmothers) in the House of Sharing;Nanum house
ナヌムの家のハルモニたち―元日本軍慰安婦の日々の生活 [単行本]
慧 真 (著, 原著), 金 京子 (原著, 翻訳), 徐 勝 (原著, 翻訳)
the fabricated Buddhist priest, a raper Hejin and former comfort woman.
look,she is smoking.
if she was a forced sex slave,how she smoked in jailed comfort station.
a virtuous woman never smoke at the era.
in fact,comfort women let gone to Kisaeng school,not elementary school.
since their parents think that girl should work earlier to make money for her father or brother. i guess korean Confucian is the root of the problem.
http://www.nanum.org/
http://nanum.org/jp/index.html
http://nanum.org/eng/index.html
Director resigned for sexual harassment scandal in Nanumechipu : House of Sharing
Harumoni;grandmothers who are former "comfort women" to be enclosed in a "movement" of anti-Japanese nationalism
in the facility based on Korean Buddhist organization, the incident of "sexual violence" Nanumechipu;House of Sharing" where "comfort women" live together (house share) exposed on surface (2001).
the responsibility director of the facility that caused "women's issues" has been surfaced by the party of female staff accused.
Principal Jin, was forced to resign in response to this accusation in the "House of Sharing" victim-activist support for "comfort women".
Parties or organizations that promote the "war-crimes tribunal" and "Women in Japan and South Korea Council for volunteer corps issue" has not been touched in this incident. (Add part 2004.09)
* "House of Sharing" is also known in the film of the same name, many visitors from Japan and others.
ナヌムの家(나눔의집、ナヌメチプ=朝鮮語で「分かち合いの家」の意、英語名:House of Sharing)
ナヌムの家:ナヌメチプ──院長がセクハラ・スキャンダルで辞任
反日・ナショナリズム「運動」に囲い込まれる元「慰安婦」ハルモニたち
韓国仏教団体系施設で、元「慰安婦」が集まって暮らす「ナヌムの家=ナヌメチプ」(分かち合いの家)内部で「性暴力」事件が表面化(2001年)。施設の運営責任者が起こした「女性問題」が職員の当事者女性の告発によって表面化したもの。
「慰安婦」被害者支援運動家・「ナヌムの家」へジン園長(院長)は、この告発を受けて辞任に追い込まれた。
韓国挺身隊問題対策協議会や日本で「女性戦犯法廷」を推進した関係者や団体はこの事件に触れていない。(2004.09 一部追加)
*「ナヌムの家」は同名映画でも知られ、日本などからの訪問が多い施設。
● ニュース 3月7日開いた「ナヌムの家」理事会、慧眞院長の辞任を受理し、後任決める(2001.3.追加)
● 告白会見記事 2001.2
● 挺対協など運動の周辺からも批判 2001
● ナヌムの家「歴史館」後援会(日本)──人権活動「全否定はできない」などと整理。女性運動家も沈黙
韓国「ナヌメチプ」園長が女性問題で辞任
韓国の元「慰安婦」らの施設、「ナヌムの家」=「分かち合いの家・ナヌメチプ」の慧眞(ヘジン)園長が、解雇した元女性職員の告発によって当の「女性職員らとの性関係」を認め、記者会見で告白、園長を辞任すると公表した。
韓国各紙が報道している。
(2001.2.17会見、19日の報道記事▼下に)(写真は最近の日本軍「慰安婦」歴史館パンフ)
慧眞氏は、「暴力や強圧はなかったが、騒動が続けば慰安婦被害補償運動を巻き添えにしかねないと思い、身を引くことにした」と語ったと伝えられており、法的責任問題には現状でなっていないが、「道義的・人道的・社会的責任」によって「辞任」したもよう。
(記事中の性暴力相談所は、性暴力犯罪の処罰及び被害者保護等に関する法律=制定94.1.5 法律第4702号=に規定されている。)
報道の限りでも、「慰安婦」問題に関わる上で重大事、ひどい事件。韓国の人たちに聞いても、彼は宗教者というより商売人との評があったという。
ナヌメ・チプ、歴史館の体質、その「運動の本質」を物語る事件と真剣にとらえないなら、それこそが運動の自滅的態度というべきだろう。
As far as even to hear the news, its big deal, involved in violent incidents on the "comfort women" issue. Also asking Korean people, there was a repute that he was a merchant rather than religious.
I should say if they can't regard the case as seriously incident for the constitution of Nanume-Chipu, the Museum of History, or "the essence of the movement" ,it would be self-destructive attitude.
慧眞(ヘジン)氏は仏教会・寺院敷地内に「ナヌメチプ=分かち合いの家」(ナヌム・エ・チプ)を設立、韓国・挺対協とも連携し、元「慰安婦」ハルモニたちの「支援、募金、補償要求運動」を行ってきた。先の「女性国際戦犯法廷」にも「慰安婦」被害者らと来日し参加、つぎのように書いている。(この部分は、サイト「日本軍“慰安婦”歴史館」後援会 から引用。同サイトでは、01年2月21日、事態について「調査中」としている。)
「先日日本の東京で日本軍性奴隷戦犯国際法廷が開かれた。たとえ民間法廷と言えども今はこの世にいないヒロヒト日本天皇と日本政府の戦争責任を明確にする有罪判決が裁判府によって下された。人類の歴史上もっとも反人道的な戦争犯罪を処罰する歴史的な事件として去る10余年間を孤軍奮闘してこられたハルモニたちの勝利だった。しかし、判決が下された日本青年会館の建物を出ながら再び現実の壁を感じてしまった。まさに右翼人士たちがピケットをふりかざし、スピーカーを通じて発する発言がそうだ。「『慰安婦』は存在しない」という内容だ。法廷参加者たちが街頭集会をする間にも前を歩きながら「後ろから来る人々は詐欺だ」「この人たちの話はみんなウソだ」と叫んでいたというのだ。日本の現実を目の当たりにするようで、後味が悪かった。問題の解決は遠いが、来年も去る10年の歳月を通して体験したように、正義は一つずつ実現されるということを見せてくれたことだけがこの問題を解く解決方法ではないかと思う。
ナヌムの家院長 ヘジン 合掌」(翻訳:方清子さん)
【報道記事】 *転載注意。オリジナルから翻訳。上の記事によれば以下の「園長」は「院長」。
(2001.2.19 朝鮮日報 社会)
『ナヌムの家』慧眞師「女子職員と性関係」/園長職を辞任
日本軍従軍慰安婦ハルモニたちが集い住む、京畿道広州の『ナヌムの家』園長である慧眞(ヘジン 36・俗名ぺ・ヨンギル)師が、女子職員とのセックススキャンダルが取りざたされる中で17日に記者会見を開き、「園長職から退き、僧籍を離れる」と表明した。
慧眞師の辞任は、同団体に勤務して昨年の11月に解雇された呉某(女・43)氏が、最近になって韓国性暴力相談所に「慧眞が園長という地位を利用して、97年2月から98年の5月までひと月に2~3回ずつ性関係を強要した」と告発したことによるものである。
慧眞師は記者会見で「困難な状況下で共に仕事に励んでいて気持ちを抑えることができず、性関係を続けてしまった」とし、「暴力や強圧はなかったが、騒動が続けば慰安婦被害補償運動を巻き添えにしかねないと思い、身を引くことにした」と語った。
慧眞師を告発した呉氏は、昨年の10月に同団体で総務を担当していた自分の同居人である張某氏(男・42)が『会計処理が不透明で管轄官庁ともめた」という理由で解雇された後、慧眞師や他の職員との間で感情のもつれが生じ、解雇された。
一方で『ナヌムの家』側はこの日、内部騒動などを理由に慰女婦ハルモニたちの絵画や遺品、各種資料を展示している『日本軍慰安婦歴史館』をしばらくの間休館することに決定した。/金秀惠(キム・スへ)記者
(2001.2.19 Chosun Ilbo in society)
Resigned as curator / "sexual relations with female staff"
Master Hye jin "House of Sharing"
"House of Sharing" in Guangzhou, Gyeonggi-do where comfort women for Japanese military,Harumoni(grandmothers) live, the curator,priest Hye Jin (secular name Bae Yongil,36), had the sex scandal with office working women, expressed a press conference on the day on February 17.and "he will retire from the job of the Principal, leave holy orders"
Resignation of Master Hye Jin, Ms. Wu (female 43) who worked in the organization ,be fired in November of last year, recently she consulted with sexual violence Korea, and accused "Hye Jin used his position as Principal,forced sexual relations by two or three times per month until May of 1998 from February 1997."
Master Hye jin pressed in the conference,"i could not be suppressed feelings in hard working with together under difficult circumstances, and I continued the sexual relationship,"
"there was no coercive violence,but if continue the turmoil,it would get collateral damage to the compensation movement to comfort women, then i decide to step aside."
Ms.Wu accused master Hye Jin, she lived with roommate Mr. Zhang (man, 42years old),after his being dismissed the reason why his accounting treatment was unclear,had trouble with province agency, tangle of emotions occurred between master Hye Jin and other staffs, and be fired.
on the one hand "House of Sharing" "the Japanese military comfort women History Museum" where displays paintings and relics on, a variety of documents for Harumoni, on this day, determined to close for a while to reason of inside ternal turmoil./ reporter Kim Su Hye
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(2001/02/19-18:56 Digital Chosun)
日本軍従軍慰安婦歴史館、長期休館へ
元従軍慰安婦が共同生活している京畿(キョンギ)道・広州(クァンジュ)にある「ナヌムの家」の院長兼僧侶、ヘジン氏(36)のセクハラ事件による内部葛藤で、ここにある世界唯一の「日本軍従軍慰安婦歴史館」が長期休館に入り、韓日両国民が落胆している。
98年8月完工したこの歴史館は、元従軍慰安婦女性が描いた絵や遺品、証言などを基に再構成された慰安所の模型や肉声の証言テープなどを展示しており、昨年一年間の訪問客約9000人のうち3分の1以上を日本人が占めるなど日本人にとっては「懺悔の場所」として有名だ。
19日午前、ナヌムの家。日本人ボランティアの米倉万有美さん(27)は歴史館の参観を予約していた日本の市民団体や高校などへの休館通知に追われていた。米倉さんは語学研修で韓国を訪れたが、99年2月からは住み込みで通訳や案内の仕事をしてきた。
「休館の理由を聞いてくる国際電話が殺到しているが、何と答えればいいのかわからなくて困っています。日本の右翼が‘元従軍慰安婦女性の被害賠償運動の先頭に立っていた僧侶がセクハラ事件で退いた’と主張すれば、日本政府に公式謝罪を要求してきたこれまでの苦労が水の泡になってしまうのでは…」
米倉さんは「今月は日本最大の戦争研究所、‘戦争資料センター’所属の学者や市民団体の関係者が予約していた」と残念がっていた。ナヌムの家の総務、アン・シングォン(41)さんは「昨年、歴史館を訪問した東京・正則高校の生徒350人が来月また来たいと言っていた。歴史館が日本人教育の場として定着していたのに」と、深いため息をついた。/キム・スヘ記者、キム・ミング記者
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(韓国日報2001.2.19)
元「慰安婦」「分かち合いの家」慧眞僧侶 性関係を告白
「2名の女性と関係 院長辞任」
元「慰安婦」であった女性が在住している「分かち合いの家」の院長、慧眞(36才)僧侶が、自身の女性問題を理由に院長職を辞任した。
17日、慧眞僧侶は、「良心告白」の記者会見において、「1997年、二人の女性と性関係を持った」と述べた上で、「宗教人であり「慰安婦」ハルモニを支援する活動を行う者として責任を痛感する。分かち合いの家の院長職を辞任し、また一切の社会活動を中断する」と述べた。彼の「良心宣言」は、この二人の女性のうち一人が最近、韓国性暴力相談所へ相談を依頼したことを受けて行われたと伝えられている。
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(中央日報 01年2月19日 社会面)
従軍慰安婦憩いの場の園長である僧侶/スキャンダルに関連して僧職離脱宣言
従軍慰安婦ハルモニたちが集い住む京畿道広州の『ナヌムの家』園長である慧眞(ヘジン、35・俗名:ペ・ヨンギル)師が17日に園長職の辞任と僧籍からの離脱を宣言した。
慧眞師は記者会見を自ら進んで開き、「ナヌムの家の事業を行うなかで1997年に知り合ったAさん(44)など、二人の女性と性関係を持ってきた」とし、「宗教者、及び慰安婦ハルモニを助ける仕事をしてきた者として責任を痛感し、このように決心した」と語った。/孫ミンホ記者
(February 19, 01 JoongAng Ilbo on social
a priest director of a place of recreation and relaxation for comfort women
Withdrawal declaration related to his priesthood for scandal.
Hye jin (Hae-jin, secular name 35: Bae Young-gil), who was curator of "House of Sharing" in Guangzhou, Gyeonggi-do has declared defection from the priesthood and the resignation of job Principal on the day 17 .
we Harumoni comfort women live meeting master
Master Hye jin opens willingly press conference, and "brought Ms.A (44) met in 1997 ,etc., had sexual relations with two women among engaged in the business of the House of Sharing," .
"as religion worked to help Harumoni comfort women,keenly aware of the responsibility,and i decided in this way." he said.
/ Reporter Son Min Ho
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(東亜日報 01年2月19日 社会面)
『ナヌムの家』園長の慧眞師/女性二人との性関係を告白し物議
日本軍慰安婦被害者ハルモニとともに9年余りを生活してきた京畿広州郡『ナヌムの家』園長の慧眞師が、17日に女性問題による良心告白記者会見を開き、園長職辞任と僧籍離脱の意志を明らかにした。
慧眞師はこの日の午前にソウル鍾路区仁寺洞にある某カフェにて開かれた記者会見で「97年に二人の女性と性関係を持った」とし、「宗教者、及び慰安婦ハルモニを助ける仕事をしてきた者として責任を痛感して、ナヌムの家園長を辞任し、一切の社会的活動を中断する」と語った。
女性二人のうちの一人は97年当時、慧眞師が運営していた『ナヌムの家』に勤務していたことが明らかになった。
これについて韓国性暴力相談所、女性民友会、女性の電話などの女性団体は「事件の再発防止のため、20日に真相調査委を設ける」と明らかにした。 /徐ヨンア記者
*はらだ注──記事中の性暴力相談所は、性暴力犯罪の処罰及び被害者保護等に関する法律=制定94.1.5 法律第4702号=に規定されている機関。また記事中の「女性の電話」団体は挺対協の構成団体。
http://kankoku-020115.tripod.com/jyuugunianfu/nanumunosekuhara/sekuharadejinin.html
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追記(2001.3.20)
以上の情報のあと「緊急のご報告 2001年3月9日 ナヌムの家歴史館後援会事務局」がようやく出されています。
それによれば──
▼2月17日、「ナヌムの家」院長・ヘジン氏が「良心告白」という形の記者会見
97年に関係があったことなどを女性(ナヌムの家・元職員、2000年12月31日付け解雇)が「性暴力相談所」に相談
「良心告白」に至った動機やその間の経緯を述べ、責任を痛感し懺悔
▼2月20日、韓国の民間団体からの「真相調査委員会」
大韓仏教曹渓宗でも、内部監査中
▼社会福祉法人・大韓仏教曹渓宗「ナヌムの家」は3月7日、理事会でヘジン氏の辞任受理
後任としてヌングァン氏任命。福祉学を勉強した尼僧
曹渓宗 Jogye Order
대한불교조계종(大韓佛敎 曹溪宗)
「起こるべくして起こった」──内部から批判
──このナヌメチプ活動の中で起こしたヘジン事件について、山下英愛(やました・よんえ)さんが、「戦争責任研究」に二回連載した、韓国の「慰安婦」運動論考のなかで「運動圏」の対応ぶりと挺対協の「沈黙」について触れ、「運動」に内在する問題を論じている。
▽韓国における「慰安婦」問題解決運動の位相──80-90年代の性暴力運動との関連で 上・下
山下英愛(やました よんえ、ブリティッシュコロンビア大学アジア研究所客員研究員)
「季刊戦争責任研究」34・35、2001冬-02春、日本の戦争責任研究センター
以下に冒頭部分を引用させていただく
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はじめに
今年(二〇〇一年)の初め、韓国の元「慰安婦」たちの共同居住施設である「ナヌムの家」の園長(ヘジン僧)が、同施設の女性スタッフらに対し性暴力を行ってきたという事実が被害者の一人によって明らかにされた。日本軍の性暴力問題に対する事実究明と謝罪・個人賠償を求めて闘ってきた運動の中で起きた事件であるだけに、内外の運動関係者を含めて多くの人々が衝撃を受けたであろう。
筆者はこれまで、韓国の「慰安婦」問題解決運動(以下、「慰安婦」運動)に直接かかわりながら、この運動が内包している民族主義的傾向とその言説に含まれた問題点について女性学的視点から指摘してきた。こうした観点からいえば、このような事件が起こったことは奇想天外なことではなく、むしろ起こるべくして起こったといえる。
この事件が暴露された後、いわゆるネティズン(ネットとシティズンの合成語)たちによるサイバー上の議論が起こつたが、その意見の大半は、他の性暴力事件に対する一般世論の反応と同様に、加害者を擁護し被害者を非難する傾向を示した。だが、筆者がそれ以上に落胆させられたのは、「慰安婦」運動の主体たちが、この事件の真相究明と解決のための積極的な行動をとれなかったことに対してである。(注)それはいみじくも「慰安婦」運動の性暴力的視点の脆弱さを示すものであったといえよう。
韓国で「慰安婦」適動が起こった九〇年代は、国内の性暴力運動が急速な進展を遂げた時期でもある。そうしたことから、同じ性暴力問題が根にある「慰安婦」運動は、その性暴力運動の高まりと軌を一にすると考えられがちであった。しかし、「慰安婦」運動は、大きく見れば性暴力運動の流れの中にあるとはいえ、運動に現れた「慰安婦」認識や独特の民族運動的性格によって特異な存在であるともいえる。…略
(注 略…。挺対協は、個人レベルでは数人が積極的に取り組んだものの、組織としてはこの事件について一切コメントせず、真相調査にも加わらなかった。)
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運動の立場上の論理?
→ナヌムの家「歴史館」後援会(日本)
──「…ナヌムの家でハルモニたちの世話をするために当初ボランテイアで勤め始めた不安定な立場の女性と院長で人権活動家であるヘジン氏の間には「立場の違い」があり、「暴力や明らかな強圧はなかった」としても、誘いがあった場合、拒絶しにくいという状況があるように思います。」──引用
「人権活動家」の「人権」活動そのもののエセぶりこそが問題なのではないか。「慰安婦」被害者への対応自体が、指導者の「支配下」において「力」を働かせた運動ではないのか? という自省の視点はまったくここには見えない。個人の「立場」の比較などしている場合ではない。その論理と姿勢に、運動の問題があるのだ。山下英愛さんの「起こるべくして…」の指摘は、韓国で「慰安婦」支援と称する運動の、被害者をも立場の都合次第で「敵」にする問題性に向いていることに、無自覚なのだ。
ところで、ナヌムの家運動や挺対協をただ盲信する日本の運動の質も、ほとんど同種同根といえるだろう。「後援会」呼びかけ人の面々には、例の責任者処罰・沈黙の打破をうたいあげた「女性国際戦犯法廷」の主催・推進者たちも多いが、この件についての「見解」は聞かれない。都合があるのだろう、沈黙している。
呼びかけ人: 阿部宝根、池内了、池田恵理子、石川康子、石黒紀子、石田貴美恵、上野成利、浦崎成子、徐勝、大分勇哲、大賀美弥子、大久保和子、大越愛子、大島孝一、岡部伊都子、尾畑潤子、神谷雅子、君島恒昭、キム・チョンミ、金富子、金英姫、楠瀬佳子、高正子、高龍秀、小林温子、酒井義一、崎山政毅、佐藤典子、嶋田美子、清水政夫、朱秀子、城山大憲、新屋英子、菅原龍憲、杉本正信、鈴木弘子、鈴木裕子、高城たか、高里鈴代、高橋哲哉、滝沢秀樹、たけだまるみ、角田由紀子、鶴園裕、西野瑠美子、萩原弘子、日高六郎、藤井正昭、藤永壮、朴英子、藤目ゆき、細見和之、馬場咲枝、前田義朗、松井やより、三宅和子、望月慶子、横井小夜子、吉岡数子、藤岡直登、レベッカ・ジェニスン、渡辺和子
【나누무】의 집:【나누메치푸】──원장이 성희롱·스캔들로 사임 반일·내셔널리즘(nationalism) 「운동」에 에워싸지는 전(元)「위안부」【하루모니】들
한국 불교단체계 시설에서, 전(元)「위안부」가 모여서 생활하는 「【나누무】의 집=【나누메치푸】」 (서로 나누어 가지기의 집)내부에서 「성폭력」사건이 표면화(2001년). 시설의 운영 책임자가 일으킨 「여성문제」가 직원의 당사자여성의 고발에 의해 표면화한 것.
「위안부」피해자지원 운동가·「 【나누무】의 집」에 진 원장(원장)은, 이 고발을 받아서 사임에 몰렸다.
한국 정신대 문제대책협의회나 일본에서 「여성전범법정」을 추진한 관계자나 단체는 이 사건에 언급하지 않고 있다. (2004.091부 추가)
*「【나누무】의 집」은 동명영화라도 알려지고, 일본등으로부터의 방문이 많은 시설.
●뉴스3월7일 열린 「【나누무】의 집」이사회, 게이(慧) 마코토(眞) 원장의 사임을 수리하고, 후임 정한다 (2001.3.추가)●고백 회견 기사 2001.2●정대協등 운동의 주변에서도 비판 2001●【나누무】의 집 「역사관」후원회(일본)──인권활동 「전부정은 할 수 없다」등이라고 정리. 여성운동가도 침묵
한국 「【나누메치푸】」원장이 여성문제로 사임 한국의 전(元)「위안부」들의 시설, 「【나누무】의 집」= 「서로 나누어 가지기의 집·【나누메치푸】」의 게이(慧) 마코토(眞)(【헤진】)원장이, 해고한 간뇨(元女)성 직원의 고발에 의해 이 「여성직원들과의 성관계」를 인정하고, 기자회견에서 고백, 원장을 사임한다고 공표했다.
한국 각종 신문이 보도하고 있다.
(2001.2.17회견, 19일의 보도 기사▼아래로) (사진은 최근의 일본군 「위안부」역사관 팜플렛)
게이(慧) 마코토(眞)씨는, 「폭력이나 강압은 없었지만, 소동이 계속되면 위안부 피해보상 운동을 연루로 할 지 모른다고 생각하고, 손을 떼기로 했다」라고 함께 이야기 했다고 전해지고 있어, 법적 책임문제에는 현상으로 되지 않고 있지만, 「도의적·인도적·사회적 책임」에 의해 「사임」하나 야.
(기사중의 성폭력상담소는, 성폭력범죄의 처벌 및 피해자보호 등에 관한 법률=제정 94.1.5법률 제4702호=에 규정되고 있다. )
보도의 한(한계)라도, 「위안부」문제에 영향을 미치는 동시에서 중대것, 지독한 사건. 한국인들에게 물어도, 그는 종교자라고 하는 것 보다 상인과의 평이 있었다고 한다.
【나누메】·【지푸】, 역사관의 체질, 그 「운동의 본질」을 이야기하는 사건과 진지하게 잡지 않는다면, 그것이야말로가 운동의 자멸적 태도라고 해야 할 것이다.
게이(慧) 마코토(眞)(【헤진】)씨는 불교회·사원부지내에 「【나누메치푸】=서로 나누어 가지기의 집」 (【나누무】·【에】·【지푸】)을 설립, 한국·정대協과도 제휴하고, 전(元)「위안부」【하루모니】들의 「지원, 모금, 보상 요구 운동」을 다녀 왔다. 전번의 「여성국제전범법정」에도 「위안부」피해자들과 방일해 참가, 다음과 같이 쓰고 있다. (이 부분은, 사이트 「일본군 “위안부”역사관」후원회에서 인용. 동(同)사이트에서는, 01년2월21일, 사태에 대해서 「조사중」이라고 하고 있다. )
「요전에 일본의 도쿄(東京)에서 일본군성 노예전범국제법정이 열렸다. 가령 민간법정라고 말하더라도 지금은 이 세상에 없는 히로 인간 일본 천황과 일본정부의 전쟁 책임을 명확히 하는 유죄판결이 재판 부(府)에 의해 내려졌다. 인류의 역사상 가장 반인도적인 전쟁 범죄를 처벌하는 역사적인 사건으로서 지난 10여 년간을 고군분투해 올 수 있었던 【하루모니】들의 승리이었다. 그러나, 판결이 내려진 일본 청년회관의 건물을 나가면서 다시 현실의 벽을 느껴버렸다. 정말로 우익인사들이 피켓을 내세우고, 스피커를 통해서 발하는 발언이 그렇다. 「『위안부』는 존재하지 않는다」라고 하는 내용이다. 법정참가자들이 가두집회를 하는 사이에도 앞을 걸으면서 「뒤에서 오는 사람들은 사기だ」 「이 사람들의 이야기는 모두 거짓말이다」라고 외치고 있었다라고 하는 것이다. 일본의 현실을 직접 보는 것 같아서, 뒷맛이 나빴다. 문제의 해결은 멀지만, 내년도 지난 10년의 세월을 통해서 체험한 것 같이, 정의는 하나씩 실현된다라고 하는 것을 보여줘 준 것만이 이 문제를 푸는 해결 방법이 아닐까라고 생각한다.
【나누무】의 집원장【헤진】합장」 (번역: 쪽 기요코(淸子)씨)
【보도 기사】*전재 주의. 오리지널로부터 번역. 위의 기사에 의하면 이하의 「원장」은 「원장」.
(2001.2.19조선 일보사회) 『【나누무】의 집』게이(慧) 마코토(眞)사 「여자직원과 성관계」/원장직장을 사임
일본군종군 위안부【하루모니】들이 모여 사는, 경기도(京畿道) 광저우의 『【나누무】의 집』원장인 게이(慧) 마코토(眞)(【헤진】36·속명ぺ·욘 길)사가, 여자직원과의 섹스 스캔들이 평판되는 중에서 17일에 기자회견을 열리고, 「원장직장으로부터 물러나고, 승적을 떨어진다」라고 표명했다.
게이(慧) 마코토(眞)사의 사임은, 동(同)단체에 근무해서 작년의 11월에 해고된 오(吳) 모(여자·43)씨가, 최근이 되어서 한국성 폭력상담소에 「게이(慧) 마코토(眞)가 원장이라고 하는 지위를 이용하고, 97년2월부터 98년의 5월까지 한달에 2∼3회씩성 관계를 강요했다」라고 고발한 것에 의한 것이다.
게이(慧) 마코토(眞)사는 기자회견에서 「곤란한 상황아래에서 모두 일에 힘쓰고 있어서 기분을 억제할 수 있지 않고, 성관계를 계속해버렸다」라고 해서 「폭력이나 강압은 없었지만, 소동이 계속되면 위안부 피해보상 운동을 연루로 할 지 모른다고 생각하고, 손을 떼기로 했다」라고 함께 이야기 했다.
게이(慧) 마코토(眞)사를 고발한 오(吳)씨는, 작년의 10월에 동(同)단체에서 총무를 담당하고 있었던 자신의 동거인인 장(張) 모씨(남자·42)이 『회계 처리가 불투명해서 관할 관청과 말썽이 났다」라고 할 이유로 해고된 후, 게이(慧) 마코토(眞)사나 다른 직원과의 사이에서 감정의 엉클어짐이 생기고, 해고되었다.
한쪽에서 『【나누무】의 집』측은 이날, 내부소동등을 이유로 慰여자부【하루모니】들의 회화나 유품, 각종자료를 전시하고 있는 『일본군위안부 역사관』을 잠시동안휴관하는 것에 결정했다. /돈 슈(秀) 메구미(惠)(김·【스】에) 기자
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(2001/02/19-18:56 Digital Chosun)일본군종군 위안부 역사관, 장기휴관에
전(元)종군 위안부가 공동 생활 하고 있는 경기(【굔기】)길·광저우(광주)에 있는 「【나누무】의 집」의 원장겸승려, 【헤진】씨 (36)의 성희롱 사건에 의한 내부갈등으로, 여기 있는 세계유일의 「일본군종군 위안부 역사관」이 장기휴관에 들어가고, 한일 양쪽국민이 낙담하고 있다.
98년8월 완공한 이 역사관은, 전(元)종군 위안 부녀성이 그린 그림이나 유품, 증언등을 기초로 재구성된 위안소의 모형이나 육성의 증언 테이프등을 전시하고 있어, 작년 일년간의 방문 손님 약9000명 가운데 3분의 1이상을 일본인이 차지하는등 일본인에 있어서는 「참회의 장소」라고 유명하다.
19일 오전, 【나누무】 집. 일본인 자원봉사의 요네쿠라(米倉) 만사 유미 (27)은 역사관의 참관을 예약하고 있었던 일본의 시민단체나 고교등에의 휴관 통지에 쫓기고 있었다. 요네쿠라(米倉)씨는 어학연수로 한국을 방문했지만, 99년2월부터는 더부살이로 통역이나 안내의 일을 해 왔다.
「휴관의 이유를 들어 오는 국제 전화가 쇄도하고 있지만, 어떻게 대답하면 좋은 것일지 몰라서 곤란하고 있습니다. 일본의 우익이” 전(元)종군 위안 부녀성의 피해배상 운동의 앞장을 서고 있었던 승려가 성희롱 사건으로 물러났다”이라고 주장하면, 일본정부에 공식사죄를 요구해 온 지금까지의 고생이 수포로 돌아가버리고서는 …」
요네쿠라(米倉)씨는 「이번 달은 일본 최대의 전쟁 연구소,” 전쟁 자료센터”소속의 학자나 시민단체의 관계자가 예약하고 있었다」라고 안타까워하고 있었다. 【나누무】의 집의 총무, 앤·【신건】(41)씨는 「작년, 역사관을 방문한 도쿄(東京)·정식고교의 학생 350명이 다음 달 또 오고 싶다라고 말하고 있었다. 역사관이 일본인교육의 장소로서 정착해서 있었는데」라고, 깊기 때문 숨을 돌렸다. /김·【스헤】기자, 김민【구】기자
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(한국 일보2001.2.19)위안 「위안부」 「서로 나누어 가지기의 집」게이(慧) 마코토(眞) 승려성 관계를 고백 「2명의 여성과 관계 원장사임」
전(元)「위안부」이었던 여성이 재주하고 있는 「서로 나누어 가지기의 집」의 원장, 게이(慧) 마코토(眞)(36세)승려가, 자신의 여성문제를 이유로 원장직장을 사임했다.
17일, 게이(慧) 마코토(眞) 승려는, 「양심고백」의 기자회견에 있어서, 「1997년, 두사람의 여성과 성관계를 가졌다」라고 말한 뒤에서, 「종교인이며 「위안부」【하루모니】를 지원하는 활동을 하는 사람으로서 책임을 통감한다. 서로 나누어 가지기의 집의 원장직장을 사임하고,또 일절의 사회활동을 중단한다」라고 말했다. 그의 「양심선언」은, 이 두사람의 여성 가운데 한사람이 최근, 한국성 폭력상담소에 상담을 의뢰한 것을 받아서 행하여졌다고 전해지고 있다.
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(중앙일보01년2월19일 사회면)종군 위안부 휴식의 장소의 원장인 승려/스캔들에 관련되어서 승직이탈 선언
종군 위안부【하루모니】들이 모여 사는 경기도(京畿道) 광저우의 『【나누무】의 집』원장인 게이(慧) 마코토(眞)(【헤진】, 35·속명:【페】·욘 길)사가 17일에 원장직장의 사임과 승적으로부터의 이탈을 선언했다.
게이(慧) 마코토(眞)사는 기자회견을 스스로 자진해서 열기, 「【나누무】의 집의 사업을 하는 가운데에서 1997년에 서로 안 A씨 (44)등, 두사람의 여성과 성관계를 가지고 왔다」라고 해서 「종교자,및 위안부【하루모니】를 돕는 일을 해 온 사람으로서 책임을 통감하고, 이렇게 결심했다」라고 함께 이야기 했다. /손자【민호】기자
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(동아일보01년2월19일 사회면) 『【나누무】의 집』원장의 게이(慧) 마코토(眞)사/여성두사람과의 성관계를 고백해 물의
일본군위안부 피해자【하루모니】와 함께 9년남짓을 생활해 온 경기 광저우군 『【나누무】의 집』원장의 게이(慧) 마코토(眞)사가, 17일에 여성문제에 의한 양심고백 기자회견을 열리고, 원장직장사임과 승적이탈의 의지를 밝혔다.
게이(慧) 마코토(眞)사는 이날의 오전에 서울 종로구(鍾路區) 인사동(仁寺洞)에 있는 모 카페에서 열린 기자회견에서 「97년에 두사람의 여성과 성관계를 가졌다」라고 해서 「종교자,및 위안부【하루모니】를 돕는 일을 해 온 사람으로서 책임을 통감하고, 【나누무】의 집원장을 사임하고, 일절의 사회적 활동을 중단한다」라고 함께 이야기 했다.
여성두사람 가운데의 한사람은 97년 당시, 게이(慧) 마코토(眞)사가 운영하고 있었던 『【나누무】의 집』에 근무하고 있었던 것이 밝혀졌다.
이것에 대해서 한국성 폭력상담소, 여성국민벗회, 여성의 전화등의 여성단체는 「사건의 재발 방지 때문에, 20일에 진상 조사위(委)를 마련한다」라고 밝혔다. /서(徐) 연아 기자
*은 らだ주──기사중의 성폭력상담소는, 성폭력범죄의 처벌 및 피해자보호 등에 관한 법률=제정 94.1.5법률 제4702호=에 규정되고 있는 기관. 또 기사중의 「여성의 전화」단체는 정대協의 구성 단체.
****************추기(2001.3.20)이상의 정보의 뒤 「긴급한 보고 2001년3월9일 【나누무】의 집역사관 후원회사무국」이 드디어 내놓고 있습니다.
그것에 의하면 ──
▼2월17일, 「【나누무】의 집」원장·【헤진】씨가 「양심고백」이라고 하는 형의 기자회견 97년에 관계가 있었던 것등을 여성(【나누무】의 집·전(元)직원, 2000년12월 31일자 해고)이 「성폭력상담소」에 상담 「양심고백」에 이른 동기나 그동안의 경위를 말하고, 책임을 통감해 참회
▼2월20일, 한국의 민간단체에서의 「진상 조사 위원회」대한 불교 소(曹)溪종에서도, 내부감사중
▼사회복지법인·대한 불교 소(曹)溪종 「【나누무】의 집」은 3월7일, 이사회에서 【헤진】씨의 사임 수리 후임으로서 【눈관】씨 임명. 복지학을 공부한 비구니
「일어나기 위해 해서 일어났다」 ──내부에서 비판
── 이 【나누메치푸】활동 안(속)에서 일으킨 【헤진】사건에 대해서, 야마시타(山下) 에이(英) 아이(愛) (이나 늘어났다 ·よ 얻어)씨가, 「전쟁 책임연구」에 이회 연재한, 한국의 「위안부」운동 논고의 안에서 「운동 권」의 대응만과 정대協의 「침묵」에 대해서 포고, 「운동」에 내재하는 문제를 논하고 있다.
▽한국에 있어서의 「위안부」문제해결 운동의 위상──80-90년대의 성폭력운동과의 관련으로 위·아래 야마시타(山下) 에이(英) 아이(愛) (이나 늘어난 よ 얻고, 브리티시컬럼비아(British Columbia) 대학 아시아연구소 객원연구원) 「계간전쟁 책임연구」 34·35, 2001겨울-02봄, 일본의 전쟁 책임 연구센터이하에 머리말 부분을 인용 해 드린다 ------ 처음에 올해 (2001년)의 처음, 한국의 전(元)「위안부」들의 공동 거주 시설인 「【나누무】의 집」의 원장(【헤진】승)이, 동(同)시설의 여성 스탭들에 대하여 성폭력을 다녀 왔다고 하는 사실이 피해자의 한사람에 의해 밝혀졌다. 일본군의 성폭력문제에 대한 사실구명과 사죄·개인배상을 추구해서 싸워 온 운동 안(속)에서 일어난 사건인 것 만큼, 내외의 운동 관계자를 포함시켜서 많은 사람들이 충격을 받았을 것이다.
필자는 지금까지, 한국의 「위안부」문제해결 운동 (이하, 「위안부」운동)에 직접 관계이면서, 이 운동이 내포하고 있는 민족주의적 경향과 그 언설에 포함된 문제점에 대해서 여성학적 시점에서 지적해 왔다. 이러한 관점에서 말하면, 이러한 사건이 일어난 것은 기상 천외한 것이 아니고, 오히려 일어나기 위해 해서 일어났다고 말할 수 있다.
이 사건이 폭로된 후, 소위 【네티즌】(인터넷과 【시티즌】의 합성어)들에 의한 사이버상의 논의가 오코시(起) 요령 테, 그 의견의 대부분은, 다른 성폭력사건에 대한 일반여론의 반응과 동일하게, 가해자를 옹호해 피해자를 비난하는 경향을 가리켰다. 그러나, 필자가 그 이상으로 낙담시켜진 것은, 「위안부」운동의 주체들이, 이 사건의 진상구명과 해결을 위한 적극적인 행동을 취하지 못했던 것에 대하여다. (주)그것은 적절히 「위안부」운동의 성폭력적 시점의 취약함을 내보이는 것이었다라고 말할 수 있자.
한국에서 「위안부」適動이 일어난 90년대는, 국내의 성폭력운동이 급속한 진전을 이룩한 시기이기도 한다. 그러한 것부터, 같은 성폭력문제가 뿌리에 있는 「위안부」운동은, 그 성폭력운동의 고조라고 하나로 통일하면 생각되는 경향이 있었다. 그러나, 「위안부」운동은, 커 보면 성폭력운동의 흐름 안(속)에 있다고는 해도, 운동에 나타난 「위안부」인식이나 독특한 민족운동적 성격에 의해 특이한 존재다라고도 말할 수 있다. …거의 (주생략…. 정대協은, 개인 수준에서는 몇 명이 적극적으로 대전했지만, 조직으로서는 이 사건에 대해서 일체 코멘트 하지 않고, 진상 조사에도 합류하지 않았다. )
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운동의 입장상의 논리?
→【나누무】의 집 「역사관」후원회(일본)── 「…【나누무】의 집에서 【하루모니】들의 돌보기 위해서 당초 【보란테이아】에서 맡기 시작한 불안정한 입장의 여성과 원장으로 인권활동가인 【헤진】씨의 사이에는 「입장의 차이」가 있어, 「폭력이나 명확한 강압은 없었다」라고도, 유혹이 있었을 경우, 거절하기 어렵다라고 하는 상황이 있는 듯이 생각합니다. 」 ──인용
「인권활동가」의 「인권」활동 바로 그것의 【에세】만이야말로가 문제인 것이 아닐까? 「위안부」피해자에의 대응 자체가, 지도자의 「지배하」에 있어서 「힘」을 일을 시킨 운동이 아닌 것인가? 이라고 하는 자성의 시점은 완전히 여기에는 보이지 않는다. 개인의 「입장」의 비교등 하고 있을 경우가 아니다. 그 논리와 자세에, 운동의 문제가 있다. 야마시타(山下) 에이(英) 아이(愛)씨의 「일어나기 위해 해서 …」의 지적은, 한국에서 「위안부」지원이라고 칭하는 운동의, 피해자도 입장의 형편대로로 「적」으로 되게 하는 문제성에 적합하고 있는 것에, 무자각한 것이다.
그건 그렇고, 【나누무】의 집운동이나 정대協을 단지 맹신하는 일본의 운동의 질도, 대부분 동종 같은 뿌리라고 말할 수 있을 것이다. 「후원회」호소인의 사람들에게는, 예의 책임자처벌·침묵의 타파를 소리높여 노래한 「여성국제전범법정」의 주최·추진자들도 많지만, 이 건(件)에 관한 「견해」는 들리지 않는다. 사정이 있는 것일 것이다, 침묵하고 있다.
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