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イギリス人旅行家(女性)の見た李氏朝鮮時代の女性
李氏朝鮮時代の女性は、異常なまでに男性と隔離され家に閉じこもっていた。
「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫)
朝鮮の女性の地位
朝鮮の下層階級の女性は粗野で礼儀を知らず、日本のおなじ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそほど遠い。着ているものは汚れ放題で、夜遅くまで休みなく洗濯をするのは自分たちでも、きれいな衣服を着るのは男の専売特許と言わんばかりである。どこの小川のほとりでも平らな石の上にしやがんでいる洗濯女がいて、洗濯物を水につけたり、固くしぼって石の上に置きへらでたたいたり、灰汁にひたしたりしている。洗濯物は天日にさらされて白くなり、また薄く糊づけされるが、その前に木の捧に巻いて「洗濯棒(砧=きぬた)」で長時間たたくので、なんでもない白もめんがくたびれた白い繻子(しゅす=サテン)のようなつやを帯び、まぶしいほどのその白さはマルコによる福音書の変容の章にある衣服についてのことば、「それはこの世の布さらしではできないほどの白さであった」をいつもわたしに思い出させる。このように白服を着ることは女性に重労働を課し、綿入れの白服を着る冬はとくにそれがひどい。
(中略)
朝鮮女性の地位の現状を推しはかるのはじつにむずかしい。完全に蟄居するのが上流階級では厳然としたルールなのである。女性には専用の敷地と住まいがあり、男性用の住まいの窓はその方向に開いてはいけないことになっている。客も訪ねた家の女性についてはいっさい言及してはならない。元気かどうか尋ねるなどもってのほかで、女性はいないと考えるのが礼儀なのである。女性は教育を受けず、どの階級においてもきわめて下位に見なされている。朝鮮人男性は女性とは当然男性より劣ったものだという、ある種一元的な哲学を持っている。学校時代に『童蒙先習』、『十八史略』、『小学』でこういった見方を植えつけられ、おとなの男たちとつきあうようになると、それがますます強化されるわけである。
女性の蟄居は500年前、社会腐敗がひどかった時代に家族を保護するために現王朝が導入した。それがおそらく今日までずっとつづいてきたのは、ある朝鮮人がヒーバー・ジョーンズ氏に率直に語っているように、男が自分の妻を信頼しないからではなく、都市社会と上流階級の風紀が想像を絶するほどに乱れ、男どうしが信頼し合えなかったからである。かくして下層階級をのぞき、女性は老いも若きもすぺてが法よりもつよいカを持つしきたりにより、家の奥に隠されている。夜間にしかるべく身を覆って出かけるか、どうしてもという場合にぴったりと扉や窓を閉ざした輿(こし)に乗って旅行したり人を訪ねたりするのが、中流以上の朝鮮女牲にとっては唯一の「外出」で、下層階級の女性が外出するのはもっぱら働くためである。暗殺された王妃(閔妃)はわたしが朝鮮国内を旅行していることをそれとなく指して、自身は朝鮮のどこも見たことがなく、ソウルすらコドゥン(国王の行幸)で通るところ以外なにも知らないと語っていた。
ダレ神父(「朝鮮教会史序論」の著者)によれば、故意と偶然のいかんによらず、よその男と手が触れ合っただけでも、娘は父親に、妻は夫に殺され、自害する女性すらいたという。またごく最近の例では、ある下女が女主人が火事に遭ったのに助けだそうとはしなかった。その理由は、どさくさのなかでどこかの男性が女主人にさわった、そんな女性は助けるに値しないというのである!
法律も女性の住まいまでは及ばない。自分の妻の部屋に隠れている貴人は謀叛罪の場合をのぞき捕えることができない。また家の屋根を直す際には、隣家の女性が目に触れないともかぎらないので、あらかじめ近所に修理する旨を知らせなければならない。7歳で男女はべつべつになり、女の子は厳しく奥にこもらされて結婚前は父親と兄弟以外、また結婚後は実家と嫁ぎ先の親族以外、男性にはまったく会えなくなる。女の子は極貧層でもみごとに隠れており、朝鮮をある程度広く旅行したわたしでも、6歳以上とおぼしき少女には、女性の住まいで物憂げにうろうろしている少女たちを除き、一人も出会ったことがない。したがって。若い女性の存在が社会にあたえる華やぎはこの国にはないのである。
とはいえ、女たちがこのシステムのもとでくよくよしたり、西洋人女性が享受しているような自由を求めたりしているかというと、まったくそんなことはない。蟄居は何世紀もつづいている慣習なのである。自由という概念は危険で、当の女性たちは自分たちは貴重な財産だからしっかり守られているのだと考えているのではなかろうか。ある聡明な女性に自由に外出できる西洋の慣習をどう思うか執拗に尋ねたところ、「あなた方はご主人からあまり大切にされていないと思う」が答えであった!
(中略)
上流階級の女性は朝鮮固有の文字が読めるものの、読み書きのできる朝鮮女性は1000人にひとりと推定されている。概して中国から入ってきた考え方のようであるが、鬼神に関する民間信仰、男性が受ける教育、文盲、法的権利のなさ、慣習の根づよさが重なって、開化国でありながらも女性の地位を末開国並みに低くしてしまっている。
(中略)
朝鮮人には家はあっても家庭はないのである。夫は別個に暮らし、社交や家の外の関心事といった共通のきずながない。夫の遊興の仲間や相手は同性の友人知人や妓生(キーセン)で、その夫婦関係はある朝鮮紳士がわたしに語った「娶(めと)るのは妻、惚れているのは妾」という簡潔なことばに要約される。
Link 映画「侵略」上映委員会 / 日本の朝鮮侵略展
イザベラ・バードが朝鮮を訪れた20年後、日本統治下の朝鮮では女学生がデモ行進を行えるまでに解放されていた。(笑) 儒教体制の李朝支配下では想像すらできなかったことである。日本の朝鮮統治は女性の社会進出や地位向上に大きな貢献をしたといえるだろう。
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