http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090814/20090814_0001.shtml
【あの時代 韓国発 日本統治と私】<7>収奪論 近代化論
2009年08月14日 14:00
日本の朝鮮統治時代(1910-45年)に対する評価は、土地や言語、氏名を奪われたとする「植民地収奪論」が韓国では一般的だ。一方、学校や鉄道、土地の整備により資本主義化を進めたとする「近代化論」も、少数だが公然と主張され始めた。それぞれの立場を論じる歴史学者に聞いた。
× ×
●収奪論 戦争激化で「民族同化」 延世大研究教授 辛 珠柏氏(46)
延世大教授 辛珠柏氏
‐日本の「歴史歪曲(わいきょく)」に対抗して日中韓の学者が近現代史をつづった「未来をひらく歴史」(2005年)の執筆者にもなったが。
「まず学者として、過去の植民地支配を善か悪かで判断する態度は取らない。しかし、客観的な評価としては、私は収奪論に近い立場だ。資本主義による植民地支配は、収奪を前提にした支配構造であることを忘れてはいけない」
「収奪の代表的なものは、統治初期の土地調査事業(1910-18年)による土地没収、統治後期の創氏改名や徴用・徴兵(40年代)などだ。お金に換算できない人権など普遍的な価値が奪われたことも大きい」
‐近代化論者によれば、日本統治時代に朝鮮の人口は2倍、小学校数は4倍、年平均経済成長は3・7%(当時の先進国平均1%)になった。
「そうした数字は正しいだろう。ただし、日本なしでもいつかは達成できた数字だ。私はまた、土地調査事業による所有権と資産価値の明確化で金融が発達した、という指摘も否定しない。しかし、それは副次的な効果であって、土地調査は農業の基本である土地の支配体制を確立するために行った。土地の所有権を法的に確立し売買する仕組みは、資本主義が発展する過程で不可避な選択だ。韓国自らがすべきことを、支配した日本が先行して行った」
‐統治目的の一つが朝鮮人の差別・抑圧であるならば、日本人と区別がつかなくなる創氏改名や日本語教育はしない、との見方がある。
「その民族同化策こそ、英仏の植民地支配と決定的な違いだ。しかし創氏改名に日本の警察が治安面から反対したように、日本は初めは同化政策は採らなかった。40年になり創氏改名に踏み切ったのは、同化策を積極的に進めなければならない状況になったからだ。すなわち、日中戦争(37年-)や来るべき太平洋戦争(41年-)に朝鮮人が必要になった。これが内鮮一体や皇国臣民を叫んだ同化策の本質だ」
‐朝鮮人への徴兵制適用(徴兵検査開始)が、44年と遅かった理由は。
「一般に、植民地の軍人に武器を与えて軍事訓練をさせることは、支配者側から見れば相手に最高の信頼感を持って初めてできる。また自国の軍隊に入れるには、日本語や日本文化をかなり習得していないと都合が悪い。そういう意味では、朝鮮人に対する日本の信頼感は不足していた」
‐最後に。
「当時の大韓帝国(末期の李氏朝鮮)は経済的にも軍事的にも国家と呼べないほど疲弊していた。しかし問題は韓国人が、自国がなぜそんな状況に陥り日本に支配されたか、今も分析的な反省ができていないことにある。大韓帝国が日韓併合前から日本に武装解除された経緯や、日本にとって朝鮮半島は東アジアを掌握する上で必要不可欠だった点をよく理解できていない」
「もちろん、反省が足りないことが日本統治の正当化につながらないことは、強く主張しておきたい」
●近代化論 見せた自らの積極姿勢 ソウル大名誉教授 安 秉直氏(73)
ソウル大名誉教授 安秉直氏
‐近代化論は韓国ではいわばタブーだったが、ここ数年は門下にあたるソウル大教授らの研究結果がメディアなどで取り上げられている。
「まず理解してほしいのは、私たち研究グループは、日本の植民地支配で収奪など一切なかった、と言っているわけではないことだ。あの時代を客観的なデータを基に分析し、再評価すべきはしようとしている」
「今までの収奪論では、あの時代の朝鮮人はすべて受け身で何もかも奪い取られる対象でしかなかったかのごときだが、それは事実ではない。一番言いたいことは、朝鮮人は日本の支配を受けながらも、自ら積極的に近代化‐社会制度づくりに参加したことだ」
‐例えば。
「残された工業リストで工場数を分析すると、日韓併合当時は日本人経営が圧倒的に多かったが、45年時点では中小企業に限れば3分の2を朝鮮人経営で占めている。私たちを批判する人たちは、これを『日帝の恩恵』などというが間違いだ。朝鮮人が自分の手で工場を起こし、自ら近代化のために働いたのだ」
「朝鮮では、学校舎の整備など近代的な教育は植民地時代に始まった。そこには日本人の子供もいたが、小学生の90%以上は朝鮮の子供たちだった。親たちは進んで教育を受けさせようとした。収奪の対象にしかなっていないというのなら、そんなことはできない」
‐しかし例えば土地調査事業で、「自分の土地なら手を挙げなさい」と呼び掛け、所有権が不明なら日本が接収したのは事実だ。
「誤解がある。当時から朝鮮人の土地所有権意識はとても強かった。自分の土地であるのに、手を挙げないことはあり得ないので、日本が接収したのは本当に誰の土地か分からないものだけだったはずだ」
「また確かに日本は最終的に朝鮮の耕地の約20%を持つようになったが、それは荒れ地を買い取り開墾したものがほとんどだ。併合当時は5%くらいだった。河川沿いの豊かな平野に目を付け、買い取っていった。もちろん収奪がゼロだったとは誰も言い切れないが」
‐創氏改名をどうとらえるか。
「朝鮮人という存在をなくしてすべて日本人化するという政策に違いはない。日本が創氏改名で民族同化を図ったのは、やはり戦争が密接に関係していた」
「世界を支配するには日本の人口は少なすぎた。ある日本人研究者によれば、戦争を完遂するために『助けてくれ』という気持ちで、一部の反対論を押し切って創氏改名を行ったという。しかし、そうは言っても朝鮮人からみれば、朝鮮人として生き残りたいという気持ちがあるのは当然だ。徴用・徴兵は収奪という以外にない」
‐今後の日韓関係は。
「当時、個別事案で収奪があったにしろなかったにしろ、収奪論ばかりを強調することが、今後の韓国にとって何のメリットになるというのだろうか。科学的に検証し、韓日両国は協力し合うべきだ」
=2009/08/14付 西日本新聞朝刊=
No comments:
Post a Comment