java

Sunday, July 8, 2012

Han River flows into the Seoul castle,texas prostitution village in korean peninsula

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1850618615&owner_id=686116

texas prostitution village in korean peninsula
朝鮮半島の売春婦、テキサス村


従軍慰安婦問題 - 安秉直(否定派)





従軍慰安婦問題 - 秦郁彦2/3(否定派)

안병직 (安秉直 Pr. Anh Byonjik 安秉直 Emeritus Professor in Seoul University (アン・ビョンジク、1936年6月28日 - ) は韓国の経済史学者。 ソウル大学名誉教授[1]。 1987年に李大根と落星台経済研究所を創設したことでも知られている[1]。ニューライト財団の創立者。慶尚南道咸安出身。
in South Korea there has a lot of private prostitution dens, a number of comfort women. we should study whether such phenomena happen the reason. No such phenomenon is not caused by force. First,i thought also there was forced mobilization, studied of survey in collaboration with "Korean Council for women drafted for military Sexual slavery by Japan", however i quitted up in three years. Korean Council for women drafted for military Sexual slavery by Japan
韓国挺身問題対策協議会 한국정신대문제대책협의회

 ソウル大学名誉教授 韓国には私娼窟があり、慰安婦が多数いる。そのような現象がなぜ起きるのかを研究すべきだ。 強制によってそうした現象が起こるわけではない。私も最初は強制動員があったと考え、韓国挺身問題対策協議会と共同で調査を行ったが、3年でやめた。
following various story, there was many prostitutes for a long time in Korean Peninsula.  Yun Chung-Ok 윤정옥(尹貞玉, 1925년 ~ )은 대한민국의 여성운동가이다. quotes from the book, "seen from Korean women", the issue of comfort women" p131
Prostitution in Korean society
there had various prostitution forms existed for a long time in Korea society. in the upper class existed Kisaen system that was said had been introduced from China to Goryo dynasty, the system had been continued until introduced state-regulated prostitution by Japan.
originally Kisaeng system was to hire official Kisaen as slaves in charge of arts such as song and dance ,sewing, and medical care in royal court, however they were said that doubled with the sexual service to officers or local soldiers following down the history.


Kisaeng 기녀 ,Gisaeng was called by her class, Irupe 一牌、Ipe 二牌、Sampe 三牌, 1th tier haengsu 行首 2th tier seonsang 選上 3th tier samsu 三首

以下、朝鮮半島には昔から売春婦がいました、という話いろいろ。 尹 貞玉『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」』p131 朝鮮社会の売買春 朝鮮社会にも昔から様々な形の売買春が存在した。 上流階級では高麗時代に中国から伝わったといわれる妓女制度があり、日本によって公娼制度が導入されるまで続いた。 妓女制度はもともと宮中の医療や裁縫、歌舞などの技芸を担当する女卑として妓女(官妓)を雇用する制度であったが、時代が下るにつれて官史や辺境の軍人たちの性的奉仕を兼ねるようになったといわれている。 (中略) 近代の朝鮮には妓生を含めて一牌、二牌、三牌と呼ばれる売春婦が存在した。 黄文雄『韓国は日本がつくった』142pより 唐以後の朝鮮半島の歴史には、半島の人間は大陸の諸民族に強制連行されることがしばしばあった。今日に至っても、韓国での誘拐事件はじつに多い。 黄文雄『従軍慰安婦問題』98pより 中韓関係史から見ると、韓国は古代から中華帝国歴代王朝への貢女の献上地でした。また統一新羅の時代からは、唐軍に強制連行された高句麗、百済人には婦女子が多く、彼女たちは奴婢、もしくは官妓、営妓、私妓となりました。  詳しくは…↓ 中国に献上しなければならなかった 「人間の献上品」こと貢女 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1804181460&owner_id=686116 「からゆきさん」森崎和江 p80 ウラジオには朝鮮人が住むところがありそこにも娼街があった。 朝鮮の国境の人々も日本のからゆきのように、ロシアや清国の領土へと流れ出ていたのである。朝鮮人の遊び人と日本人博徒が、なわばりを争うようなこともあった。 日韓併合前の日本人慰留地、釜山では、「日本人に抱かれた娼婦は死刑」というルールがあったそうです。(からゆきさんP119) Han River flows into the Seoul court 「ソウル城下に漢江は流れる」p16 レビュー ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話 4.50点 ( 2人中) 1987 平凡社 林 鐘国, 朴 海錫, 姜 徳相


客人として地方の有力者の家で一夜を過ごす場合、泊る客人の身分にもよるが、たいてい食事の世話をするのは饌婢と呼ばれるはしためである。接客する方も夜伽を差し出さねばすまないほどの高貴な客が来訪すると ー むかし朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添寝させる風習があって、これを客妾といった ー どんな大監であっても、夫人とか娘を客に供し、かの女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。 「朝鮮雑記」 朝鮮では金さえ投じれば、(朝鮮人の夫が)妻や妾を客の枕席に侍らさせる。これは亭主との話し合いの上のことである。 かの国(朝鮮)の娼妓はすべて人の妻妾である。人の妻妾でないものは娼妓ではない。そしてその夫たる者はすべて娼妓から貰うのである。夫は自らの妻のために客を曳き、また自ら馬となり揚代(売春の代金)の請求に来るのである 「世界の婦人」 朝鮮では夫婦の間に精神的愛情はなく、男子は婦人をもって、ただ繁殖する機械と信じている。


メモ
古くから朝鮮では客に自分の妻や娘を差し出す風習があった。 朝鮮の男性は金を貰っては自分の妻に売春をさせていた。 つまり日韓併合前は、 朝鮮人女性=ほぼすべてが売春婦だった。 「朝日新聞が報道した、日韓併合の真実」p53 「テキサス村」 テキサス村とは、韓国での米軍人相手の慰安所である。 しかもこの慰安所は民間ではなく韓国政府が管理していた。 その後、2009年1月8日にニューヨークタイムズ紙は「韓国は在韓米軍に慰安婦を提供していた」との記事を掲載した。 記事の中で「韓国自体の歴史を厳しい目で検証せずに日本から賠償を求めるのは偽善だと、歴代韓国政府を非難している」 「韓国政府は、米軍相手の大手売春斡旋業者でした」などと、レポートを裏付ける女性たちの証言が列記されている。 だが朝日新聞はこのことを一行も報じていない。 「朝鮮版」と同様、社の方針に都合が悪いことはなかったことにするのだろうか。 p67 「テキサス村」とは、当時(朝鮮戦争)、韓国の米軍基地 東豆川に韓国人慰安婦がいて、韓国の保健所で週1回検診を受け、検査済みの健康保険カードを提示して、米兵に肉体を提供していたことを示している。 そこで「仕事」をしていた女性たちは、米兵のために喜んで「自発的意思」で「従軍慰安婦」になったのであろうか。 筆者には日本軍のための「慰安所」と米軍のための「テキサス村」の違いがわからない。 もっと言えば、GHQ占領下の横浜、小倉、大阪などに設置された「慰安所」にも米国は(日本へ)謝罪するのだろうか。






 【週刊新潮】 韓国は在韓米軍に「慰安婦(売春婦)」を提供していた …ニューヨーク・タイムズが1面で報じるも朝日新聞は黙殺★2[1/15](1001) 1 ニライカナイφ ★ 2009/01/15(木) 17:02:42 ID:??? ◆「韓国」は在韓米軍に「慰安婦」を提供していた! ロクな調査もせずに発表された時の官房長官談話によって、 今でも韓国から非難され、謝罪を要求され続けている旧日本軍の「従軍慰安婦」問題。 が、ここにきて、その韓国政府自らが、かって在韓米軍に「慰安婦」を積極的に提供していたとの証言が飛び出した。 <元売春婦らが、韓国と米国が基地付近の売春を可能にしたと述べる>――。 今月8日、米紙『ニューヨーク・タイムズ』が、こんな見出しの記事を掲載した。 同じ記事は同紙傘下の『ヘラルド・トリビューン』紙翌日付にも掲載されているが、いずれも国際面と1面で半分近くの分量を割いた記事だ。 執筆者は、両紙のソウル特派員である崔相薫(チエ・サンフン)。 <韓国は長年にわたって、旧日本軍向け売春施設で韓国やその他の地域の女性が働かされていた戦時下の最も醜い歴史の一章、いわゆる従軍慰安婦問題について、日本政府がその責任範囲を曖昧にしていることを厳しく批判してきた> という書き出しの後 、記事はこう続いている。 <そしていま、今度は、韓国の元売春婦グループが、北朝鮮から韓国を防衛していた米軍兵士を相手に、自分たちにセックスをするよう奨励するという、別種の虐待を行なったとして、自国の元指導者を告発した。彼女たちはまた、韓国の歴代政権および米軍が、1960年代から1980年代にかけてセックスビジネスに直接かかわり米軍兵士が性病に罹らないように売春が行なわれるよう、性病検査および治療体制を共に構築したとして、利用者を告発している> <これらの女性たちは、(中略)韓国自体の歴史を厳しい目で検証することをせずに日本からの賠償を求めるのは偽善だと、歴代韓国政府を非難している> そして崔記者は実際に米兵士相手の「慰安婦」だったという金愛蘭(キム・エラン)さん(58)に取材し、<韓国政府は、米軍相手の大手売春斡旋業者でした>という指摘や<政府はGI相手にできるだけたくさん商売するよう熱心に奨励し、私たちを“ドルを稼ぐ愛国者”として賞賛したのです>との悲痛な訴えを引き出し、さらに、他にも7名の元「慰安婦」らに取材した結果、<米韓当局は、番号札を用いて女性を識別し、兵士達がセックスの相手をより容易に見分けられるよう、売春宿に番号札の着用を強要していたと女性たちは述べる><性病に感染していると見なされた売春婦たちを韓国警察が連行し、女性たちによれば、窓に鉄格子がはまったいわゆる“モンキーハウス”と呼ばれる監視施設に監禁したという。この施設で、売春婦らは性病が治癒するまで治療を受けることを 強要されたという>などの証言も得られた。 同紙が独自に韓国および米国の公文書を調査した結果、 <これら公文書の中に、女性たちの主張の多くを裏付けるものが見つかった> <韓国では売春は違法であるにもかかわらず、基地付近での売春を韓国も米軍も容認していた、何十年にもわたり明らかであった>とも指摘。 この後、記事は元韓国政府の役人、内務省副大臣らの過去の証言、それに研究者らの解説も載せ、最後に、<名字だけを公表するという条件で取材に応じてくれたジョンさん(71)>の、こんな叫びで締め括っている。 <自分の人生について考えれば考えるほど、私のような女性は、わが国と米国との同盟関係の最大の犠牲者だという気持ちが強くなってきます。振り返ってみれば、私の身体は私のものではなく、韓国政府、そして米軍のものであったと思います> 当事者の証言や関係者の取材、そして独自調査も踏まえた、なかなか読み応えのあるスクープ記事なのだ。 ▼ソース:週刊新潮1月22日号(P30~31)を記者がテキスト起こし。 記事は引用したものです。全文は当該誌にてご確認下さい。 http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?tname=exc_board_14&uid=4699&fid=4699&thread=1000000&idx=1&page=1&number=2864 客観的に見た併合前の朝鮮人女性 koyoi 2010/08/15 1,643 0 日韓併合により朝鮮半島が近代化する前、 韓国の女性はどういう地位にいたのでしょうか。 そのことについて調べてみました。 「ソウル城下に漢江は流れる」 より 昔朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添い寝させる風習があって、これを客妾といった。 どんな大監(正二品以上の高官)であっても、夫人とか娘を客に供し、彼女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。 朝鮮雑記より 朝鮮では金さえ投じれば、(朝鮮人の夫が)妻や妾を客の枕席に侍らさせる。これは亭主との話し合いの上のことである。 朝鮮雑記 より かの国(朝鮮)の娼妓はすべて人の妻妾である。人の妻妾でないものは娼妓ではない。そしてその夫たる者はすべて娼妓から貰うのである。夫は自らの妻のために客を曳き、また自ら馬となり揚代(売春の代金)の請求に来るのである。 世界の婦人 朝鮮では夫婦の間に精神的愛情はなく、男子は婦人をもって、ただ繁殖する機械と信じている。 これらの資料から次のことが分かります。 古くから朝鮮では客に自分の妻や娘を差し出す風習があった。 朝鮮の男性は金を貰っては自分の妻に売春をさせていた。     つまり日韓併合前は 朝鮮人女性=ほぼすべてが売春婦 だったのですね。



한일합방에 의해 한반도가 근대화 하기 전, 한국의 여성은 어떤 지위에 있었는지요. 그것에 대해 조사해 보았습니다. 「서울 성벽아래에 한강은 흐른다」보다 옛날 조선에서는 한때, 빈객이 방문하면 딸(아가씨)나 첩을 내밀어 곁잠 시키는 풍습이 있고, 이것을 객 첩이라고 했다. 어떤 대감(쇼우지품 이상의 고관)이어도, 부인이라든지 딸(아가씨)를 손님에게 제공해, 그녀들은 각각 독자적인 방법으로 상대를 근무한 것이다. 조선 잡기보다 조선에서는 금만 투자하면, (조선인의 남편이) 아내나 첩을 손님의 침석에 사무라이등 시킨다.이것은 주인과의 대화 후의 일로이다. 조선 잡기보다 인가의 나라(조선)의 창기는 모두 사람의 처첩이다.사람의 처첩이 아닌 것은 창기는 아니다.그리고 그 남편이라는 자는 모두 창기로부터 받는 것이다.남편은 스스로의 아내를 위해서 손님을 예 와, 또 스스로 말이 되어 화대(매춘의 대금)의 청구하러 오는 것이다. 세계의 부인 조선에서는 부부의 사이에 정신적 애정은 없고, 남자는 부인을 가지고, 단지 번식하는 기계라고 믿고 있다. 이러한 자료로부터 다음 일을 알 수 있습니다. 옛부터 조선에서는 손님에게자신의 아내나 딸(아가씨)를 보내는 풍습이 있었다. 조선의 남성은 돈을 받아 자신의 아내에게 매춘을 시키고 있었다. 즉 한일합방전은 조선인 여성=거의 모든 것이 매춘부 (이었)였군요. **mochi references 기생(妓生) 혹은 기녀(妓女) 一牌、二牌、三牌 일패, 이패, 삼패 구분 조선 말기에 기생은 일패, 이패, 삼패 세 부류로 나뉘었다. 일패 기생은 관에 소속된 관기로 양반기생이라고도 불리며, 조선말부터 생긴 옥당기생과 임금 앞에만 나가서 노래,춤을 하는 기생으로 예의범절에 밝고 일부는 남편이 있는 기생으로 몸을 함부로 하지 않으려고 하였다. 송도의 황진이, 부안의 이매창은 일패 기생으로 주로 선비들과 학문과 시조를 나누고 교분을 쌓던 인텔리들이다. 이패 기생은 '은근짜(隱君子)'로 불렸는데 관아나 재상집에 출입했고 암암리에 몸을 파는 밀매음을 하기도 했었다. 삼패 기생은 참녀로 몸을 파는 유녀라고 할 수 있다. [4]

from wikipedia Social position Throughout the Goryeo and Joseon periods, kisaeng held the status of cheonmin, the lowest rank of society. They shared this status with other entertainers, as well as butchers and slaves. Status was hereditary, so the children of a kisaeng were also of cheonmin status, and the daughters automatically became kisaeng as well.[1] Beginning in the Goryeo period, the governing offices in each district kept a registry of kisaeng, to ensure thorough oversight.[2] The same practice was followed for conscripted slaves. Kisaeng could only be released from their position if a hefty price was paid to the government; this could usually only be done by a wealthy patron, typically a high government official.[3] Many kisaeng were skilled in poetry, and numerous sijo composed by kisaeng have survived. These often reflect themes of heartache and parting, similar to poems composed by scholars in exile.[4] In addition, some of the most famous kisaeng poems were composed to persuade prominent scholars to spend the night.[5] Indeed, the sijo style came to be associated with kisaeng women, while women of yangban status focused on the gasa form.[6] Kisaeng attached to a local government office were known as gwan-gi, and their status was carefully differentiated from that of the common slaves also attached to the office. They were separately entered on the census rolls. The kisaeng were regarded as of significantly higher status than the slaves, although technically they were all of cheonmin rank.[7] In Korea's structured, hierarchical society, gisaeng were technically slaves. For this reason, they were sometimes spoken of as "possessing the body of the lower class but the mind of the aristocrat."[1] [edit]Career The career of most kisaeng was very short, generally peaking at age 16 or 17, and over by age 22.[8] Only a few kisaeng were able to maintain their business for very long beyond this time. It may be for this reason that the kisaeng training institutes accepted entrants as young as eight.[9] All kisaeng, even those who did not work as prostitute or entertainers, were obliged by law to retire at age 50. The best prospect most kisaeng had for long-term support was through becoming the concubine of a patron. However, even this was not an option unless their patron first purchased them from the state, which few men of the Joseon period could afford. Thus, most former kisaeng went on to work in or manage a local tavern.[10] In the later period of Joseon, a three-tiered system developed.[11] The highest tier was occupied by haengsu (행수,行首) who sang and danced at upper-class feasts. Haengsu kisaeng were not permitted to entertain after they turned thirty.[12] However, they could continue working in other duties, such as dressmaking and medicine, until the age of fifty.[13] They received guests only by choice. Most of the kisaeng of the court were of the haengsu tier, also called seonsang (선상,選上).[14] The haengsu kisaeng of each district also took charge of discipline and training new kisaeng. Kisaeng of the lowest tier were called samsu (삼수, 三首). The samsu were forbidden to perform the songs and dances of the haengsu.[15] The tiered system, like other aspects of Joseon class division, broke down in the late nineteenth century.[16] In the course of their careers, some kisaeng were able to amass considerable personal wealth. However, these were the exception. Kisaeng were required to meet their expenses, including food, clothes, and makeup, out of their own personal funds.[17] [edit]Becoming a kisaeng Young kisaeng receiving musical instruction, circa 1910. Women entered the kisaeng class through various paths. Some were the daughters of kisaeng, who inherited their mother's status. Others were sold into the gijeok by families who could not afford to support them.[18] Most such families were of cheonmin rank, but sometimes poor families of higher status sold their children in this fashion. On occasion, even women from the yangban aristocracy were made kisaeng, usually because they had violated the strict sexual mores of the Joseon period.[19] As kisaeng were skilled workers from the beginning, the government took an early interest in ensuring correct education. This first emerged with the establishment of gyobang, training institutes for palace kisaeng during the Goryeo period. During the Joseon period, this became further codified. Instruction focused on music and dance. In the three-tiered system of later Joseon, more specialized training schools were established for kisaeng of the first tier. The course of study lasted three years and covered poetry, dance, music, and art.[20] The most advanced such school was located in Pyongyang. This system continued well into the Japanese colonial period, during which time the schools training kisaeng were known as gwonbeon (권번). from wikipedia

No comments:

Post a Comment