半亡国における出世の近道 おっぱい大行進
2010/05/30 06:30
朝鮮では、役人はみな盗賊である。
ある外国人韓人に向かいて、貴邦官人は恣に人民の財貨を奪い去るを見れば官人は寧ろ公盗と称すべきものにあらずや、しかも官人の人民を苦しむること私盗に勝る・・・たとえ一身を犠牲として一官人を殺しうるもその後を襲うの韓人もまた盗賊なるを如何せんと・・・
In Korea, the officials are all thieves.
the foreigner asked toward Korean people that you officials take away people's good as seen that wanted to leave, then who should be referred as public officers rather than thefts.
Moreover, the government afflicts to people than the private thief.
even if you kill one bureaucrat with sacrifice yourself, later another korean thief would attack,what should you do with it.
収奪が烈しく、被支配民は生存限度レベルの貧しさ、緲たる掌大の半島国にも、上下3000年の歴史はあり、熟ら興亡治乱の跡を尋ぬるに・・・
上は帝王から下は庶民に至るまで、古来何ら一貫せる国是無く理想なし、隣国の侮慢的干渉をへること正に数十回に及ぶといえども、かつて国辱の何たるかを知らず、ただ大国に阿附媚従してその庇護を頼み姑息の小康に甘んじて自得愉悦す
その所謂政争なるものは、悉く人々相食む利欲の争いにして家国100年の大系に繋がるもの一もあることなく、朋党を構えて眦を決し牙を鳴らし、眼前寸尺の事を追って遑々たり、さればその民、権勢と虚栄を愛する事色食を好むよりも甚だしく
there is the vigorous exploitation, subject people is poverty the limit of survival level, in the peninsula country where the size of the faintly hand,past and present,the history of 3000 years is existed, however to study the the course and marks what the the country had raised or fallen.
the above from the Emperor until down to the common people, they have not have any the consistent national policy nor ideal in any way from ancient times.
Having the undergone insults and the arrogant interference to neighboring country, that has be done at dozens of times exactly,
however they don't know what the national disgrace at once,
they just flatter to great power nation, ask them for their asylum,resigned to the palliative well-being, and they have been in self-satisfaction.
all of so-called the political dispute, everything of them that were on bad terms with their relations eating each other for their own benefits,there has been nothing that leading to want to fight the self-interest of each other eat people phase entirely, leading to the future plan for the state of 100 years.
they forge the allied political party with laid the eyes, sounded the fangs flurry,hurried to follow that of their nose busily.
then the people love the vanity and the ascendancy, severe than prefer the libido.
they forge the allied political party with laid the eyes, sounded the fangs flurry,hurried to follow that of their nose busily.
then the people love the vanity and the ascendancy, severe than prefer the libido.
之が為には、あらゆる陰謀を尽くし、あらゆる知略を傾け、妖怪詭秘の探偵術を喜び百方苦肉の中傷離間を試みて已まず、従って面従腹背、反復常なく、口に道徳を唱えて胆裏に悪逆をつつみ、虚礼粉飾徒に形式の末に走りて精神を遺る。
殊に両班と称する遊食惰眠の一階級は、門閥を傘に権威を弄び暴斂誅求飽くことを知らず、民力年とともに疲弊して、国運益々衰残す韓国の上下が悉く極端なアナクロニズムの権化にして自己の利害を外にして、なんらの識見無く、節操無く、飄々として風と共に揚がり翩々として定まらざるは何人も周知するところ、連綿たる3千歳の歴史は、この無気力なる無節操なる、はた無定見なる国民によって編まれたる国辱の記録なり。
現代漢城の風雲と名士 緒言
併合前の朝鮮人は貧困にあえいでいたようですね。
おっ おっ おっパイが これは何かの間違いか。
絵を描く人もたまにはふざけて、いたずらしたくなるんでしょうか。
大きな覆被?を担いでいるので上流階級の女性たちでしょうか?
ソウル城下に漢江は流れる
外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった卑女たちは売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかった・・・・韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、
ものに引っ掛かっている年ごろの娘たちの遺棄死体があったといわれている。
局部に石や棒切れを差し込まれているのは、言うまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった・・・
朝鮮では、持ち主或いはその関係者が奴婢にどんなことをしようと殺してしまおうと自由。
罪に問われることは無かったようです。 『局部に石や棒を差し込まれて』なんて、蒋介石等のシナ人の軍閥がシナに渡った日本人を大殺戮した時にも腹を切り裂いて内臓を引っ張り出したり、眼を抉り取ったり、性器を切り取ったり棒を突っ込んだり。
そんな殺し方だったようですが。
まあ朝鮮には、持ち主が焼こうと煮ようと自由な物品としての奴隷が、いた。
そして、勝手気ままに、残忍な方法で私刑することもあり、それは罪にはならなかったということですね。
いつごろから朝鮮人はこんなことをやってるんでしょうかね。
百済の住民は小便飲んだり、ウンコを食べたり、人肉食をしたり。そんなことやってたんですかね?
一寸信じられませんが。そんな人達のために日本は大軍を出して、唐と戦ったんでしょうか?
娘は売春婦養成学校にやり、自分の息子の外性器を切り取って宦官をつくり、それを李朝の朝廷に貢納して出世の足しにしたということだし。
そんなことやってて、自称ですが 儒教の国。東方礼儀の国。温和な平和を愛する白衣の民族だそうですから。
どうにも埋めきれないものを感じますね。
ソウル城下に漢江は流れる
韓国には私有と官有の奴隷がいて、どちらも性的な慰安に供されていたようですね。
隣の国に奴隷制度があるといえば、誰がこれを信じようか。
しかし、韓国のことを調べてみると奴隷制度以外にも色々な新事実を発見する。
奴隷の身分は子々孫々引き継がれる
朝鮮雑記
日本には借金返済を保証する為の年季奉公というものがありましたが。年季奉公なわけで。
返し終われば自由の身。年季奉公期間中も人間としての扱いは受けたわけですが。
朝鮮では借金奴隷の制度があったようです。
年期は無期限・子々孫々に及ぶわけですから惨い制度ですね。
ちなみに、アメリカ合衆国の奴隷解放宣言は1862年だそうです。
もっとも解放を 宣言したからといって、奴隷を使役していた文化は簡単になくなりはしないでしょうが。
朝鮮雑記
韓国には役所所属の奴隷がいる
朝鮮雑記
朝鮮では金さえ出せば妻に売春をさせる。
朝鮮雑記
女子はその乳房を露出し労働階級の者は日光のために焼けて黒き茄子の様・・・
女子は乳房を顕し労働社会の者は日光のために焼けて黒き茄子のごとく・・・ 優なりというべからず
おやおや、
世界風俗史
昔朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添い寝させる風習があって、
これを客妾といった どんな大監(正二品以上の高官)であっても、夫人とか娘を客に供し、
彼女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。
へ~~ そーなんだ
昔と書いてるけど、1980年の出版ですから、併合前のことでしょうか。
併合後も続いていたんでしょうか。
ソウル城下に漢江は流れる p16
新興の旅館業が発達する以前の社会では、・・・宿泊施設を別として過客というものがあった。
金を持たない旅人が、一軒の人情厚い家を訪ねて一晩を過ごすことを指すのであるが、
原則として尋ねてきた過客は返さないのが慣習であった。
科挙客或いは壮元及第(科挙の文科主席合格)して帰路につく有識者たちは、
権門・権勢家や地方の素封家の大門をたたくこともあった。
このような大事な客が来ると、しばしば前述のように娘とか妾を床に入れることもあって、・・・・
なんだか格好をつけてますが、要は、朝鮮では客へのもてなしの1つとして、
客と主人が家族の女性を共有する文化があった。
素直に読むとそんな風にも取れますが、そういうことで良いんでしょうか。
ソウル城下に漢江は流れる p48
李朝の社会階級
両班 支配階級
中人
平民
七賤 商人・船夫・獄卒・逓夫・僧侶・白丁・巫者
奴婢 奴隷(主人の財産 贈与・相続・殺害・販売自由/子孫も奴隷)
壱岐や対馬・松浦あたりは何度も朝鮮人から略奪にあったようですが、
連れ去られた人たちは奴婢にされたんでしょうね。
ソウル城下に漢江は流れる p149
奴婢 公賤 官庁所属の奴隷 官庁所属の奴隷
(捕虜・犯罪人・逆賊の妻子)
私賤 伝来卑 正妻が連れてきた奴隷
買得卑 借金奴隷・新たに買い入れた奴隷
祖伝卑 相続した奴隷とその子供
個人所有の奴隷だけでなく、官庁所有の(性)奴隷もいたようです
ソウル城下に漢江は流れる p150
서울 미야시타에게 한강은 흐른다
奴隷の値段
清に敗北した当時 奴隷10人 牛・馬1頭(1638年頃)
東学党の乱当時 奴隷5人 牛1頭(ただし美貌の女奴隷が1人含まれること)
女奴隷1人 100両で売ったとの記事(1896年?現在の1万円未満)
300両で完全に良人の身分を買えたのだから大変な安さである。
韓国では、併合前には女(性)奴隷が一人1万円も出せば手に入ったんですね。
ソウル城下に漢江は流れる p158
서울 미야시타에게 한강은 흐른다 -한국 풍속역사
밤에 하는 이야기
美貌の女奴隷が含まれることが売買の条件ですか。
これは、あからさまに性奴隷ということでしょうか。
美女の性奴隷が産む子は美女の確率が高く、美女だと高く売れるんだろうし。
正に人間家畜ですね。
むかし中国に妾愛人を沢山抱えた大富豪がいて、彼女たちが妊娠すると堕胎させ
その児を石臼で挽いて食べたり、別途子供を買って食べたりしていたそうですが。
韓国でも
・『生肝取りが流行 癩患者の迷信から残虐な殺人をする朝鮮』名古屋新聞 1923年8月11日〔〕・愛知 【】
・『吾子の腹を割き生肝を夫に食はす/亭主の長患ひに/鮮女凶行後に自首』神戸新聞 1930年8月16日 〔7/6〕 足柄下郡・神奈川 【社会】
・2003年6月 人々は闇市で人肉を販売していることをみな知っている。公の場で言わないだけだ
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/06/03/20030603000053.html
今現在の北朝鮮での人肉食に関しては沢山本にもなっているし、
家族牧場というと微笑ましいのどかな様子が思われますが、
ところ変われば品変わる ということでしょうか。
朝鮮人の言葉を聴くと男女の別の厳格さは、孔孟も感服するようであるが、道徳は腐敗を極めており、外面を飾っているだけである。和姦・強姦驚くほど多い。
女用の輿に乗り、女装し、女の靴を使い偽装して女の部屋に乗り込む。
初対面の客と家族の女性を共有する文化があったということですから、そういう中での和姦とか強姦がどういうものか理解できませんが、ある韓国人によると、韓国には強姦された女性が加害男性に好意を持つという強姦神話なるものがあるんだそうです。
実際に、そういう例が身辺で沢山あるということでした。
また、家族内の娘を男親・兄弟・男の親類で強姦(?)するという事件も多いようです。
とても理解できませんが、人間家畜の文化が今も強く残っているということでしょうか。
そういえば、結婚前の女性を親族の男性が妊娠させて生産力を証明した後嫁に出すという、“試し腹”論争というものがあったような。
http://ameblo.jp/campanera/entry-10268716364.html
朝鮮雑記
朝鮮雑記
朝鮮の売春婦はすべて人の妻か妾である
妻妾で無いものは売春婦にはなれない。
夫は衣食を妻の売春に頼り、客を集め、売春料金の回収をする。
韓国の社会はこのようである。破廉恥極まる。
朝鮮雑記
婦その股間無尽の田を耕して夫を養う、これその夫に忠なるものか
朝鮮雑記
奴隷身分世襲の禁止
朝鮮の公私にわたる奴隷制度をドイツ領事ゼンブッシュが改めさせようと努力し、
井上角五郎も漢城週報紙上で禁止すべきと書いた。
そして、3月に奴隷身分の世襲廃止となったが、
結局効果はなかった。
漢城廻残夢 p51
下の『朝鮮の研究』は同じ朝鮮の奴隷制度を説明して矛盾するところがありますが、
『ソウル城下に漢江は流れる』 の出版は1986年(昭和61年) 著者は韓国人
『漢城廻残夢』 は、明治24年
『朝鮮の研究』 は明治44年
朝鮮の保護国化(大韓帝国)は明治38年
朝鮮の併合は明治43年
併合後の李朝王族や両班への配慮からでしょうか。
朝鮮の研究 山口豊正 著 明治44年
ソウル城下に漢江は流れる p189
李朝時代売春しながら全国を流浪した寺党は、寺院の奴隷から発生したという。
高麗の俗謡に僧侶の堕落を歌った淫らなものがある。
寺に行くとは不義を働くと同じ意味に用いられた。
寺での淫行が国政でも問題になり、僧侶試験を廃止、多くの僧侶を還俗させ、
2,3を残して寺院も廃されてしまった。
ソウル城下に漢江は流れる p190
朝鮮にもわが国の小学校に似た制度があるが、一番大きなものでも30名ほどである。
月謝は不要だが実際登校するものは十数名に過ぎない。
これに反し、妓生学校は多額の月謝を要するのに一校100名以上の生徒がいる。
これほどの生徒を集めるものは他にない。
朝鮮では役人の地位は隔絶していて差は努力では埋められないので、
妓生学校を卒業し官妓となって大官・高位の目に留まり権勢を振るいたいが為と聞く。
それが出世の近道とは、浅ましいものだ
世界の婦人
世界の婦人
百花乱れ咲く平城妓生学校 百花といわず数百人はいそうですね
国王のお呼びだというので、婢女とはいえ緑水は緑衣紅装を身に着け、
化粧を濃くして伺候した。その結果、繚乱たる舞と美貌をもって緑水は燕山の心を捉えた。
宮中に迎えられた緑水は、もはやかつてのような婢女ではなかった。従4品淑媛張氏となり、
燕山の寵愛を独占した妖花張緑水の実家はたちまちにして成金となり、瞬時にして幸運を手にした。
これが朝鮮での出世の近道 だとか
ソウル城下に漢江は流れる
これから朝鮮内地で学校を設立したお話をします。全羅道の光刕、そこは東学党の根拠地といって
日本人が殺された。ここへ尽力して日本人と朝鮮人と仲良くするようにしたいと思って、行って見たが
人間世界の有様ではない。米が主要作物で他に交易品は無いが米は沢山できる。
その米を一本ずつ扱いている。
稲穂を一本ずつ手に取って脱穀していたようです。
排せつ物まみれの食糞・飲尿・人肉食・物々交換経済には似つかわしいことですが、
現在韓国・朝鮮人が主張する『収奪された豊かな産物』なんかなかったということですね。
海陸兵役談 p55
驚いてしまったから、早速農具を持っていった。千石通し、田に水を張ることを知らないから水車まで持っていった。養蚕から糸からスッカリ実業を発達させねばと思って。
生徒募集に取り掛かると住人が言うには、日本では働いた成果は全部自分のものになるというが
朝鮮は違う、せっかくの親切だが朝鮮では働いて金がたまると牢に入れられ命まで取られることもあるから、学問しろといわれても辛抱するものはいない。辛抱しろというなら飯を食わせて20文か30文の給料をくれと言う。
海陸兵役談 p56
公使館の加藤さんに相談したところ、全羅道の光刕は日本で言えば山奥の方だから尤もだ、加藤さんが日露学校を作った時には飯を食わせてくれたら行こうと言ったという。
何とか工夫してやらなければということだった。養蚕は巡回して教えてやった、米を作る方法から
道具を全部持ってわらじを履いていったから足は豆だらけになった。足掛け3年ほどいたが
海陸兵役談 p57
売春婦養成学校には大勢の親が高い月謝を払って通わせてるんですから、ずるがしこい朝鮮人にすっかり騙されてしまっているようにも思いますが。
妓生学校を卒業し官妓となり、大官高位の人に接近し、美貌艶言を以ってその心を左右し、而して傲然平民に傲らんと欲するが故なりという。
いわゆる半亡国における出世の近道とは浅ましき話にあらずや
1960年代の韓国の街角
おっぱいマルダシですね。日帝時代の写真にはこういうのはあるのでしょうか?
文化を奪ったという主張は、こういう文化を日帝が厳しく取り締まったということでしょうか?
長年続けてきた食糞・飲尿・人肉食、おっぱい丸出し文化。そして、身分世襲の殺害しても罪に問われない奴隷制度。
大韓帝国という名の下での日本の保護国時代から併合時代、これらは衛生上の問題、人権の問題から禁止されてきたわけですが、
戦後60年以上経ってもまだ騒いでいるのですから、民族の伝統文化を禁止されてよほど窮屈だったんでしょうね。
近年エコがブームですから、日帝が抑圧した朝鮮民族の誇りあるエコとでも名づけて
国連ででも大々的に宣伝してはいかがでしょうか!?
ちょうど、事務総長は韓国人だし。本当の韓流文化を世界へ紹介するチャンスなのではないでしょうか。
すべての問題は解消したとする日韓基本条約に違反してまで、従軍慰安婦/性奴隷として虐待を受けたと
何十年も昔のしかも虚偽捏造宣伝を大統領や外交官・マスコミが世界中で繰り広げるよりは、
よほど尊敬され、共感を集めるかもしれませんよね。
1960年代の韓国の街角
腹巻のような短いスカートを穿いて
覗いたの写真を撮ったのと日本では大騒ぎですが、
おおらかなものですね。
住居前で記念撮影
彼が日韓合邦を上奏するや似非志士は一斉に立って彼を呼んで祖国を呪う逆賊なりしとし、
その骨を醢(塩辛)にするもはばからずと号叫せり。・・・
韓国上下1200万人の韓民がいかなる生活状態にあるかを一顧せよ。500年来の虐政は極度まで人民を困窮せしめたり。彼らは生活せりと言わんよりは寧ろわずかに死せざるのみ、
然り、辛うじて呼吸するのみ、去秋統監府の実地調査によれば、韓人は一人一ヶ月一円五十銭にて生存せざるべからざる経済状態にあり・・・卿等は人民を餓死せしめて政府のみを存せんと欲するか、宮廷のみを残さんと欲するか、大韓国の名のみを留めんと欲するか、・・・
何故この疾痛惨憺たる社会問題に嘱目せざる。辛うじて呼吸するのみなる哀々たる1200万の同胞は帰趣を求めて彷徨しつつあり、号泣しつつあり、飢えつつあり・・・
現代漢城の風雲と名士
そうした中で
韓国堕落の2000年史
乞食が国政の中心に座り、貧窮時代に米を恵んでくれた米屋を金庫番にしたそうです。
呆れ果てますね。
限度を知らぬ収奪に ・・・ 支配階層たる両班も、貧困を極める
軒は傾き、壁はひび割れ、瓦は剥がれ落ち、・・ ボロを着て ・・
いても、誇り高い? 支配階層の両班
韓人に衛生思想の絶無なりしは何人も知るところにてして、常に残敗物を食らって
土窟のごときおんどるに起臥し街頭は糞尿と牛馬糞に埋もれ汚穢不潔言語に絶したり
故に保護権の確立と共に当局者は鋭意衛生事業に力を致し、最初は私服巡査を
各町に配置し徹宵見張りをなさしめ道路溝渠等に脱糞放尿をなす者を捉え
一々説諭を加えて衛生の重んずるべきを説き、一面公共便所を設置してこれに備え
多面には除穢物運搬車を回転し人夫をして道路に放下せる糞尿を清掃せしめる等
その苦心尋常にあらざりき。かくて、明治39年東宮殿下御渡韓の際衛生費として
3万円を下賜せられたるを基本とし、40年12月27日統監府と韓国政府との間に
衛生に関する規約を締結して漢城衛生会を組織しようやく市街の外観を清潔ならしむるに至れり。
京城にて1ケ年の糞尿集去量27万3980石余りその他溝渠の浚渫あり。
衛生費の本年の予算は収入23万1962円支出18万8945円
現代漢城の風雲と名士
塵捨て場のごときは韓人のいまだ知らざるところ、故に市中いたるところとして
排せつ物の放出所にあらざるはなく、甚だしきは宮闕の正門にすら守衛の兵士盛んに小便を
注ぎしかもなんらの制裁これに伴うを見ずいわんやその他の小路のごとき左右前後皆これ人畜の汚物をもって
散布せられ、冬は幸いに凝結して見事途上を氷詰めになし居ると雖も春風暖を吹くの候に至っては漸次融解して
往来に氾濫し、夏季に近づくに従い悪習紛々鼻を襲いて到底歩行に堪えざらしむ
「路上に脱糞するなかれ」というのは1910年代に盛んに書かれた社説の重要な論題であった。
ソウル城下に漢江は流れる
政治を弄んだ。このような放逸な政治を行ったことから、1894年に東学党の動乱が起きると、
その乱の鎮定を清に委ねるという愚行を犯し、日清戦争を誘発させた。しかし、高宗も廷臣たちも、
なんらの責任も感じなかった。
日清戦争の翌年の1896年2月11日の暁、高宗王と王世子は極秘のうちに、宮城から脱出して
ロシア公使館に居所を移した。これを「俄館播遷」というが、朝鮮の悲劇は、このように一国の
主権者である君主が、自ら王宮を脱するという怯弱な体たらくであったことである。
さらには、ロシア公使館に入ると、即座に警務官、安桓を呼びつけ、全然罪のない金弘集総理大臣、
鄭秉夏農相工部大臣、ユキルジュン内務大臣、ジョウイエン、ジャンパクらの5大臣を、逆賊として
捕殺するよう命じた。
・・・・・ 警官と群集によって惨殺された。鄭秉夏大臣も斬殺され、その死体も鐘路に放置されたまま、
群衆の投石を受け、数日間にわたって風雨にさらされた。
正当な理由もなく、裁判もなく行われたこの暴挙に対し、ロシア公使も高宗に抗議したほどだった。
韓国堕落の2000年史 p250
不潔・猥雑を極めるソウルの城門周辺
大臣数氏が警務庁付近で惨殺されたと聞き、これを見るために西大門通りより
今日の道庁付近に至りしも、死体はすでに鐘路の四辻に運び去られし後なりしを以って
更に鐘路の四辻に至れば、群集山のごとく、その中に総理大臣金広集、農商工部大臣鄭秉夏
両氏の死体あり。死体は無残にも両足を綱で縛り、あたかも犬・猫のごとく引きずり来たりしものにして、
多数の群集は屍に唾し、或いは口を限りに罵り、その残酷な仕打ちは見るにしのびず。
ソウル城下に漢江は流れる
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