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Thursday, July 5, 2012

Correction to the distorted textbooks

http://ameblo.jp/dreamtale/day-20050218.html

与野党議員、「日本の教科書歪曲中断」求める決議案提出

「正しい歴史教育のための議員の会」所属の与党ヨルリン・ウリ党の姜昌一(カン・チャンイル)議員、ハンナラ党の高鎭和(コ・ジンファ)議員、民主労働党の崔順永 (チェ・スンヨン)議員ら、与野党の議員79人は18日、「日本の歴史教科書歪曲中断」を求める決議案を国会に提出した。

この議員たちは、決議案で「日本の歴史教科書歪曲は、韓日両国の善隣友好関係と新たなパートナーシップを大きく損なうだけでなく、日本の国際的孤立を招くことを厳重に警告する」と述べた。

決議案はまた、「日本の文部省が82年に歴史教科書検定基準として発表した『国際理解と国際協力の観点から必要な配慮する』という原則を踏まえて、忠実に歴史教科書を検定せよ」と促した。

また、「政府は外交通商部、教育人的資源部、文化観光部、国政広報処など、関係部処(日本の省庁に相当)が参加する常設高位対策機構を構成し、日本の歴史教科書歪曲に対し政府レベルで対応することを求める」と付け加えた。


1月31日のエントリーに書いたとおりの展開である。

近隣諸国条項は、教育に対して他国からの内政干渉を許す条項ではない。
しかし、そこまで言うのならば、近隣諸国に配慮した記載をしよう。


中国に配慮しよう。

「朝鮮人は、元寇、ベトナム戦争にも見られるとおり、宗主国の手先として、いや、寧ろ自ら主体的に宗主国への忠誠を示すために残虐行為を繰り返すのが常であった。
日韓合邦後、満州でもっとも暴れたのは朝鮮人である。
万宝山事件は、朝鮮人と中国人の水をめぐる争いから起こり、朝鮮半島における中国人虐殺にまで発展した。
満州では、 朝鮮人は「二鬼子」として中国人から恐れられ嫌われていた。
(「捏造された近代史」 黄文雄より)」


「倭奴嗾使鮮人惨殺 我同胞之血痕」

「満州で中国人から差別されていた朝鮮人からの、強い要求によって行った創氏改名を以て、日本人との区別を付かなくしたために、朝鮮人による中国人の逆差別が起きた。
正に創氏改名は、中国人にとって最悪な政策であった。」



次にベトナムに配慮しよう。

「日本統治時代の35年間に、朝鮮人は最悪の植民統治をされたにも係わらず、人口が二倍に増え、在外朝鮮人を含めれば約三倍に膨れあがった。
日本の統治を脱したあと、このうちの南半分は自らの統治能力の無さを露呈し、同族同士の争いである朝鮮戦争を経て、世界の最貧国へと転落した。
これを脱出するために、金欲しさにベトナム戦争に参戦し、残虐行為を繰り返した。
朝鮮人の数を増やした日本の統治は、まさに最悪の植民統治であった。」


次にタイに配慮しよう。

「日本統治時代において、朝鮮人は日本人と同等の権利を得、他の民族を蔑視するに至った。
その蔑視感情は現在も続いており、あの穏和なタイ人が、韓国へは行くなと言うほどの、差別大国になってしまった。
朝鮮人に日本と同等の権利を与えた、日本の植民統治の罪は重い。」


台湾人にも配慮しよう。

「同じ植民統治を受けたにも係わらず、中国・韓国の反日感情に較べ、台湾のそれは希薄である。
民度の違いを無視して、併合に反対する戦争を起こすこともなく、唯々諾々と従った朝鮮人を一等国民とし、統治に反対して、最後まで抵抗した台湾人を二等国民としていた事を、日本人は反省しなければならない。
また、韓国人に対して、金も謝罪もドブに捨てるような行為であった事を反省し、北朝鮮に金や謝罪を与えるよりは、台湾にこそ援助をし、謝罪すべきであったと反省しなければならない。
また、朝鮮人の数を増やしたために、台湾人の嫌いな人種アンケートにおいて、日本人9.7%、中国の大陸人27.11%よりも遙かに多い、韓国人35.07%という結果を招いていることについて、日本人は反省しなければならない。」


韓国人にも配慮しよう。

「(『石枕 (下巻)』 張俊河 安宇植訳 1976年より)
私たちを、なおのこと嘆かせたのは、新しい事実だった。
日本軍が降伏する直前(1945年8月15日)まで通訳か、それでなければ、前線地区を回って、阿片を商ったり、日本軍慰安婦の抱え主を演じた連中までが、一朝にして、光復軍(韓国臨時政府の軍隊)の帽子を手に入れ、独立運動家、亡命者、革命家などを自称する、
とうてい見るに忍びない風潮が横行したことだった。

のみならず、同じく異国にある同胞たちの財産を、そうした連中であればあるほど、先に立って没収して回るのが普通だった。

(中略)

青年層の人材は、まことに不足の状態にあった。
そんなありさまだったから、過去の経歴を問わずに、独立運動家の名を、手当たり次第に分け与えたのだ。
誰であろうと、参加を希望しさえすれば、相手かまわず鄭重に迎え入れ、光復軍の帽子を、一つずつ被せてやった。



大韓民国27年(1945年)、9月発行、つまり終戦後に発行された隊員証である。

光復軍とは、独立運動と称して略奪や虐殺を行っていた匪賊でなければ、このように戦後転換した、親日派だったのである。」


これで、どうですか?
そもそも、『日韓歴史共同研究事業』から逃げ出したのは、韓国ではないですか?
学問で論ずれば、全くかなわないので、政治決着するつもりですか?

日本は韓国と違って、国で教科書を作っているのではなく、民間で作っています。
国が一つの歴史観を強制できる、大日本帝国か共産主義国家の如きご自分の国と、一緒にしない方が良いかと思いますが、如何?



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